104:無邪気な破壊者
□地下駐車場の惨状《POV:鈴》
エヴァは鈴の姿に戻り、さっき地下二階へ下りてきたときに使った階段の脇で、気絶したふりをしていた。
彼女の耳はすべての音を拾い、目は閉じたまま周囲の動きを伺っている。
「おい、大丈夫か?」
声をかけたのは初老の警備員だった。
彼は心配そうにしゃがみ込み、エヴァの肩を優しく揺らした。
エヴァは、ゆっくりとまばたきをしながら目を開ける。
「おいっ、救急車を呼んでくれ!」
警備員は焦った様子で、背後の部下に指示を飛ばす。
「はい!」
部下の警備員は返事をすると、慌てて駆け出していった。
「一体何があったんだい?」
初老の警備員は、エヴァの顔を覗き込むようにして尋ねた。
「……すみません。バイクに追いかけられて…… その後のことは、よく覚えていません……」
弱々しい声でエヴァは答える。
駐車場には多くの人だかりができていた。
壊れた車の持ち主たちの絶叫が、コンクリートの空間に響き渡る。
「外国人の女は見なかったかい?」
警備員の問いに、エヴァは小さく首を横に振った。
「逃げるのに必死で…… 見ていませんでした」
俯いたままのエヴァに、警備員は深く息をつき、同情を滲ませながら頷いた。
「そうか、可哀想に、怖かっただろうね。でももう大丈夫だ。ここで休んでいなさい。救急車がすぐに来るから」
優しい声でそう言うと、初老の警備員は自分の上着を脱ぎ、エヴァの肩にそっとかけた。
■悪意なき狂気
おれと心優は自転車を押しながら、落ち込んでいる悠斗と一緒にピアモールを出た。
悠斗はいつも鈴ちゃんを電車で迎えに行ってから、そのままバイトに来ている。
悠斗の家はここから徒歩十分ほどの距離にある、JPR駅直結のタワーマンションだ。
正直、駅で待ち合わせしたほうがいいと思うのだが。
優しい悠斗は、体の弱い鈴ちゃんのことが心配らしい。
「いやぁ、悪いなぁ~、琢磨。心優もありがとな~!」
悠斗は明るく言うものの、テンションの低さは隠せていない。
「鈴ちゃん、今日は様子がおかしかったし心配だよね」
「そうなんだよ。さっき何度も電話したけど、全然出なくてさ。MINEにメッセージ送っても既読もつかないんだぜ」
「私も送ったんだけど…… スマホ見てないのかな」
「まさか、何かの事件に巻き込まれたんじゃ……?」
悠斗が青い顔をする。
「そういえば仕事中にパトカーや救急車のサイレンが凄かったよね。なんかあったのかな?」
心優の言うとおり、一時間くらい前に何台ものパトカーがサイレンを鳴らしながら走り回っていた。
おれはスマホのニュースアプリを開く。
「もしかして、これか?」
悠斗と心優が、おれの手元をのぞき込んだ。
「なにこれ、すごい事件じゃない。区役所前の商業施設の地下駐車場で、十五台の車が破壊されただって。容疑者はバイクに乗った二人組と外国人の女性。たっくん、SNSで検索してよ」
「わかった」
おれはSNSアプリを立ち上げ、事件について検索する。
すぐに、現場にいた買い物客がアップした写真がヒットし、その下に投稿文が連なる。
『誰だよ、おれの愛車をこんなにしたの』
『なんだこれ。戦車でも通ったのか?』
投稿文と一緒にボディが大きくヘコんだ自動車、天井がなくなった自動車、ひっくり返ったり壁に立て掛けられている自動車の写真が、次々とスマホに映し出された。
「ひっでぇ、なにこれ」
「ほんとひどいね。犯人はどうしてこんな事したのかな」
二人が言う通り、ひどい惨状だ。
そしてこんな事ができるのは……
バリバリバリバリバリバリ……
大きなエンジン音が近づいてきたので、おれ達は顔を上げた。
キキーッ!
