第100話:汝、沈黙せよ
場面は、人気が全くなく霧が立ちこめる観光街東部。
高級店、高級ホテル立ち並ぶ『高級街』に戻る。
「『黒水』、『黒壁』」
俺は最初から無限インクを解放し、自分とミア側とシュッツとルナ側で敵を含めて分断する壁を形成する。魔法使い同士が連携でもされたら厄介だからだ。
「ミア、近接戦闘を頼む」
「了解、任せてちょうだい」
ミアはその手に狂気を物質化し、短刀を形成する。
そして敵、モーティマーに突撃する。
「愚かにも迷える羊に道を示しましょう」
「自分の道は自分で決めるわ!」
短刀が振るわれるが、モーティマーはその手に持つ聖書で防ぐ。
「暴力はいけません。暴力を振るって良い相手は罪人だけです」
「魔法使いが何を言っているの? それにアンタ、人を殺してる罪人の癖に説教なんて何様のつもりよ。『狂舞踏』」
ステップを踏むように半歩下がりながら、体勢を変え、再度前に出る。
その間に、モーティマーは懐から墓掘りシャベルを取り出し、構える。
しかし……
「『黒水』、『水弾』」
インクの弾丸がシャベルの柄の途中を打ち抜き、柄が着弾地点でぽきりと折れ、シャベルの刃部分が地面に落ちる。
隙が生まれ、ミアも合わせるように刃を振るう。
「『狂撃』」
「くっ」
刃を止めようとした聖書を容易く断ち切り、モーティマーの胸に鮮血が舞う。
モーティマーは続け様に振るわれた刃を何とか回避し、距離を取る。
「ミア、敵は近接戦闘慣れしてないみたいだ。このまま攻めるぞ」
「ええ、分かってるわ」
モーティマーは半分になった聖書を見ながら二人の会話を聞く。
「罪人の共闘は厄介ですね。まずは、その悪辣な口を黙らせましょうか」
聖書を投げ捨て、首に掛ける十字架のネックレスを掴み、行使する。
「沈黙魔法、『無口葬』」
瞬間、異変が濡羽とミアの意識に奔る。
その異変という感覚を声に出して、仲間に伝えようとした時に実感する。
……声が、出せない。
声による指示といった協力が出来ない以上に、魔術を発動出来ない。
ただ一人喋ることが出来るモーティマーは宣誓する。
「罪人は沈黙を持って神に裁かれる」
沈黙魔法。
「語られる可能性」を死と同義に扱い、情報そのものを殺す魔法。
対魔術・魔法に於いて絶対的な優位性を持つ魔法の一角。
俺は物凄く焦っていた。
今までここまで焦ったことがないほど焦っていた。
口は動く、舌も動かせる。
なのに言葉が出ない、声が音として出ない。
まるで、最初から喋っていないかのようにどれだけ口を動かそうが意識しようが言葉が出ない。
基本的な魔術なら発生なしでも行使出来るが、難解な操作が伴う魔術となると発声がないと効力が下がるか、発動がそもそもしない。魔法なら発声なしで行使するなんて一部の魔法使いにしか出来ない技術だ。
彼我見師匠に教えられた十大魔法にも、沈黙魔法なんて無かった。
ということは、この魔法は最上位魔法じゃない。
最上位魔法じゃないのに、この効果……明らかにおかしい。
という事は、この沈黙は時間制限付きだろう。それなら効力が切れるのを待てば良い。
俺は簡単な液体操作なら出来るため時間稼ぎは余裕だが、ミアは狂気の物質化などは無理だろうから身体強化による純粋な物理戦闘となるだろうが、それをモーティマーという手数が知れない魔法使い相手に行うのはリスクだ。
だから、この場面でも能力を活かせる俺が前に出るしかない。
そもそも黒曜秘伝は魔術が使えない状態を想定されて作り出された技術だから、発生なしでも使える。
だから、俺が出来ることは沈黙効果がなくなるまでモーティマーと片腕がない状態で戦う。
声を出せない状態でオドオドしながらもモーティマーに向かって構えるミアの肩を叩く。
ミアは振り返り、俺の自信満々の顔を見る。
俺に任せろ。
そう視線で伝えると、ミアは俺の無い右腕に視線を一瞬移した後に俺の顔を見てから後ろに下がる。
「隻腕の罪人でも私は裁きの手を緩めるつもりはありませんよ」
モーティマーはまた墓掘り用シャベルを懐から取り出す。
俺は応えるようにインクで短刀を生み出し、構える。
「汝が天国に行けることを」
利き手のない状況での近接戦闘。
経験出来ないことを経験することは大きな成長をもたらす。
だから……
俺の成長の踏み台となって死ね。
左手の短刀を握りしめ、喋れないまま地を蹴る。
魔力が全身を巡り、脚が軽く、強くなる。
距離は一気に詰まる。
考えると同時に、身体が前へ出る。
モーティマーは墓掘り用のシャベルを構えた。
魔力で強化された気配が、霧越しでも分かる。
柄を両手で握り、刃の面を盾のように立てている。
真正面から受ける気はないらしい。半歩、横へ流す構えだ。
俺は姿勢を低くし、ナイフを体の内側へ引き寄せる。
刃は小さく、だが速さなら負けない。
間合いに入った瞬間、踏み込む。懐を取るつもりだった。
取った!
