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開港場、怪異往来につき  作者: 古潭兄弟
第03章 子が消える十三日目
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三幕 裏口の男

翌日、宗吉と弥一は飯屋の周りでも話を聞いた。


滝が相談に来てから三日目だった。とよは、もういつ子を産んでもおかしくない。


町には、とよについての噂がいくつもあった。


子を殺した。どこかへ売った。腹に入れた。祟られている。あの家には昔から何かがいる。


聞く相手が変わるたびに、話も変わった。どれも人づてのもので、自分の目で見た者は一人もいない。


宗吉が知りたいのは、その晩、誰がどこにいたのか。何を見て、何を聞いたのか。ただ、それだけだった。


二人目の赤ん坊が消えた夜について、妙な証言が飛び出したのは、その日の午後だった。話をしたのは、飯屋から二軒先で商いをしている男だった。


「戸倉なら、あの晩見たよ」


宗吉は帳面を開き、筆を取った。


「どこで?」


「あの飯屋の前だ」


男はいま、自分の店先に立っている。あの夜も、同じ場所で品を中へ運び、板戸を閉める支度をしていたという。


「戸倉は何をしていましたか」


「飯屋から出てきた」


「一人で?」


「ああ」


「そのあと、どこへ?」


男は、自分の店の脇にある細道を、顎で指した。


「うちの前を通って、あそこへ入っていった」


その細道は家々の間を縫うように抜け、飯屋の裏手へ通じている。ただし、途中にはほかの家の裏口もある。戸倉がどこまで行ったのかは、店先からでは見通せない。


「戻ってくるところは?」


弥一が訊いた。


「見たよ。しばらくして細道から出てきて、また飯屋へ入っていった」


「どれくらい外にいた?」


「そこまでは覚えてねえ。俺も仕事をしながら見てたからな」


男は、戸倉が出てから戻るまで、ずっと目で追っていたわけではなかった。


「店を出たのは、何時ごろでしたか」


宗吉が訊いた。


「そのときは時計を見てねえ。品をまだ全部、中へ運び終えてなかった」


「戻ったのは?」


「戻ったのは、八時半より前だったと思う」


「時刻は何で確かめたんですか」


「飯屋の時計だよ。店を閉めて、あの前を通ったときに見た。まだ八時半にはなってなかった。戸倉が戻ったのは、それより前だ」


「徳蔵が奥へ入るところは、見ましたか」


「そこまでは覚えてねえよ。時計を見ただけで、店の中を眺めてたわけじゃねえからな」


「赤ん坊が消えた夜のことに、間違いありませんか」


「ああ。あの日は、俺はいつもより早く店を閉めたんだ。それに、翌朝には徳蔵のところがまた騒ぎになったと聞いた。だから覚えてる」


二人目の夜、徳蔵が最後に奥へ入ったのも、八時半になる少し前だった。戸倉が戻ったのは、その前か、あとか。時刻だけでは、まだ決まらない。


「見たのは、間違いなく戸倉ですか」


「そうだよ」


男は言い切った。


「俺は提灯を持ってたんだ。出ていくときも、戻ってきたときも、目の前を通ったから顔を見た。向こうも俺を見たよ」


「声はかけなかったんですか」


「ああ。客が飯屋を出入りしてるだけだと思ったからな」


男にとっては、何の意味もない光景だったのだろう。ある客が店から出て、細道へ入り、しばらくして戻った。それだけのことである。


「一人目の子が消えた、三年前の晩はどうでしたか。戸倉の出入りを覚えてますか」


「そんな昔のことは覚えてねえよ。騒ぎになったのは聞いたが、その晩に誰が出入りしたかなんてな」


宗吉は、その証言を帳面に書きつけた。


二人目の晩。戸倉、店を出て細道へ。戻ったのは八時半前。出た時刻は不明。


一人目の晩。戸倉の出入りは覚えていない。


礼を言い、男と別れた。


「兄貴」


歩き始めてすぐ、弥一が声を落とした。


「あの細道、飯屋の裏へ続いてますよね」


「ああ。ただ、ほかの家にも行ける」


「赤ん坊が消えたころにも、あそこにいたんでしょうか」


宗吉は帳面の頁を戻した。


「戸倉は昨日、徳蔵が奥から戻るのを見た、そのあとおとよさんが出てきたと言った」


「ええ」


「その話が本当なら、その二つの場面では店にいたわけだ。確かめたいのは、外から戻ったのが、徳蔵が最後に奥へ入る前かあとかだ。前なら、戸倉が戻ったあとにも子は生きてた」


