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95:サマエルの影と小さな違和感

■静かな異変のはじまり

 店長に促されて、休憩室のいつものソファーに沈み込む。

 目を閉じて深く息を吐いた。


 三十分の休憩をもらっても、やることなんて特にない。

 同じ時間に休憩する人と話すくらいだ。


 ──ガチャッ。

 休憩室のドアが開く音に、おれは顔を上げた。


「お疲れ様です、琢磨さん」

 透き通るような声が、空気を揺らした。


 ……エヴァ。いや、鈴ちゃんか。


「お疲れ様です」

 おれはちょっとだけ姿勢を正して座り直した。

 よく考えれば、鈴ちゃんとはほとんど話したことがない。

 顔を合わせることはあっても、意識はいつもエヴァだったからな。


「ここの水、飲んでいいんですか?」

 鈴ちゃんがウォーターサーバーを指さして、小首を傾げる。

 その仕草が妙に可愛く見えて、慌てて視線を逸らした。


 ウォーターサーバーには『自由に飲んでください』と貼り紙がある。

「自由に飲んでいいみたいだよ」

 鈴ちゃんは「あ、よかった」と小さく笑って、紙コップに注いだ水をおれの前にそっと置いた。


「あっ、ありがとう」

「いえ」

 鈴ちゃんは自分の分のミネラルウォーターを紙コップに注いで、おれの向かいの席に腰を下ろした。

 ……沈黙が落ちる。

 なにを話したらいいか分からない。


「あの、仕事…… 慣れた?」

 意を決して口を開く。


「いいえ、まだちょっと……」

「そっか、まだ三時間くらいしか働いていないもんね。ははは」


「そうですね」

 鈴ちゃんが緊張した笑みを返してくれる。

 ……続かない。


 どうしよう、心優みたいに一方的に話してくれる子だったら楽なんだけど。

 鈴ちゃんも視線をさまよわせ、おれと同じく、話題に迷っているのが丸分かりだ。


 夏祭りの日のこともあるし、嫌われてはいないと思う。

 たぶん、大丈夫だ。


 親友の彼女なんだし、できるだけうまくやっていきたい。

 そう考えながら、場を和ませる話題を探した。


「あのぉ」

 沈黙は気まずいので、悠斗のむかし話でもしようかと口を開いたが……

 よく見ると鈴ちゃんは口をパクパク動かして、おれに何か話したがっているように見える。


「なにかおれに話したいことでもあるの?」

 鈴ちゃんが小さく頷き、何かを言いかけたとき、急にがくん、と頭が前に垂れた。


 えっ? これって……

 ゆっくりと顔を上げた鈴ちゃんの瞳が、妖しく金色に輝く。


「琢磨、変わりはないか?」

 ごくり、と喉が鳴った。

 こいつは何を聞きたがっているんだ?

 とりあえず、最近あった一番大きな事件について話すことにした。


「げ、月曜日、海に遊びに行ったとき、サマエルの下僕に襲われた」

 エヴァは少し目を細めた。


「あの現場にいたのか」

 サマエルの下僕の話は、エヴァの興味を惹いたようだ。


「たまたま居合わせただけだ」

 エヴァは続きを促すように視線を向けてくる。


「顔に色を塗った変な男が、防波堤の上で瞑想してたんだけど、急に立ち上がって自分は吸血鬼の姫の下僕だって叫び出して…… それからビーチに向かって魔力のつぶてを連発し始めて。それがおれにも当たって吹き飛ばされたんだけど」

「ほう、女と一緒に吹き飛ばされたあの男はお前か」

「そうだよ」

 おれは頷いた。

 面白そうに笑いやがって。

 ……あの動画を観たのか。


「んっ…… 鈴がお前のことを心配しているぞ。『琢磨さん、大丈夫ですか?』 とな」

「えっ、鈴ちゃんが?」


 どういうことだ?


「いまの状態で鈴ちゃんと話せるのか?」

 たしか、ダミアンの話では意識が入れ替わると、宿主を強制的に寝かせるんじゃ。

 まあ、今回はそれが出来なかったからエヴァと休戦できたんだが。

 でも、この状態で意思の疎通が出来るようになったってことか?


