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恋愛請負人・鉄平完結編 ―最後の相手は女神様!? 異能バトル世界の恋愛ミッションに挑めー  作者: 強炭酸
三章 決戦の夏合宿

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第28話 悪魔ラスティの罠。狙われた絵馬!?

【回想 絵馬視点】


 私の父、新渡(あらと)鷹志(たかし)は画商だ。


 世界中を飛び回り、一代で財を築いた人。


 空港の匂いをまとって帰ってくる人だった。


 革のトランク。

 外国の煙草の匂い。

 絵の具の染みた指先。

 高そうなスーツなのに、額縁を運ぶ時だけ妙に子どもみたいな顔をする。


 幼い私は、それを少し誇らしく思っていた。


 父の成功の理由は、二つあった。


 一つは、父自身が退魔師の力を持っていたこと。


 アートの世界には、“呪い”が当たり前のように存在する。


 画家の執念が染みついた絵。

 持ち主を破滅させた彫刻。

 見る者の精神を削る肖像画。


 曰く付きであることが、むしろ作品の価値になることさえある。


 美しいものほど、恐ろしい。


 それが、この世界の常識だった。


 父は、そうした美術品に宿る気配を見抜き、封じ、扱うことができた。


 退魔師としての眼。

 そして画商としての審美眼。


 その両方を持っていたからこそ、父は誰より強かった。


 そして、その術式は――私にも受け継がれている。


 画竜点睛(ファイナルタッチ)


 父が私に教えてくれた召喚術。


 あらかじめ描いておいた絵に、“完成の一筆”を加えることで、描かれたものを現実へ呼び出す。


 クロッキー帳でも。

 キャンバスでも。

 額装された大作でも。


 媒体が違うだけで、本質は同じ。


 絵は、ただの絵じゃない。


 描いた瞬間から、そこには感情が宿る。


 執着。

 願い。

 嫉妬。

 愛。


 だから術になる。


 だからこそ、このアトリエは危険だった。


 父がラスティに操られているなら。


 ここに飾られた作品すべてが、武器になり得る。


 壁の絵も。

 床に立てかけられたキャンバスも。

 未完成のスケッチでさえ。


 全部が牙を剥く。


 もう一つ。


 父の成功を支えていたのは、私の母――絵里須(えりす)の力だった。


 色が音に聞こえる共感覚。


 赤は、低いチェロの音。

 青は、澄んだ硝子のベル。

 金は、神様が笑うみたいな高い響き。


 母は、本物のギフトを持った絵描きだった。


 父の審美眼も一流だった。


 けれど、母の存在は別格だった。


 美術品に宿る気配を、色として、音として感じ取る。


「この絵、泣いてる」


 幼い私には意味が分からなかった。


 でも母は、本当にそう言っていた。


 絵と会話をするように。


 モチーフと対話するように。


 世界を見ていた。


 父は、その隣に立っていた。


 並んで、笑っていた。


 あの頃の家は、ちゃんと温かかった。


 母は、私が幼い頃に亡くなった。


 病室の白い匂いを、今でも覚えている。


 花瓶の百合の匂い。

 消毒液。

 静かすぎる機械音。


 父は、一時、仕事を休むほど塞ぎ込んだ。


 食卓に座っても、何も食べない。

 窓の外ばかり見ていた。


 世界から色が消えたみたいだった。


 けれど。


 私に母と同じ力が宿っていると知って、父は復帰を決めた。


 父は、私を利用したかったわけではないと思う。


 ただ。


 母を失った穴を、私の中に見てしまったのだろう。


 それが愛だったのか。

 執着だったのか。


 今でも、少し分からない。


 数年前、父は再婚した。


 亜里沙(ありさ)


