第125話:茶道
千利の領域結界が剥がされていく。
自らの結界の下にある施与魔法の領域結界、結界の上にある実証魔法の領域結界。
二つの結界に挟まれ、確実に剥がされ、壊されていくのが目で見て分かる。
書院造りの壁と天井が無くなり、果ての先までありそうな畳の床は目で収まる範囲まで減少している。
「ここから、どうする気だ?」
ガレスの問いが、千利の心に酷く響く。
どうする気だ? どうもしない以前にどうにも出来ないだろ。
このまま私の領域結界が壊れれば、同時に二つの結界のルールが私を襲う。そうなれば、私の敗北そして私たちの死は確実な物になるだろう。
刻限は、何とか持たせても10分って所か。
10分で何が出来る?
カップラーメンを3つ作れる。5分掛かるカップ焼きそばなら2つ作れる時間だ。
……どうでも良いことばかり、考えるな。
もし、戦うとしても私の魔術は短期戦に向かない。
攻撃用の技などほとんどなく、ほとんどデバフ技で瞬間火力などたかが知れている。
戦って勝てないのなら、10分間、土下座でもすればシェリーだけでも生かしてくれるかもな。
そこで千利の弱者の思考は途切れる。
千利の目に入る。
炉と釜。
「はぁ」
千利は思わず自分のうんざりする思考に、息を出す。
しかし、上から下に向かって流れる川のように抗いがたい欲望。故に、千利はガレスの目など気にせず、納刀しながら炉畳に向かって進み、そばに置いてある茶道具を手に取る。
「何をしている?」
ガレスは千利が何をしているか分かっていたが、分かっているからこそ意味不明で理解し難かった。千利は敵の前で、茶を点て始めたのだ。それも礼儀に則り、迷いのない動きとその所作から相当な腕前だという事は茶道に見識の浅いガレスの目から見ても明らかだった。そして、自分で点てた抹茶の入った茶碗を両手で包み、静かに口をつけ、千利は飲み始めた。
舌に広がる、柔らかな苦味。だが不快ではなく、朝露を含んだ若葉のように澄んでいる。その奥から、遅れてほのかな甘みが立ち上がり、喉を通る頃には胸の奥が静かに温まっていた。
香りが鼻に抜けると同時に、ざわついていた思考が一つずつ解けていく。千利は息を吐きながら、言葉に出来ない満足を噛み締めた。そして、自分にもガレスにも誰にも伝える気のない言葉を吐露した。
「結構なお手前でした」
千利は立ち上がり、ガレスを見る。
うつけの思考に陥っていた。何を考えることがある、最初から私に出来る事、する事は決まっていた事だろ。私は風流に生き、風流に死ねれば良い、その精神でどんな事だってやってきたじゃないか。
さっきの領域結界でガレスの下がったコンディションと私の強化は、この結界が完全に壊れるまで続いている。ガレスのコンティションは80%ほどで、私の強化は通常を含めても120%ほど。10分で殺せるかは分からないが、十分戦う事は出来るだろう。
「ガレス、すまない遅れた。楽しもうか」
「晴れたみたいだな」
魔術師と魔法使い。
茶淡家当主と犯罪者。
風流人と超越者。
決して交わることのない二人がいま、互いに命を賭けて、死力を尽くす。
「……10分だな」
ガレスは千利の状態から、千利と同じ結論に辿り着く。
そして長構を構えたと思った瞬間、刃が分かれ、二刀へと変形する。
選択肢を増やすためではなく、避けられない結果を多く刻むための布石。
千利は抜刀しない。
寂刀を鞘に収めたまま、一歩、半歩と間合いを詰める。
「っ!」
先に動き、反応したのはガレスだった。
踏み込み、左の刀で牽制し、右で刈り取る連撃。
速さは申し分ない。だが、荒かった。
ガレスが施与魔法を行使するよりも早く、千利は僅かに身を傾ける。
