第33話 託された意思、頼んだぞ『親友』!!
美と色欲の悪魔は、もはや人の姿を捨てていた。
屋根を越えそうな巨体。
肩が裂け、背中からは膜のような翼が広がっている。
腕は異様に長く、指先は黒い鉤爪。
顔の半分には美女の面影が残っているのに、もう半分は獣の顎のように裂けていた。
裂けた口から、黒い涎が垂れる。
甘い香水の匂いは、もう消えている。
代わりに漂うのは、腐った花のような臭気と、湿った獣の体温。
熟れすぎた果実が潰れ、泥と血に混ざったみたいな、吐き気を誘う甘さだった。
その時、耳の奥に迅先輩の声が響いた。
『鉄平、聞こえるか』
精神感応通信だ。
けれど、声に余裕がない。
背後で風が唸る音と、魔物の濁った叫び声が混じっている。
『悪い。こっちは増援に捕まった。翠鳥と凛には避難誘導を優先してもらう。すぐには合流できない』
「迅先輩……!」
カッ
森の方で緑の閃光が走った。
スカイアの光の矢だ。
ぼうっ……
続けて、炎の札が夜空を照らす。
迅先輩たちは、まだ戦っている。
こちらへ来られない。
胃の奥が、冷たくなった。
目の前には、巨大化したラスティ。
絵馬先輩は救い出した。
けれど、戦いは終わっていない。
むしろ、ここからが本番だ。
『だから、そっちの現場指揮はお前に任せる』
一瞬、言葉の意味が分からなかった。
「……俺に?」
『ああ』
迅先輩の声が、少しだけ笑った。
『お前は俺に勝った男だろ。透明化も未来予知も、状況を見る目もある。勝ち筋は、最大火力の白狼だ。あいつが撃てるチャンスを作れ』
胸の奥が、熱くなる。
あの訓練所での戦い。
床に叩きつけられ、風に殴られ、それでも立ち上がった一戦。
あれは、ただの歓迎会前の腕試しじゃなかった。
ここに繋がっていた。
『頼んだぞ、“親友”』
その一言で、手の震えが止まった。
「了解です、迅先輩」
俺は息を吐く。
「こっちは、俺が組み立てます」
通信が切れた。
軽口のおかげで、少しだけ呼吸が戻る。
俺は白狼を見た。
どん、と自分の胸を叩く。
そして、拳を白狼へ突き出した。
必ず繋ぐ。
白狼も、同じように胸を叩いた。
そして、拳を俺へ突き出す。
言葉じゃねえよな。
――やるぞ。
その瞬間。
視界の中央に、半透明のウィンドウが浮かび上がった。
【ストーリーミッション:クライマックス】
【ワーロックの魔の手から絵馬を救え】
【ファイナルミッション】
【ラスティに勝て】
喉が鳴った。
ファイナルミッション。
これが最後。
絵馬先輩を救うための、最後の壁。
ラスティが、大きな手をゆっくりとかざした。
そのはるか頭上に、赤い月が現れる。
血を垂らしたような、禍々しい月。
表面には、黒い数字が浮かび上がっていた。
【666】
カチャン
数字が、ひとつ減る。
【665】
カチャン
また、減る。
【664】
カチャン
秒針のように正確ではない。
鼓動のように、不規則に。
けれど確実に、数字は終わりへ向かっている。
「……カウントダウンか」
嫌な汗が背中を伝った。
ラスティは笑っている。
大きな腕を振るい、こちらを近づけさせない。
腐臭を帯びた瘴気が周囲を渦巻き、足を止める。
攻めているようで、違う。
明らかに、時間を稼いでいる。
俺は目を閉じた。
「未来予知」
暗闇の奥に、少し先の未来が映る。
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赤い月の数字が、急激に削れていく。
カチャン
カチャン
カチャン
【000】
ラスティが腕を広げる。
ばりん
月が砕け、黒い光が地上へ落ちる。
そして――。
「深淵・夢喰術式」
――ぶつん。
闇が街を包み込んだ。
視界が、塗り潰される。
音も。
光も。
呼吸も。
全部、黒に沈む。
勇が消える。
未来が消える。
白狼が消える。
絵馬先輩の姿も、黒に呑まれて見えなくなる。
俺の手は、誰にも届かなかった。
――全滅。
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「――っ!」
目を開けた瞬間、膝が笑った。
ぽた
ぽた
鼻の奥が熱い。
指で拭うと、血がついていた。
無理に見すぎた。
けれど、見えてしまった。
カウントがゼロになった瞬間。
俺たちは、負ける。




