第114話:ほつれ
久刹の脳内に溢れる紡ぐべきだった言葉。
それは静かで、祈りにも似た言葉で縫うように丁寧に紡ぐ。
まだ辿り着いていない未来よ。
だが、いずれ必ず至る完成よ。
時間よ、先送りにするな。
今この瞬間に、縫い留める。
九針も要らない。
一針で足りる。
僕は、いま完成する。
脳内で紡がれた詠唱の終わりと、錠剤を飲んでからの1秒が重なる。
「魔奥『いずれ至る完成を、ここに一針縫い留める』」
久刹の体内に溢れる魔力が胸に埋め込まれた種子核、内臓を貫く根、外部へと伸びる枝を内部から破壊する。
魔力は奔流となって溢れ、ニトロ、理差、ルフィナの三名は巻き込まれ、吹き飛ぶ。
「失敗ですか」
「チッ」
魔力の奔流は、糸に変貌し、彼の体を貫き、その体に空いた穴を縫合する。
そして最も重要な針と糸が姿を現す。
時間そのものを撚った針と糸。
彼はそれを自分の心臓へと、当て、突き刺す。
その瞬間、久刹の背後に無数の影が重なった。
老いた彼、傷だらけの彼。
血に塗れ、刀を振るい、糸と針を操り、全てを縫い尽くした未来の久刹。
それらが一斉に、現在の肉体へと縫い込まれていく。
骨が、鳴る。
筋肉が、正しい配置へと引き直される。
神経が一本一本、狂いなく張り直され、魔力回路は過不足なく、完成形の配置へと整列する。
痛みはなく、そこにあるのは理解。
「ああ……そうか。この一太刀は、ここで入れるべきだった」
彼はまだ振ってもいない刀の結果を、既に知っている。
久刹が歩き出す。
一歩ごとに、床が縫い直される。
踏み出す前に、ひび割れは修復され、血は乾き、戦場が縫い直される。
ニトロ、ルフィナはいざ知らず理差は全く動けなかった。
近づいてくる久刹に対して、何一つ行動を取ることなく、三人は彼の間合いに捉えられる。
抜かれている刃。
振るわれ、閃く前に、敵の未来に刻まれた切断後の姿が、赤い糸として空間に浮かび上がる。
久刹はそこを、なぞるだけ。
次の瞬間、敵は「既に斬られていた事実」を時間差で思い出す。
「ぐっ」
「あっ」
「ゔっ」
ニトロ、理差、ルフィナの胸が大きく裂け、血が舞う。
三人は地面に崩れ落ち、久刹は気にせず通り過ぎる。
そんな三人に久刹は、穏やかに微笑む。
魔奥、いずれ至る完成を、ここに一針縫い留めるの効果は遥か未来で到達するであろう技術・剣術・魔法の全盛期を縫時魔法によって現在の肉体と時間に強制的に縫い込む自己強化。
三人は傷口を抑えながら、思案する。
どうすれば、今の久刹に勝てる。
今の所は勝てる気が全くしないんだけど、どうする。
銃は……意味ない。
(私の声、聞こえますか?)
突如として三人の脳内に響く、ジェニーの声。
(一夜で咲く花に出会った気持ちよ)
(ジェニーさん、これは?」
(凄いわね、これ)
まるで通話しているように、三人は脳内で会話する。
(魔力理論を応用した通信よ。調整に時間掛かるけど、これからは私を起点に会話が可能よ。それと、久刹の倒し方分かったわ)
(教えてください)
理差が落ち着いた雰囲気で尋ねる。
ジェニーも生徒に教えるように話し出す。
(久刹の影が、崩れ始めているの見える)
三人は久刹本人にバレないように彼の影を見る。
確かに端から影が分離し、消えていっていた。
(彼は多分、自分の未来を纏っている。だから、今の久刹に流れる時間が狂っておかしくなり始めている)
ジェニーは言わずに、遠くから監視してくる視線の方を一瞥する。
おかしくなっている原因は、あの錠剤も関わってそうだけど……
(時間の崩壊が、彼の体を確実に蝕みつつある。ここまで言えば三人とも分かったでしょ?)