タイヤが悲鳴をあげ、バイクがおれ達の前に止まった。
空ぶかしが続き、排気の匂いが鼻についた。
「よう兄ちゃん、また会ったな。運命ってやつか?」
その声を聞いて、背中が冷たくなった。
間違いない、いや間違いようがない。
おれ達の前で機嫌よく笑っている男は、顔をフランス国旗のように塗りつぶした――
爆裂のあっくん。
魔力を使って何人もの人を殺めた、吸血族の下僕。
最悪なやつと再会してしまった。
後ろにはフルフェイスのヘルメットをかぶった男が、あっくんの右肩を掴んでいた。
無言のままこちらには一瞥もくれない。
「お姉ちゃんも一緒か。一週間ぶり!」
あっくんが軽く右手を挙げる。
「あっ、あなたは、あのときの……」
心優が、おれの二の腕を両手でぎゅっと掴む。
怯えて、おれの陰に隠れる。
悠斗は目を丸くしたまま固まっていた。
「この間は瞑想してるって言ってたろ。もう少しで何かを掴めそうだって」
防波堤の上でそんなことを言っていたのを思い出す。
あっくんは開いた両手を自分の方に向け、笑いながら続けた。
「あのあとよぉ、俺は気づいたんだ。自分の中の『特別な力』にな」
開いた手をギュッと握った。
オンロード用のタイヤを履いたオフロードバイクの上から、おれたちを見下ろすあっくん。
その瞳は妙にキラキラと輝いている。
やばいやつなのは知っているが、それがより際立って見えた。
――こいつがここにいるってことは、地下駐車場の事件もこいつがやったに違いない。
「特別な力…… ?」
背後から心優の小さな声が漏れた。
その声に反応するように、あっくんの視線が心優へ向く。
「特別な力って…… 何ですか?」
心優の震える声。
続く言葉はもっと鋭かった。
「人を吹き飛ばして…… 殺すことですか?」
その言葉に、一瞬その場の空気が凍りついた。
「あぁん?」
あっくんは片眉を上げ、首を軽く傾げる。
やばい。
いつも臆病で喧嘩なんかしたことないくせに、なんでこんなやばいやつに喧嘩吹っ掛けるんだよ。
「爆弾を使ったのか、他のものを使ったのか知りませんが…… 人を傷つけて何が“特別な力”なんですか」
心優の声が強くなる。
これ以上はマジでヤバイ。
「おい、もうよせ!」
おれは慌てて振り返ったが、怯えながらも心優はまっすぐあっくんを見据えている。
──魔力切れじゃなかったら、頭が吹っ飛んでた。
ダミアンの言葉が脳裏をよぎる。
心優は分かっていない。
こいつの本当の恐ろしさを知ってるのは、この中じゃおれだけだ。
「たっくんだって…… この彼だって、私の後輩と一緒に、あなたに狙われて殺されるところだったんですよ!」
その言葉に、悠斗の顔が強張る。
悠斗もようやく目の前の相手が誰なのか気づいたらしい。
「あぁ?」
おれはとっさに心優を背にかばった。
「狙った?」
あっくんは顎に手を当て、記憶を掘り起こすように眉間にしわを寄せる。
そして、パチンと指を鳴らした。
「あぁ、もしかして最後に吹き飛ばしたのって、兄ちゃんか?」
あっくんはポンと手を打ち、軽い調子で笑う。
「わりぃわりぃ」
片手をヒラッと挙げると、まるで些細な出来事でも思い出したかのようにあっけらかんと言った。
「俺、遠くがちょっと見えなくてさあ、誰か分からなかったわ。ピンクの服着てる目立つやつがいたから、つい狙っちまった」
無邪気に笑うその顔は、まるでいたずらがバレた子供のようだった。
「だから早く帰れって言ったのに。大丈夫か? 怪我なかったか?」
――おれ達は言葉を失った。
眉を寄せ、心配そうな表情を浮かべる。
本気で気にかけているように見えるその顔が、逆に恐ろしい。
肩越しに、心優の震える息遣いが伝わってくる。
こいつは本物の異常者だ。
逃げないと。
でもどうやって。
遠くでパトカーのサイレンが聞こえはじめた。
「なんだよ?」
タンデムシートに座っているヘルメット姿の男が、あっくんの耳元でボソリと呟く。
「じゃあ、俺たちはそろそろ行くぜ。それにしても――」
あっくんの視線が心優に向かう。
「お姉ちゃん、可愛い顔して俺に啖呵切るとは、なかなか根性あるな。惚れちまいそうだぜ」
心優がびくりと体を震わせ、おれの背中にしがみつく。
「ははは、冗談だよ。他人の彼女を取るような趣味はねえさ。じゃあな」
言うが早いか、あっくんはバイクのエンジンを唸らせ、耳をつんざくような爆音を残して猛スピードで走り去っていった。
「助かった……」
緊張が一気に解け、おれは膝から崩れ落ちた。
「きゃっ、たっくん!? 大丈夫?」
心優と悠斗が慌てておれを覗き込むが、返事をする余裕すらなかった。
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