 母、絵里須に少し似た人だった。


 笑い方が柔らかくて。

 食卓に花を飾る人で。

 家の中に、また生活の音が戻った。


 新しい家族が増えるのかもしれない。


 そんなことを、ぼんやり考えた時期もある。


 けれど。


 今年の春から、様子が変わった。


 亜里沙が、別人のようになった。


 笑い方。


 声の湿度。


 香水の匂い。


 目の奥に宿る、ぬめるような光。


 人を見るんじゃない。


“品定め”する目。


 肌にまとわりつくような気配。


 今なら分かる。


 あの時期に、彼女は“乗っ取られた”。


 そして父は。


 亜里沙の姿をした悪魔に、魅了(チャーム)された。


 父に精神防御の心得がなかったわけじゃない。


 むしろ、普通の悪霊や呪物相手なら後れを取る人ではない。


 けれど、相手が悪かった。


 好きな相手の顔で。


 好きな相手の声で。


 好きな相手の匂いで。


 優しく囁かれる。


 そこへ悪魔の魅了を重ねられたら。


 大抵の人間は、抗えない。


 鉄平くんに効かなかったのは、彼の心がすでに別の誰かへ向いていたから。


 逆に言えば。


 心を寄せている相手を依代にされた時点で、魅了は最悪の毒になる。


 父は、そこを突かれた。


 そして今。


 私は、アトリエの扉の前に立っている。


 手には、術式・画竜点睛(ファイナルタッチ)のためのクロッキー帳とペン。


 扉の向こうから、油絵の具と木材の匂いが漏れてくる。


 その奥に、亜里沙の香水が混じっていた。


 甘い。


 甘すぎる。


 吐き気がする匂い。


 未来ちゃんに送った、シグナル・フォー・ヘルプ。


 きっと、伝わっている。


 白狼くんも。

 鉄平くんも。

 みんな、動いてくれている。


 大きく息を吸う。


 肺の奥が冷たくなる。


 怖い。


 すごく、怖い。


 でも。


 ここで逃げたら、父を失う。


 皆、頼んだわよ。


 私は、ドアノブに手をかけた。


 ♢


「いらっしゃい、絵馬ちゃん」


 亜里沙の姿をしたラスティが、不気味に微笑んだ。


 その隣には、父が立っている。


 穏やかな顔。


 けれど、目の奥は虚ろだった。


 ガラス玉みたいに。


 何も映していない。


 胸が痛んだ。


「まんまと来てあげたわよ。ラスティ」


 私はクロッキー帳を取り出す。


 震えるな。


 手。


 ――が。


画竜点睛(ファイナルタッチ)


 父の声が、先だった。


 壁に掛けられた植物画の額縁が、淡く光る。


 父が、その絵の端へ“完成の一筆”を加えた。


 次の瞬間。


 描かれていた蔦が、現実へ滲み出す。


 ぬるり、と。


 油絵の緑が立体になって、床を這う。


 生き物みたいに。


 いや、生き物そのものみたいに。


「っ……!」


 腕。

 足。

 腰。


 一瞬で絡め取られる。


 冷たいのに、生温かい。


 植物のはずなのに、蛇みたいだった。


 クロッキー帳が手から落ちる。


 乾いた音を立てて、床を滑った。


 遠い。


 指先が届かない。


「しまった……!」


「よくやったわ、鷹志」


 ラスティが満足そうに微笑む。


 父は何も答えない。


 ただ、糸で吊られた人形みたいに立っている。


 悔しい。


 腹が立つ。


 でも、一番怖いのは。


 父が、そのことに気づいていない顔をしていることだった。


 ラスティが、ゆっくり私に近づいてくる。


 ヒールの音。


 こつ、

 こつ、

 こつ。


 死刑宣告みたいだった。


「く……私も操って、手駒にする気?」


「いいえ」


 ラスティは、亜里沙の顔で笑った。


「私が欲しいのは、あなたよ」


 背筋が凍る。


「色が音に聞こえる共感覚。アートの技術。そして、その美貌」


 指先が、私の頬へ伸びる。


 冷たい。


 ぞっとするほど。


「作品を利用した儀式で、魔神をこの世に降ろす。あなたは、そのための大事なピースなの」


 甘い香水の匂いが、吐き気がするほど濃くなる。


 息ができない。


「その身体、もらうわよ」


 次の瞬間。


 亜里沙の身体が、びくりと震えた。


 口から。


 目から。


 影のような黒い霧が溢れ出す。


 ぐちゃり、と。


 人の形から何かが剥がれるみたいに。


 糸が切れたように、亜里沙の身体がその場に崩れ落ちた。


「……!」


 父の顔が、ようやく揺れた。


 黒い霧は蛇のように宙を這い、私へ向かって襲いかかる。


「――っ!」


 同時に。


 父の身体も膝から崩れた。


 魅了(チャーム)のリンクが切れたのだ。


 床に倒れる父。


 意識を失った亜里沙。


 そして。


 私へ迫る悪魔の霧。


 逃げられない。


 蔦が肌に食い込む痛み。


 喉の奥に絡みつく、甘い悪魔の匂い。


 床に落ちたクロッキー帳。


 届かない。


 全部、届かない。


 終わる。


 ここで。


 私の中で、何かが静かに沈んでいく。


 怖い。


 悔しい。


 嫌だ。


 まだ、終わりたくない。


 私は歯を食いしばった。


 ――皆、早く。


 

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