「あとなら?」


「それだけじゃ、子を見た前かあとかまでは分からねえ。子が消えたときに、外にいた可能性もある。店の者にも、その前後を確かめる」


「けど戸倉は、外へ出たなんて話は一言もしませんでしたよ」


宗吉は答えなかった。


戸倉は、二度の夜に自分も店にいたと言った。徳蔵ととよの動きや、時計を見たことも話した。だが、途中で外へ出たとも、ずっと店内にいたとも言っていない。


この証言だけでは、戸倉が嘘をついたとは言えなかった。


二人は飯屋へ戻った。昼の客はすでに引き、滝が店の端で洗った器を拭いていた。


「お滝さん。二人目の子がいなくなった晩、戸倉が途中で店を出たのを覚えてますか」


滝の手が止まった。


「戸倉さんが?」


「ああ。店から出て、しばらくして戻ったのを見た人がいます」


滝は眉を寄せ、記憶を手繰るように宙へ目をやった。


「私は覚えてないよ」


「出るところを見なかったんですか」


「見たかどうかも覚えてないよ。あの晩は店の仕事をしながら、何度も奥を気にしてた。客がちょっと外へ出たくらいじゃ、目に留まらなかったんだろうね」


徳蔵にも同じことを訊いたが、返事は変わらなかった。


「覚えてねえな」


二人目の十三日目、徳蔵は仕事の合間に何度も奥を覗いていた。戸倉が店を出るところを見なかったのか、見たが覚えていないのか。その返事からは分からなかった。


「最後に奥へ入る前、戸倉が席にいたかは覚えてますか」


徳蔵はしばらく考え込んだ。


「そこまでは覚えてねえ。騒ぎになってから、戸倉が店にいたのは覚えてる」


「旦那が表へ戻ってから、おとよさんが出てくるまでのあいだは?」


「客に膳を運んでた。誰が席を立ったかまでは、見てなかったよ」


戸倉が店へ戻ったのは、徳蔵が最後に奥へ入る前か、あとか。店の者からも、その順序は確かめられなかった。


徳蔵が炊事場へ戻ると、宗吉は滝へ向き直った。


「お滝さん。戸倉は前から、おとよさんのことを気にしていましたか」


滝の顔が、すっと曇った。


「気にしてたよ」


「どんなふうに?」


「今日は奥にいるのか。店へ出てこないのか。買い物には行かないのか。そんなことを、よく聞いてきた」


「一度や二度じゃないんですね」


「ああ。私が同じことを答えても、しばらくするとまた聞くんだ」


戸倉は、とよを悪く言う客がいれば怒った。姑がとよを責めたとき、止めたこともある。そのため滝は、あの男はとよを心配しているのだと思っていたという。


「徳蔵とのことも聞かれたよ」


「夫婦仲ですか」


「ああ。二人も子をなくして、それでも徳蔵はおとよを責めないのか。二人の仲は変わらないのか。家ではどうなんだってね」


弥一の目が細くなった。


「ほかには?」


滝は言いよどみ、それから声を落とした。


「徳蔵は、今でもおとよを抱いてるのか、とまで聞かれたよ」


宗吉は滝の顔を見た。


「いつですか」


「二人目の子がいなくなったあとだったと思う」


「何と答えたんですか」


「夫婦の夜の事なんて知るわけないだろ。そう言ってやったよ」


滝は吐き捨てるように言った。


とよがいつ店へ出るのか。外を歩くことがあるのか。夫は妻を責めているのか。夫婦仲は変わっていないのか。子をなくしたあとも、妻を抱いているのか。


心配しているだけにしては、夫婦の内情にまで立ち入りすぎている。


