『苗代として』なんて一言で、D級がもらっていい金額じゃない
呼吸がうまく整わない。肺が空気を掴み損ねている。
それでも反射的にカメラを庭全体に向けた。バジ太郎、トマ次郎、ミン三郎、ラベ四郎。石のベンチ。
「無事だ。……持ちこたえた、のかな」
(Comments)
【◆毒舌キノコ】持ちこたえたか?
3秒。コメント欄が、完全に止まった。
【◆毒舌キノコ】……持ちこたえた
【新規57】主要ダンジョンが空間崩壊起こしてるって報道出てるって!庭心配して来てみた
【◆常連A】つちのこ先生……
【◆常連B】よかった……
【新規55】奇跡を見た
全部ある。全部いる。
息が荒いまま、カメラに向き直った。
「わっ……すごい地震でしたね、聞こえますか?」
深呼吸した。まだ手が震えている。
「安心してください。庭は、無事でした」
(Comments)
【◆毒舌キノコ】今更だが地震じゃねえ! 空間崩壊だ!
【◆gardenFan_03】「庭は無事でした」じゃねえよ! お前が押し返したんだよ!
【◆カンナ先輩】世界中のダンジョンで、今さっきまで同時崩壊が進行してたみたいです。
世界中、という言葉が胸の中で反響した。
さっきこの六畳の庭の土の感触と、地球のどこかにある見知らぬ継ぎ目の感触が、一瞬だけ同じ線で結ばれたような気がした。
その瞬間——
スパチャの音が鳴った。
₩7,320。韓国ウォン。メッセージ:「버그(バグ)」
もう1回。7,320₩。「버그」
もう1回。7,320₩。「버그」
もう1回。もう1回。もう1回。
10回連続。同じ金額。同じ一言。画面がスパチャ通知で埋まった。
「え——7,320ウォン? 日本円で……732円? 韓国の方? 10回も?」
(Comments)
【◆gardenFan_03】732円を10回ってなんだよ
【◆常連A】金額の意味知ってるだろこれ
【新規571】今日初見だけどこの配信ヤバくない?
【◆常連B】新規さん逃げて!ここは「1円単位のスパチャ」を解読する高度な知能指数(IQ)を要求される魔境よ!
【◆毒舌キノコ】……庭の植物の合計金額をウォン換算して10回投げてきた。何者だ
【◆カンナ先輩】計算が早すぎません?
【◆常連A】「お前の庭はバグだ」₩7,320(732円)。
【◆常連B】「お前のスパチャもバグだ」¥0(無課金)。
【◆常連A】俺たちも732円くらい投げようぜ!負けるな日本勢!!
【新規19】よし、俺は「198円(バジル代)」で勝負だ!
直後。
スパチャの音が、もう一度鳴った。
桁が違った。
$10,000。150万円。メッセージ:「苗代として」
「ひゃ——150万!? GreenThumbさん!?」
(Comments)
【◆gardenFan_03】ひゃくごじゅうまんえん!!!!
【新規19】198円で対抗しようとした俺のプライドを返してくれ。
【◆常連A】「732円」で競い合ってた低レベルな争いが一瞬で焦土と化したんだが。
【新規677】狂ってる
【◆常連B】狂ってるのはこの金額だけじゃない、これを「苗代」だと言い張る精神構造だ。
【◆gardenFan_03】苗代(金箔入り)。
【◆毒舌キノコ】2,049倍の苗代を投げる人間がいるか普通
【◆常連B】計算するな! 虚しくなるだろ!!
「苗代って、うちの苗732円ですよ!? 桁間違えてますよたぶん、え、どうしよう?」
(Comments)
【◆GreenThumb】Hold on. :) (落ち着いて)
:)が戻った。
150万円と一緒に。
(Comments)
【◆gardenFan_03】元凶が言うな!!!
【◆常連B】150万投げて「落ち着け」は無理があるだろ、情緒不安定になるわ!!
【新規38】150万で庭を買いとる気か
【◆常連B】「732円帝国」が、一瞬にして「GreenThumb植民地」に……。
【◆毒舌キノコ】いや苗代って言ってるだろ。あの男は嘘をつかない
【◆カンナ先輩】GreenThumbさん……
【◆gardenFan_03】カンナ先輩が、引きすぎて語彙力を失っている……。
【◆常連B】涙が完全に引いた、血の気も引いた
【新規111】さっきの「感動の鼻歌」の余韻を、札束でビンタして散らしていくスタイル。
【◆毒舌キノコ】これが「趣味の園芸家」のやり方か。恐ろしいな。
「あの、これ返金できるんですかDunCastって」
(Comments)
【◆GreenThumb】It's an investment. The best one I've ever made. :)(投資です。今まで最高の投資だ)
【◆毒舌キノコ】返すな。受け取れ。お前の庭はそれ以上の価値がある
【新規610】価値はあるだろうけど、金額の刻み方が極端すぎるだろ!
