第117話:簡潔に
織可は、フィンチを見ながら話し出す。
「君の魔法は“余分を全て削ぎ落とす魔法“だろ。言葉に表すなら、簡潔魔法」
フィンチは何も答えないが、その視線は鋭くなる。
「対象から一切の冗長性を排除し、最も短く・小さく・単純に変換する魔法。それで攻撃の余白部分を削ぎ落として、軌道を狂わせたり、最も短い形にしていた。そして、僕の展開した洞景は複雑過ぎたから、君の魔法の格好の的だっただろうな。だが——」
織可は両手を広げる。
「この景色なら、干渉できないだろ?」
庭景——日本庭園。
起伏の少ない庭は静かに、そして平らに広がり、単調な構造が視線をまっすぐ奥へ導く。石も木も過度な装飾を拒むように控えめに置かれ、音のない間が支配している。そこには華やかさの代わりに、整えられた静寂だけが残っていた。
それは、極端なまでに“何も起きない“景色だった。起伏は最小、構造は単純、装飾も意味もほぼない。石は、砂は、水音は石である、砂である、音として以上の意味を持たず、ただそこにあるだけ。
そして何よりも小さい。
直径にして約5メートルほどのドーム内、間合いもくそもなく、その領域には、簡潔魔法の入る余地が一切存在しなかった。
「簡潔に……行く」
フィンチは口を開き、また閉じると剣を構える。
もう、この空間に対して魔法は行使出来ない。それなら、単純明快で簡潔的に、物理=剣でもって殺す。
そんな選択肢を選んだのはフィンチだけではなかった。
織可は両拳を構え、ジッと足を広げる。
マグスは体から邪魔にならない範囲で手腕を出し、六腕となり、構える。
刃という剣と骨身という拳。どちらも人を代表する武器だが、殺傷能力など多くの観点から勝るのは圧倒的に剣だ。だが、織可は黒曜秘伝を習得し、マグスは六つの腕だ、どちらが勝つかは三人にも分からなかった。
最初に動いたのはフィンチだった。
簡潔魔法、『刹那』——世界の情報量を限界まで縮め、一瞬だけフィンチの体感限定で静止画の世界を作り出し、彼はそこを走り抜ける。
同じく簡潔魔法、『簡迅』——無駄を完全に排除した踏み込みと斬撃。
「ッ——!」
マグスが反応する。
六本の腕が同時に迎撃するが、そのうち二本が弾かれ、残りも剣の軌道に押し潰される。
『単核』——力を一点に集中し、剣は“ただ斬る“という結果だけを残す。
「……要点だけ」
「ぅぐっ……」
織可の肩をかすめた一撃は、黒曜秘伝を習ったおかげで熟練された魔力強化をもってしても重かった。
最短、最速、最適。
この狭さでは、フィンチの剣は理屈の塊で、異常なほどに魔法と噛み合っていた。
だが、だからこそ——
織可は退かなかった。
返しの刃が、織可に迫る。
「『黒衣』ッ」
剣と拳が触れた瞬間、音が消える。
完璧な受け。
「くっ……」
剣を通して、衝撃が奔り、フィンチの体はほんの一瞬、止まった。
その一瞬に。
織可は踏み込む。
「——『黒斑』」
拳が、短く、低く、腹部へと突き刺さる。
派手さはない。
だが、それは削れない弱められない衝撃だった。
フィンチの身体がわずかに浮き、呼吸が乱れる。
単核で圧縮していた出力が、内側から崩れる。
「……っ」
言葉が、出ない。
簡迅で距離を取ろうとするが、織可は黒蹄で空を蹴り、詰めてきた。
逃げ場のない庭園で、速度の優位が消えていく。
そこを——
マグスの腕が襲う。
六腕が、八腕へと増えていた。
一斉に手腕は向かう。攻撃ではなく、包囲を目的として。
フィンチは剣を振るい、二本、三本と切り落とすが、その度に別の腕が自身の体を掴んで離さない。
その隙に、織可の蹴りが来る。
「『黒羽』」
側面からの一撃。
「ぐっ……」