滝は拭き終えた器を置いた。


「そういえば、今度の子のことも、戸倉さんはずいぶん早くから知ってたよ」


「どのくらい早く?」


「まだ、見ただけじゃ分からないころだよ」


「そのころには、店で話していましたか」


「私は客には話してないよ。知ってたのは徳蔵とおっ母さん、それに私くらいだったはずだよ」


それなのに戸倉は、ある日、滝へ尋ねてきたのだという。また子ができたそうだな、と。


「どこで知ったのか聞きましたか」


「聞いたよ。おとよがそういう顔をしてたから分かった、なんて言ってた」


「顔だけで?」


「分かるわけないだろ」


滝の顔に、隠しようのない嫌悪が浮かんだ。


「私も今までは、あの人がおとよの味方なんだと思ってた。でも、何だか気味が悪くなってきたよ」


宗吉は、徳蔵と滝、二人の話を帳面にまとめた。


戸倉が店へ戻った時と、徳蔵が最後に奥へ入った時、その前後は不明。滝も徳蔵も、戸倉の出入りを覚えていない。


戸倉、とよの外出と夫婦仲を滝に尋ねる。徳蔵が今も妻を抱くか、とも。妊娠を知った経緯は不明。


宗吉は帳面を閉じた。


その日の夕方、戸倉はいつものように一人で飯屋へ来た。宗吉と弥一の姿を認めると、一瞬だけ足が止まる。しかし何も言わず、いつもの壁際の席へ腰を下ろした。


徳蔵に飯を頼み、運ばれてきた膳に箸をつける。宗吉は食事が半ばまで進むのを待ってから、静かに声をかけた。


「昨日の話を、もう少し聞いてもいいですか」


戸倉が顔を上げた。


「まだ何かあるのか」


「二人目の子が消えた晩のことです。その晩、途中で店を出ましたか」


戸倉の箸が、宙で止まった。


「出てない」


返事は、あまりに早かった。


「一度も?」


「ああ」


「あの細道へも行っていないんですか」


戸倉は箸を膳へ置いた。


「何でそんなことを聞く」


「昨日、時計を見たと言いましたね。そろそろ帰る頃合いだと思ったと」


戸倉は答えなかった。


「徳蔵が奥から戻ってくるのも見た、と。あんたが外から店へ戻ったのは、旦那が最後に奥へ入る前ですか、あとですか」


「出てねえと言ってるだろ。俺はここにいた」


「細道へ入って、どこへ行ったんですか」


「しつこいな」


戸倉が宗吉を睨みつけた。


「俺を疑ってるのか」


先ほどまで店を満たしていた器の音が、わずかに遠のいた。近くの客が、箸を止めてこちらを窺っている。


宗吉は、戸倉の目から視線を逸らさなかった。


「では、旦那が奥へ入ってから、おとよさんが出てくるまで、店で何をしていたか聞かせてください」


「余計なことを嗅ぎ回るな」


戸倉は再び飯を食べ始めた。だが、箸を運ぶ速さは、先ほどまでとまるで違っていた。掻き込むように食べ終えるとすぐに勘定を済ませ、逃げるように店を出ていった。


弥一が椀を置く。


「今のは嘘ですね」


「二軒先の親父が見間違えてなけりゃな」


宗吉は帳面を開き、出入りを見たという証言の隣へ、戸倉は一度も出ていないと答えた、と記した。


戸倉は行った先も、戻った時刻も答えなかった。出ていない。その一言だけで、話を断ち切った。


「何を隠してるんでしょうね」


弥一が戸口を見た。


「怪しいよな。少しつけてみるか」


宗吉はそう言って、帳面を閉じた。


戸倉が出てから少し待ち、二人も店を出た。


