↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
開港場、怪異往来につき  作者: 古潭兄弟
第02章 壺は空になる
PR
41/57

十八幕 怪異あらわる

宗吉は息を呑んだ。


開いた戸の向こうに、細長い影が見えた。


家からは、まだ少し離れている。


その影が、暗い道をこちらへ歩いてきていた。


一歩。


また一歩。


長い脚が折れるたび、身体が大きく前へ進む。


灯の届くところまで来ると、その姿がはっきりした。


頭の位置が異様に高い。


肩は狭く、胴の下から伸びる脚は、ひどく長かった。


顔には、目も鼻もない。


平らな暗い顔だけをこちらへ向け、ゆっくりと近づいてくる。


宗吉は一歩退いた。


「……何だ、こいつ」


弥一の顔から、さっきまでの表情が消えていた。


「外へ」


低く言った。


「え?」


「兄貴、外へ出ますよ」


弥一が宗吉の腕をつかんだ。


「何で――」


「ここじゃ狭すぎる」


怪人はまだ戸口まで来ていない。


弥一は宗吉を引いて外へ出ると、怪人の正面を避けるように右へ動いた。


そのまま建物の脇にある、少し開けた場所へ向かう。


裸足の裏へ小石が食い込んだ。


宗吉は顔をしかめながら、弥一についていった。


怪人が二人を追うように向きを変えた。


長い身体の上半分が遅れて傾く。


それから、脚がついてくる。


「何だ、こいつは!」


「妖ですよ」


「それは見りゃ分かる!」


宗吉の声が上ずった。


「何の妖だって聞いてんだ!」


弥一は怪人から目を離さなかった。


「名前までは知りません」


「知らねえのかよ!」


「前に、港で見たことがあります」


宗吉が弥一を見る。


「いつ」


「しばらく前に」


「何してた」


弥一は一瞬、答えるのをためらった。


その間にも、怪人は近づいてくる。


がくり。


長い脚が折れた。


一歩だけで、距離が大きく縮まった。


「人を食ってました」


宗吉の顔が引きつった。


「は?」


「港で」


「人を?」


「ええ」


弥一は平然とはしていなかった。


声は落ち着いている。


だが、目は怪人から離れない。


「俺が見つけたときには、その人の身体は、もう半分ほどしか残ってなかったんでさ」


宗吉の喉が鳴った。


「何でそんなのがここにいるんだよ!」


弥一が、ほんの少しだけ宗吉を見た。


「兄貴」


「何だよ!」


「自分が妖に目をつけられやすいって、気づいてなかったんですかい?」


宗吉は足を止めかけた。


「……俺が?」


「兄貴がこの町に来てから、妙なのが周りへ寄ってきてる。少なくとも、俺にはそう見えます」


「待てよ。人魂は前からいたんだろ」


「人魂の話じゃありませんよ」


「家守だって柏屋にいたやつだ!」


「あれの話でもない」


「じゃあ何だよ!」


弥一は答えなかった。


怪人が動いたからだった。


それまで緩慢だった身体が、突然伸びた。


宗吉には、怪人が地面を蹴ったようには見えなかった。


長い脚が一度折れた。


次の瞬間には、身体が目前へ滑り込んできていた。


「兄貴!」


弥一が叫んだ。


宗吉は横へ飛んだ。


ほとんど転ぶように、地面へ身を投げる。


小石が足の裏を削った。


その直後。


どん、と鈍い音がした。


宗吉のいた場所へ、怪人の腕が突き刺さっていた。


「……っ」


宗吉は地面に手をついたまま振り返った。


腕だった。


ただし、手がない。


肘から先が、そのまま細長く伸びている。


先端へ行くほど細くなる。


人の腕というより、黒い杭だった。


その先が土へ深く刺さっている。


「手が……」


宗吉の声が掠れた。


怪人は刺さった腕を引き抜いた。


土が小さく跳ねた。


もう一方の腕も同じだった。


指もない。


掌もない。


肩から伸びた二本の腕が、先へ行くほど細く尖っている。


怪人が宗吉へ平らな顔を向けた。


目はない。


それでも、狙われていることだけは分かった。


「兄貴、立って!」


宗吉は立ち上がろうとした。


足の裏が痛む。


踏ん張れず、膝をついた。


「分かってる!」


ようやく身体を起こす。


怪人の腕が横から振られた。


宗吉は頭を下げた。


風を切る音がした。


細い腕が頭上を通る。


当たれば、骨ごと持っていかれそうだった。


