第26話 救いの手、ソウルセイヴ。感情がカギ!?
死神の夢を見た、その夜。
女神様の空間は、いつもと同じ白い光に満ちていた。
けれど、その光が今日は少し怖かった。
胸の奥に、まだ夢の感触が残っている。
血の匂い。煙草と安酒の臭い。冷たい墓石。
そして、誰かを助けようとして車に轢かれた瞬間の、あの鈍い衝撃。
夢の中で見た、白兼光一――シロ。
押しかけ弟子で、料理が得意で、部屋を勝手に片づけて、テンプレ異世界転生アニメの話をしていた、妙に普通の青年。
あいつの笑い声が、まだ耳に残っている。
「撤兵さん、好きなものがあると人生ちょっと楽しくなりますよ」
そう言っていた声。
俺は、あいつに料理を教わる約束をした。
けれど、その約束は果たせなかった。
血の匂いの中で、シロは死んだ。
俺の腕の中で、あっけなく。
それなのに最後の最後、俺が見知らぬ子どもを庇った瞬間、頭に浮かんだのはシロの顔だった。
普通に笑って、普通に飯を作って、普通に誰かを助けられるような人間。
俺は、あいつみたいになりたかったのかもしれない。
俺は、両手を見下ろした。
この手で、何人の魂に触れたのか。
この手で、どれだけの人間を壊してきたのか。
「死ぬ前の記憶、思い出したのね」
女神様の声は、静かだった。
「……はい」
声が掠れた。
喉の奥に、苦いものが詰まっている。
「あなた自身を守るために、記憶は私の方で深く封じておいたの」
消したのではなく、封じていた。
必要になる時まで、沈めていたのだと。
「この試練の本当の目的は、“禊ぎと赦し”の儀式」
女神様は、まっすぐ俺を見る。
「善行を積むことで、生前の罪をそそぐためのもの。
でも、鉄平。あなたはそれを知らないまま、本当に真摯に取り組んでくれた」
胸が、ぎゅっと締めつけられる。
今まで出会った人たちの顔が浮かんだ。
背中を押した誰か。
喧嘩をして仲直りした誰か。
失恋して、それでも前に進んだ誰か。
俺の余計なおせっかいを、最後には受け取ってくれた人たち。
全部、無駄じゃなかった。
「私はね、それを素晴らしいことだと思ってる」
その一言で、こらえていたものが崩れた。
涙が頬を伝う。
白い光が、滲んで見えた。
「あなたは、もう死神じゃない。
たとえそう呼ばれた過去があったとしても、今のあなたは違う」
女神様は、少しだけ優しく笑った。
「迷える人に自信と勇気を与えてくれる――魔法使いさんよ」
「……ありがとうございます」
それしか言えなかった。
この試練がなければ、俺はきっと知らなかった。
誰かを支える嬉しさも。
誰かに笑ってもらえる喜びも。
自分が変われるかもしれないという希望も。
今までの出会い全部に、胸の奥で頭を下げた。
女神様は、そっと手をかざす。
「私にできることは一つ」
目の前に、見慣れたリストが浮かび上がった。
【禁じ手リスト】
・SNS大量アカウントによる情報操作
・筋肉で誘惑
※ただし女神様が見たいと言った場合は例外
・マッチングアプリや合コンでの「運命の可視化」乱用
・ボイスレコーダーで教員を出し抜く
・透明化
※息を止めている間のみ使用可能。
※えっちなことに使用は禁止。
・未来予知
※目を閉じている間だけ使用可能。
※えっちなことに使用は禁止。
・死神の力 ← NEW!!
※人助け、正しいことにのみ使用可能。
「これは……」
「記憶が戻ったことで、死神の力……魂を抜き取る力も目覚めかけているわ。だから、安全装置としてここに記載しておくの」
女神様の声は、柔らかいけれど真剣だった。
「だけど、その力は呪いじゃない」
俺は、息を止めた。
「未来ちゃんのところに相談しなさい。あの子の父親も、人の魂に触れる力を持っていた。そこに、あなたが参考にすべき手本があるはずよ」
「手本……」
「ええ。鉄平に必要なのは、自分の力を恐れることじゃない。どう使えば人を救えるのかを知ること」
胸の奥にあった冷たい塊が、少しずつ溶けていく。
「女神様」
俺は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
本当は、言いたかった。
愛しています、と。
でも、まだ言えない。
これは勢いでこぼしていい言葉じゃない。
いつか、ちゃんと自分の意思で、胸を張って伝えたい。
だから今は、ただ感謝だけを言葉にした。
白い光の中で、女神様は静かに微笑んでいた。
♢
もう夏休みに突入していた。
退魔師連合の訓練所。
冷房の効いた空気に、畳と木床の匂いが混じっている。
外では蝉が鳴いているのに、ここだけ妙に静かだった。
「魂を抜き取る力!? ……それって」
勇が息を呑む。
未来も、いつもの調子を少し失っていた。
「父さんの力に似ている……」
未来は、俺の手をじっと見つめる。
「父さんの魂共鳴と、鉄平の死神の力は近いものかもしれない」
