第1話 白狼と凛登場。バトルマンガかな!?
試練の果てに願いを叶える。
ここが正念場だ。
今まで数々のカップリングを成功させてきた。
恋愛請負人・鉄平。
最後にして、最長最難関の試練。
これをクリアして、俺は願いを叶える。
(女神様、どうか俺に勝利を)
新年度。クラス分け。自己紹介。
その瞬間に、もう分かった。
――あいつか。
教壇の前に立つ、ひとりの男子生徒。
銀髪。
長身。
赤い瞳。
頭上に例のアイコンが浮いていなければ、どこかのアニメから抜け出してきた主人公にしか見えなかっただろう。
村崎白狼。
誰がどう見ても絵になるイケメンだ。
正直、楽勝だと思った。
顔が良ければ、恋愛イベントなんて勝手に進む。
それが、この世界の常識だったからだ。
だが。
白狼は、何も喋らなかった。
代わりに、静かにスケッチブックを掲げる。
『僕は失語症で、話すことができません』
『筆談やメールでの会話は可能です』
教室がざわつく。
空気がわずかに揺れ、ひそひそ声が広がっていく。
(え……?)
背中を、嫌な汗が伝った。
――これ、大丈夫か?
自己紹介が終わり、教室がどうにか落ち着いたころ。
学級委員の凛が、白狼の席へ歩み寄った。
この子もヒロイン枠のひとりだ。頭上の好感度は、まだゼロ。
「なにか困ったことがあったら、言ってね」
本来なら、ここで選択肢ウィンドウが出る。
〈ありがとう〉
〈大丈夫〉
最初のフラグ。
好感度+1。
普通なら、そうなる。
けれど――。
何も、出ない。
俺の視界だけが、ぽっかり空白のままだった。
(……バグってる)
世界は何事もない顔で進んでいく。
異常を認識しているのは、俺だけだった。
休み時間、俺は白狼を廊下へ連れ出した。
スケッチブックに事情を書く。
女神様から正体を隠せとは言われていない。
白狼は少しだけ考え、静かに文字を返してきた。
『僕は呪言師だ』
『言葉に強制力がある』
『声に出した命令や断定が、相手を縛ることがある』
呪言師。
退魔師連合に属し、妖や呪霊を祓う存在。
だから喋らない。
だから、失語症を装っている。
(……よりによって最後がこれかよ)
筆談やSNSなら問題はないらしい。
命令形だけ避ければいい。
俺はクラスのチャットにも白狼を参加させ、どうにか橋渡しをした。
だが。
「選択肢ウィンドウが出ないと、イベントが進まない……」
深いため息が漏れる。
完全に詰みだ。
そう思った、そのときだった。
「あなた、学校に何持ち込んでるの!?」
鋭い声が教室の隅に響いた。
振り向くと、学級委員の凛がオカルト研究会の部員を問い詰めている。
「フフ……都市伝説の“呪いの箱”ですよ」
薄気味悪く笑う部員から、凛は即座に箱を取り上げた。
「没収。放課後まで職員室で預かります」
その光景を見ていた白狼が、すっとスケッチブックを差し出す。
『嫌な予感がする』
『ついてきてほしい』
……女神様。
俺、今の時点で嫌な予感しかしません。
♢
放課後。
人の気配が消えた校舎は、昼間と同じ場所とは思えないほど静かだった。
「ちょっと見るだけよ。すぐ閉じれば――」
凛の声が、空き教室の中に吸い込まれる。
紙袋から取り出された箱は、黒ずんだ木肌に古い染みが浮いていて、見た目からしてろくでもなかった。
蓋が開く。
その瞬間、空気が変わった。
ひやりとした冷気が肌を撫で、教室の奥に白い霧が溜まる。
霧は渦を巻き、膨らみ、その中心から異形が現れた。
二メートルを超える影。
歪な腕。
裂けた口。
人の形をしているのに、人ではない。
――悪鬼。
見た瞬間、ぞくりと実感した。
ここは今までのような、平和な恋愛ゲーム世界じゃない。
異形の怪物が跋扈する、バトル漫画の世界だ。
その瞬間。
俺の視界に、半透明のウィンドウが浮かび上がった。
【サブクエスト発生】
【悪鬼を倒せ】
【成功条件:悪鬼の撃破】
【失敗条件:凛の死亡、または白狼の戦闘不能】
「……は?」
恋愛ゲーム御用達である、いつもの選択肢じゃない。
けれど、確かに出た。
これは、会話を選ぶためのウィンドウじゃない。
状況そのものを突破するための、ミッション表示。
つまり――。
(このルート、会話じゃなくて行動で進めるタイプかよ!?)