時間を掛ければ久刹は死ぬ。
(ありがとうございます。ジェニーさん)
(いえいえ、戦っていない私が出来ることはこれぐらいなので……)
理差の感謝にジェニーは戸惑う。
(ジェニーさん、戦いにおいて勝機が見えるのは良いことなんです。絶望が終わりが見えるなら、希望ですから。それに……)
(時間稼ぎは魔術師の得意分野です)
(全く、その通りね)
その言葉を最後に、理差とルフィナは立ち上がる。
「久刹」
理差の言葉に、久刹は振り返る。
「まだ生きていましたか、しぶといですね」
「ええ、魔術師はしぶとさだけなら魔法使いを超えるから」
「泥臭く戦いましょう」
理差とルフィナは構える。
正真正銘、最後の攻防。
二人は同時に、久刹に殴り掛かる。
魔力はとっくに切れており、純粋な拳だ。
「死ね」
どれほど、二人は血反吐を吐きながら、久刹に切り裂かれただろう。
理差は右腕を失い、胸には大きな切り傷が二箇所。
ルフィナも胸に大きな切り傷を負い、魔術の反動で全身ボロボロだった。
その上から、更に切り裂かれる。
久刹の刃は、正確だった。
理差の肩を裂き、ルフィナの脇を掠め、二人の体から血を奪っていく。
それでも二人は、倒れなかった。
ただただ殴り続ける。
「……っ、はぁ……はぁ……!」
理差の拳が、久刹の頬を掠める。
当たらなくても、どうでも良い。
拳を振るえる限り、振るい続ける。
「食らいやがれ、久刹!」
ルフィナの拳が久刹の胸元を打つ。
反動で自分の腕が痺れるが、構わない。
次の瞬間、久刹の刃が閃き、理差の脇腹を浅く裂いた。
「……っ!」
血が滲む。
それでも踏み込み、拳を突き出す。
「まだだ。終わらせない」
久刹は確かに強い。
一太刀ごとに、二人は確実に傷を負う。
だが、それでも。
「お前は、もう未来を借りすぎている!」
理差の拳が、叫びと一緒に叩き込まれる。
久刹は、微かに笑った。
「……ああ、だからこそ今がある」
糸が、切れる音がした。
久刹の背後に重なっていた影が、ほどけていく。
魔奥の気配が、消える。
久刹は、その場に膝をつく。
刀を支えにしながら、ゆっくりと顔を上げた。
視線の先には、誰もいない。
それでも彼は、そこに妹の姿を見る。
(綴……)
ベッドの上で、針を動かしながら微笑っていた、あの顔。
「……早めに縫えて、良かった。お兄ちゃん、絶対に帰ってきてね」
それが、綴の最後の言葉だった。
久刹は紡ぐ。
その時にも言った言葉を、そこに妹が居るかのように。
「ああ、絶対に帰ってくる。だから、綴もずっと生きるんだぞ」
彼の体は静かに崩れ、糸は、もう二度と動かなかった。
理差とルフィナは、しばらく動けずに立ち尽くしていた。
***
久刹の死を確認したシカトリスと騎士、そして錬金師キルケ。
「はぁ、異形化しなかったけど術に干渉しますか」
「及第点でしょ。この効果で量産化出来る?」
「出来ます……魔法使いを使った人体実験第一回目としてはこれでもう良いかな」
「賢者め、我輩らの視線に気付くとは」
「あれが魔法使いの知識の頂点。流石と言ったところね」
シカトリスはその言葉を残し、騎士と共にその場を去る。
一人残されたキルケは、逃げ回る哀れな生徒な一人として学院に向かい出す。




