庭を守るために全力で戦うのはつちのこ先生だけではない
「庭の中を8か所同時に測ったんですけど、空間振動値が全部0.00でした」
(Comments)
【◆gardenFan_03】全点0.00!?
【◆カンナ先輩】8点全部ゼロ!?
【◆常連A】すごいのかどうかよくわからん
【◆毒舌キノコ】すごい。とんでもなくすごい。普通のセーフエリアだと、それなりに揺れが出る値なんだが、ここは「揺れてない」に限りなく近いってことだ
【新規63】そう聞くとやばい
【732】7,320₩。スパチャの音。メッセージなし。
「もちろん、あまり細かいことは言えないんですけど。少し誇らしいのが、かなり特別な場所になったらしいです」
(Comments)
【◆gardenFan_03】正直『かなり特別』は控えめ表現だと思う
【◆カンナ先輩】前回の崩壊のあとで、ここまで安定するのすごい
【新規63】 管理局の人がさっきから拝むようにして帰っていったのは、そのせいか…。
【◆毒舌キノコ】壊れかけて、治って、前より強くなった。免疫みたいな動きだな
【新規64】ダンジョンに免疫システムがある配信
【◆常連A】 管理局が「特別」って言ったのは、「学説が全部ゴミになった」って意味だと思うぞ。
「管理局の人たちが、すごく嬉しそうにデータ見てました」
(Comments)
【◆gardenFan_03】数字の人たちが本気で喜ぶデータ、ってことだな
【◆カンナ先輩】 管理局の人が笑顔になる時って、だいたい「新しい物理法則を発見した時」か「有給が確定した時」の二択なんだよね
【◆GreenThumb】The data confirms what the soil already knew. :)(データは、土がすでに知っていたことを確認しただけだ)
「確かに数字が出る前から、ここはもう素敵な庭でしたけどね」
(Comments)
【◆gardenFan_03】先生の庭のログを毎週スプレッドシートに入れてきて、俺にもわかるんだ。ここの数字は最初からおかしかった。最初から特別だった。ただ誰もちゃんと測ってなかっただけ
【◆gardenFan_03】スプレッドシートに新しいタブ作った。「0.00の記録(聖域)」。ここだけは消さないタブにする
【◆常連B】 「聖域」(※実質、管理局公認の治外法権とする)
【◆常連A】 「聖域」(※ただし、蚊が金属探知機に引っかかるものとする)
【◆常連C】 「聖域」(※ただし、肥料の代わりにお供え物を撒かないと土が腐るものとする)
【新規64】 常連の「聖域」に対する注釈が重すぎる。
「……ありがとうございます。じゃあ、その“特別なみんなの庭”を、今日もいつも通りいじっていきます」
†
配信は、今日はちょっとだけ肩の力を抜いた。
ラベ四郎の花からスタートする。カメラをぐっと寄せると、薄紫の花が画面いっぱいに広がって、コメント欄に「いい匂いしそう」が並ぶ。
次にトマ次郎。四つ目の実がふくらんでいる房を、これ見よがしにアップで映して、「ここが今週の主役です」とか言いながら、みんなに育成報告をする。
ミン三郎の壁は、身長をゆうに超えたところまで伸びていて、指で押すと、むにっとした弾力の向こうに、しっかりした根のネットワークがあるのが分かる。
トマ次郎のトマトと、バジ太郎の葉をちぎって、今日はカケルとチビケルに近づいてみる。境界線ギリギリで、手が触れる距離で渡してみる。
カケルは特に俺に反応せずいつものように安全圏ギリギリでパクっと食べる。
チビケルはというと、今日はミン三郎の根のあいだを踏みしめながら、
一歩、また一歩とセーフエリアの境界線に近づいてくる。壁の内側と外側のラインを、前足でちょん、と確かめてから、こっちを見上げる。
「もうこの庭はお前たちを受け入れるよ」
そう声をかけると、チビケルは首をかしげて、でも素直にその場で落ち着く。
焦点の合った黒い目は、相変わらずまっすぐで、何か言いたげに瞬きをした。
BGMみたいに、鼻歌が流れる。祖母の歌。新規リスナーは「この鼻歌なんですか?」と聞いてきて、常連が「おばあちゃん由来のテーマ曲です」と勝手に解説してくれる。
新規が増えてるから、軽く自己紹介もした。「会社員で、Dランクに覚醒して、気づいたらダンジョンで庭を作るようになっていました」という、いつものやつ。
そこに常連が「実質管理局公認」「732円から始まった帝国」とか余計な脚注をつける。タイミングを見計らって、gardenFan_03さんがスプレッドシートのリンクを貼る。
(Comments)
【新規65】このスプレッドシート何? バジ太郎の葉面積の推移グラフまであるの?