「ああ、もう!」


弥一が駆け寄った。


片腕が宗吉の背へ回る。


もう一方の腕が膝の下へ入った。


「おい!」


宗吉の身体が横向きに浮いた。


気がつけば、弥一の両腕に抱え上げられていた。


「またか!」


「今は文句を言わないでください!」


「自分で走れる!」


「裸足で何言ってるんです!」


弥一は宗吉を横抱きにしたまま、怪人から大きく離れた。


宗吉を抱えているとは思えない速さだった。


草履が地面を蹴る音が続く。


怪人も追ってくる。


がくり。


がくり。


脚が折れるたび、一気に距離が縮まる。


人間の走り方ではない。


「兄貴、俺にしっかりつかまって!」


宗吉は一瞬、腹が立った。


だが、その直後、怪人の腕が迫った。


迷っている暇はなかった。


宗吉は弥一の首へ両腕を回した。


「これでいいか!」


「それでいい!」


弥一が右へ跳んだ。


宗吉の身体が大きく揺れる。


「うわっ!」


「離さないで!」


「離れるか!」


尖った腕が弥一の脇を通り過ぎる。


空を切った。


弥一はそのまま建物の脇を走り抜けた。


道端に、使われなくなった材木が何本か積まれている。


弥一はその陰へ回り込むと、宗吉を地面へ下ろした。


「ここにいてください」


「お前はどうするんだよ」


弥一は答えず、材木の中から手頃な長さのものを一本引き抜いた。


古びてはいるが、簡単には折れそうになかった。


怪人が迫る。


弥一は宗吉の前へ立った。


怪人の腕が伸びる。


突く。


弥一が身体をずらした。


黒い先端が胸元を掠める。


弥一は踏み込み、棒を怪人の腕へ叩きつけた。


乾いた音がした。


怪人の腕は折れなかった。


弥一の持つ棒が大きくしなった。


「ずいぶん硬いな」


怪人は止まらない。


もう一方の腕が下から突き上げられる。


弥一が身体を捻る。


先端が着物の脇を掠めた。


布が裂ける。


「おい!」


宗吉が叫んだ。


「怪我は?」


「してませんよ!」


弥一は返事をしながら棒を振った。


今度は怪人の肩を狙った。


当たる。


怪人の身体がわずかに傾いた。


効いているのかは分からない。


だが、その一瞬で弥一は後ろへ下がった。


宗吉も材木の陰から離れる。


小石を踏むたびに足の裏が痛んだ。


「逃げりゃいいだろ!」


「逃げてますよ!」


「応戦してるじゃねえか!」


「背中を向けたままじゃ、すぐ追いつかれるんでさ!」


その通りだった。


怪人の歩幅はあまりにも大きい。


弥一が全力で走っても、真っすぐ逃げればすぐに追いつかれる。


弥一は怪人を牽制しながら、宗吉とともに少しずつ建物から離れていた。


怪人が動きを止めた。


弥一も棒を構えたまま止まる。


宗吉はその後ろで身構えた。


静かになった。


風の音だけがする。


怪人の平らな顔が、二人へ向けられている。


次に。


二本の腕が同時に上がった。


「来る!」


弥一が叫んだ。


怪人が踏み込む。


これまでで一番速かった。


一方の腕が宗吉へ。


もう一方の腕が弥一へ伸びる。


弥一は棒を振った。


だが、両方は防げない。


宗吉にも分かった。


「弥一!」


弥一は棒を捨てた。


宗吉へ飛びつき、身体を抱え込む。


そのまま力任せに横へ放った。


「うわあっ!」


宗吉は地面へ転がった。


肩を打つ。


痛みが走った。


宗吉はすぐに顔を上げた。


「弥一!」


怪人の細く尖った腕が、弥一の肩めがけて突き出されていた。


速い。


逃げられない。


宗吉にはそう見えた。


黒い先端が弥一の肩へ入る。


その寸前。


弥一が上体を捻った。


腕が着物を掠めた。


布が裂ける。


弥一は横へ倒れ込むように避けた。


怪人の腕は、そのまま背後の地面へ突き刺さった。


土が跳ねた。


間一髪だった。


宗吉は地面に手をついたまま、息を呑んだ。


弥一の肩から、裂けた布が垂れている。


だが、血は出ていない。


刺さってはいなかった。


怪人がゆっくりと腕を土から引き抜いた。


そして弥一には目もくれず、平らな顔を宗吉へ向けた。


初めから狙っていたのは自分なのだと、宗吉はようやく悟った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。