第22話 鉄平はモテモテ?迫る悪魔の脅威!?
【放課後 鉄平視点】
俺は体育館裏に呼び出されていた。
湿った土の匂いがする。
梅雨の雨を吸った地面はまだ少しぬかるんでいて、壁際には重たい空気が溜まっていた。
遠くの体育館からは、バッシュが床を擦る音。
ボールが跳ねる音。
誰かの掛け声。
そんな放課後の喧騒から、ここだけ少し切り離されている。
ヤンキーからの果たし状ではない。
『告白』で呼び出されていた。
俺は、実はモテていた。
美容やファッション、相談ごと。
そういうものに幅広くアンテナを張っているせいで、同じクラスだけじゃなく、別クラスや他学年ともそれなりに親交がある。
髪型を変えたい男子。
メイクを相談してくる女子。
服選びに迷う後輩。
ダイエットの相談。
デートプランの相談。
気づけば、誰かの背中を押すことが日常になっていた。
要するに、これでモテない方がおかしいのだ。
……いや、自分で言うとだいぶ嫌なやつだな。
だけど。
「本当にごめん。好きな人がいるんだ」
俺は、丁重に断った。
目の前の子の顔が、少しだけ強張った。
唇が震える。
一度、笑おうとする。
でも、うまく笑顔にならない。
その表情を見た瞬間、胸が痛んだ。
断るって、こんなに痛いのか。
誰かを選ぶということは、誰かを選ばないということだ。
振られる方が、きっと何倍もつらい。
でも、振る方もちゃんと痛い。
最初の試練を思い出す。
二者択一。
選ぶという責任。
選ばれなかった方の痛み。
あの時は、誰かの恋を外側から支える立場だった。
でも今は違う。
俺自身が、誰かの好意を受け取って、断っている。
「……本当に、ごめん」
もう一度、頭を下げた。
相手は小さく頷いて、それから、少しだけ笑った。
「ううん。ちゃんと言ってくれて、ありがとう」
その声が優しかったから、余計に苦しかった。
俺は体育館裏を後にする。
湿った空気が、背中にまとわりつく。
遠くでボールの跳ねる音がした。
♢
美術室へ向かう廊下の途中で、白狼が壁にもたれて待っていた。
雨上がりの校舎は、少し蒸している。
廊下の窓ガラスには、まだ細かな水滴が残っていた。
外のグラウンドからは、濡れた土の匂いがかすかに入り込んでいる。
白狼は、俺を見るなりスケッチブックをちらっと掲げた。
『鉄平、告白断ったんだって?』
「噂が巡るの早すぎない?」
白狼は小さく肩をすくめる。
その仕草が、妙に「まあ、学校だし」と言っているように見えた。
俺は苦笑する。
「……ああ。俺、好きな人いるからさ」
口にした瞬間、胸の奥が熱くなった。
好きな人。
女神様。
まだ、本人には言えていない。
言えるわけがないと思っていた。
手の届かない人だと、どこかで決めつけていた。
けれど、もう誤魔化せない。
俺は、あの人が好きだ。
白狼は、うんうんと頷いた。
そして、俺の背中を軽く叩く。
ぽん、と。
それだけで、少し救われた気がした。
白狼は、少し迷うようにペン先を止めた。
何を書くか、考えている。
言葉を選んでいる。
やがて、ゆっくりと文字を書いた。
『大丈夫。その人も、鉄平のことを大事に思ってるよ』
「……」
呼吸が止まりかけた。
白狼は続ける。
『そのままでいい』
『この道の先で、きっと交わる』
胸の奥が、じんと熱くなる。
何を根拠に、と思う。
でも、白狼がそう書くと、不思議と信じたくなる。
白狼は、人をよく見ている。
言葉を持たないぶん、表情や仕草や空気を拾う。
俺が気づかない感情まで、静かに見抜く。
だからこそ、その言葉が胸に染みた。
「……本来、俺がお前の恋愛請負人なんだけどな」
笑おうとした。
でも、声が少し震えた。
「逆になっちゃったな」
目元が熱い。
振られた子の顔。
自分の気持ち。
女神様への届かない想い。
白狼のやさしい文字。
全部が、胸の中で混ざっていく。
「ありがとう、相棒」
白狼は少し照れたように視線を逸らした。
それでも、もう一度ぽんと俺の背中を叩いてくれる。
言葉はない。
でも、それで十分だった。
♢
その少し離れた曲がり角。
凛と未来が、気配を殺して様子を見ていた。
未来は護衛という名目。
凛は――女神様なので、こういう時だけやたら気配を消すのが上手い。
「……ということだって」
未来が小声で言う。
凛は、耳まで真っ赤になっていた。
「……うん」
声が小さい。
完全に動揺している。
目は潤んでいるし、口元は緩みかけているし、でも必死に平静を装っている。
神なのに。
女神なのに。
恋する女子高生みたいな顔をしている。
未来はじっと凛を見る。
「でもさ」
「……なに?」
「鉄平の中では、まだ凛=女神様じゃないんでしょ」
凛の表情が固まった。
「……え?」
「つまり」
未来は淡々と続ける。
「鉄平の好きな人は女神様。今の凛は、鉄平の中ではただのクラスメイト」
「……」
「凛のライバルは女神様」
「……」
「自分のライバルが自分になってるんだけど」
沈黙。
雨上がりの廊下に、遠くの部活の声だけが響く。
凛の顔から、すうっと血の気が引いた。
「……しまった!!」
ようやく気づいたらしい。
未来は額に手を当てる。
「今さら?」
