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恋愛請負人・鉄平完結編 ―最後の相手は女神様!? 異能バトル世界の恋愛ミッションに挑めー  作者: 炭酸水ひろみつ(旧 強炭酸)
三章 決戦の夏合宿

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第35話 悪魔ラスティとの決着。そして……新たなる脅威!?

 白狼が、激しく咳き込んだ。


「げほっ……!」


 喉を押さえ、膝をつきかける。

 その肩が大きく揺れていた。


 未来がすぐに駆け寄る。


「白狼、大丈夫?」


 白狼は片手を上げて応えた。


 大丈夫。

 そう言いたいのだろう。


 けれど、その顔は青ざめている。

 額には汗が滲み、呼吸は荒い。

 大丈夫というより、ここが限界という顔だった。


 今までの白狼の呪言攻撃は、一回ずつだった。


 それを三連。


 しかも、相手は巨大化した悪魔の本体。

 魂の核を撃ち抜くような、明らかに普段とは違う一撃だった。


 無理もない。


 芝生には、ラスティの巨体が崩れた跡が残っている。


 焦げた匂い。

 腐った花のような臭気。

 焼けた芝の苦い匂い。


 そのすべてが、夜風に少しずつ薄れていく。


 勇が、少し興奮したように呟いた。


「たぶんだけど……アートへの尊敬(リスペクト)感情(トリガー)に、指フレームを使った掌印を制約(リミット)にしたんだね」


 久々の解説役で、ちょっとウキウキしている。


「普通の呪言は、声にかなり負担がかかる。だけど今回は、対象を“構図”として切り取って、反動を抑えた。描くように狙いを定めて、言葉で撃ち抜いたんだ」


 白狼が、咳き込みながらも薄く頷く。


 勇は続ける。


「だから、通常なら連発できない呪言を、連射……いや、“連写”可能にした」


「連写……」


 俺は思わず呟いた。


 白狼らしい。


 言葉を失った白狼が、絵で世界を切り取ってきた。

 その白狼が、指フレームで悪魔を捉え、言葉で撃ち抜いた。


 絵と呪言。


 それが、ようやくひとつに繋がったのだ。


 勇は少し考え、それから笑った。


「術式・言霊描写(ドローイング)ってのはどう?」


 白狼は息を整えながら、少しだけ考える。


 そして、親指を立てた。


『採用』


 未来が、ほっとしたように息を吐く。


 けれど、すぐに表情を引き締めた。


「まだ終わってないわよ。気を引き締めて」


 その声で、緩みかけた空気が一気に戻る。


 ラスティは、まだ完全には消えていなかった。


 小さくなった身体が、黒い霧の中で膝をついている。


 もう巨大な悪魔ではない。

 屋根ほどもあった身体は縮み、翼は折れ、鉤爪も崩れている。


 美しい女の輪郭も、半分は溶けていた。

 けれど、それでもなお、最後の意地のようにこちらを見上げている。


「体が……消えていく……」


 その声は、さっきまでの妖艶さを失っていた。


 湿った、かすれた声。

 喉の奥に泥が詰まったみたいな声だった。


「無様な姿ね」


 黒い霧が、指先からほどけていく。


 ラスティは、自分の崩れていく手を見つめていた。


「私は、醜い自分が嫌いだった」


 ぽつりと、彼女は言った。


「魔神をこの世に顕現して、見返りに完全な美を手に入れて……自己肯定したかった」


 夜風が吹く。


 甘ったるい腐臭が、かすかに揺れた。


 誰も近づかない。


 未来も。

 勇も。

 白狼も。


 そして俺も。


 俺は目を閉じた。


 ほんの一瞬先までの未来予知(ヴィジョンアイ)を使用する。


 暗闇の奥に、短い未来が映る。


 ――「じゃあね」と言葉を残して、黒い霧となり散っていく悪魔。


 少なくとも、今この瞬間に反撃する力はない。


 目を開ける。


 でも、油断はしない。


 言葉はかける。

 けれど、近づきすぎない。


