94:静かな港の密談
■そそのかされるダルク、嘲笑う陰《POV:郷原》
小埠頭のタイヤ倉庫から少し離れた場所にある喫茶店。
郷原はダルクの横の席でコーヒーを啜りながら、窓の外をぼんやりと眺めていた。
時刻は二十二時をとうに回っているが、外は妙に明るい。
街灯と月明かりが波間に揺れるタグボートを照らし、静かな港を淡く浮かび上がらせていた。
(ったく、こんな時間に何の用があるってんだ…… 早く解放されたいぜ)
ダルクに夜遅くまで付き合わせられ、郷原は腹の中で毒づいた。
──ガタッ。
不意に、後ろの席に誰かが座った。
その拍子に椅子が当たり、郷原の背に小さく衝撃が走る。
「てっめぇ!」
郷原はカッとなって思わず立ち上がろうとしたが、
「動くんじゃねぇ」
ダルクの一喝に動きを止め、そして浮かせた腰を渋々座席へ戻す。
(席は余ってるのに、わざわざ俺の後ろに座るんじゃねえよ…… って、んっ?)
そこで、ようやく違和感に気付いた。
ダルクの隣に座っていたせいで気づくのが遅れたが──
後ろの席から伝わる気配が妙に強い。
(こいつも吸血族かよ。それに、おっさんよりも強そうじゃねえか)
「じっとしてろ、しゃべるんじゃねぇぞ」
ダルクの低い声で告げると、郷原の喉が凍りついた。
まるで見えない鎖で縛られたように、返事をすることすらできない。
「威勢がいい下僕だな、ダルク」
背後から、冷え冷えとした声が降ってくる。
「はんっ、役に立たねぇ穀潰しよっ」
ダルクが鼻で笑った。
郷原は窓ガラス越しに男の姿を見ようとしたが、外の光が反射してはっきりとは映らない。
(くっそ、顔くらい見ておきてぇが、おっさんに止められてるせいで、振り向くことすらできねぇ)
「計画はどうなっているんだ?」
冷たく、感情のない声。
まるで氷の刃が背筋をなぞるような響きだ。
「順調だよ、順調。ダミアンの巣の結界は、もうちょいで破れる。あんたもダミアンに恨みがあるんだろ? 本当におれが殺っちまっても構わねぇのか?」
「構わんよ、ダルク。君なら猫に憑依したダミアンを殺るくらい造作もないことだろ。前にも言ったが、小さくなって弱体化したとはいえ、G-eyeを葬ったとなれば大金星だ」
(こいつ、本気でそう思ってんのか? 小さいとか関係ねぇ。あの黒猫からはおっさんよりも遥かに大きな力を感じるんだぞ)
「わははは、そうだろう、そうだろう。あんたがそう言うんだ、間違いなくわしが勝つだろうよ!」
「期待しているよ、ダルク。私の恨みも、君が晴らしてくれ」
「まかしておけ」
(おっさんが一人で黒猫を殺るって言いだしたときは正気を疑ったが…… こいつがそそのかしてたのか。くっそ、このままだと俺はこいつのせいで、おっさんと共倒れになっちまうじゃないか。それにしてもあの黒猫、一体何人から恨み買ってんだ?)
一人でダミアンを殺りに行こうと考えるダルクを止めたかったが、喉はまだ凍ったままで、声を絞り出すことすらできない。
「ところでダルク。ダミアンの居場所を教えておいてくれないか。君なら間違いはないと思うが、万が一しくじった時には私が手を下したいのでね」
「へっ、その手は喰わねえ。先を越されちゃかなわねぇからな」
「おいおい、私はそんなに信用がないのかい」
「わしがしくじったら、その時はこいつに訊け」
ダルクが隣の郷原をじろりと睨む。
「わかった。その時はそうさせてもらおう」
二人はしばらく計画について言葉を交わしていたが、やがて背後の男が席を立った。
「おい、行くぞ」
ダルクが短く言うと、郷原の身体を縛っていた見えない拘束がふっと解けた。
(……くそったれが)
◇四十六日目【7月25日(木)】
■戦力差がありすぎる新人たち
「いっ、いらっしゃいませ」
エントランスから聞こえてきたのは、緊張に震える女の子の声だった。
「おいタックン、あの子本当に接客できるのか?」
大森さんが小声で耳打ちしてくる。
言いたいことは分かる。
バイト初日とはいえ、もう三時間。
あと一時間でピークタイムだというのに、鈴ちゃんは全く慣れない様子だった。
──ガッシャーン!
ホールのほうから甲高い音が響き、美帆さんが顔を手で覆った。
『あっちゃー』って心の声が、こっちまで聞こえてくるようだ。
今のは心優だな、きっと。
心優と鈴ちゃんの教育係を任された美帆さんは、さぞかし頭が痛いことだろう。
「琢磨、パフェできた?」
「もうちょっとで完成」
こいつは余裕そうだ。
悠斗はホールを覗いて、鈴ちゃんの様子を気にかけている。
……心配なんだろうな。
「はいよ、三番テーブルのパフェ二つね」
大森さんが、悠斗の前にパフェを置く。
「あっ、どうも」
悠斗は軽く会釈しながら、パフェをトレーに乗せ、危なげもなくホールへ消えていった。
「あの子は本当に手際がいいな」
「そうですね。悠斗は何をやっても卒なくこなしますから」
実際、鈴ちゃんと心優のフォローをしながら、二人分以上の働きをしてる。
入れ替わるようにして、心優が半べそかいて厨房前のカウンターに駆け込んできた。
「す、すいません…… また割っちゃいました……」
手には見事にパリンと逝った、お皿の残骸が。
「大丈夫、大丈夫。すぐ慣れるから気にしないで」
店長はニッコリして、優しく励ます。
「ありがとうございます! 次こそ絶対に割らないように頑張ります!」
心優は一瞬で持ち直して、元気よくホールへと戻っていった。
「頑張ってね〜」
店長は心優に手を振って、ニコニコしている。
「店長ダメですよ、あんなこと言っちゃ。あいつ、皿を割ることに慣れて、割っても気にしなくなっちゃいますよ」
おれは思わず釘を刺したが、店長はニコニコのままだ。
「いやぁ、吉野くん、いい子を紹介してくれてありがとう」
「へっ?」
おれは思わず聞き返した。
「神木さんね、今日で二日目なのに、もうファンができたらしくてさ。前田さんの話だと、神木さんに会いに、昨日と同じお客さんがまた来てるらしいよ。それも三組も」
「はぁ?」
マジか……
「このままバイトを続けてくれたら、リピーターがいっぱい増えそうで、期待しちゃうなぁ」
店長、マジで嬉しそうだ。
「ウエイトレス目当てでリピートするお客って、そんなにいるものなんですか? 普通、料理が美味しいとか安いとかで来るんじゃ……」
ところが、
「いるよ」
店長と大森さんの声が重なった。
「タックン、気付かなかったのか? 美帆ちゃんにもファンがいて、週に何回も来るお客さん、けっこういるんだぞ」
「そうそう、吉野くんは土日だけだから気づかなかったんだね。今日も来てるよ。4番、8番、9番テーブルのお客さんたち、みんな前田さん目当てのリピーターさんだよ」
うへぇ……
ここの客層大丈夫か?
メイド喫茶と勘違いしてるんじゃ……
「ところで吉野くん、そろそろ休憩の時間だよ。ピークタイムに備えて体を休めてね」
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