「だ、だって! 鉄平に見抜いてもらわないといけないから、凛として近づくしかなくて……でも鉄平は女神様が好きで……つまり私は……私を倒さないと私に勝てない……?」
「言ってることがだいぶ迷子」
凛は両手で頭を抱えた。
「ど、どうしよう。私、私に勝てる気がしない」
「神なのに自己評価低いわね」
「恋愛は専門外なの!!」
※注意
女神様は自分の恋愛に関してはポンコツであり、立てた作戦の尽くが裏目に出ます。
未来はため息をついた。
「とりあえず、雑誌に頼るのやめなさい」
「はい……」
「鉄平に対しては、普通に好感度を稼ぎなさい」
「普通って何!?」
「そこから!?」
凛は真剣に悩んでいた。
その様子は、リスク5の神格存在というより、恋愛初心者そのものだった。
未来は呆れながらも、少しだけ笑う。
「まあ、鉄平もだいぶ鈍いけどね」
「……うん」
凛は曲がり角の向こうをそっと覗く。
鉄平と白狼は、まだ廊下で話している。
その横顔を見て、凛の表情が少しだけ柔らかくなった。
「でも、嬉しかった」
「何が?」
「鉄平が、ちゃんと断ったこと」
凛は小さく言う。
「誰かを傷つけるのって、優しい人ほど苦しいでしょう。それでも、ちゃんと向き合ってた」
未来は少し黙った。
凛の声は、さっきまでのポンコツ感とは違っていた。
ちゃんと鉄平を見ている声だった。
「……そうね」
未来は頷く。
「そこは、えらいと思う」
凛は、胸の前で小さく拳を握った。
「私も、ちゃんと向き合わないと」
「そうしなさい」
「まずは、凛として鉄平に好きになってもらう」
「うん」
「そして、いつか女神様だと見抜いてもらう」
「うん」
「それで、女神様としても凛としても勝つ」
「急に欲張り」
凛は真剣だった。
「だって、ハーレムは選ばせないもの」
未来はまたため息をついた。
「それは本人に言いなさい」
「言えたら苦労してないのよ!」
神様の恋路は、想像以上に前途多難だった。
♢
それはさておき。
白狼と並んで歩きながら、俺はふと足を止めた。
「でもさ、不思議なことがあって」
白狼が首を傾げる。
「今日告白してきたあの子、名前も顔も思い出せないんだよ」
空気が、ひやりと冷えた。
さっきまで湿気で重かった廊下が、一瞬だけ別の場所みたいに感じる。
白狼の目が鋭くなる。
すぐにスケッチブックを開いた。
『急なホラー、やめてもろて』
文字は軽い。
けれど、表情は笑っていなかった。
『本当に思い出せない?』
「……ああ。声とか雰囲気は覚えてる。告白されたことも、断ったことも。でも顔だけ、ぼやける」
白狼の指先が、スケッチブックの端を強く握った。
嫌な予感だけが、雨の匂いみたいにじわりと残った。
♢
【放課後 絵馬視点】
美術室。
部活が始まる少し前。
雨上がりの光が、窓から薄く差し込んでいる。
キャンバスの白が、その光をぼんやり受け止めていた。
乾きかけた絵の具の匂い。
筆洗いの水に混じる、濁った色。
静かな部屋に、時計の針の音だけが落ちている。
そこへ。
「あなたのところの後輩くん、魅了で手下にしようとしたけど、失敗しちゃった」
声がした。
振り向くと、さっき鉄平に告白していた女生徒が、壁に寄りかかっていた。
制服も、表情も、どこにでもいる生徒のもの。
けれど、目だけが違う。
濡れた宝石みたいに、ぬらりと光っている。
「好意がない相手だと効きが悪いとはいえ……よっぽど相手に惚れ込んでるのね」
私は息を整え、できるだけ声を低くした。
「……それで?」
「要件があるんでしょう? 美と色欲の悪魔」
ラスティと呼ばれた女生徒は、愉快そうに喉を鳴らした。
「ふふ。怖い顔」
「用件を言って」
「今後の話よ」
ラスティは、指先で壁をなぞる。
その仕草だけで、美術室の空気がいやに甘く濁った。
「鷹志……あなたの父親に手配させたわ。夏に、避暑地のアトリエへいらっしゃい。合宿という形で、お友達も連れてくること」
「……何をするつもり?」
「作品を仕上げてもらうの」
ラスティは、こちらのキャンバスへ目を向ける。
「あなたの才能には価値がある。あなたの絵には、人を惑わせ、惹きつける力がある。だから――最高の舞台を用意してあげる」
「舞台……?」
「ええ。完成の瞬間、とても素敵なことが起きるわ」
背筋が冷えた。
言葉は甘い。
けれど、その奥にあるものは腐っている。
何をさせるつもりなのか。
作品が目的なのか。
それとも、私自身なのか。
まだ分からない。
ただ、ろくでもないことだけは確かだった。
「……分かったわ」
私は奥歯を噛みしめながら答えた。
「夏に、皆を連れて行く」
「いい子ね」
ラスティは満足そうに笑う。
「じゃあ、夏にまた会いましょう」
その体が、煙のように薄れていく。
肌も髪も制服も、輪郭からすうっと蒸発していく。
本体ではない。
ただのメッセンジャー。
それでも、残った甘ったるい香りだけで吐き気がした。
完全に消えた後、美術室にはまた静寂が戻った。
私はキャンバスの前に立ち尽くす。
筆を握る手が、少し震えていた。
(未来ちゃん、皆……巻き込んでごめんね)
そう思いながら、それでも私は筆を置けなかった。
キャンバスの白が、ひどく不吉に見えた。




