第27話 避暑地の合宿。一触即発!?
新幹線を降りて、さらにバスを乗り継ぐ。
窓の外に広がるのは、夏の長野だった。
湿った都会の熱とは違う。空気は澄んでいて、緑の匂いが濃い。木々の隙間から差し込む陽射しは鋭いのに、肌を撫でる風はどこか冷たい。
避暑地。
そう呼ぶにふさわしい場所だった。
今回の表向きの参加者は、美術部メンバー。
絵馬先輩、白狼、未来、俺、そして凛。
加えて、勇、迅先輩、翠鳥は別動隊として一足先に近くの宿に待機している。迅先輩が風妖精スカイアを飛ばし、こちらの情報を逐一確認する手筈だ。
未来から聞かされている今回のミッションは、リスク4相当。
上級退魔師がチームを組んで対処する案件。
迅先輩が総合指揮官で作戦を統括。
未来が現場リーダーとして引っ張る。
白狼はエースアタッカー。
勇は未来のサポート。
翠鳥と凛は、万が一の一般人避難誘導。
そして、俺は――憑依型相手の切り札。
そう聞くと格好いいが、現実の俺は今。
「荷物おっも……」
泊まり用の荷物に加えて、画材セット。
肩紐が食い込んで、汗がじわりと背中に滲む。
「絵馬先輩、画材と荷物は郵送した方がいいって言ってたじゃない」
未来が呆れたように言う。
「帰りはそうしよう……」
いけると思った。
いけると思った俺が甘かった。
大誤算である。
凛が鉄平をちらりと見る。
(……私はあくまでも“人間”として、頼んだわよ鉄平)
そんな俺たちを見て、絵馬先輩はすっかり引率の先生みたいな顔をしていた。
「もうすぐ着くわよ」
バス停から坂道を上がった先。
木立の向こうに、その建物はあった。
絵馬先輩の父親で、画商をしている新渡鷹志氏の所有する別荘兼アトリエ。
まず、門が広い。
敷地が広い。
建物が大きい。
白い外壁。大きな窓。手入れされた芝生。敷石の小道。
庶民の俺からすると、「別荘」というより「美術館が避暑地にコスプレしている」みたいに見えた。
「……ブルジョワだ」
思わず呟く。
白狼がスケッチブックにさらさらと書く。
『鉄平、語彙が負けてる』
負けるだろ、これは。
玄関をくぐると、空気が変わった。
外の草木の匂いが薄れ、代わりに木材とワックス、それから油絵の具のような重たい匂いが鼻に届く。廊下には見たこともない絵が飾られ、飾り棚にはガラスの器や彫刻が並んでいた。
足音が、妙に響く。
場違いだ。
そう感じた瞬間、胸の奥に緊張が戻ってくる。
ここは合宿先であると同時に、罠の中でもある。
荷物を置いたあと、俺たちは客間へ通された。
天井が高い。
ソファが沈む。
置かれているテーブルも、なんか絶対に高い。
窓の外では、木々が風に揺れている。蝉の声が遠くから聞こえるのに、この部屋の中だけは妙に静かだった。
「ようこそ、私のアトリエへ」
柔らかい声で迎えたのは、絵馬先輩の父、鷹志氏だった。
整った身なりの、穏やかそうな男性。
けれど、その目の奥には薄い膜が張っているように見えた。
疲れ、ではない。
もっと虚ろなもの。
そして、その隣に女性が立っていた。
「こちらが妻の亜里沙です」
鷹志氏がそう紹介する。
絵馬先輩の母親の後妻にあたる人だ。
亜里沙と呼ばれた女性は、静かに微笑んで会釈した。
三十歳前後だろうか。
上品なワンピースに、控えめなアクセサリー。柔らかい香水の匂いがふわりと漂う。
綺麗な人だった。
ただ、その綺麗さが、どこか作り物めいている。
絵画の中から抜け出したようで、同時に、額縁の裏に黒い染みがあるような不気味さがあった。
『……見えた』
耳の奥に、声が響く。
迅先輩の風妖精、スカイアの声だ。
部屋の外からこちらを観察しているらしい。
『あの人、“人ならざるもの”に憑かれてる。たぶん、悪魔』
術式、精神感応通信。
その声は、別動隊の迅先輩、勇、翠鳥にも届いている。
一拍置いて、迅先輩の低い声が返る。
『……だそうだ。全員、待機。動くのは合図があってからだ』
背筋に冷たいものが走った。
やはり、ここまで来ていた。
いや、最初からここにいたのかもしれない。
亜里沙本人は人間。
だが、美と色欲の悪魔の依代。
目の前の笑顔は穏やかなのに、空気の底だけが重い。
亜里沙が、ゆっくりと口を開いた。
「久々の親子の再会ですもの。二人で話してきたら?」
声は優しい。
けれど、その言葉には見えない糸が絡んでいるようだった。
鷹志氏は、少し遅れて頷く。
「そうだな。夕飯まで自由時間にしようか」
そして、絵馬先輩を見る。
「絵馬。アトリエで少し話そう」
その目は、やはり虚ろだった。
絵馬先輩は、一瞬だけまぶたを伏せる。
けれど、次に顔を上げた時には、いつもの落ち着いた表情に戻っていた。
「ええ。積もる話もあるしね」
その声は静かだった。
静かすぎて、逆に怖い。
白狼の指が、スケッチブックの端を強く握る。
未来は表情を変えないまま、わずかに重心を落とした。
凛は周囲の気配を探るように視線を流している。
俺は、自分の手を見た。
女神様に調律してもらった力。
奪うためではなく、救うための力。
魂を掴む力。
手のひらに、あの白い感触が蘇る。
絵馬先輩と鷹志氏が部屋を出ていく。
亜里沙はそれを見送りながら、こちらへ一瞬だけ視線を向けた。
微笑んでいる。
でも、その目は笑っていない。
蝉の声が遠くなる。
香水の甘い匂いが、やけに濃く感じた。
一触即発の空気。
夏の避暑地に似合わない、悪魔の気配がそこにあった。