理解するより早く、悪鬼が動いた。
「っ……!」
悲鳴になる前に、悪鬼の腕が凛の身体を掴み上げた。
壁に叩きつけられた鈍い音が響き、肺から空気が押し出される。
「……助けて……」
か細い声だった。
それでも、確かに届いた。
俺と白狼が教室に駆け込んだとき、最悪の光景が広がっていた。
白狼の嫌な予感は、完璧に当たっていた。
(クソ……!)
反射的に視界を確認する。
選択肢ウィンドウ――出ない。
……いや。
出たからなんだってんだよ!!
目の前で凛が捕まっている。
怪物がいる。
逃げ遅れれば死ぬ。
選択肢があろうがなかろうが、やることは一つしかない。
視界の端には、さっきの表示だけが残っていた。
【サブクエスト:悪鬼を倒せ】
「……助けて……」
凛の声は震えていた。
だが次の瞬間、その震える喉から別の言葉が絞り出された。
「来ちゃ……だめ……!」
自分より先に、俺たちを案じた。
恐怖に押し潰されそうになりながら、それでも誰かを守ろうとする意思。
切り替えろ!
この状況に適応しろ!!
「白狼、助けてくれ」
恥も外聞も知ったことじゃない。
目の前で女の子が怪物に襲われてるんだぞ。
「悪鬼を倒せってさ! ……いや、倒せるか!?」
足はガクガクだし、喉もカラカラだ。
そりゃ声も裏返る。
「……もし、ダメそうなら、俺が引きつけるから、その隙に凛と逃げてくれ」
言いかけた俺を、白狼が手で制した。
俺の目を見て、静かに頷く。
そして、黒い布マスクに手をかけた。
(……覚悟、決めたな)
布が外れる。
張り詰めた空気の中、白狼は短く息を吸い込んだ。
赤い瞳が、悪鬼を射抜く。
「――爆ぜろ」
たった一言。
それだけで、世界が軋んだ。
次の瞬間、悪鬼の身体が内側から弾け飛ぶ。
鈍い衝撃が空き教室を揺らし、壁に細かなヒビが走った。
霧も、気配も、異形も、一瞬でかき消える。
残ったのは、静寂だけだった。
白狼はその場で激しく咳き込み、のど飴を口に放り込む。
連発は無理だと、見ただけで分かった。
その直後。
視界の端に残っていたウィンドウが、淡く光った。
【サブクエスト達成】
【悪鬼を倒せ】
【成功条件:悪鬼の撃破 達成】
【報酬:凛との初回フラグ成立】
「……報酬って言い方!」
いや、分かる。
分かるけど、もう少し情緒が欲しい。
俺は凛に駆け寄り、その肩を支えた。
「大丈夫。もう終わった。ここを離れよう」
凛は震えながら頷く。
怖かったんだろう。
握ってきた手は、まだ小さく震えている。
無理もない。
見てしまったのだ。
人ならざる力を。
失語症が、力を隠すための擬態だったことを。
「……ありがとう。私のために」
か細い声だった。
その声を聞いて、少しだけ胸が痛む。
凛は強い子だと思っていた。
学級委員で、誰にでも声をかけられて、こういう時でもきっと冷静に動ける子だと。
でも、そんなわけがない。
怖いものは怖い。
普通の女子高生が、悪鬼に掴まれて壁に叩きつけられたのだ。
震えるのも当然だ。
……そう思っていた。
だが。
凛の手が、俺の手から少しずつ移動した。
ぎゅっ。
今度は、俺の前腕を掴んでいる。
「凛?」
「……」
凛は俯いたままだ。
まだ震えている。
よっぽど怖かったのだろう。
手を握るだけでは足りなくて、腕まで掴んでしまったのかもしれない。
そう思った。
