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開港場、怪異往来につき  作者: 古潭兄弟
第03章 子が消える十三日目
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四幕 味方の顔

翌日、宗吉と弥一は、町に広まった噂の出どころを辿った。


滝の相談から四日目だった。とよが今日にも子を産むかもしれない。


最初に話を聞いたのは、飯屋の近くで荒物を商う男だった。


「おとよさんが子を食ったって話、誰から聞きましたか」


宗吉が訊くと、男は首を傾げた。


「誰だったかな。ずいぶん前のことだからな」


「初めて聞いたときのことは?」


「そう言われてもな」


男はしばらく考え込み、やがて顔を上げた。


「戸倉だったかもしれん」


宗吉の筆が止まった。


「戸倉が、おとよさんが食ったと言ったんですか」


「いや、逆だよ。そんな話はでたらめだって怒ってたんだ」


「そのとき、ほかに誰かがおとよさんが食ったと言っていましたか」


男はまた考えた。


「そういや、誰も言ってなかったな」


戸倉は突然、誰も口にしていない噂を持ち出し、そんな話を信じるなと言い出したのだという。


別の男は、二人の赤ん坊が十三日目に消えたと、戸倉から聞いていた。


「戸倉が噂を流したのか?」


弥一が訊くと、男は首を振った。


「違うよ。おとよさんを庇ってたんだ。二人とも十三日目だったからって、母親がやったとは限らないって」


「その話を聞く前から、十三日目だと知ってたか?」


「いや。戸倉が言うまで知らなかった」


聞く相手を変えても、返ってくるのは似たような答えばかりだった。


戸倉は、とよを悪く言ってはいない。むしろ、いつも庇っていた。しかし、その言葉の中には、聞き手がまだ知らなかったことまで含まれていた。


子が死んだのではなく、消えたこと。


二人とも十三日目だったこと。


姑がとよを疑っていること。


自分の子を腹に入れたという、ひどい話まで。


戸倉は噂を否定するたびに、その中身を新しい相手へ手渡していた。


宗吉は帳面に、戸倉の否定を聞いて初めて噂を知った者あり、と記して閉じた。


「妙な広め方をしたもんですね」


弥一が言った。


「ああ。悪口を言わなくても、悪い話は広められる」


「自分は味方のままで?」


「ああ。庇っているように見えるからな」


「わざとやってたなら、卑怯な野郎ですね」


宗吉も同じことを思った。だが、まだ分からないことがあった。


戸倉は、わざと噂を広めたのか。そうなら、何のために。


二人は飯屋へ向かった。


昼の客が引いた店で、滝が二人を迎えた。


「おとよさんの具合は?」


宗吉が訊いた。


「まだ産気づいてないよ。奥で休んでる」


宗吉は頷き、徳蔵の母親に会わせてもらった。


姑は二人を見るなり、露骨に口を曲げた。


「今度は何だい」


「戸倉さんについて聞きたいことがあります」


宗吉が言うと、姑は手にしていた布巾を膝へ置いた。


「戸倉さんが、どうしたっていうんだい」


「おとよさんのことで、よく話をしていましたか」


「あの人だけは話が分かるからね」


姑はためらいもせずに答えた。


「何と言っていましたか」


「町の者はみんな、あの女がやったと思ってるってさ」


宗吉と弥一は、思わず顔を見合わせた。


「みんな?」


「ああ。二人とも十三日目に消えたんだ。母親を疑わない方がおかしいってね」


それは、宗吉たちが町で聞いてきた話とは、まるで違っていた。


とよを疑う者はいる。だが、見てもいないことは決めつけられないという者もいた。病で亡くなったと思っていた者も、祟りではないかと噂する者もいた。町中が同じことを信じているわけでは、決してない。


