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107:生娘と偽りの制服

■捕食者の論理《POV:ソフィア》


 ソフィアの心臓は早鐘のように打ち、気づけば手のひらにはじっとりと汗がにじんでいた。

 彼女は学習塾から少し離れた歩道で、連続女子高生傷害事件のおとり捜査に参加している。


「いま、港北8交差点へ向かっています。今のところ、特に異常なし」

 イヤホン越しに青島刑事の声が届く。

 学習塾を出た女子高生―― ではなく、女子高生に変装した女性警官・立川巡査が、こちらへ向かっているところだった。


 もうすぐ、ソフィアたちの前を通り、人気の少ないゆるやかな上り坂へ入る。

 ソフィアの役目は、立川巡査に接近する者がヴァンパイアに関係しているかどうかを見抜くことだった。


「立川さん、大丈夫かしら?」

 思わず独り言のように漏れる。

 彼女は県警本部でいつもキャンディーやクッキーをくれる、優しいお姉さんだ。

 小柄な体に柔らかな笑顔。

 つい最近、同じ警察官の男性と結婚したばかりだと聞いている。


「立川君なら心配いらんさ! ああ見えても彼女は合気道の有段者でな、訓練中は大男をコロコロ転がして投げ飛ばしてるんだ。今朝も青島が見事に腕を捻じり上げられて、泣きそうな顔してたぞ、わははは!」

 隣で鏑木警部が豪快に笑う。

 ソフィアは少し安堵したものの、依然として不安は拭えない。


 今日のソフィアは長い銀髪を結んで団子にまとめ、帽子をかぶって髪色を隠している。

 鏑木警部は私服姿だ。二人は親子に見えるよう装って、立川巡査の後について行くことになっていた。


「でも、本当にこんな単純な罠でヴァンパイアが引っかかるのかしら? ちょっと信じられないんだけど?」

 ソフィアは疑問を口にする。


「そればっかりはわからん。ただな、今晩、一人で帰るのは立川君だけだ。親と一緒に帰る娘より、一人で帰る子を狙わないか?」

「……まあ、それはそうなんだけど」


「それに他の娘たちにもきっちり警官を張り付けてある。ここが外れても、どこかしらから情報は拾えるはずだ」

 ほどなくして、立川巡査が港北8交差点に姿を現した。

 ソフィアたちは信号が変わるまで、じっと息をひそめて待つ。


「警部さん、立川さん可愛いですよね! あの服装、本物の女子高生みたいでびっくりしちゃいました!」

「おいおい、お前さん。神父がいないと途端に砕けた口調になるじゃねぇか。そっちが素の性格ってわけか?」


「まあ…… 神父は怖いですから」

 それよりも、シスター・シャーリーのほうが何倍も怖いけど。


「それにしても、日本の警察って大変ですね。捜査のために女子高生のコスプレまでしなきゃいけないなんて」

「おいおい、『コスプレ』なんて口にしたら立川が落ち込むじゃないか! あいつの前じゃ『変装』って言っとけ、わははは!」

「へぇ、そうなんですね。じゃあ、そうします」

 ソフィアは女性警察官に対してコスプレは禁句だと心の隅にメモした。


「……行くぞ」

 信号が変わり、二人は立川巡査から距離を保って歩き始める。


 やがて立川巡査はゆっくり坂を上り、甲山山地の麓へ向かう。

 閑静な住宅地を抜け、やや急な坂道に差しかかった。

 そこから先にも住宅が広がっているらしい。

 立川巡査が塾を出てから、すでに十五分が過ぎようとしていた。


「今夜って外れじゃないですか? 全然気配ないんだけど」

「そうだな。上の住宅地はそれほど広くはないし、今夜は出てこないかもしれんな」

 わずかに諦めムードが漂い始めたとき、突然背後から声がかかった。


「お嬢さん、今夜はお父さんとお散歩ですか?」

 その声に驚いた二人は肩を跳ねさせる。

 警部ですら気づかなかったほど、気配を殺して近づいてきたらしい。


 ソフィアは恐る恐る振り向いた。

 そこには、ポロシャツにチノパン姿の、背の高い筋肉質の男が立っていた。

 頬に長い切り傷、冷徹な目。


 男からは妖気があふれ、暗闇の中でもその存在感が異常だった。

 赤い瞳が輝きを増す。


「なんだ、お前は?」

 鏑木警部が低く問いかける。

 しかしソフィアはすでに理解していた。


「け、警部さん! あれ、ヴァンパイアです!」

 指さして叫ぶと、男は眉をわずかに上げた。


「警部? やはり今夜は警察が張り込んでいたんですね。ということは、あなた達が後をつけていたのはオトリの婦警さんですか? ダメだな、オトリにするなら生娘にしないと、僕達の趣向にはあわないんですよ」


 その言葉に身の危険を感じ、ソフィアの背筋が凍りつく。

 鏑木警部がソフィアを背にかばった。


「お前はヴァンパイアか?」

 問いに対する答えは、男の口元から覗く鋭い牙が示していた。


「お前、いったい何の目的で女子高生を襲っているんだ!? 答えろ!」

「そんなの決まってんだろ」

 ヴァンパイアの声は、さきほどの穏やかさを捨て、獣のそれへと変わった。


「食事だ、食事。他に探すのも面倒だし、宵の口の食事はその娘の血をいただく。いいな!」

「ひっ……!」

 ソフィアは鏑木警部の背中に隠れて、彼の上着を握りしめた。


「少し下がっていなさい」

 鏑木警部は上着を脱ぎ棄て、柔道の構えを取った。


「さぁ、来い」

 ヴァンパイアが地を蹴って、猛然と警部へと迫る。


 人間が素手で悪魔や魔物に勝てるわけがない。

 ボルギ神父に同行し、たくさんの悪魔や魔物を見てきたが、それらと戦うには適切な道具と信仰心が必要だった。


 ソフィアは咄嗟に前へ飛び出した。

 胸に下げていた十字架のネックレスをヴァンパイアに向け、強く叫ぶ。


「汝、邪悪なる者よ! 神の名のもとに――」

 ダン!


「えっ?」

 叫んだと同時に、ヴァンパイアの脚に何かが当たり、バランスを崩して倒れ込んだ。


「警部!」

 周囲から数人の男の声。

 背後から立川巡査も駆けてくる。


 その間に鏑木警部がソフィアを後ろへ下がらせた。


「確保しろ!」

 五人の警察官が拳銃を構えて、ヴァンパイアを取り囲んだ。

 ヴァンパイアが舌打ちし、脚を押さえて立ち上がる。


「くっそ、とんだ邪魔が入った」

 両腕を大きく振ると、腕がコウモリの翼のような形へ変じる。

 と同時に大きく羽ばたき夜空へ舞い上がった。

 その姿は巨大なコウモリと化していた。


 パン! パン! パン!


 闇の住宅地に、拳銃の乾いた発砲音が響き渡った。

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