第10話 街へ帰る音
ユウは核に額を押し当てた。
方法は分からない。だが最初に境界に触れた七歳の夜も、理屈ではなかった。ただ守りたいという願いだけが扉を開いた。なら今も同じだと信じるしかない。
「戻れ」
彼は低く言った。
「全部元通りじゃなくていい。傷も欠けもあるままでいい。でも、この街がまた息をできるように」
核の中で光がゆっくり回転し始める。
ユウの中から、何かが吸い上げられていく感覚があった。寿命ではない。命でもない。もっと輪郭の曖昧なもの。たぶん、凪に関する最後の“特別な重さ”だと彼は悟った。
記憶そのものが消えるわけではない。だが、その痛みと執着を代価に変えて核へ渡している。
それでいいと思った。
独りよがりの形で保留し続けるより、ちゃんと世界へ返す方がいい。凪がここにいた証拠は、自分一人の胸の中だけに閉じ込めるものじゃない。街の音の一部として、生き続ければいい。
核のひびが、少しずつ閉じていく。
時計塔の鐘が三度鳴る。
街の信号機が一斉に点灯する。
遠くで電車の発車ベルが鳴る。
マンションのベランダで風鈴が鳴る。
どこかの教室で椅子が引かれる。
病院でナースコールが鳴る。
雨水が側溝を流れる。
世界が、細部から戻ってくる。
ユウが目を開けると、最上階は静まり返っていた。だがもうそれは無音ではなく、“静けさ”だった。音がある世界にだけ存在できる静けさ。
核は小さく縮み、彼の掌に収まる程度の銀色の鈴になっていた。
振ると、かすかな音がした。
凪の笑い声に少し似ていた。