秋の夕暮れは短い。往来にはまだ人の姿があったが、空はすでに藍を深め、店先の灯が道へ細長い帯を落としていた。


戸倉の背は、少し先にあった。宗吉は距離を測りながら、その背を追った。


二つ目の角を曲がったところで、弥一が宗吉の肩を引いた。


「兄貴。顔ごとあいつへ向けないでください」


「見失うだろ」


「それじゃ先に気づかれますよ」


宗吉は仕方なく、道沿いの店先を眺めるふりをした。そのせいで、軒下に積まれた空の桶へ危うくぶつかりかける。弥一が襟首を掴み、引き戻した。


「どこ見て歩いてるんです」


「戸倉だよ」


「今は桶を見てください」


前を行く男は気づかなかったらしい。やがて、もう一つ角を曲がり、飯屋のある通りへ戻ってきた。往来を外れ、家々の間の細道へ吸い込まれていく。昼間、二軒先の男が顎で指した、あの道だった。


宗吉と弥一も角を曲がった。戸倉の足が次第に遅くなり、やがて止まる。弥一が宗吉を板塀の陰へ引き寄せた。


「ここは?」


宗吉が声を潜めて訊くと、弥一は塀越しに覗く屋根へ顎を向けた。


「飯屋の裏ですよ」


戸倉は遠回りをして、先ほど出たばかりの店へ戻ってきたのだ。表ではない。裏口から少し離れた、闇の濃い場所だった。


二人が身を隠した場所にも、板の継ぎ目に隙間があった。宗吉が顔を寄せると、庭を挟んだ障子が見えた。


戸倉は戸を叩くわけでも、誰かを呼ぶわけでもなかった。ただ、板塀の向こうをじっと見ている。細い隙間から家の灯が漏れ、中で人が動くたび、その光が揺れた。


そのたびに、戸倉もわずかに顔の向きを変えた。


誰がどこにいるのか、塀の外から探っているようだった。


やがて、障子の向こうを人影が横切った。戸倉がわずかに身を乗り出す。しかし、すぐ後ろから大きな影が現れると、弾かれたように身体を引いた。


大きな影は徳蔵らしかった。二つの影は隣り合い、そのまま障子の端から消えた。


戸倉は動かなかった。暗い裏道に立ち尽くしたまま、人影の消えた障子から目を離さずにいる。


「何してんだ、あいつ」


宗吉が呟いた。


「おとよさんを見てるんでしょう」


弥一の声には、隠しようのない嫌悪があった。


宗吉の腹の底が、冷えた。今日、面と向かって細道のことを問い詰められたばかりの男である。疑われていると分かっていながら、それでもこの男は、店を出たその足で、あの細道を辿ってここへ来ている。


しばらくして、戸倉は諦めたように板塀から離れ、来たときとは別の道へ曲がっていった。


二人は板塀の陰から、その姿が闇に溶けるまで見送った。足音が遠ざかり、聞こえなくなっても、しばらくは動けなかった。


「兄貴」


「ああ」


弥一は、戸倉が立ち去った道を睨んだままだった。


「俺たちに疑われているのを分かっているくせに、それでもここに来たんですよ。あいつで決まりじゃないですか」


宗吉は答えなかった。


怪しいことと、犯人であることは違う。それでも、疑いを捨てることはできなかった。あの男はあの晩、細道の先で何をしていたのか。


宗吉は板塀の陰から出て、戸倉が立っていた場所まで歩いた。弥一もついてきて、少し後ろで足を止めた。宗吉は板塀の隙間へ目を寄せた。


飯屋の中で、また灯が動いた。障子に人影が浮かび、すぐに消えた。


静まり返った裏道で、宗吉はしばらく、その障子を見つめていた。


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