庭は逃げない。俺たちの聖域
リスナーから質問が来た。
【新規62】先生、先週逃げなかったのなんで? 空間崩壊ってセーフエリアごと消えるやつでしょ? 死ぬかもしれなかったのに
「あー……そうですね。冷静に考えると、死ぬかもしれなかったのかもしれない。正直、あの瞬間はそこまで頭が回ってなかったです」
(Comments)
【◆常連A】思考放棄してて草
【◆毒舌キノコ】D級の脳内は今日も平和そうで何より
【新規62】いやいやいや、笑い事じゃないでしょ!?
「逃げようと思えば逃げられました。佐伯さんも来てたし。でも……逃げたら庭がなくなるなって」
(Comments)
【◆カンナ先輩】……
【◆gardenFan_03】あ……。
「逃げたら、バジ太郎もトマ次郎もミン三郎もラベ四郎も、全部なくなる。カケルとチビケルは飛べたから助かったかもしれないけど、庭そのものは消える。」
「で、思ったんです。逃げるのは嫌だなって。祖母の庭をコンクリートにしたとき、俺は何もしなかったんですよね。受験があるからって言い訳して、庭が消えるのを見てた。あれをもう1回やるのは、ちょっと無理でした」
(Comments)
【◆常連B】うわ、重い……
【新規60】さらっとエグい過去出すじゃん
【◆毒舌キノコ】…………。
「だから残った。残って、土に手を突っ込んで。そしたら、庭のほうが先に動いてたんですよ」
(Comments)
【◆gardenFan_03】庭が、先に?
【◆常連A】どういうこと? 植物だぞ?
「ミン三郎は、俺が指示する前から継ぎ目に根を突っ込んでた。バジ太郎は、俺が魔力を流す前から崩壊エネルギーを吸い始めてた。ラベ四郎は、俺が気づく前に匂いで壁を張ってた。トマ次郎は、毒を実の中に取り込んで、甘さに変えてた。あの赤い実の中で。俺が何かする前に、全部始まってた」
(Comments)
【◆カンナ先輩】防衛本能を超えてる……
【◆gardenFan_03】録画見返してくる。震えが止まらない。
「……俺、ずっと片思いだと思ってたんです」
(Comments)
【◆常連A】は?
【◆常連B】急に恋バナ始まったんだが??
「俺が庭を好きで、毎週通って、必死に泥をこねて。庭はただ黙って、俺の世話を受けてくれてるんだって。祖母が毎朝水をやっていたみたいに、俺が『あげる側』で、庭は『もらう側』。守ってやらなきゃいけない、か弱い存在だって、どこかで思い上がってた」
「でも、違った。先週、俺が恐怖で足をすくませていたとき……あいつら、俺より先に前を向いてたんです」
「俺が指示するより先に、ミン三郎は壁の隙間に根を張って食い止めてた。バジ太郎は、俺が魔力を練る前から、毒を自分の体で吸い取ってた。ラベ四郎は、俺が気づく前に、震える俺を包むように匂いを放ってた。トマ次郎は、死ぬかもしれない毒を、その実の中に全部閉じ込めて……。自分を犠牲にしてまで、それを甘さに変えて、俺に差し出してくれた」
(Comments)
【◆カンナ先輩】……それ、もう。
【◆毒舌キノコ】植物の生存戦略として破綻してる……。
【◆常連C】(無言のスパチャ ¥732)
「俺が『守らなきゃ』って震えてる間に、庭はもう、俺のために戦ってくれてた。……片思いじゃなかったんです」
左手を見た。爪の間に土が詰まっている。いつもと同じ、泥臭い手だ。
でも、さっき庭に触れたとき。冷たいはずの土から、拍動のような熱が伝わってきたのを覚えている。
「両思いだった」
カメラの向こうで、ハルの指先が小さく震えた。それは恐怖ではなく、圧倒的な「愛」に触れた者の震えだった。
(Comments)
【◆常連A】やめろ。全俺が泣いた。
【◆gardenFan_03】最高に綺麗な「両思い」を見た……
【新規60】ガチ泣きしてる。画面が見えない。
【◆毒舌キノコ】……ハレーションだ。画質の問題で画面が滲んでるだけだ。
【新規61】毎週泣かせに来てない? この配信
【新規65】結論:相思相愛(※ただし相手は魔境)
「おばあちゃん、言ってたんです。『庭は逃げない。毎日少しずつ育てれば、必ず応えてくれる』って」
(Comments)
【◆常連B】……ああ、あの名言か。
【◆カンナ先輩】はい、覚えてます。
「応えてくれました。先週。……俺のほうが、ずっと守られてた」
「ミン三郎が。バジ太郎が。トマ次郎が。ラベ四郎が。庭は逃げないどころか、一緒に戦ってくれた」
土の上に置いた手のひらに、穏やかな脈動が続いている。
コメント欄が、一度完全に静かになった。
3秒。5秒。
(Comments)
【◆毒舌キノコ】庭は逃げない
【◆gardenFan_03】庭は逃げない
【◆常連A】庭は逃げない
【◆常連B】庭は逃げない
【◆カンナ先輩】庭は逃げない
【新規60】庭は逃げない
【新規61】庭は逃げない
【新規62】庭は逃げない
【◆GreenThumb】The garden doesn’t run. :)(庭は逃げない)
常連も新規も、ばらばらのタイミングで、同じ6文字を打ち込んでいく。
(Comments)
【◆常連A】……いや、ちょっと待て。
【◆常連B】何?