「三人目のことも、戸倉さんと話しましたか」


宗吉が訊いた。


「ああ。子ができたと分かったころ、私から話したよ」


「戸倉さんは何と?」


姑は奥へ目をやった。


「あの女が子を産んだら、すぐに追い出した方がいいって」


「おとよさんだけを?」


「そうだよ。子はうちに残す。また十三日目になるまで、あの女と一緒に置いておくことはないってさ」


「徳蔵さんが、それに従うと思いますか」


「今は意地になってるだけだよ」


姑は吐き捨てた。


「今度の子まで危ないと分かれば、あの子だって目を覚ます」


「それも戸倉さんが?」


「そうさ。三人目に何かあってからじゃ遅いって、あの人も言ってたよ」


宗吉は姑を正面から見た。


「戸倉さんは、おっ母さんのいないところでも、おとよさんを庇ってます」


姑の眉が、ぴくりと動いた。


「何だって?」


「おとよさんが自分の子を殺すはずがない。何も知らない者が勝手なことを言うな。そう言ってるそうです」


姑はしばらく黙り込んだ。


「私には、そんなことは言わなかったよ」


「二人で話していたときは?」


「客の前では、私にも黙れと言ったさ。けど、あとでは話を聞いてくれた。町の者はみんな、あの女を疑ってるって」


姑は膝の布巾を折った。角が合わず、広げて折り直す。もう一度、角がずれた。


「あの人が何を言ってたって、子が二人いなくなったことは変わらないよ」


そう言うと、布巾を握りしめたまま、宗吉から目を逸らした。


宗吉は帳面へ目を落とした。町で聞いた戸倉の言葉と、いま姑が語った言葉。同じ男の口から出たとは思えぬほど、それは食い違っていた。


その日の夕方、宗吉と弥一は戸倉を待った。


飯屋ではない。昨夜、戸倉が飯屋の裏へ回るために入った細道だった。今夜も同じ道を通るかもしれない。


空にはまだ薄い明るさが残っていたが、家々の軒下には灯が入り始めている。表の通りを、人力車が一台、駆け抜けていった。車輪の音が遠ざかると、人通りの少ない細道は静まり返った。弥一が息を吐いた。


