第9話 鐘が鳴るとき
凪の身体は光になってほどけ、そのまま核へ吸い込まれた。
ユウは叫んだが、声は光に呑まれた。球体の内部で、無数の音が整列し直す。ばらばらだった街の記録が、一つの巨大な呼吸のように収束していく。
次の瞬間、時計塔の上で本当に鐘が鳴った。
ごうん、と。
街じゅうを貫く、低くて丸い音だった。
それはただの鐘の音ではない。存在を再宣言する音だった。ここに街がある。人がいる。生活が続いている。そう告げる絶対的な響き。
黒い波が一斉に裂ける。回収者が顔を覆い、白い面に蜘蛛の巣状のひびが広がった。内部に溜め込んでいた無数の声が逆流し、塔の窓や壁を突き破って外へ飛び出していく。
『返還……停止……』
初めて回収者の声に揺らぎが生まれる。
ユウは最上階から見下ろした。街のあちこちに、光の粒が雨のように降っている。回収された音が持ち主のもとへ戻っているのだ。道路の先で車のクラクションが一つ鳴る。遠くで犬が吠える。どこかの家で食器がぶつかる。音が戻るたび、都市の輪郭が濃くなる。
そしてユウの背後で、もう一度鐘が鳴った。
核の光が強すぎるほどに脈打つ。だが喜んでいる場合ではなかった。球体の表面に新しい亀裂が走っている。負荷が大きすぎる。街じゅうの音を一度に返還し、境界を閉じようとしているためだ。
このままでは核ごと砕ける。
ユウは咄嗟に手を伸ばし、球体を支えた。熱い。だが火傷の熱ではなく、記憶が流れ込んでくる熱だ。知らない人の朝、誰かの別れ、親子喧嘩、告白、葬式、帰宅、笑顔。街の人生が洪水のように流れ込む。
そこへ、階段を上がってくる足音がした。
足音だ。
確かに。
振り向くと、回収者が壊れた姿でなお立っていた。外套は裂け、白い面は半分剥がれ、その奥には空洞しかない。
『鍵は必要……管理なき記録は再び歪む』
「だから人が抱えるんだろ」
ユウは答える。
回収者は一歩進み、二歩目で崩れた。黒い粒子になって床へ散り、その粒子さえすぐに薄れて消えていく。最後に残ったのは、ごく小さな声だった。
『……忘れられるのが、怖かった』
それが回収者自身の本音だったのか、取り込んだ誰かの声だったのかは分からなかった。
直後、核に最大の亀裂が走る。
ユウは理解した。凪が繋ぎ止めていた均衡がなくなった以上、今度は自分が選ばなければならない。
街を残すか。
核を壊して境界ごと閉じるか。
そのどちらかだ。




