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開港場、怪異往来につき  作者: 古潭兄弟
第02章 壺は空になる
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十七幕 小さな建物

弥一は建物の前で立ち止まった。


宗吉は肩に担がれたまま、身体を捻ってその建物を見た。


闇の中に、小さな屋根が浮かんでいる。


見覚えはなかった。


店が並ぶところからは、かなり離れていた。


人家がまったくないわけではない。


少し向こうには別の家の屋根も見えるし、遠くには灯もある。


しかし、夜になれば、わざわざ人が通るような場所ではなかった。


宗吉はまた身体を捻った。


「んんっ!」


「着きましたよ」


弥一が言った。


宗吉は目を見開いた。


着いた。


やはり、ここへ連れてくるつもりだったのだ。


何のために。


弥一は宗吉の腹を肩に載せたまま、建物の戸口へ近づいた。


宗吉はその背を叩いた。


「んっ、んん!」


「分かりましたって」


弥一は腰を落とした。


宗吉の腰を片腕で支え、肩から滑らせるように下ろしていく。


宗吉の足が地面についた。


裸足の裏に、土の冷たさが触れた。


宗吉は少しよろめいた。


長いこと不自然な姿勢で担がれていたせいで、脚に力が入りにくかった。


それでも、すぐ弥一から離れた。


二、三歩後ろへ下がる。


口にはまだ手拭いが噛まされている。


「んんっ!」


弥一が手を伸ばした。


宗吉は反射的に払いのけようとした。


「取るだけですよ」


宗吉は睨んだ。


「暴れないでください」


後頭部の結び目が解かれる。


口から手拭いが抜けた。


宗吉はすぐに息を吸った。


顎が痛かった。


口の中も乾いている。


それでも、そんなことはどうでもよかった。


「おい!」


声が暗い道に響いた。


「何するんだ!」


弥一は何も言わない。


「どこだ、ここは!」


宗吉は辺りを見回した。


知らない。


こんなところへ来た覚えはなかった。


「何なんだよ!」


怒鳴りながら、宗吉はもう一度建物を見た。


近くで見ると、思っていた以上に新しかった。


建てたばかりなのか。


それとも、古い建物へかなり手を入れたのか。


暗くて外からは分からない。


ただ、戸口の柱には、まだ新しい木の色が残っていた。


風に乗って木材の匂いもする。


雨に晒され、長く使われてきた家の匂いではなかった。


宗吉は眉を寄せた。


戸にも目がいった。


錠前がついている。


それも、使い古したものではない。


金具はまだ鈍く光っていた。


「……何だよ、これ」


宗吉が呟く。


弥一は懐へ手を入れた。


宗吉の身体が強張る。


何か出すのかと思った。


だが、弥一が取り出したのは鍵だった。


それを見た瞬間、宗吉の頭の中で何かがつながった。


空になった壺。


床下から消えた包み。


二人の蓄えも、宗吉だけの金も、すべてなくなった。


弥一は、何に使ったのか言わなかった。


必要だった。


今は話せない。


それだけだった。


宗吉は建物を見る。


新しい柱。


新しい錠前。


弥一の持っている鍵。


腹の底に冷たいものが落ちた。


――ここか。


ここに使ったのか。


いや。


建物そのものを手に入れたとは限らない。


借りたのかもしれない。


だが、いずれにしても銭は要る。


そして、何かをここへ運び込んでいるのかもしれない。


宗吉には別の考えも浮かんだ。


持ち出した金で買ったものを、ここに隠している。


だから、何に使ったのか言えなかった。


宗吉へ見せられない何か。


盗品。


お上に知られたら困る品。


博打に使う道具。


いかがわしい商いの荷。


弥一が夜ごと外へ出ていたことまで、急に違う意味を帯びてきた。


「お前」


宗吉が低い声で言った。


「ここに何を隠してる」


弥一は鍵を錠前へ差した。


「見れば分かりますよ」


「先に言えよ」


「言ったって信じないでしょう」


また、それだった。


宗吉の怒りが戻った。


「だから、その言い方やめろ!」


弥一は鍵を回した。


かちり、と小さな音がした。


静かな夜には妙によく響いた。


弥一は錠を外した。


宗吉は身構えた。


何が出てくるか分からない。


弥一が戸へ手をかける。


宗吉は一歩下がった。


「逃げないでくださいよ」


「逃げるに決まってるだろ!」


「ここまで来たんだから、中くらい見ていってください」