【◆常連A】「庭は逃げない」のは知ってるけど、普通、庭は「戦わない」んだわ。
【新規60】あ、確かに。
【◆毒舌キノコ】今更? この配信、最初から「普通の庭」要素1ミリもなかったでしょ。
【◆gardenFan_03】庭(物理)で戦う配信。
【新規62】先生、これ感動シーンなんだろうけど、字面だけ見ると「要塞建築」のそれなんよ。
【◆カンナ先輩】「庭は逃げない(退却を許さない)」
【◆常連B】↑やめろ、一気にスパルタ庭園になった。
【新規61】戦う庭師、推せる。
【新規19】はいはい、エモいエモい。とりあえず、その「戦うバジル」の苗、早く通販してくれない?
【◆常連C】(無言でスパチャ。メッセージ:『武器(苗)代です』)
【◆常連A】武器って言うなwww
「……笑ってる」
ふっと、ハルの声が緩んだ。
画面の中でトマ次郎が、風もないのに小さくその重みを揺らしている。まるでハルの言葉を聞いて、誇らしげに胸を張っているかのように。
「見てください。トマ次郎、実を揺らしてる。……分かってるんだな、こいつら」
その光景に、一瞬だけコメント欄の熱狂が凪いだ。
ただの植物が、ハルの声に、そして視聴者の想いに呼応している。その神秘的な静寂を破るように、ハルは画面の向こうの一人へ視線を向けた。
†
「あと、GreenThumbさん」
【◆GreenThumb】?
「先週、大丈夫でしたか?空コメントとかはじめてで、少し心配になりました」
(Comments)
【◆常連A】心配してる余裕なかっただろ
【◆gardenFan_03】いつ言うのかと思ってた
「でもいつもそこにある柱が一本抜けてる、感じがして」
(Comments)
【◆毒舌キノコ】……
【◆gardenFan_03】わかる
【◆GreenThumb】I was a little busy :)(少し別件で忙しくて :))
【◆GreenThumb】No time to type…(打ってる暇がなかった)
「そっか、お元気そうでよかったです」
(Comments)
【◆毒舌キノコ】情緒の切り替え早いな。150万円の爆弾が落ちた直後だぞ
【◆常連A】お前ら、これが伝説の「150万強制スパチャ事件」だ。目に焼き付けとけ
【新規70】150万!? スパチャの限度額どうなってんだよ!?
「ああ、その件なんですけど。150万円、ありがたいのはありがたいんですけど……さすがに“はいそうですか”って使えるお金じゃないなって」
(Comments)
【◆常連B】封印宣言出た
【◆常連A】出た、先生の清貧スキル
【◆gardenFan_03】フラグの建設現場はここですか?
「とりあえず、強制振り込みだけされてしまったので、別口座に避難させました。『当面使わないお金』にします」
(Comments)
【◆常連B】ガチで封印口座行き
【◆毒舌キノコ】“当面”じゃなくて“永眠”の間違いだろ
【◆常連A】ガチで封印口座(死蔵)行きかよ。150万が泣いてるぞ
【新規70】いや待って、何その「触れたら呪われる金」みたいな扱い
【◆GreenThumb】By the way, the bidirectional mana flow. Last week, you used it exactly right. Keep doing that. It matters more than the money. :)(双方向フロー。先週、君は正しい形でそれを使った。それを続けろ。150万円よりずっと重要だ)
「エネルギーを植物に食べさせて、こっちからも魔力流して、お互いにやり取りするやつ。大事にしろって言われても、あれ、半分くらい庭が勝手にやったんですけど」
【◆GreenThumb】Exactly. The garden did it with you, not after you. That’s why it’s a hope, not just technique. :)(その通りだ。君の“あと”じゃなく、“一緒に”庭がやった。だからそれは“技術”じゃなくて“希望”なんだ)
(Comments)
【◆毒舌キノコ】この園芸紳士、毎回さらっとエンディング流してくる
【◆常連A】別のダンジョンにも庭がある説、もう確定では
【新規71】配信タイトル「世界同時ガーデニング配信」にしよ?
†
配信を切った。画面が消え、静寂が戻る。最終視聴者数、4,587人。
かつてはただの数字でしかなかったその羅列が、今は4,000を超える「誰かの庭」の気配のように感じられた。
帰り道、気づけば鼻歌が漏れていた。
祖母が庭で、慈しむように口ずさんでいた古い歌。先週恐怖に震えていたときにはあんなに遠かった旋律が、今は驚くほど滑らかに喉を通る。
治ったのは、喉だろうか。それとも、臆病になっていた俺の心だろうか。
ポケットの中には、ジップロックに入れたトマ次郎の種。
カンナ先輩がくれたシリカゲルと一緒に、歩くたびにカラカラと軽い音を立てる。
「ここにいるぞ」「また土に帰してくれよ」
小さな種の鼓動が、歩くリズムに合わせて背中を押してくる。
庭は逃げない。応えてくれる。
その確信が、冷えていた指先をじわじわと熱くした。
先週、同じ場所で感じたのは、すべてを壊し尽くすような無機質な冷気だった。けれど今は違う。
指先に残っているのは、確かな「体温」だ。
子どもの頃、祖母の隣で土をいじったときと同じ。湿っていて、重たくて、どこまでも優しい、生きた土の温度。
来週も来る。再来週も。その次も。
俺を待っている庭がある。俺が会いたい庭がある。
片思いなんかじゃない。
俺たちは、たった今、始まったばかりの「両思い」なのだから。
お読みいただきありがとうございました。
次は明日18:00投稿予定です。