 俺はいつでも動ける距離を保ったまま、ラスティを見据えた。

 手のひらには、まだ魂を掴む力(ソウルセイヴ)の白い感覚を残している。


「あなたがもし人間だったら」


 ラスティの崩れかけた顔が、わずかにこちらを向いた。


「俺は、あなたの背中を押していたかもしれない」


 本心だった。


 美しくなりたい。

 自分を好きになりたい。

 誰かに認められたい。


 その願いだけなら、たぶん否定しなかった。


 俺は、そういう願いを知っている。


 自分の見た目に自信がなくて、鏡を見るたびに少し俯いてしまう子がいた。


 俺はその時、彼女に直接メイクをしてやれたわけじゃない。

 むしろ、当時の俺はメイクの工程なんて全然覚えられなかった。


 下地。

 ファンデーション。

 コンシーラー。

 パウダー。

 アイメイク。

 チーク。

 リップ。


 横で見ていても、頭の中はほとんど追いついていなかった。


 それでも、俺は彼女を変えてくれる人のところへ連れていった。


 スタイリストで、美容師で、俺にとっては本物の魔法使いみたいな人だった。


 扉を開けた瞬間の、シャンプーと香水が混ざったような清潔な香り。

 ドライヤーの低い音。

 鏡に反射する光。

 ハサミの軽やかな音。

 ブリーチ剤の少し刺激的な匂い。

 温かいタオルが首元を包む安心感。


 そして、少しずつ変わっていく鏡の中の顔。


 ――じゃあ、変身の魔法をかけましょうか。


 その言葉を、俺は今でも覚えている。


 メイクは“隠す”ものじゃなくて、“整える”もの。

 服は、別人になるためじゃなくて、自分の背中を少し押すためのもの。


 髪型も、化粧も、ファッションも、人の人生を根本から変えるわけじゃない。


 けれど。


 明日、少しだけ胸を張って歩けるようになる。

 鏡を見るのが、ほんの少しだけ怖くなくなる。

 誰かに会いに行く勇気が出る。


 そういう、自信と勇気を後押ししてくれる。


 解けない魔法みたいなものだと思った。


 あの時、彼女は最後に笑っていた。


 まだ戸惑っていて。

 でも、ほんの少しだけ胸を張っていた。


 俺は、横で見ていただけだ。


 その魔法を直接かけたのは、スタイリストさんだった。


 だからこそ思った。


 いつか俺も、そういう人になりたい。


 誰かを魔法使いのところへ連れていくだけじゃなくて、

 俺自身が、誰かにその魔法をかけられる人間になりたい。


 美容師になりたい。

 スタイリストになりたい。


 それは、ただ格好いい仕事だからじゃない。


 誰かが自分を好きになるための背中を、押せる仕事だと思ったからだ。


 だから、俺はラスティの願いを笑えなかった。


 美しくなりたい。

 自分を好きになりたい。

 醜い自分を変えたい。


 その願いだけなら、俺はきっと否定しなかった。


 髪型を整えようと言った。

 服を選ぼうと言った。

 姿勢を変えようと。

 表情を変えようと。

 自分を好きになる方法は、きっとあると言った。


 でも。


 人を踏みにじって叶える願いは、止めるしかない。


 誰かの身体を奪って。

 誰かの才能を利用して。

 誰かの人生を儀式の道具にして。


 そんなものは、魔法じゃない。


 ただの呪いだ。


 ラスティは、かすかに笑った。


「あなた、良い男だね」


 黒い霧が、さらに薄くなる。


「誰にでも優しくすると、本命に嫌われるわよ」


「……肝に銘じます」


 俺は視線を逸らさない。


 その言葉は、妙に胸に刺さった。

 嫌味なのか、忠告なのか、最後の悪あがきなのか。


 たぶん、全部だ。


 ラスティは俺の顔を見て、それから俺の手を見た。


 まだ白い光の残る手。

 奪うためではなく、救うために魂へ触れた手。


 ラスティの口元が、最後に少しだけ歪んだ。


「あなたは、私を救えなかった」


 黒い霧が、彼女の輪郭を削っていく。