「来なかったらどうしますか」


「明日、また店でつかまえる」


「最初から店で待てばよかったんじゃないですか」


「人前で話せることじゃねえだろ」


「素直に話すとも思えませんけどね」


「だから、お前を連れてきた」


弥一が宗吉を見た。


「俺を何だと思ってるんですか」


「用心棒」


「ひでえな」


そう言いながら、弥一はまんざらでもなさそうだった。


やがて、表の通りから戸倉が細道へ入ってきた。飯屋の裏へ向かって歩いていたが、宗吉たちを見つけると、あからさまに顔をしかめる。


「またあんたらか」


「少し話がある」


「俺にはない」


戸倉は二人の脇を通り抜けようとした。弥一が一歩、前へ出る。それだけで、戸倉の足が縫い止められた。


「何だよ」


「話くらい聞いてけ」


弥一の声には、宗吉に向けるような柔らかさが微塵もなかった。


宗吉は戸倉を見た。


「二人目の子が消えた晩のことだ。昨日も、店を一度も出ていないと言ったな」


「ああ。出てない」


「じゃあ、昨夜のことはどうだ。俺たちも見てたぞ」


戸倉の足が、わずかに後ろへ引かれた。


「飯屋を出たあと、遠回りして裏へ戻った。裏口のそばに立って、家の中を見てたな」


戸倉の顔から、すとんと表情が抜け落ちた。


「何のことだ」


「おとよさんが表へ出るか、外を歩くか、お滝さんに何度も聞いてたそうだな。徳蔵との仲も、今でもおとよさんを抱いてるのかとまで訊いてる」


「それが何だ」


「三人目のことも、腹が目立つ前から知ってた」


戸倉が宗吉を睨みつけた。


宗吉は続けた。


「姑さんから聞いたんだろ」


「……だったら何だ」


「町中がおとよさんを疑ってる。あんたは姑さんに、そう言った」


戸倉は答えなかった。


「だが、町で聞いた話はばらばらだった。おとよさんを疑う奴もいたが、決めつけられないと言う奴もいた。みんなじゃねえ」


「俺の知ったことか」


「みんな疑ってることにしたかったんだろ」


戸倉の唇が開き、そのまま閉じた。


「あんたは、人前じゃおとよさんを庇ってた。だが、庇うふりをしながら、相手が知らないことまで喋った」


「何を言ってる」


「おとよさんが子を食ったなんて嘘だ。二人とも十三日目に消えたからって、おとよさんがやったとは限らない。そう言ったそうだな」


戸倉は黙っている。


「その話を、あんたから初めて聞いた者が何人もいた」


宗吉は戸倉を見据えた。


「噂を否定するふりをして、中身を広めたんだ」


「違う」


「その噂を使って、姑さんには町中がおとよさんを疑ってると思わせた。子が生まれたら、おとよさんだけを追い出せとも言ったそうだな」


戸倉の顔が歪んだ。


「黙れ」


「徳蔵とおとよさんを別れさせたかったのか」


「黙れと言ってるだろ!」


戸倉が宗吉の胸倉を掴んだ。


襟が喉へ食い込み、宗吉の身体が前へ引き寄せられる。


次の瞬間、その手が宗吉から引き剝がされた。弥一が戸倉の手首を掴んでいた。太い指が肉へ食い込み、戸倉が歯の間から息を漏らす。


「離せ!」


弥一は何も言わなかった。


戸倉の腕を外へ捻り上げ、その身体を引き寄せる。もう一方の腕が腰へ回ったかと思うと、戸倉の両足が地面から浮いた。


戸倉の身体が宙で弧を描き、背中から地面へ叩きつけられる。鈍い音が、夕暮れの道に響いた。


息を失って喘ぐ戸倉のそばへ、弥一が歩み寄る。傾いた陽を背に、その大きな身体が、戸倉の上へ影を落とした。


「俺の兄貴に何してんだ?」


弥一の声は、地を這うように低かった。


「すりつぶされてえのか?」


戸倉の顔から、血の気が引いた。


弥一が戸倉の胸元へ手を伸ばす。宗吉がその腕を掴んだ。


「弥一。もういい」


弥一の手が止まった。


「兄貴、喉は?」


「平気だ」


「本当に?」


「ああ」


弥一は宗吉の襟元を確かめてから、戸倉へ目を戻した。


「兄貴が聞いたことに答えろ」


戸倉は地面に手をつき、咳き込みながら身体を起こした。先ほどまでの強気は、跡形もなく消えていた。


宗吉は乱れた襟を直した。


「おとよさんに惚れてるんだな」


戸倉は答えなかった。弥一がわずかに動くと、その肩が跳ねた。


「……そうだ」


「弥一。そこで待ってろ」


宗吉が言うと、弥一は足を止めた。


いまの戸倉は、弥一が身じろぎするだけで身を縮める。この場を逃れるために、欲しがられた答えを返すかもしれない。ここで聞いたことは、ほかの者の話と照らし合わせなければならなかった。


