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開港場、怪異往来につき  作者: 古潭兄弟
第02章 壺は空になる
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十一幕 祝い

ある日の夕方、宗吉が飯の支度をしていると、弥一が出かけるために着物を整え始めた。


このところ、弥一が夜に家を空けることは珍しくなくなっていた。


宗吉も、いちいち理由を聞かなくなっていた。


尋ねたところで、


「ちょっと用があるんでさ」


だの、


「人に頼まれてましてね」


だの、その程度しか返ってこない。


だから、その日も放っておいた。


宗吉は竈の火を見ながら、鍋の蓋をずらした。


味噌の匂いが立つ。


菜をもう少し煮ればよさそうだった。


背後で衣擦れの音がする。


弥一が帯を締めているらしい。


「兄貴」


「何だ」


「今日は俺の飯、いらないです」


宗吉が振り向いた。


「外で食ってくるのか」


「ええ」


弥一は襟元を整えながら言った。


「知り合いのところに子供が生まれましてね。祝いに呼ばれてるんでさ」


「へえ」


宗吉の声が少し明るくなった。


「それは目出度いな」


「そうですね」


「誰の家だ?」


「兄貴の知らない人ですよ」


「そりゃそうだろうけど」


弥一はそれ以上、相手のことを言わなかった。


宗吉も、名前まで聞き出そうとはしなかった。


「男か、女か」


「男ですよ」


「元気なのか」


「元気らしいですよ」


宗吉は鍋へ向き直った。


祝いなら食事も出るだろう。


弥一のぶんまで米をよそう必要はない。


「遅くなるのか」


「たぶん」


「酒、飲みすぎんなよ」


「兄貴じゃあるまいし」


宗吉が振り返った。


「俺、そんなに飲まねえぞ」


「知ってますよ」


「じゃあ何だよ」


「言ってみただけです」


弥一は、にやりと笑った。


宗吉は木杓子を持ったまま、


「腹立つな」


と言った。


弥一はますます笑った。


こういう軽口を交わすことにも、宗吉はすっかり慣れていた。


「じゃあ、行ってきます」


弥一は草履を履いた。


「行ってらっしゃい」


「先に寝てていいですよ」


「お前のために起きて待ったことなんかねえよ」


「冷たいなあ」


「祝いに行くだけの男を、何で待ってなきゃならねえんだ」


宗吉は笑った。


弥一も笑う。


戸が開いた。


夕方の薄明かりが差し込む。


「じゃ」


「ああ」


弥一が外へ出た。


戸が閉まる。


宗吉は再び鍋へ向かった。


その夜は一人で飯を食った。


食べ終えると、膳と椀を片づけた。


それから、共同の金を記した帳面を開いた。


昼間に買った菜と油、その値を書き入れる。


木箱の中身を数え、帳面に記した残りと突き合わせる。


数字は合っていた。


宗吉は帳面を閉じた。


神棚には、二人で使ってはいけないと決めた金を収めた壺がある。


最初に総額を確かめて以来、一度も開けていない。


出し入れしない金なのだから、数え直す必要もなかった。


外はもう暗くなっていた。


人の声が遠くで聞こえる。


この町は、夜になっても完全には静まらない。


どこかで戸が閉まる。


酔った男の声が通り過ぎる。


宗吉はしばらくして寝床へ入った。


弥一はまだ帰らなかった。


祝いの席なら、酒の付き合いもあるのだろう。


宗吉はそのまま眠った。


夜中、一度だけ目が覚めた。


戸の開く音がしたような気がした。


続いて、重い足音。


弥一だろう。


宗吉は目を開けなかった。


「……兄貴、起きてます?」


小さな声がした。


宗吉は布団の中から、


「寝てる」


と答えた。


少し間があった。


「返事してるじゃないですか」


「うるせえ。寝ろ」


弥一が声を殺して笑った。


それから物音はしなくなった。


宗吉もすぐに眠りへ戻った。


翌朝。


宗吉が飯を炊いていると、弥一が起きてきた。


短い髪をところどころ立たせ、眠そうな顔であくびをしている。


「遅かったな」


宗吉が言った。


「ちょっと長くなりまして」


「祝いなんだから仕方ねえか」


弥一は水を飲んだ。


宗吉は椀を二つ並べ、昨夜の残りの汁を温めた。


「どうだった?」


「何がです?」


「祝いだよ」


「ああ」


弥一は少し笑った。


「賑やかでしたよ」


「そうか」


宗吉は飯をよそいながら聞いた。


「祝いはちゃんと済んだのか?」


「ええ」


弥一はごく普通の調子で答えた。


「これで、ひとつ済みましたよ」


宗吉は飯杓子を止めた。


「ひとつ?」


「祝いですよ」


弥一が言った。


「滞りなく済んだってことでさ」


宗吉は少しだけ妙な言い方だと思った。


祝いが済んだのなら、ただ「済んだ」と言えばいい。


なぜ、ひとつ、と数えたのだろう。


ほかにも何かあるのかと聞きかけた。


しかし、やめた。


弥一はときどき、妙なところで言葉を省く。


知り合いの祝いが無事に終わったという話まで疑ってかかるのも、意地が悪い気がした。


「そうか」


宗吉は飯をよそった椀を渡した。


「ほら」


「ありがとうございます、兄貴」


「兄貴って言うな」


「朝から元気ですねえ」


「お前が言わせてんだよ」


二人は飯を食べ始めた。


昨夜のことをさらに尋ねたところで、弥一は詳しく答えないだろう。


誰の家だったのか。


どんな祝いだったのか。


聞いてみたい気持ちはあったが、宗吉は追及しなかった。


朝の光が部屋へ差し込んでいた。


神棚の壺も、いつもと同じ場所にあった。


宗吉の目には、何も変わっていないように見えた。


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