剣で受けきれず、フィンチの身体が庭の砂を滑る。
立ち上がろうとした瞬間、マグスの腕が足首を取る。
締め付け、逃さないという意思。
織可は、マグスに感謝しながら距離を詰める。
「……」
フィンチは何とか剣を構え直すが、呼吸が合わない。
刹那を使う余裕はない。
単核も、もう一点にまとめきれない。例え、まとめきれたとしても大した出力は望めないだろう。
来る。来た。
黒斑。
今度は胸。
衝撃が、全身に広がる。
膝が、庭に落ちた。
無駄のない剣は強力だが、崩れた身体では振るえない。
六本の腕が背後から絡み、拘束する。
織可の影が正面に立つ。
「終わりだ」
端的で簡潔な言葉。
フィンチは死の淵に思い出す。
親友との思い出を。
親友とは、千夜城であった。
彼もまた自分と同じ、魔法使いでありながら狂っていた。
そして彼は唯一、表情から自分の心情が分かる人物だった。
生まれてから一度も誰にもバレたことのない思いを、彼は平然と言い当てた。
俺はその時から、彼の虜だった。
常に彼と共に居た。
彼は俺のそんな行動を疎ましく思いながら、好意的だった。
カリスマ性のあった彼には、彼を中心とした集まりが出来ていた。
全員、境遇も罪も主義主張も異なったが彼という存在に対する気持ちは同じで、彼の為にあるべきだという考えをもっていた。
そんな仲間たちの中でも、一番最初に彼と共に居た俺は彼の親友という立場を獲得し、それが誇らしかった。
「自由になったら、何をしたい?」
不意に彼にそう問われた。
俺は自分の考えを伝えようとしたが、短い語彙しか脳には溢れなかった。生まれつきだった、生まれつき脳に障害を負っていた俺は話すことが苦手で、脳には豊富なほど言葉が記憶されていたが口に出すことは出来なかった。
俺が答えられないで居ると、彼は優しく微笑み、そして立ち上がった。
「ぼくはこの世界をもっと楽しみたい! この世界は好奇心で溢れている! 確かにぼくらは空の青さは知っているが、広く広大な海を知らない! ぼくは海が知りたい! したいことがある、やりたいことがある、ぼくはぼくの好奇心に嘘つくことなくこの世界をぼくの色に染めたい!
彼は俺の方を向く。
「きみもぼくと共に来てくれるだろ? だって、きみはこの小さな井戸の中で知り合った最初に興味を引いた存在なのだから」
彼は狂っているのだろう。おかしいのだろう。
だが、俺たちも同じだ。
この世界の異常で、狂っている。
だから、彼の期待に応えたい。
意識が現実に戻る。
俺は血反吐を吐きながら、自らの魔奥自体に魔法を施す。そんな矛盾を為すために、命を消費する。
「彼……の、為に……」
「魔奥、『語るには長すぎる愚かな人生』」
しかし、魔法は、魔奥は発動しなかった。
「……?」
「表層を見過ぎたな」
織可の言葉に、フィンチは今、気付く。
この領域は、内部は単純な構造だが、それを構成する外壁は複雑かつ難解に出来ていた。外壁に込められた術式が原因だと、分かる。
織可は魔奥を経て、更に己の魔術への理解を深めていた。
領域系統魔術は、内部の領域も書き換えられるがその外壁も書き換えられる。そして、その外壁に術式を込めれば遮断できることを天岩戸の帷で学んでいた。
その学びを活かし、外壁に世界との繋がりを断つ術式を刻んでいたのだ。しかし、完璧にとは言わずあくまでも世界から得る魔力量の限界量を一時的に下げる程度の効力で、魔奥という膨大な魔力消費のタイミングで使用しなければ効果は無かっただろう。
「フィンチ……これで、終わりだ」
フィンチは噛み締める。
そして、喋り出す。
「ああ、彼のために勝ちたかったな」
それだけで充分だった。
フィンチ・クロムウェルは、息を止めた。