死神の力。
その言葉が、胸の奥にまだ冷たく引っかかる。
だけど、女神様は言ってくれた。
呪いじゃない。
救うために使えばいいのだと。
未来は白い犬のぬいぐるみを椅子の上に置いた。
「ルミナス。ぬいぐるみのままでいいわ。特訓に付き合ってもらえる?」
「はいはーい」
ぬいぐるみが、軽い声で返事をした。
椅子の上に白い犬のぬいぐるみ。
その中には銀髪の妖狐ルミナスがいる。
……いや。
「何これ?」
当然の疑問である。
絵面がシュールすぎる。
「伝統的な修練法よ」
未来は真顔で言った。
「ほんとに?」
「少なくとも、うちではそう」
堺家基準だった。
未来は咳払いして続ける。
「ぬいぐるみは魂の器として安定してるの。生身の人間相手にいきなり試すより安全だし、憑依状態に近いから“魂の輪郭”を掴む練習に向いてる」
「なるほど……」
納得はした。
ただし絵面はずっとシュールである。
「鉄平には、死神の力を救済用に調律した形――魂を掴む力を習得してもらいます」
「魂を掴む力……」
「憑依の強制解除。かつて、母さんは父さんのその力で救われたそうよ」
未来の声が少しだけやわらかくなる。
「悪魔の中には、体を乗っ取ったり、魂に干渉したりする者がいる。今度の敵がそういう手段を使わないとも限らない」
未来は、表情を引き締めた。
「父さん亡き今、その系統の使い手はこの世にいない。だからこそ、敵がそこを突いてくる可能性は高い」
乗っ取り。
その言葉に、嫌な想像が一瞬だけ頭をよぎる。
絵馬先輩の青ざめた顔。おどろおどろしい悪魔のささやき。
けれど、確証はない。
「……つまり、憑依や乗っ取りに備えるための切り札か」
「そういうこと」
未来は力強く頷いた。
♢
修練は数日続いた。
訓練所の床に座り、椅子の上のぬいぐるみに手を伸ばす。
指先に意識を集中させると、布の感触の奥に、うっすらと別の気配が見えた。
白く、淡く、輪郭だけが揺れている。
息を吸うたび、それが近づいたり遠のいたりする。
「ねえ、まだー?」
ルミナスの声が、ぬいぐるみから聞こえた。
「ごめん、もうちょっと」
「妖狐を椅子の上に放置して数時間。なかなかの扱いだね」
「すみません……」
「いいよー。暇だけど」
暇なんだ。
「魂のふちどりは見えてるんだけど、うまく掴めないな……」
焦りが、汗になって首筋を伝う。
冷房が効いているはずなのに、手のひらが熱い。
俺の力は、もともと奪うためのものだった。
触れたら壊してしまうんじゃないか。
掴んだら戻せなくなるんじゃないか。
その恐怖が、指先を鈍らせる。
未来は父親の修行記録を開き、古びた紙をめくっていた。
「父さんは、“慈愛”の感情をトリガーにして発現していたみたい」
「慈愛……」
「感情を乗せてみて。鉄平、この力のきっかけは何? そこにヒントがあるかも」
きっかけ。
思い浮かんだのは、女神様の微笑みだった。
白い光の中で、俺を肯定してくれた人。
死神じゃないと言ってくれた人。
俺の今までの試練を、素晴らしいと認めてくれた人。
胸の奥が、熱くなる。
俺がこの力を思い出したのは、きっと恐怖だけじゃない。
女神様を本気で愛して、あの人に恥じない自分でありたいと思ったからだ。
なら。
俺は、奪うためじゃなく、救うためにこの手を伸ばす。
――あなたに微笑んでほしい
声に出すと、胸の奥の熱が形になる。
――それだけが、俺を人にする
指先に、白い光が灯った。
――だからこの手に救いの力を
勇が目を見開く。
「詠唱の制約……!」
未来も息を呑んだ。
「なるほど。慈愛の感情を詠唱に乗せて、制約にしたのね」
俺は椅子の上のぬいぐるみに向かって手を伸ばす。
今度は、怖さよりも願いが勝った。
――魂を掴む力
指先が、魂の輪郭に触れる。
掴む。
でも、握り潰さない。
引き裂かない。
そっと、絡まった糸をほどくように。
次の瞬間、白い犬のぬいぐるみから光が弾けた。
銀髪の妖狐が、ふわりと宙へ飛び出す。
九本の尾が揺れ、訓練所の空気が一瞬だけ澄んだ。
「……いやー」
ルミナスは肩を回すように尾を揺らした。
「昔、優護にこれで負けた時のことを思い出しちゃったよ」
けれど、その顔は晴れやかだった。
「良い目をしてるよ、少年」
胸の奥から、息が抜けた。
成功した。
奪わなかった。
壊さなかった。
救えた。
その実感が、じわりと手のひらに残っている。
ルミナスはにやりと笑い、未来を見る。
「未来。白狼じゃなくて、この子を本命にしたら?」
「バカ言わないの!!」
未来の怒声が訓練所に響いた。
勇が吹き出し、俺は変な汗をかき、ルミナスはけらけら笑っている。
張り詰めていた空気が、ようやくほどけた。
それでも、手のひらに残る白い感触だけは消えない。
俺はこの力で、誰かを救える。
そう、初めて思えた。