「誰のせいで来たと思ってんだ!」


弥一は振り返った。


もう、さっきの冷たい目ではなかった。


いつもの弥一に近い。


それが余計に宗吉を苛立たせた。


「入ってください、兄貴」


「嫌だ」


宗吉は即答した。


弥一は戸を開けた。


中は暗い。


奥までは見えない。


宗吉はますます入る気をなくした。


「入ってくださいよ」


「先にお前が入れ」


弥一は宗吉を見る。


「俺が?」


「当たり前だろ」


「何で」


「何でじゃねえよ!」


宗吉は声を荒らげた。


「人を押さえつけて猿轡までかませた奴の後ろから、真っ暗な家に入れるか!」


弥一は黙った。


宗吉も黙る。


二人で睨み合った。


しばらくして、弥一が小さく息を吐いた。


「分かりました」


それだけ言って、先に中へ入った。


宗吉は戸口に残った。


逃げるなら今だった。


後ろには道がある。


走ればいい。


宗吉は一度、本気でそう考えた。


しかし、裸足で暗い道を走ったところで、弥一から逃げ切れるとは思えない。


それに。


目の前の建物が気になった。


二人の蓄えと、自分の隠し金がどこへ消えたのか。


弥一が何を隠しているのか。


ここまで連れてこられて、それを見ずに逃げるのも腹立たしかった。


怖さより、怒りと好奇心のほうが少しだけ勝った。


「……くそ」


小さく呟いた。


宗吉も中へ入った。


弥一が、用意されていた灯へ火を入れた。


暗闇が退いた。


宗吉は、すぐには何も言えなかった。


想像していたものが、一つもなかったからだ。


盗品はない。


怪しげな荷もない。


博打の道具もない。


代わりにあったのは、文机だった。


一人が仕事をするには十分な大きさがある。


その近くには、帳面を並べるためらしい棚もあった。


まだ中身はほとんどない。


硯箱。


筆。


墨。


紙。


細かな筆記の道具。


どれも使い古したものではなかった。


正面の一角には、客を座らせる場所が作られている。


簡素ではある。


だが、何人かを迎えて話を聞くには十分だった。


仕事を受け、話を聞き、帳面へ書きつける。


そういうことをするための場所に見えた。


奥には、寝起きのできる空間があった。


広くはないが、弥一と宗吉の二人なら余裕がある。


今までの家で使っていたものを持ち込めば、そのまま暮らせそうだった。


さらに、小さな炊事のできる場所まである。


竈。


水を置く場所。


食器や米を収められそうな棚。


新しい木の匂いは、中へ入るとさらに強くなった。


柱や棚には、削った木肌の色がまだ残っている。


壁も手を入れたばかりらしく、汚れがほとんどなかった。


古いところを直した跡もある。


何もかも新築というわけではないらしい。


それでも、ここ最近になって人の手が入ったことだけは分かった。


宗吉は文机を見る。


棚を見る。


客を座らせる場所を見る。


奥の住まいを見る。


どう見ても、何かを隠すための場所ではなかった。


むしろ逆だった。


誰かを迎えるための場所だった。


何の仕事をするための場所なのかは分からない。


しかし、一つだけはっきりしていた。


弥一は、しばらく前からこれを用意していた。


昨日今日でどうにかできるものではない。


壁を直す。


棚を作る。


道具を揃える。


錠前をつける。


それには時間がかかる。


そして、おそらく銭もかかった。


宗吉は弥一を見た。


「何だ、ここは」


弥一は答えなかった。


「おい」


宗吉は一歩近づいた。


「壺の金も、俺が隠してた金も、ここに使ったのか」


それにも答えない。


宗吉の苛立ちが戻ってきた。


「弥一」


「兄貴」


ようやく弥一が口を開いた。


「それよりも」


「それよりも?」


弥一は宗吉の向こうにある、開けたままの戸を見た。


「お客さんです」


宗吉の動きが止まった。


「客?」


この時間に。


こんな場所で。


宗吉は弥一の視線を追った。


振り返る。


開いた戸の向こうに、暗い道が見えた。


少し離れたところに、人のようなものが立っていた。


ひどく細長い身体だった。


手も脚も、夜の中で不自然なほど長く見える。


それが、ゆっくりとこちらへ歩いてきていた。


一歩。


また一歩。


足を運ぶたび、長い身体がわずかに左右へ揺れる。


その顔には、目も鼻もなかった。


平らな暗い顔を、まっすぐこちらへ向けながら近づいてきていた。


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