「そうだ、憑りついた当初、入れ替わっているときの記憶があったことにも驚いたが、今では話しかけてくるようになった。この娘の能力には驚かされることばかりだ」

 エヴァは小さく笑った。


「心配してくれてありがとう、鈴ちゃん。怪我は平気だから」

 おれは鈴ちゃんに礼を口にした。


「しかし、あれだけの攻撃を受けたのに、体に異常は無さそうだな」

 エヴァはそう言いながら、おれの身体をじっと見る。

 血の契約でも治らない、『部位欠損』について考えているんだろう。


「おかげさまで。ダミアンの話だと、あいつが魔力切れ寸前じゃなきゃ、頭が吹き飛んでいたかもしれないって」

「そうかもしれんな。他には」


 他―― か。

 おれは少しだけ記憶をたどった。


「自分のことを『爆裂のあっくん』だって名乗ってた」

 エヴァは少し考えたあと、

「お前も気を付けるんだな」と、真剣な表情でおれを心配してくれた。

 おれに何かあれば、多少なりとも鈴ちゃんに精神的なダメージが入るかもしれないと、心配しての事だろう。


「琢磨、サマエルはダミアンに恨みを持っている。ダミアンの居場所がわかれば襲ってくるぞ。もし血の契約のことが知れれば、ターゲットはお前だ」

 おれは思わず息を呑んだ。


「サマエルは大勢の下僕で組織を作り、排除しても次から次へと仕掛けてくる。本当に厄介なやつだ」

 ……ダミアンも同じような事を言ってたな。


「サマエルに襲われたこと、あるのか?」

 エヴァは眉を寄せ、露骨に嫌そうな顔をした。


「ああ、何度もな。やつは自分より魔力の強い存在を排除したがる。今回は私とダミアン、そしてアドバンを目障りだと思っているだろうな。まぁ、要するにやつは一番になりたいのだ」

 『今回』ってのは、今まさに魔王サタン主催で開催されてる、この"ゲーム"のことだろう。


「特に四百年前は執拗に追いかけまわされたな」

「お前が?」


 おれが知る限り、本当の吸血族最強はこのエヴァだ。

 いくら数が多いとはいえ、エヴァが人間の下僕に追いかけまわされるなんて想像がつかない。

 おれの表情を見て察したのか、エヴァは静かに続けた。


「やつの下僕は昼間に集団で襲ってくるのだ。おまけに下僕以外の人間まで先導して襲ってくるから面倒なのだ」

 そこで一つ疑問が浮かぶ。


「でも、下僕って自分から"なりたい"って思っている人間じゃないと、下僕にできないんだろう? サマエルは下僕になりたがる人間を、そんなにたくさんどうやって見つけたんだ?」

「おそらく魔王様からのギフトだ。やつは一度、このゲームで一番になったことがある。そのときに、『下僕になりたがる人間を見つける能力』を得たのかもしれんな」


 ゲームに勝つと、特殊能力を貰えるのか。

 それならダミアンも、なにか役に立つ能力を持っているのかもしれない。


「サマエルは以前、ニーシャやダルクとつるんでいた。お前の学校にいる索敵能力を持った下僕が、やつらの下僕であれば、私とダミアンのおおよその居場所は把握していると考えていい。琢磨、やつにとって下僕は簡単に手に入れられる、ただの使い捨ての駒だ。下僕を使って何を仕掛けてきても不思議ではない。気を抜くな」

 そう言い切ると、エヴァの瞳が静かに黒く変わっていった。


 おれの学校にいる下僕――

 中原のことだ。


 でも、中原はいままで何かを仕掛けてきたことは一度もない。

 せいぜいエヴァとの素敵な出会いを演出してくれたことくらいだろう……


 くそっ、思い出したら腹が立ってきた。

 あのとき、もう少しでおれの頭に穴が開くところだったんだ。


「琢磨さん」

 ムカムカしていると、小さな声がおれを呼んだ。

 そういえば、さっき鈴ちゃんが何か話そうとしていたな。


「どうしたの、鈴ちゃん?」

「あの…… 琢磨さん。ここ数日、まさみさんと連絡がとれないんです。悠斗さんやオカルト研究部のみんなに連絡してもらっても返事がもらえなくて…… 琢磨さん、何か知りませんか?」


 まちゃみかぁ。


 まちゃみとは仲がいいほうだけど、連絡を取り合うような仲でもない。

 けど、鈴ちゃんの不安そうな顔を見ると、どうにかしてやりたい。


「心優に訊いてみたらどうかな。あいつ中学んとき、まちゃみと仲良かったし」

「心優さん、まさみさんと仲が良かったんですか?」


「ああ。休み時間とか、よく二人で話してたけど。ちょっと心優に聞きに行こうか?」

「はいっ!」


 ホールに向かうと、厨房前のカウンターのところで心優と愛衣ちゃんが話していた。

 愛衣ちゃんが無邪気に喜んでいるのとは対照的に、心優は妙な顔をしていた。

 愛衣ちゃんがホールに戻っていったので、まちゃみのことを心優に聞くと――


「ごめん…… 最近、まさみちゃんと連絡取ってないんだけど」

 その後、休憩時間に連絡してもらったが……

 結局、バイトが終わる頃になっても返事はなかった。


 鈴ちゃんはまちゃみを心配していたが、おれには心優の様子がおかしいことのほうが気になった。


 夕食後、いつものように心優が遊びに来て、ダイニングで姉ちゃんと他愛もない話に花を咲かせていた。

 おれはソファーに沈み込み、悠斗から借りた異世界ファンタジーのラノベを読みふけっていたのだが……

 ふと視線を感じて顔を上げると、心優がじっとこっちを見ていた。


「……なに?」


 しかし、心優は一瞬目をそらしたあと、

「なんでもない」

 と小さく言って、ぷいっと顔を背けられた。


 おれ、何か心優の機嫌を損ねるようなことしたっけ……?

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