「でも、人間だった私なら……もしかしたら、救えたのかもね」


 胸の奥が、わずかに痛んだ。


 ラスティは、崩れかけた顔で笑う。


「じゃあね」


 その声は、皮肉のようで。


 ほんの少しだけ、祈りのようにも聞こえた。


魔法使い(おせっかい)さん」


 その言葉を残して、ラスティは黒い霧となって散った。


 夜風が吹く。


 腐った花の臭いが、少しずつ薄れていく。

 あとに残ったのは、焼けた芝の匂いと、戦いの余韻だけだった。


 その瞬間。


 視界の中央に、半透明のウィンドウが浮かび上がる。


【ストーリーミッション】


【ワーロックの魔の手から絵馬(えま)を救え】


【結果:コンプリート!】


 胸の奥で、何かがほどけた。


 白狼を魅了から救い出した。

 絵馬先輩からラスティの憑依を引き剥がした。

 そして、ラスティ本体を倒した。


 絵馬先輩は、助けられた。

 白狼も戻った。

 鷹志さんも、亜里沙さんも生きている。


 終わった。


 そう、思っていいはずだった。


 けれど。


 悪魔の最後の言葉が、胸の奥に残っていた。


 魔法使い。


 それは、女神様がくれた言葉でもある。

 でも、それより前から俺の中にあった言葉でもある。


 誰かに自信と勇気を渡せる人。

 鏡を見るのが怖かった誰かに、顔を上げるきっかけを作れる人。

 背中を押して、明日へ歩かせる人。


 俺は、そういう人間になりたかった。


 そして今。


 この手には、まだ魂を掴む力(ソウルセイヴ)の感覚が残っている。


 奪うためじゃない。

 救うために掴む手。


 その手は、まだ少し震えていた。


 ♢


 だが。


 ラスティは、まだ完全には消えていなかった。


 本体は砕かれた。

 けれど、悪魔の残滓だけが、黒い煙のように森の奥へ逃げ延びていた。


 湿った土の匂い。

 夜の木々が擦れる音。

 遠くでは、まだ戦いの余韻がかすかに残っている。


 黒い霧が、必死に人の形を作ろうと蠢く。


「……なんとか、逃げ帰って……立て直さないと……」


 声は掠れていた。

 妖艶さも、美しさもない。

 ただ、生き延びたいという執着だけが、醜く残っていた。


 その時。


「諦めの悪い子はダメよ」


 涼しい声が落ちた。


 ラスティの残滓が震える。


 そこに、凛が立っていた。


 避難誘導を終え、誰にも気づかれないまま森へ回り込んでいたのだ。


 夜風が服の裾を揺らす。


 凛は表情を変えず、指先を軽く鳴らした。


 ぱち、ぱち、と。


 小さな火花のような音。


 次の瞬間、彼女の周囲に神々しい光が滲む。


「……あなたは、何者……!?」


 ラスティが問いかける。

 恐怖と驚きが混じった、か細い声だった。


 凛は答えない。


 ただ、静かに見下ろす。


「ここまでよ」


 光が弾けた。


 ラスティの残滓は、悲鳴を上げる間もなく消えた。

 黒い霧は白い光に焼かれ、夜の森に溶けていく。


 あとに残ったのは、濡れた葉の匂いと、静かな風だけだった。


 ♢


 この世ではない空間。


 深い闇の奥で、何かが嗤った。


「……面白い」


 声は幾重にも重なり、形を持たない。


「この者、我々の世界の神とは異なる」


 この世界における神とは、真理――あるいは曼荼羅と呼ばれる、無限の知識とエネルギーの集積へアクセスする者。


 天国も、地獄も、死後の世界さえ、その内側に含まれている。


 神とは、真理への接続権を持ち、それを行使できる存在。


 だが。


 あの女神は違う。


 外から来た。

 自らの内に、別種の理を抱えている。


「真理を内包する、異界の神」


 闇の中で、魔神が不敵に嗤った。


「欲しい」


 悪魔の目を通じて現世を見ていた存在が、静かに狙いを定める。


 「次の標的は、異界の女神だ」

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