96:静かに進む侵入計画
★四十七日目【7月26日(金)】
■結界の内側へ《POV:郷原》
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
タイヤ倉庫の休憩用ベンチに腰掛けた郷原は、くゆる煙草の煙を目で追いながら、田川の帰りを待っている。
「……おっせぇな。昼休み、終わっちまったじゃねぇか」
田川、いやダルクは今日、神木のおやじと一緒に何度めかの昼飯に出かけている。
目的は、あの『ダミアン』とかいう黒猫の巣に潜り込むためだ。
そんなもの、勝手に家に入って黒猫を片付けてしまえばいいじゃないかと思うが、そうはいかないらしい。
何でも神木の家には結界が張られていて、家人の招待がないと入れないとか。
猫に憑りついたダミアンは、夜間は警戒して巣からでてこないので、自分から入り込もうとしているのだ。
ダルクの考えは分かる。
だが、同時にその考えに大きな疑問を持っていた。
(魔力の量が決定的に違うってのに、相手が“ちっこい”からって本当に勝てるのかよ?)
ダルクの魔力に比べて、その差は歴然だった。
郷原はあの黒猫から漏れ出た巨大な魔力と、放たれた強烈な殺気を忘れられない。
それに、ダルクがどうなろうと知った事ではないが、神木が巻き添えを食うことは看過できない。
小さく舌打ちして、顔を上げる。
そのとき、道路の向こう側の歩道で談笑するダルクと神木のおやじの姿が目に入った。
■行動の価値
今日もおれはバイトに勤しんでいる。
店長が優先的にシフトを入れてくれるおかげで、貯金もちょっとずつ増えてきた。
もう少しまとまった額になったら、姉ちゃんに生活費として渡すつもりだ。
それから、感謝の気持ちとして、近いうちに姉ちゃんとおじさん、おばさんを食事に招待したいと思っている。
従業員とグループ三人までは三割引きで食事ができるので、招待と言ってもこの店だけど。
心優?
もしついてくるなら、当然自腹だ。
あいつの食事代まで出していたら、貯金なんてあっという間に蒸発してしまうからな。
ちなみに今日、心優と鈴ちゃんはバイトに入っていない。
二人でまちゃみの家に様子を見に行くんだと言っていた。
そんなことをぼんやり考えていると――
「あの、たっくん先輩」
ピークタイムを乗り越えて、やっと落ち着いたタイミングで、カウンター越しに声をかけられた。
「あれ、愛衣ちゃん。どうした?」
おれは盛り付けたサラダを二つ、カウンターに置きながら、いつもの調子で返事をする。
「あの…… 今日、バイト終わった後って、お時間空いてませんか?」
ん? おれは顔を愛衣ちゃんに向けたまま、上を見て少し考えた。
「空いてるけど…… なんかあるの?」
「あの…… 駅前に新しいカフェができたんです。もし、よかったら……」
愛衣ちゃんの声が、どんどん小さくなっていく。
「……一緒に行きませんか?」
最後の一言なんて、かろうじて聞こえるレベルだった。
……ん?
なんだろう。愛衣ちゃんの小さな顔がほんのり赤く――
そう、リンゴみたいに。
「おいっ」
困惑して黙っていると、大森さんに肘で突かれた。
「へっ?」
おれはハッとして思わず振り返り、大森さんを見てからもう一度愛衣ちゃんに視線を戻す。
「あっ、じゃぁ、あのぅ…… バイトが終わったら」
おれがもごもご返事を返すと、愛衣ちゃんが小さく息をついた。
「それじゃ、バイトが終わったら休憩室で待っています!」
愛衣ちゃんはぱっと顔を輝かせてサラダをトレーに乗せると、ホールに小走りで戻っていった。
隣では大森さんが、ジトッとした目でおれを見ている。
「タックン、よかったのか?」
「よかったのか、というと?」
「いまの、デートのお誘いだろ」
そうなのか?
一瞬、そうかなと思ったんだけど、それはうぬぼれだろう。
おれが女の子からデートに誘われるなんてちょっと考えにくい。
それに愛衣ちゃんはあのくそ彼氏のことで傷ついているはずだ。
たぶん、何か別の用事があるんだろう。
「たぶん、デートとかじゃないと思いますよ。心優に誘われて海に行ったとき、愛衣ちゃんとは少し話しただけですし。おれ、そんなにモテるタイプじゃないって自分でもわかっていますから」
なぜか、大森さんはため息をついた。
「自己評価が低いなぁ、タックンは。その日、ガラの悪いやつらから心優ちゃんと愛衣ちゃんを助けたんだろ。女の子だったら、くらっときてもおかしくないぞ」
どうして大森さんが知ってるんだ?
心優が話したのかな。
「でもそのときはおれ、ずっと殴られててカッコいいところなんてなかったし」
大森さんは少し笑って、微妙な顔をした。
「タックンはカッコいいという言葉の意味、全然わかってないなぁ」
「はぁ……」
「カッコいいってのは、悪党をバッタバッタとなぎ倒すとか、顔がいいとか、そんな単純な話じゃないんだぞ。
もし顔だけで決まるなら、イケメンに生まれた奴だけが正義で、努力したって報われないってことになるだろ。それっておかしくないか?」
「まあ…… そうですね。でも結局、女の子の評価なんてそんなもんじゃないですか?」
心優だって、小さい頃から人気アイドルを「カッコいい!」って応援してたし。
中学生のころ、私が今好きな人はすっごくカッコいい人だって友達に話してた。
誰かは知らないが。
「まぁ、そういう子も確かに多いけど。でもな、成長すると分かってくるんだよ。本当にカッコいいのは、顔じゃなく、『その人の行動』なんだって」
「行動ですか?」
「そうだよ。悪い奴らをぶっ飛ばせなくたって、身を挺して女の子を助けようとしたタックンは、十分カッコいい男だぞ」
ははは……
いまいち納得できないが。
でも……
「そう言ってもらえると、嬉しいです」
そう、ちょっとだけ嬉しかった。
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