第2話 沈黙の案内人
目を開けると、ユウは見知らぬ駅のホームに立っていた。
昼でも夜でもない薄青い明るさが漂っている。時刻表はすべて空白。広告は真っ白。向かいのホームにも誰もいない。線路の向こうには都市の輪郭だけが延々と続き、そのどこにも音はない。
ただ一人、ベンチに少女が座っていた。
高校生くらいに見える。紺色のワンピースに、白いカーディガン。髪は肩で切りそろえられ、やけに整った顔立ちをしている。彼女はユウを見ると、当然のように立ち上がった。
「遅かったね」
その言葉だけが、なぜか聞こえた。
「……ここ、どこだ」
「境界駅。街の表と裏の継ぎ目。あなたが最初に落ちる場所としては、まあ普通」
「落ちる?」
「見つかったから。向こうに」
少女は線路の先を指した。そこには暗闇があるだけだったが、その暗闇は見れば見るほど近づいてくるようで、目を逸らしたくなる質感を持っていた。
「君は誰だ」
「凪。案内人みたいなもの。昔は違ったけど、今はそう」
「昔は?」
「覚えてない」
あっさり言って、凪はホームの端へ歩き出した。ユウは慌てて追う。
「待ってくれ。外はどうなってる。みんなは無事なのか」
「無事じゃない。でも死んでもいない。今の街は、音を失って“薄く”なってる。現実が現実でいるための輪郭が削れてるの」
「意味が分からない」
「分からなくて当然。普通は見えないものが見えてしまったから、普通の説明では足りない」
ホームの先には改札がなく、ただ霧のような空間が広がっていた。その霧の中に、都市の別の断片が浮かんでいる。教室、病室、古い団地の廊下、無人の映画館。どれも人の気配だけが残り、音がない。
「街には“音”が必要なの」と凪は言った。「音はただの振動じゃない。存在の証明。誰かがそこにいて、何かが起きているという記録。その記録が一斉に抜かれた」
「誰が?」
凪は少し黙った。
「回収者」
「さっきの影か」
「そう。正確には、まだ“前触れ”。本体はもっと深いところにいる」
ユウは頭を押さえた。夢にしては生々しすぎる。現実にしては筋が通っていない。だが凪だけは、不思議と信じていい気がした。彼女の声には、説明しようとする人間特有の不完全さがあったからだ。
「どうすれば戻れる」
「あなたは戻れる。たぶん。でもその前に、ひとつ思い出して」
「何を」
凪はユウの胸元を指差した。
いつの間にか、シャツのポケットに小さな金属片が入っていた。銀色で、薄い円盤の欠片のように見える。手に取ると、そこだけ微かに温かい。
「それは“響片”。失われた音の欠片。あなたが持ってるのは偶然じゃない」
「これが何なんだ」
「街があなたを選んだ証拠」
同時に、ホームの先の暗闇が波打った。複数の黒い影が、線路を無視してこちらへ滑ってくる。
凪の顔が初めて険しくなる。
「走って。説明は後」
「後って、どこに」
「音が残ってる場所へ」
彼女はユウの手を掴んだ。触れた瞬間、初めて温度があった。
次の瞬間、ホームは崩れ、二人は無音の街へ落ちた。