だが、シャベルが動いた。
柄を支点に、刃が回る。
ナイフの進路を塞がれ、金属同士が触れ合いぶつかる乾いた音が響く。
円を描くように払われ、俺は距離を作らされる。
一瞬、間が空いた。
それでも俺は止まらない。
魔力を脚に集中させ、石畳の上を滑るように再接近する。
モーティマーは踏み込んでこない。
重心を落とし、長い柄の利点を活かして突きを放つ。
牽制、近づくなという意思表示。
刃と刃が何度も交錯する。
俺のナイフは速さ。
モーティマーのシャベルは間合いの制圧。
身体強化を施している者同士だからこそ成り立つ攻防。
決定打には欠けるが、ただ石畳に刻まれていく足跡だけが、どれだけ激しく動いたかを語っている。
やがて、互いにわずかな距離を保つ。
次の一手を探るための、短い静止。
——先に動いたのは、あいつだった。
柄を短く持ち替えるのが見える。
シャベルはもう道具じゃない。
制圧するための武器として、完全に扱ってきている。
シャベルの刃は盾にもなり、槍にもなる。
低い横薙ぎ。
地面すれすれを払う軌道——足狙いだ。
跳ぶしかない。
判断と同時に脚へ魔力を流し、石畳から体を引き剥がす。
着地する、その瞬間を狙ってくる。
今度は柄の端による突き。
長さを活かした直線、間合いの外から叩き、近づかせないための一手。
俺が回避した後にも続け様に来る。
シャベルの刃が地面に突き立てられ、それを支点に体が回り、遠心力を乗せた一撃が、俺を押し戻した。
重量と魔力。流れは完全に、モーティマーのものだった。
——それでも。
俺は後退しながら、視線だけは外さない。
右腕がないせいで、肩口は大きく開いている。
誰の目にも分かる”弱点”。
当然、狙ってくる。
大振りの打ち下ろし。
重く、確実に終わらせるための一撃。
その瞬間、俺はわざと避けなかった。
右側をあえてさらし、体を半身にひねる。
本来なら腕があるはずの空間へ、シャベルの刃が抜けていく。
長い柄を振り切ったことで、あいつの体勢が崩れたのが分かる。
——そこだ。
最初から決めていた。
俺にとって、右側は弱点じゃない。通路だ。
左手のナイフを、最短距離で踏み込ませる。
魔力を一瞬だけ、刃と脚に集中させる。
無理やり、間合いを潰す。
一撃。
「ぐっ……」
深追いはしない。
動きを止める、それだけでいい。
俺は即座に距離を取る。
言葉はなく、ただ次の動きに備えて構え直す。
モーティマーが息を整えるのが見えた。
そして、理解した顔になる。
——右腕がないのは明らかだ。
だが、右腕がないことを完全に武器として使っている。
そのタイミングで、異変が消えたことを感覚として感じた俺は口を開く。
「モーティマー、俺に近接戦闘を挑むのは少し早いみたいだな」
右腕がなくても俺は、黒曜濡羽。
史上初のキングクラウン魔術師優勝者だ。