「いつからだ」


「嫁に来て、しばらくしてからだ」


とよは客前へあまり姿を見せなかったが、店が忙しければ表へ出て働くこともあった。戸倉はその姿を見ているうちに、心を奪われたという。


「だが、おとよさんは徳蔵の女房だ」


「ああ」


「諦められなかったのか」


戸倉は地面へ目を落とした。


最初の赤ん坊が消えたあと、姑がとよを責め始めた。戸倉はその愚痴を聞き、初めはただ話を合わせていただけだったという。


「おっ母さんが、徳蔵に別れろと言ってると聞いた」


戸倉の指が、地面の小石を押し込んだ。


「町でも騒ぎになれば、あいつも庇いきれなくなると思った」


「それで噂を広めたのか」


「俺から悪口を言ったわけじゃない」


「否定するふりをした」


戸倉は黙った。


「姑さんには、町中がおとよさんを疑ってると言った」


「……ああ」


「子が生まれたら、おとよさんだけを追い出させようとした」


戸倉の声が萎んでいく。


「子まで奪うつもりはなかった」


「母親から引き離すつもりだったんだろうが」


弥一が吐き捨てた。


「居場所をなくしたおとよさんを、自分が引き取るつもりだったのか」


戸倉は答えなかった。地面についた手が、土を掻いた。


宗吉が口を開いた。


「自分で追い詰めておいて、自分だけは味方の顔をするつもりだったんだな」


「放り出されたら、放っとけねえだろ」


戸倉はそれだけ言って、顔を背けた。


「二人目の十三日目に、店を出た理由は?」


戸倉の肩が固くなった。


「おとよさんを見るためだ」


「裏から?」


「ああ」


「十三日目だと分かって行ったのか」


「分かってた」


「何か起きるのを待ってたのか」


「赤ん坊が消えるとは思ってなかった」


「なら、何を?」


戸倉はしばらく黙り込んだ。


「おっ母さんが、またおとよさんを責めるかもしれないと思った。家の中で揉めれば、外へ出てくるかもしれないとも」


「出てきたら、声をかけるつもりだったのか」


「ああ」


弥一が鼻から強く息を吐いた。


宗吉は戸倉を見た。


「何時ごろ、店を出た」


「八時を少し回ったころだと思う」


「どれくらい裏にいた」


「長くはない」


「店へ戻ったのは?」


「徳蔵が奥へ入る前だ」


宗吉は、その答えをすぐには書かなかった。


「旦那が奥へ入ったのは、八時半の少し前だ。そのすぐ前まで裏にいたなら、二十分近くになる。もっと早く戻ったのか」


戸倉は答えなかった。


「長くはないじゃ分からねえ。五分か、十五分か」


「……裏に何分いたかまで、時計で計ってたわけじゃねえ。そこまでは覚えてねえよ」


「あんたが席へ戻ったあとで、旦那が子を見に行ったんだな」


「ああ」


「奥から戻るところも見たのか」


「見た。普通に店へ戻ってきたよ。まだ何の騒ぎにもなってなかった」


徳蔵が最後に奥を覗いたとき、とよは起きていた。赤ん坊も、とよの腕の中にいた。そこまでは徳蔵から聞いている。


だが、そのとき戸倉がもう戻っていたかどうかは、徳蔵も滝も覚えていなかった。


「あんたが裏へ回ってるあいだに、子が消えたんじゃない。そう言いたいんだな」


「だから、俺はやってねえんだよ」


「その順序を信じるだけの裏づけが、今はねえ。徳蔵もお滝さんも、その前後は覚えていねえ」


戸倉は宗吉を見上げた。


「本当に、先に戻ったんだ」


宗吉は帳面を出し、「妊娠を知った経緯は不明」の一行に線を引いた。その脇へ、確かめたことを書き足す。


妊娠は姑から聞いていた。滝には、顔で分かったと言っている。


それから、二人目の晩について、話した者ごとに書き分けた。


二人目の晩。戸倉の話――八時過ぎに外出し、飯屋の裏へ。戻ったのは、徳蔵が最後に子を見に行く前。裏にいた長さは覚えていない。


徳蔵の話――八時半の少し前に奥へ入った。とよは起きており、子を抱いていた。


前後は未確認。裏にいた時間の長さも不明。


戸倉の言う順序なら、裏へ回っているあいだに子を攫ったという見立ては成り立たない。二軒先の店の男が語った時刻とも、食い違ってはいなかった。


辻褄は合う。だが、戸倉が戻ったあとで徳蔵が子を見た、という肝心のところは、戸倉自身の言葉でしかつながっていない。外にいた時間の長さも、最後の見回りとの前後も、裏づけは取れていなかった。


「どうして昨日、店を出てないと言った」


宗吉が訊くと、戸倉は顔を伏せた。


「裏で何をしてたか、知られたくなかった」


「おとよさんをつけ回していたことも、離縁を待っていたこともか」


「ああ」


「一人目の晩も、裏へ回ったのか」


戸倉は返事をしなかった。


「その晩も店を出たのか」


「三年前のことなんか、覚えてねえよ」


「子を攫ってはいないんだな」


戸倉が顔を上げた。


「攫ってない。二人とも、俺はやってない」


宗吉は、一人目の晩の外出は覚えていないと答えた、と書き添えた。


戸倉は膝に手を置き、身体を起こしかけた。背中を庇うように途中で止まり、低く呻く。


「こんな真似して……巡査に言ったらどうなると思ってる」


「今あったことを話すなら、止めねえよ」


宗吉は答えた。弥一は鼻で笑い、腕を組んだ。


戸倉は弥一を一瞥してから、声を落とした。


「徳蔵には、今の話は黙っててくれ」


「それは約束できねえ。確かめることがある」


戸倉は唇を噛んだ。


宗吉は帳面へ目を戻した。


噂の広め方や、姑に離縁を勧めたことについては、戸倉の話と、町の者や姑の話が重なった。昨夜、とよのいる家を覗いていたことは、宗吉たち自身がこの目で見ている。


だが、それらは赤ん坊を攫った証拠ではない。裏へ回った理由を認めたからといって、攫っていないという言葉まで信じられるわけでもなかった。


起きていた母親の腕の中から、二人の赤ん坊が消えている。戸倉の告白は、その謎に何ひとつ答えていなかった。


宗吉は、「前後は未確認」の一行を残したまま、帳面を閉じた。


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