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20/22

正解はバグ。謎の732円スパチャ

 土曜日。C-7。


 澤村さんが封筒を持って待っていた。白い封筒。手書きの宛名。「つちのこ先生」。前回と同じ書き方だ。


「また手紙が届いてます。同じ方みたいですよ」


「ありがとうございます、前回お手紙くれたおばあちゃんでしょうか」


「たぶん。筆跡が同じです」


 手に取るとわずかに指先に吸い付くような、質の良く線香の懐かしい匂いがする和封筒を大事に受け取って胸ポケットにしまった。トマトの種の隣。心臓の上に、まだ読んでいない手紙と種が並んでいる。


 †


 土に手を当てた。


 脈動が来る。先週から、触れる前に脈動がこっちに向かってくるようになった。温かい。安定している。庭が「おかえり」と言っているみたいな脈動。


 バジ太郎に水をやった。じょうろを傾けて、霧のような水がバジ太郎の葉に落ちる。水が土に染みていく音。


 高級じょうろが作り出す霧は、驚くほど細かくて均一だ。

 祖母が使っていた100均のじょうろがボタボタと落とす、不揃いな水滴とは似ても似つかない。


 けれど、水を吸った土が立てる「じゅわっ」という低い音だけは、あの頃と全く同じだった。


 道具は最新のS級装備になっても、土が水を欲しがる理屈は変わらない。その懐かしい音を聞いた瞬間、俺の強張っていた手首から、すっと力が抜けた。


「おかえりなさい。今週もダンジョン庭いじり配信を開始します」


(Comments)

【◆常連A】ただいま

【◆常連B】ただいま、今日も安定の庭

【◆gardenFan_03】先週の0.00データ、スプレッドシートに全部入れた。グラフ更新済み

【新規65】崩壊アーカイブから来ました。佐伯さん推しです

【◆毒舌キノコ】佐伯推し。そういう層が出てきたか

【◆GreenThumb】Good evening. :)(こんばんは)


【732】7,320₩。スパチャの音。メッセージなし。


「今週も732円さん来てますね。ありがとうございます。もう庭の代金はとっくに元が取れてるので、今日はその“利子”でちょっと贅沢します」


 思わず苦笑してしまう。


 カメラを少し引いた。

 


 小さなポットとプランターが、ずらりと三列。


 一番手前は、ハーブとサラダの列。

 バジル、ミント、ラベンダー、ローズマリー、レモンバーム、イタリアンパセリ。

 その隣に、サニーレタス、ベビーリーフミックス、ルッコラ、サラダホウレンソウ。


 真ん中の列は、がっつり「おかず」担当。

 ミニトマトの新入り苗が二ポット。

 「ピーマン(コンパクト)」「長ナス(鉢植え向き)」と書かれた青いラベル。

さらに、その横に小さめのラベルで「ししとう」「スナップエンドウ」。


 一番奥の列は、花と果物の列。

 オレンジのマリーゴールド、白いノースポール、ピンクのペチュニア。

 ラベ四郎の親戚になりそうな新入りラベンダー。

 その後ろには、大きめの鉢に入ったレモンの苗木と、わい性リンゴ、ブルーベリーの鉢が三つ並んでいる。


 どのポットにも、まだ値札シールが貼りっぱなしだ。

 「¥98」「¥158」「¥198」。

 ミニトマトと果樹だけ、ちょっと背伸びをして「¥298」「¥398」。


(Comments)

【◆常連A】家族が一気に増えた!!

【新規70】こんなに植える配信だったっけ

【◆カンナ先輩】ハーブ畑どころか、花壇と菜園と果樹園の詰め合わせ


「732円を何回もいただいてるので、勝手に『恩返し』として、庭の仲間を増やしました。スーパーとホームセンターとはしごして、気づいたらカゴがこうなってました。ざっくり……5,000円分くらいです」


(Comments)

【◆毒舌キノコ】正しい課金の使い方だな

【◆常連A】スパチャが土になる配信

【新規72】こういうの、ちょっと嬉しいな


「なんとなくこのセーフエリアはもっと広げられそうな気がするので、

 この辺に、新入りゾーンを作ろうと思います。バジ太郎たちの後輩です」


 †


「あと今日は定期報告の前に、一つ嬉しい報告があります。リスナーの方からお手紙をいただきました」


 胸ポケットから、和封筒を2つ取り出した。


「実は、前回いただいた一通目のお手紙も、ずっとお守りにして持ち歩いているんです。……今回も管理局経由で届けていただきました。あらためてこの場を借りて感謝を伝えさせていただきます」


(Comments)

【◆カンナ先輩】中身気になる!