【◆常連A】これが732帝国の国勢調査だ
【新規65】狂気
【◆gardenFan_03】正気だ
【◆常連A】 バジ太郎、先週の伸び率だと来月には成層圏に届く計算だからな。
【新規65】 なんで誰もツッコまないの!? バジルがスカイツリー抜くんだぞ!?
【◆gardenFan_03】 安心しろ。衛星軌道に乗るまではただの「順調な発育」の範囲内だ。
【◆常連B】 ちなみにバジ太郎の葉っぱ1枚で、軽自動車3台包めるらしい(推測)。
【新規65】 庭いじりっていうか、怪獣の育成記録だろこれ!
新規がドン引きして、常連が誇らしげで、俺は笑いをこらえながらトマ三郎の葉を撫でる。そういう、いつもの光景。
†
コメント欄の下のほうに、ハングルがじわじわ増えている。先週、7,320ウォンを10回投げてきたアカウントとは別の名前が、いくつも並んでいた。
(Comments)
【KR_SpatialEng_04】공간 복원 데이터를 공유할 수 있습니까?(空間復元データを共有できますか?)
【KR_Research_01】지난주 EM 변동은 자연현상이 아닙니다(EM変動は自然現象ではありません)
【◆gardenFan_03】韓国語勢が増えてる。自動翻訳機能がいい仕事してる
「そうだ、韓国の方からも大金をいただいてますよね。ありがとうございます。今日もたくさんの韓国からの方が見てくださってるんですね。嬉しいです」
(Comments)
【◆毒舌キノコ】研究者っぽいIDが混ざってるのが怖い
【◆常連A】「空間復元データ」って単語、園芸配信で出るやつじゃないだろ
「空間復元データとかEM変動の数値、俺は自分では記録してないんですけど……」
(Comments)
【◆gardenFan_03】そのへんのログ、スプレッドシートでまとめてあるから、出せる範囲なら共有するよ
【新規19】出たよ、この配信の「ガチ勢(有能記録班)」
【◆常連B】非公式リサーチ班こわい
「なるほど、gardenFanさんがちゃんと記録してくれてるそうです。公開できる範囲のやつは、あとでリンクまとめてもらいましょう」
(Comments)
【◆毒舌キノコ】にしても来たな『空間復元』勢
【◆gardenFan_03】俺たちは「空間崩壊」って呼んでたやつだよな
「空間崩壊じゃなくて、『空間復元』……?」
(Comments)
【◆毒舌キノコ】俺たちは先週を「空間崩壊の危機」と呼んでいた
【◆毒舌キノコ】でも、あの韓国勢は「空間復元」と呼んでいる。壊れた瞬間より、戻っていくプロセスに名前をつけている
「壊れかけたんじゃなくて……治った、のほうを見る言い方なんですね」
「復元、かあ……」
庭に視線を落とす。先週よりも濃くて、眩しいくらいの緑。先週よりも、少しだけ澄んでいる空気。
崩れかけて、持ち直して、前より強くなっている庭。
それを「崩壊の一歩手前」と呼ぶこともできるし、「復元の一歩目」と呼ぶこともできる。
「復元って、いい言葉ですね」
(Comments)
【◆常連B】先生が気に入った
【◆gardenFan_03】来週からタグが「#空間復元配信」になるやつだ
【新規72】確かに崩壊より復元って言われたほうがちょっと希望あるな
「はい。おつかれさまでした。また来週。うちの庭で」
最後のあいさつを言うとき、カケルとチビケルが、境界線のところでそろってこちらを向いていた。まるで「また来週」と言っているみたいに。
†
配信を切った後。最終視聴者数、4,823人。
三島からのメールには、事務的な報告の末尾に、たった一行だけ書き添えられていた。
『――今まで通りに。三島』
