97:彼女は何を伝えたかったのか
■手作りクッキーの意味
バイトが終わり、更衣室で服を着替えて休憩室へ向かうと、ソファーに座っていた愛衣ちゃんがぱっと立ち上がった。
「お疲れさまですっ!」
明るく声をかけてくる彼女は、アイボリーの半袖ワンピース姿だ。
涼しげなデザインだけど、愛衣ちゃん自身が小柄なせいか、どこか中学生みたいに見えてしまう。
「お疲れ様」
軽く会釈すると、愛衣ちゃんの顔がぱっと明るくなる。
「じゃあ、行きましょうか!」
「うん」
おれは自転車を押しながら、愛衣ちゃんと並んでカフェへと向かった。
駅前のカフェへ向かう道すがら、愛衣ちゃんは楽しげに話し続けていた。
バイト中のちょっとした出来事や、最近ハマっているドラマの話。
おれは相づちを打ちながら、その表情の変化をぼんやりと眺めていた。
□
目的のカフェはJPR駅近くの高架下にあった。
店内に入ると、レジ前には二組のカップルが並んでいた。
おれたちはその後ろに並ぶ。
新しくオープンしたばかりというだけあって、木製の椅子もテーブルもピカピカで、木の香りがほのかに漂っている。
「たっくん先輩は何がいいですか?」
キョロキョロと店内を見回していると、愛衣ちゃんが小首をかしげて尋ねてきた。気づけばカップルたちの注文が終わり、おれたちの番になっていた。
「こちらが本日のブレンドコーヒーになります」
レジの店員がメニュー表を指さしながら、たどたどしく説明してくる。まだ慣れていないらしく、新人アルバイトっぽい。
「じゃぁ、それのレギュラーサイズで」
「それじゃ、私も同じの」
店員さんは一つ一つ確認するようにレジを打つ。レジ打ちも慣れていないようだ。
「何か食べますか?」
愛衣ちゃんがレジ横のショーケースを覗き込みながら、おれに訊ねた。
「ショートケーキにしようかな」
一番安いし。
「じゃあ、私もそれで」
愛衣ちゃんは迷うことなく、おれと同じものを選ぶ。
「お会計は二千二百四十円になります」
おれが鞄から財布を取り出そうとしたとき、愛衣ちゃんはすでに千円札を三枚取り出していた。
奢ってくれるつもりなのか?
「ごめん、おれが出すよ」
「いいですよ、私が誘ったんだし」
と言われても、年下の女の子に奢らせるのはさすがに気が引ける。
おれは素早く財布からお金を出し、愛衣ちゃんより先に店員の前へ置いた。
店員さんは微笑ましいものを見るように、おれと愛衣ちゃんを見てから会計処理を進めた。
「商品は隣のカウンターにご用意しております」
会計を終え、愛衣ちゃんと並んでカウンターへと向かった。
□
運よく二人掛けの丸テーブルが空いていた。
おれたちはそこに腰を下ろす。
「あのぉ、お金なんですけど……」
よかった、自分の分は払ってくれそうだ。
さすがにカフェで二千円オーバーは痛い。
「今日はご馳走さまです」
愛衣ちゃんはにっこりと微笑んだ。
あっ、ダメだった。
しかたないか。
お金を出そうとした愛衣ちゃんを止めて、おれが強引に払ったんだし。
「いいよ、これくらい。それより、今日はおれに何か用事があるの?」
訊ねると、愛衣ちゃんはコーヒーにそっと口をつけ、それから視線を落として話し始めた。
「この間は助けていただいて、ありがとうございました。本当は早くお礼を言いたかったんですけど…… お店ではなかなか言い出せなくて」
そう言いながら、愛衣ちゃんは小さな透明の袋をおれの前に差し出した。
赤いリボンで封をしたその中には、かわいらしいクッキーが詰まっている。
「これは?」
「お礼です。自分で焼いたんですけど、よかったら受け取ってください」
……やっぱり、デートとかじゃなくて、あの日のお礼か。
大森さんの言うことも、当てにならないな。
にしても、女の子からこういう手作りのプレゼントをもらうのは初めてだ。
手作りクッキーなんて、ふつう、イケメンでもないおれのような男がもらえるようなものじゃない。
「ありがとう」
「よかった……」
素直に受け取る。
袋越しに中を覗くと、クッキーはみんな花の形をしていて、いくつか種類があるみたいだった。
しかも、真ん中には赤や緑の飾りがついていて、手が込んでいる。
おれが受け取ると、愛衣ちゃんはホッとしたように表情を和らげ、それから嬉しそうに微笑んだ。
「でもあまり気にしないで。一緒に遊びに行ってたんだから、助けに入るのは当たり前だろ」
心優とその後輩だし、当然だ。
そう思ったのだが、愛衣ちゃんはじっと、おれを見つめていた。
……なにかおかしなこと言ったか?
「たっくん先輩って本当にすごいですよね。普通、そう思ってもなかなか行動に移せないと思います。しかも五対一の状況で、武器を持っているかもしれない相手に向かって、あんなに勇敢に立ち向かえるなんて。普通の人じゃ無理ですよ」
おれは視線を天井に向けて、ぼんやり考える。
「そういうものなのかな?」
「そうですよ、だって、私の彼氏なんて、私を置いて逃げようとしましたから。ほんとに信じられないです」
そうだね、信じられないよね。
思わず口にしそうになって、ギリギリで飲み込んだ。
「だから秋葉さんとは正式に別れました。見た目がかっこよくっても、やっぱりああいう性格の人は無理かなって」
『ああいう性格』ってのは、きっとあの軽薄さのことだろう。
自分の彼女を置いて逃げ出そうとするだけじゃなく、すぐ側で他の女の子に手を出そうなんて、普通の神経ならちょっと出来ない。
「そっか。おれも秋葉さんは愛衣ちゃんには合わないと思う。愛衣ちゃんだったら、もっといい人がみつかるよ。きっと」
いい言葉が見つからないので、ありきたりな言葉を口にした。
「そうですね。私もそう思います」
愛衣ちゃんがじっとおれを見て、ニコニコしている。
見られていると妙に落ち着かなくなって、思わず目を逸らした。
あまり長く目を合わせるのは得意じゃない。
「あの、たっくん先輩」
「ん?」
「先輩のこと、琢磨さんって呼んでもいいですか?」
「別にいいけど」
なんて呼ばれようが特に気にならないが。
「では琢磨さん」
「はい」
愛衣ちゃんが、テーブルに両肘をつき、顔をぐっとおれのほうに寄せてきた。
近い、近い! 思わずのけ反る。
「琢磨さんって、いまお付き合いしている人っているんですか?」
「……いないけど」
なんでそんなことを聞くんだ?
疑問はあったが、愛衣ちゃんはただニコニコと微笑んでいる。
その後はソフトボール部の話やバイトの話に移り、愛衣ちゃんの明るい会話につられて、気づけば外はすっかり夕暮れだった。
別れ際、愛衣ちゃんは「今日おごってもらったので次回は私におごらせてください」と言い残し、にこやかに駅の中へと消えていった。
おれはその華奢な背中を見送りながら、小さく息をついて、自転車のペダルを踏んだ。
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【お知らせ】
本作をお読みいただきありがとうございます!
現在、第二部の執筆と並行して全体の推敲を進めております。
物語を最後まで安定してお届けするため、投稿ペースを調整させていただきます。
今週からは「月・水・金・日」の週4回更新となります。
ペースは少しゆっくりになりますが、その分、一話一話をしっかり作り込んでいきます。
今後ともお付き合いいただけると嬉しいです!