「それは言えないかな、許可もらってないですし。配信が終わってから読みます」


(Comments)

【◆常連A】えー、読んでよ

【◆毒舌キノコ】いや、いい。1人で読め

【◆gardenFan_03】毒舌キノコがまともなことを言っている

【◆毒舌キノコ】手紙は宛先の人間のものだ。俺たちは宛先じゃない


「ありがとうございます。……でも1つだけ。封筒の裏に、メモ書きがありました。『198円のバジルを植えました』って」


(Comments)

【◆常連A】庭の拡張

【◆毒舌キノコ】……

【新規67】198円って先生と同じ金額じゃん


「この方に伝えたいです。芽は出ます。198円のバジルは強いです。うちのバジ太郎が証明してます」


 胸ポケットの上を手のひらで押さえた。封筒の角の固さが、心臓の上にある。


 もう片方の手で、列の端に置いていた新しいバジルのポットを持ち上げた。


「それから——うちの庭にも、もう一株バジルを足します。あのおばあちゃんと、一緒に育てるバジルです」


 新しいポットを、バジ太郎の隣にそっと置いた。


「名前は……バジばあ、で」


(Comments)

【◆常連A】バジばあwww

【◆常連B】祖母リスペクトがすぎる

【◆カンナ先輩】おばあちゃんバジルの名前決定


【◆GreenThumb】Every garden starts with one plant. :)(すべての庭は1株から始まる)


 「すべての庭は1株から始まる」思わず声に出して言った。


 GreenThumbさんがずっと言ってくれていた言葉。8人しかいなかった頃から、伝えてくれていた。


「ずっと言ってくれてた言葉の意味が、今日やっとわかった気がします」


 8人が、気がつけば5,000人を超えている。198円のバジルが庭になった。そして今、画面の向こうに、一緒に庭を作り始めた方がいる。1株から始まった庭が、別の場所で、もう1株を生んでいる。


(Comments)

【◆gardenFan_03】リスナー5,000人突破記念だ

【◆常連A】8人からここまで来たのか

【◆常連B】全部見てきた

【◆カンナ先輩】おめでとうございます。これからもずっと、ここにいます


「ありがとうございます。本当に」


 †


 配信後半。新入りたちを植えながら、いつもの報告をしていた。


 トマ次郎はどっしりと、食べ頃の実がふんだんにある。

 トマ三郎もすくすくと育っている。

 ミン三郎による領土拡大でセーフゾーンが微妙に大きくなっている気がするのは多分気のせいじゃない。

 ラベ四郎は変わらず満開だ。


 祖母の歌を鼻歌で口ずさみながら、水やり。

 もう誰もツッコまない。BGMとして、完全にこの配信の一部になっている。


 ラベ四郎の足元に、じょうろの霧をふわっとかけた、そのときだった。


 カケルが、境界線を越えてきた。


 白いラインなんて存在しないかのように、いつもの砂利道パトロールよりずっと速い歩幅で。


 普段は地面をついばむみたいにちょんちょん進むくせに、霧が立ちのぼる方向へは、ほぼ小走りで翼を広げて突っ込んでくる。


 ラベ四郎用の霧が、そのままカケル用のシャワーになった。


 細かい水滴が当たるたび、草羽がきらきらと震える。くちばしを少し上げて、目を細めて、喉のあたりをふるふるさせて――完全に「水浴びしてる鳥」の顔だ。草だけど。


「カケル、お前に水やってるんじゃないんだけど」


(Comments)

【◆常連A】カケルwww

【◆gardenFan_03】今、普通に境界線越えたよな?

【◆カンナ先輩】気持ちよさそうだから許す


 つい一週間前まで、崩壊のあとを怖がって、あの線から絶対に内側に入ろうとしなかったカケルが。


 今は、ミン三郎の根とラベ四郎の花のあいだで、当たり前みたいな顔をして水浴びをしている。


 境界線の外には、チビケルがじっと座っていた。

 まっすぐな黒い目で、こちらとカケルと、揺れる水滴を順番に見ている。入ってきはしない。親より慎重だ。


「もう怖くないから、入ってきてもいいのに」


 そう声をかけた瞬間、スパチャの音が鳴った。


 7,320₩。いつもの金額。でも今回は――初めてメッセージがついている。


「이것은 버그입니다(これはバグです)」


 発信元は韓国。いつもの732ウォン……じゃなくて、7,320ウォンの人。

 毎回、無言で投げてきたアカウントが、初めて打ってきた言葉が「バグ」。


「バグ……?」


 思わず、庭を見回す。


 バジ太郎。トマ次郎とトマ三郎。

 新入りのミニトマトと、レタスたち。

 ミン三郎の壁と、その根元に広がる新しい土。

 ラベ四郎と、新入りラベンダー。

 果樹候補のレモンとリンゴとブルーベリー。

 そして、セーフエリアのど真ん中で水浴びしているカケル。


 空は薄い紫。光は澄んでいる。

 どこからどう見ても、「いつものC-7」だ。


 でも、「バグだ」と指さされた瞬間だけ、この12畳が別のものに見えた。

 本来なら敵意と危険だけがあるはずのダンジョンの中に、

 亀が境界を踏み越えて遊びに来る庭があること自体が、


 そもそも世界のほうがおかしいんじゃないか、と。


 まばたきを一つすると、その感覚はすっと引いていった。


「……いや、やっぱり、うちの庭ですね」


 ハルがそう言うと同時に、カケルがくしゃみのように首を振って、水滴をばしゃっと飛ばした。


 コメント欄が笑いで流れ始める。

 境界線の内と外の区別は、少なくともカケルにとっては、もうどうでもよくなっているようだった。


(Comments)