刃が千利の肌を傷付ける。この時点で、与えられたため施与魔法の対象外だ。すぐに実証魔法へと移ろうとするが、もう遅い。
領域結界とは、強化した術を領域内全てに常時付与する効果と術者にとって有利な環境を作り出す技だ。
前者は互いに互いの領域が干渉しているため10分経って、千利の領域が崩壊するまで効果は発揮されない。しかし、後者は違う。後者の術者にとっての有利な環境とは、“地形“の事だけではない
確かに地形による影響は戦闘に少なからず大きな影響を与えるが、魔力持ち同士の戦闘ではそれ以上に“術に対する優位性“の方が大きい。優位性とは、術の性能や相性などの話ではなく“効力をどれだけ下げずに使用出来るか“であり、領域結界はその優位性を築くことが出来る。
千利は後者の優位性を前者の強化とデバフ倍率強化に回していたが、前者が無効化されている今、急遽変更した。
実証魔法を“不完全“で行使しようとしたために発動されず、刃の後押しが出来なくなる。
ガレスは気付く。
無魔名で行使された魔術で、魔法が不完全にされた。
千利は『欠盃』と言う事なく発動していた。超越者ではない千利が行えば通常なら、術の効力が大きく落ちてガレスの魔法を不完全にする事など出来なかっただろう。だが、それを変更した優位性が成り立たせる。
領域内に限り、千利は無魔名でも術の効力は8割を保つ。
「……器用だな」
「器用に生きているもんでね」
静かな応答の後に。
肌を傷付ける刃を体をズラし外す。
そして千利は抜刀し、一閃する。
腕を浅く掠め、血は出ない。
だが、ガレスの踏み込みが半拍遅れる。
8割の『侘刃』。
ガレスは舌打ちし、距離を取る。
そして即座に踏み直し、距離を詰めながら行使する。
「受け取れ!」
言葉と同時に、鎌が振るわれる。
拒否できない攻撃。
だが、受け取らされる前に千利は行使しながら受ける。
受け、流し、長鎌の刃を、畳に落とす。
『寂』を発動していた為、受けた両手に痛みはない。
ガレスの必中攻撃は、当たるだけでそれが与えるダメージが0でなければ良い。
無魔名ですかさず発動できる侘寂魔術が、二つの魔法を無効化していた。
ガレスをそれを屈辱に感じながらも、冷静に立ち回る。
二人は斬り合い、踏み込み、離れ、また交わる。
時間が着実に経っていく。
五分経過。
ガレスの呼吸は荒くなっているが、千利の動きは変わらない。
八分経過。
ガレスの鎌が、弾かれ、壊れる。
二刀の片方だけを持ち、構える。
「……楽しいな」
「そうですね。ですが」
千利は、僅かに視線を伏せた。
——時間だ。
九分が過ぎた頃には炉畳以外の畳が消え失せている。
ガレスは終わりを実感する。
「……終わりだ」
ガレスは前に出ながら、準備する。
魔力を放出し、限界まで圧縮しながら、それに魔法を行使して更に威力と強度を上げていく。そして、千利に向けて放った。
「『拒否不能なる結果の施し』」
放出された魔力は拒めないと同時に、回復も出来ないように世界に対して固定される絶対必中必殺の攻撃となった。
そして、その結果は——
「うぐぅ……」
千利の胴体に拳台の穴が空いていた。
その穴から血が漏れ出し、地面へと広がっていく。
痛みは無いが、力が入らず、両膝を地面に付けた。
と、同時に千利の領域結界が音もなく崩れ去る。
「ちょうど10分だな」
千利は敗北を認め、微笑む。
「ええ。私の負けですね……シェリー殿だけは……」
千利は見る。
ガレスの背後に突如として現れる人物の姿を。
そして、思わずその人物の名を声に出す。
「織可……」
織可も言葉を返す。
「千利兄、ここからは僕の番だ」




