第32話 切り札の召喚術。バトルはクライマックスへ!?
一方、迅たちは――。
「迅さん、さすがに数が多い!!」
翠鳥の声が、夏の夜気を裂いた。
彼女が指先で札を弾く。
薄い紙片が月明かりを受けて白く光り、次の瞬間、宙で橙色の炎へと変わった。
ぼっ、と火が咲く。
札から生まれた炎は、ただ燃え広がるだけではない。
獣を追う蛇のようにうねり、地上を這うゴブリンのような魔物たちへ食らいついた。
「ギィッ――!」
濁った悲鳴。
焦げた獣臭さ。
湿った土と焼けた毛皮の匂いが、夜気に混ざる。
空では、巨大なコウモリのような魔物が翼を広げていた。
ばさり、ばさりと羽音が重い。
黒い皮膜の翼が月を遮るたび、地面に不気味な影が落ちる。
地上では小鬼たちが、爪を鳴らしながら笑っている。
喉の奥で潰したような、濁った笑い声。
理性は薄い。けれど、数で押し潰す悪意だけははっきりと伝わってくる。
リスクは二以下。
一体一体は、そこまでの脅威ではない。
翠鳥の札でも倒せる。
迅の術式でも吹き飛ばせる。
だが、数が多すぎた。
倒しても、また奥から出てくる。
焼いても、空から降ってくる。
足止めをしている間にも、別の魔物が避難者の方へ回り込もうとする。
凛は一般人の避難誘導に専念していた。
「落ち着いてください! こっちです!」
その声は、こんな状況でも不思議とよく通った。
恐怖で足を止めた人の背中を押し、泣き出した子どもには膝を折って目線を合わせる。
戦うのではなく、守る。
少なくとも、今この場での凛の役目はそれだった。
その間、魔物を引きつけているのは迅と翠鳥。
翠鳥はさらに札を構える。
指先に汗が滲んでいた。
「まだ来ます!」
「分かってる」
迅が息を吐き、笑った。
軽い笑みだった。
けれど、その首筋には汗が伝っている。
じゃらり
首から下がる古びた懐中時計が、淡い緑の光を帯びていた。
中に宿る風妖精が、こちらの消耗を訴えるように、細かな振動を繰り返している。
「……消耗は激しいが、とっておきだ」
迅は銀時計を握る。
「風妖精、スカイア! 共闘モードだ!!」
コオオオオオ
次の瞬間、風が渦を巻いた。
砂利が跳ねる。
木々がざわめく。
魔物たちの羽音が、強い風に押し返される。
小さな妖精だったスカイアの姿が、光の粒をまとって伸びていく。
背丈が変わる。
輪郭が変わる。
緑がかった髪が風を孕み、尖った耳が夜気の中に浮かび上がった。
手には、透き通るような弓。
小さな妖精ではない。
戦闘用に実体化した、風のエルフ。
その瞳は軽薄な口調とは裏腹に、獲物を狙う狩人のように鋭かった。
「OK、迅。三分で片付けるよ」
その声はいつものように軽い。
けれど、内側では冷静に計算している。
(……今の迅なら、三分が限界でしょうし)
スカイアが弓を構える。
弦は見えない。
しかし、彼女が指を引くと、風が糸のように張り詰めた。
周囲の空気が凝縮し、光を帯びた矢となって形成される。
「夢幻戦士法」
ヴン……
空気が震えた。
スカイアの身体が一瞬ぶれる。
一つの影が二つに。
二つの影が四つに。
次の瞬間、スカイアの分身が三人増えていた。
四つの影が同時に跳ぶ。
四つの弓が同時に引き絞られる。
ぎり、と空気が鳴った。
「まとめて落とす」
四本の光の矢が夜を裂く。
一射。
空を旋回していたコウモリの魔物が、胸を射抜かれて弾けた。
黒い翼が灰のように崩れ、夜空へ散る。
二射。
地上のゴブリンが、悲鳴を上げる間もなく霧散した。
光の矢は一体を貫いただけで止まらず、背後にいた二体目まで巻き込んで消し飛ばす。
三射。
木陰に隠れて回り込もうとしていた魔物の頭部を、曲がる矢が正確に撃ち抜いた。
四射。
避難者へ向かって跳びかかった小鬼が、空中で光に貫かれ、黒い煙となって消える。
そこから先は、一方的だった。
光の矢が降り注ぐ。
風がうなる。
矢が曲がる。
逃げようとする魔物を追い、影に隠れた魔物をえぐり、空中の敵を撃ち落とす。
スカイア本体と三体の分身が、まるで舞うように位置を入れ替える。
一人が射る。
一人が跳ぶ。
一人が風の壁を作る。
一人が次の標的を捉える。
迅はその中心で、銀時計を握ったまま呼吸を整えていた。
額に汗が滲む。
膝がわずかに揺れる。
それでも、口元には笑みを残している。
「あと十七」
スカイアが呟く。
矢が走る。
「十三」
さらに矢。
「八」
翠鳥も札を重ねる。
火の壁を作り、魔物の逃げ道を塞ぐ。
そこへスカイアの光矢が降る。
「三」
最後のコウモリ型の魔物が逃げようと翼を広げた。
迅が指を鳴らす。
「逃がすな」
「当然」
四人のスカイアが同時に弓を引いた。
四本の矢が一点へ収束する。
夜空で十字の光が走り、魔物の影が音もなく散った。