【◆常連A】新しい褒め言葉だな

【◆GreenThumb】A bug that heals. :)(治すバグ)


 その直後。コメント欄に英語の長文が流れた。発信元はイギリス。


【RA_Barrier_07】The spatial coherence pattern in this area is inconsistent with any known barrier theory. The oscillation dampening cannot be explained by conventional shielding.(この領域の空間一貫性パターンは、既知の結界理論と矛盾します。振動減衰が従来の遮蔽メカニズムでは説明できません)


(Comments)

【◆gardenFan_03】……専門用語の塊だ。発信元イギリス

【◆毒舌キノコ】……また一人、こっち側に来たな


「うーん、難しい話になってきましたね。韓国からは『バグ』って言われて、イギリスからは『理論と合わない』って言われてるらしいですけど……カケルもチビケルも、もうモンスターって感じしないし、襲ってくる気配もないので、俺はいつも通り庭をやります」


(Comments)

【◆GreenThumb】That's exactly right. :)(それが正解だ)

【◆毒舌キノコ】GreenThumbと管理局の上級分析官が同じ結論に至るのは、偶然にしては面白いな

【◆gardenFan_03】韓国から「バグ」。イギリスから「理論で矛盾」。世界がこっちを見てる


 †


「おつかれさまでした。また来週。うちの庭で」


 配信を切った。最終視聴者数、気がつけば5,012人。5,000人を超えていたみたいだ。


 石のベンチに座った。


 前回の手紙も、このベンチで読んだ。あのときは配信後で、薄紫の空を見上げて、バジ太郎に「お前、誰かの失われた匂いまで呼び戻しているんだな」と思った。


 胸ポケットから封筒を出した。開ける。便箋が1枚。手書き。ボールペン。前回と同じ、少し震えている字。1文字ずつ力を込めた字。


「柏木ハル様。

以前、バジルのパスタが好きだった主人のことを書いた者です。

画面に映るトマ次郎が、それは美味しそうな実を付けられているのを見て、自分のことのように嬉しくなりました。


同時にコンクリートの下に消えたおばあ様の庭。ダンジョンの土の温かさ。

画面から聞こえるあなたの言葉に、涙が止まりませんでした。


主人が逝ってから、庭を見るのがつらかったです。

二人で育てていたバジルが枯れて、荒れていくのを見るのが、主人がいなくなった現実を突きつけられるようで。

膝も悪くなり、いつしか庭に出ることもなくなっていました。


けれど、あなたの『庭は逃げない』という言葉が、枯れ果てた心に届きました。

今日、あなたに背中を押してもらった気がして198円のバジルの苗を買いました。


植えました。


膝が痛くて、しゃがみこむのに5分もかかりました。

でも、触れた土は本当に温かかった。

まだ何もない土に鼻を近づけると、あの人が好きだった夏の匂いがしました。


今は毎朝、主人に声をかけていたのと同じ時間に、水をやっています。

芽はまだ出ません。

でも、明日の朝が来るのが、少しだけ楽しみになりました。


私の庭を返してくれて、本当にありがとう。

トマ次郎に、いつか立派な実がなるのを願っております。」


便箋を折り畳み、胸のポケットにしまった。トマトの種と、彼女のメモの隣。心臓のすぐ上。


かつて、この人は匂いを思い出していた。今は、自ら土に触れている。

5分かけて膝を折り、震える手で水をやる。その5分間、彼女のベランダには確かに「庭」が蘇っているのだ。


学者は「バグ」と呼び、管理局は42ページの報告書にまとめた。

けれど、この72歳の女性は、ただ「植えました」と言った。


どんな緻密な理論よりも、その一言が重かった。


帰りの電車。窓の外を流れる街の灯り。

あの光の一つ一つに、きっと誰かの庭がある。

手入れされた庭も、コンクリートに埋もれた庭も。


鼻歌が漏れた。祖母が歌っていた古い歌。

指先にはまだ、あの便箋の感触が残っている。


0.00だの99.9だの、これまで俺の周りを通り過ぎていったどんな数字よりも。

198円の苗を植えたという報告が、今の俺には何より強く響いていた。

お読みいただきありがとうございました。

次は金曜日18:00投稿予定です。


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