「……ありがとうございます。いや絶対お金引き出せないですけど流石に」
そのとき、足元がまた揺れた。小さく。余震みたいに。
反射的にカメラを庭全体に向けた。バジ太郎、トマ次郎、ミン三郎、ラベ四郎。石のベンチ。白線のマーカー。
気がつけば6畳ぶんだったはずのセーフエリアが、今は12畳ぶんに広がっている。さっきまで「庭の端」だった白線の向こう側まで、土と緑が続いている。
「あれ?セーフエリアが広がってる」
落ち着くために深く赤くなったトマ次郎の実を食べながら答えた、甘い。
(Comments)
【新規58】全員テンパってる
【新規39】リスナーもテンパってる、リアルタイムでセーフエリアの広がりに突っ込めない
【新規630】座標が書き換わってる最中にトマト食ってる配信者、初めて見たんだが。
【◆常連A】庭も戦ってた。植物が全部揺れてたの見た
【新規59】切り抜きで飛んできた。空間崩壊をライブで止めた配信があるって
【新規640】「空間崩壊を止めた」っていう伝説のシーン、まさかこの「ムシャムシャ」っていう咀嚼音で終わるの?
【◆カンナ先輩】あの鼻歌で空が閉じたの、誰か説明して
【新規59】呑気にトマト食べてる勇者
【◆常連A】「勇者」じゃなくて「腹が減った事務員」なんだよなぁ……。
【◆GreenThumb】The garden fought with him. And won. :)(庭が彼と一緒に戦った。そして勝った)
「庭と一緒に戦った、か」
庭を見た。薄紫の空が透き通っている。さっきまでヒビだらけだったのが嘘みたいだ。広がった土の端まで、全部同じ色の空が乗っている。
「……なんかいいですね、それ」
†
配信を切った。最終視聴者数、4,126人。
佐伯さんがまだいた。計器を胸に抱えたまま、その場にへたり込んでいる。目の縁は真っ赤だ。計器の液晶に、涙の跡が一筋だけついている。
「心配して来てくれて、ありがとうございました。……トマト、さっき1個食べたのですがまだ2個残ってるんです。怖いかもしれませんが、よければ良く熟れてて甘いのでどうぞ」
さっき収穫しておいたうちの1個を、丸ごと差し出した。
「大丈夫です。……ただの花粉症なので、ご心配なく」
「4月だし?」
「その通りです」
それでも佐伯さんは、少し躊躇してから、両手でトマトを受け取った。袖で雑に拭って、何事もなかったみたいに画面を覗き込んだ。
境界線の外では、カケルとチビケルがいつの間にか戻ってきている。3個目のトマトをナイフで小さく切って、いつものように外に投げた。2羽はすごい勢いでそれを食べる。
庭は無事だった。
崩壊しかけた空間を、植物が食べて、鼻歌が縫って、なんとかなった。なんとかなったのか? 本当に?
佐伯さんの計器に、さっきまで点滅していた赤いアラートが、全部青に変わっているのが見えた。世界地図みたいな画面の上で、いくつも灯っていた警告の点が、1つずつ、息を吹き返すみたいに消えていく。
「……よかった。助かったエリアが、多そうですね」
思わずそう言うと、佐伯さんは小さくうなずいた。
「花粉がですね、目に入って。よく見えないんですよ」
声はいつも通りなのに、喉の奥がわずかに震えていた。俺の方は見ない。液晶だけを、食い入るように見ている。
手を見た。震えている。まだ。
でも庭はここにある。バジ太郎もトマ次郎もミン三郎もラベ四郎も、カケルもチビケルも、全員いる。
ポケットの中のトマトの種も無事だ。
帰り道は鼻歌が出なかった。喉が疲れていた。体全体が疲れていた。でも指先には、崩壊エネルギーの冷たさじゃなく、植物の根を通じて戻ってきた温かさが残っていた。
出口に向かおうとしたとき、後ろから声が飛んできた。
「できれば、庭の仲間たち……もっと増やしてください」
振り返ると、佐伯さんが立ち上がっていた。計器を抱えたまま、それでもしっかりとこちらを見ている。
さっきまで花粉症だと言い張っていたその目が、今までで一番、力強かった。
お読みいただきありがとうございました。
次は明日18:00投稿予定です。