不気味だった羽音も、濁った笑い声も、風に吹き散らされるように消えていく。
三分もかからず、周囲の雑魚はほぼ片付いていた。
翠鳥が札を下ろし、呆れたように息を吐く。
「……迅さん、スケベさえなければ凄いんだよなあ」
「そこ毎回引っかかる?」
「毎回引っかかります」
「俺の評価、戦闘力と性癖で相殺されすぎじゃない?」
「性癖が強すぎるんですよ」
迅は肩をすくめた。
その軽口とは裏腹に、呼吸は荒い。
スカイアの分身も、光の粒となって少しずつ薄れていた。
切り札は強い。
だが、代償も大きい。
凛が最後の避難者を安全圏へ送り届ける。
「ここまで来れば大丈夫です。建物の中へ。絶対に外へ出ないでください」
優しい声。
けれど、有無を言わせない芯がある。
最後の一人が頷いて駆け込むのを確認して、凛はアトリエの方へ顔を向けた。
「迅さん!」
翠鳥が顔を上げる。
「今なら合流できます!」
迅は短く頷いた。
「行くぞ。向こうもそろそろ――」
その言葉が、途中で止まった。
ずずずずず
アトリエの方角で、黒い霧が噴き上がった。
さっきまでの魔物たちとは違う。
もっと濃く、もっと重く、肌にまとわりつくような悪意。
夜の空気が、ぐにゃりと歪む。
木々の向こうから、何か巨大なものが身を起こす気配がした。
腐った花のような臭気が、風に乗って届く。
凛が、わずかに息を呑む。
「……出たわね」
迅の表情が変わった。
「ラスティの本体か」
直後。
地面の影が、ぼこりと盛り上がった。
「え……?」
翠鳥が札を構え直す。
さっき掃討したはずの場所。
そこから、新たな魔物が這い出してくる。
ゴブリン。
コウモリ。
犬のような形をした魔獣。
先ほどより数は少ない。
けれど、気配が濃い。
リスク二以下の雑魚ではある。
だが、ラスティ本体の瘴気を浴びているせいか、動きが先ほどより荒い。
目が赤く濁り、皮膚の表面に黒い筋が走っている。
牙から涎を垂らし、避難所の方へ向けて鼻を鳴らしていた。
「増援……!」
翠鳥の声が強張る。
「今度は避難所を狙ってる!」
凛が即座に動いた。
「翠鳥ちゃん、一般人の確認を優先! 建物の裏手に回られたら危ない!」
「はい!」
翠鳥は札を構え、避難所側へ駆ける。
迅も一歩踏み出した。
だが、森の奥からさらに羽音が重なった。
ばさり。
ばさり。
ばさり。
数が増えていく。
迅は舌打ちした。
「……ここを空けるわけにはいかないな」
アトリエへ向かえば、避難所が危ない。
避難所を守れば、鉄平たちのもとへ合流できない。
二択。
そして、選ぶべき答えは決まっていた。
迅は銀時計を握り直す。
「スカイア、まだいけるか」
「正直きつい。でもやるしかないでしょ」
光の粒になりかけていたスカイアが、再び弓を構えた。
迅はアトリエの方を見る。
そこではきっと、鉄平たちがラスティ本体と向き合っている。
白狼。
未来。
勇。
そして鉄平。
こちらから合流する余裕はない。
だから、迅は精神感応通信を開いた。
『鉄平、聞こえるか』
雑音混じりの回線越しに、鉄平の息を呑む気配が返ってくる。
『悪い。こっちは増援に捕まった。翠鳥と凛には避難誘導を優先してもらう。すぐには合流できない』
通信の向こうで、一瞬の沈黙。
迅は、あえて笑った。
『だから、そっちの現場指揮はお前に任せる』
魔物が迫る。
スカイアの光矢が夜を裂く。
翠鳥の札が炎を上げる。
凛の声が避難者を導く。
それでも、迅は通信を切らない。
『お前は俺に勝った男だろ。透明化も未来予知も、状況を見る目もある』
迅は、アトリエの方角を見据える。
『勝ち筋は、最大火力の白狼だ。あいつが撃てるチャンスを作れ』
また一体、魔物が飛びかかってくる。
迅は風をまとった拳でそれを弾き飛ばした。
『頼んだぞ、“親友”』
そう言い残して、迅は通信を切った。
そして、目の前の増援へ向き直る。
「さて」
迅は、息を吐いた。
「こっちはこっちで、死守といこうか」
「迅、三分追加は無茶だよ?」
スカイアが軽口を叩く。
迅は笑う。
「じゃあ二分五十九秒で片付けろ」
「ブラック契約すぎる」
翠鳥が札を構える。
凛は避難所の前に立ち、逃げ遅れがいないか視線を走らせていた。
アトリエへは行けない。
でも、ここを守ることが、鉄平たちを信じることになる。
ちらりと、凛はラスティの本体が現れた方角を見る。
(頼んだわよ、鉄平……)
脳裏に浮かぶのは、イーゼルの前で楽しそうに談笑しながら、手先を走らせる絵馬の姿だった。
(私にとっても、絵馬はこだわりの強い者同士の友人なんだから)
迅は懐中時計を握り、風を纏った。
「行くぞ、スカイア」
「OK、迅」
再び、光の矢が夜を裂いた。