そう思ったのだが。
「……前腕も、なかなかね」
「今それ言う!?」
俺の心配を返してほしい。
いや、怖がっているのは本当だろう。
たぶん。
きっと。
握る手はまだ震えている。
けれど、視線だけはやけに冷静に俺の前腕を観察していた。
この子、肝が据わっているのか。
それとも単に評価基準が筋肉寄りなのか。
たぶん後者だ。
その瞬間。
俺の視界が、はっきりと変わった。
凛の頭上にフラグが浮かぶ。
止まっていた好感度メーターが、確かに動いている。
【凛 → 白狼】
【好感度:0 → 3】
「……選択肢じゃなくても、進むのか」
喉が鳴る。
いける。
これは、いけるかもしれない。
ギャルゲーの正規ルートじゃない。
決められた選択肢を選ぶんじゃない。
目の前の状況に向き合って。
誰かが本気で動いて。
その結果として、フラグが立つ。
怪我の功名。
けれど、間違いなく希望だった。
……いや、待て。
今のフラグ、白狼が助けたから立ったんだよな?
俺の前腕を評価したからじゃないよな?
大丈夫だよな?
女神様。
これ、どう考えてもギャルゲーじゃなくて、能力バトル漫画の導入ですよね?
あと、ヒロインの評価軸が少しおかしいです。
そう思った、その直後だった。
視界の中央に、新たなウィンドウが浮かび上がる。
【ストーリーミッション更新】
【退魔師連合に力を示し、白狼の協力者として認められろ】
【達成条件】
・退魔師連合と接触する
・白狼の秘密を共有する
・白狼の協力者として実力を示す
「……まだ続くの?」
思わず声が漏れた。
凛を救って、初回フラグは立った。
けれど、白狼ルートはここで終わりじゃない。
むしろ、ここからが本番らしい。
白狼は、のど飴を口の中で転がしながら、俺にスケッチブックを見せた。
『これ、僕にも見えてる』
「マジか」
終わった。
いや、始まった。
最後の試練。
呪言師ルート。
……と、そこで俺は、ようやくウィンドウの文面を見直した。
【白狼の協力者として実力を示す】
「……ん?」
実力。
協力者として。
退魔師連合に。
俺は、ゆっくりと白狼を見る。
白狼は、何も言わない。
いや、言えない。
ただ、のど飴を転がしながら、こちらを見ている。
「……これ、もしかして」
嫌な汗が背中を伝った。
「俺も戦うの必須かよ!?」
思わず叫んでいた。
いやいやいや。
待て待て待て。
俺の役割は、恋愛請負人だ。
ヒロイン候補と出会わせる。
会話の橋渡しをする。
きっかけを整える。
背中を押す。
そういうやつだ。
少なくとも、悪鬼を爆発させたり、退魔師連合に実力を示したりする職業ではない。
戦うのは白狼。
俺は、その背中を押す側。
そのはずだった。
だが、ウィンドウは無慈悲だった。
【白狼の協力者として実力を示す】
何度見ても、そこに書かれている。
つまり、このルートでは。
白狼だけが戦えばいいわけじゃない。
隣に立つ俺も、白狼の協力者として認められなければならない。
「女神様……」
俺は天井を仰いだ。
「これ、どう考えてもギャルゲーじゃなくて、バトル漫画の入団試験ですよね?」
そして、その時の俺はまだ知らない。
このミッションの先に待っているのが、俺の実力を真正面から否定してくる、相性最悪の相手だということを。
勝ち筋、ゼロ。
そんな相手に、俺はひとりで挑むことになる。