その言葉の裏で、どれほどの火花が散ったかも知らず、ハルは小さく息を吐いた。
†
月曜日。管理局本部、特別会議室。
そこは、一人の青年の運命を「資産」として値踏みする場所だった。
正面のスクリーンには、42ページの報告書の結論――人類が初めて観測した「絶対的な静寂」のデータが映し出されている。
『――空間振動値0.00。統計学的誤差、ゼロ。』
重苦しい沈黙の中、冷徹な声が響く。姿を見せない審議官の声だ。
「移送を。この“個体”を、管理局の直轄管理施設へ隔離し、集中研究することを提案する。これほどの安全保障資産を、個人の趣味レベルの生活に放置しておくのは、国家に対する怠慢だ」
追認するような頷きが部屋に広がる。ハルの日常が、書類一枚で塗り潰されようとしたその時。椅子が、音もなく引かれた。
三島が立ち上がる。その指先は、震えひとつない。
「移送した瞬間、0.00は消失します」
低く、地を這うような声。会議室の空気が、一瞬で凍りついた。
「この現象は人為的に再現できません。空間振動値が完全にゼロになるのは、彼が“庭にいるときだけ”です。彼が土から手を離した瞬間、グラフは、ほら」
三島がリモコンを操作する。映し出されたのは、ハルが庭を去った後の、わずかな、だが確実な「揺れの戻り」だった。
「庭が静かなのではない。彼がそこにいるから、庭が静まる。これは場所の特性ではなく、彼という個体と、あの土地が結ぶ“固有の契約”に近い」
「ならば、その契約ごと管理下に置けばいい」
「――いいえ、それは不可能です」
間髪入れずに、女性の声が重なった。ハルの庭を視察した水野評価官だ。彼女は手元の資料を机に放り出しながら続ける。
「移送には環境の変化が伴う。生活の破壊、精神的負荷。それらは彼の能力を強化するのではなく、確実に、致命的に損なう要因となります」
スクリーンが切り替わり、ハルの独白が拡大表示される。
『――なんで庭が作れるのかわからない。』
『――ただ、土を触ると安心する。』
「“安心”。それがこの奇跡の鍵です。高度な意図も、軍事的な訓練も存在しない。あるのは、このあまりにも脆弱な感情だけだ」
水野は、上層部の顔を一人ずつ射抜くように見つめた。
「彼から今の生活を奪えば、我々が手にしているこの0.00は、二度と再現不可能な砂上の楼閣と化す。国家の資産を、組織の都合で破壊する。それが皆さんの望む『管理』ですか?」
沈黙。反論を許さない「数字」と「論理」の前に、審議官たちは口を噤む。
「現状維持を提言します」
三島が、静かにトドメを刺した。
「監視とデータ取得は強化する。ですが、彼の生活と庭の形には一切干渉しない。今まで通りに、何も知らないまま、同じ場所で、同じように泥をいじらせる。それが、この0.00を維持するための、最も合理的な選択です」
……長い、長い沈黙。やがて、審議官の椅子が重々しく動いた。
「……方針を承認する。現状維持だ」
三島は、誰にも見られないよう、ゆっくりと拳を解いた。手のひらには、赤い三日月のような爪の跡が深く刻まれていた。
†
同じ時刻。
ハルは中央線のつり革に揺られながら、スマホを見ていた。
gardenFan_03さんのスプレッドシートに、「0.00の記録」という新しいタブが増えている。
「……また変なもの作ってる」
ハルは少しだけ笑って、スマホをポケットにしまった。
世界が裏側でどれほど牙を剥いても。彼を守る大人たちの手が、どれほど強く握りしめられていても。
彼にとって、今日の収穫は、それだけだった。
お読みいただきありがとうございました。
次は明日18:00投稿予定です。




