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99:気づかない危機

★四十八日目【7月27日(土)】

■姉ちゃんに休日を


ーー 昨夜10時過ぎ、西港市内で女子高生が通り魔に襲われる事件が発生しました。

ーー 警察の発表によりますと、被害にあったのは学習塾からの帰宅途中の女子高生で、自転車で走行中、背後から突然抱きかかえられ、首に噛みつかれたということです。


ーー 被害にあった女子高生は、犯人の顔を見ておらず、また、現場付近に目撃者がいないため、警察は捜査に難航しています。

ーー 警察は、近隣住民に対し、夜間の外出はできるだけ一人で行動しないよう、注意を呼びかけています。


ーー 次のニュースは……


 リビングでは、姉ちゃんが食後のコーヒーを片手に、ぼんやりとテレビを眺めている。

 その隣で、おれはバイトの準備をしていた。


 ダミアンは朝めしを食べ終わると、さっさと二階に上がってしまった。最近、あいつは家に……

 いや、正確には押し入れに閉じこもってばかりだ。

 一体何をしてるんだ。


 そろそろ心優が迎えに来る時間だ。


「姉ちゃん、土日はなにか予定ある?」

「なぁんにもないわよ。今日は掃除と洗濯くらいかな。あとは図書館で借りた本を読もうと思ってるの」


 まだ二十歳にもなっていない姉ちゃんが、何もすること無く週末を家で過ごしていると思うと、いろいろと考えてしまう。


 両親が死んでから、姉ちゃんは極力お金を使わなくなった。

 友達と出かけることも減って、いつの間にか疎遠になったことも知っている。

 それは、生活が苦しいせいもあるけれど、おれの将来のために、少しでも貯金しようとしているからだ。


「あっ、そうだ。ルナをお風呂に入れなきゃ」

 姉ちゃんがぽつりとつぶやく。


 化け猫の世話までしてもらっていると思うと心が痛む。

 おれは一生、姉ちゃんには頭が上がらないんだろうな。


「あのさ、この前、心優と一緒に行ったカフェがすごくお洒落でさ。本を読んでる人もたくさんいたんだ」

 悠斗に鈴ちゃんを紹介されたあのカフェだ。


 姉ちゃんはキョトンとした顔でおれを見上げた。

 おれは財布から四千円と、カフェの住所が書かれたショップカードを取り出し、テーブルに置いた。

 バイト代から、今月の小遣いと姉ちゃんに渡す生活費を差し引いたら……

 今のおれには精一杯の金額だ。


「せっかくの休日なんだから、姉ちゃんも行ってきなよ。同じ建物に映画館もあるし、ついでに映画でも観てきたら? 今、全米が大泣きしたロマンス映画やってるから」

 姉ちゃんは少し驚いた顔をしたあと、ふっと優しく微笑んだ。


「ありがとう、琢磨。でもこれは受け取れないよ。自分のために使って」

 そう言って、差し出した金を返そうとしてくる。


 おれは膝立ちになり、座っている姉ちゃんと視線を合わせた。


「姉ちゃんには世話になりっぱなしだから、おれも何かしたいんだ。姉ちゃんが楽しんでくれるなら、おれはそれで満足だし…… おれにとってこれが一番いい使い道なんだよ」


 あっ、やばい。

 姉ちゃんの目が潤んできた。


「だっ、だから! 必ず何処かに出かけてきて! あとでレシート確認するから!」

 もう限界だと思って、おれは慌てて家を飛び出した。


 姉ちゃんが楽しい時間を過ごしてくれることを願わずにはいられない。


「へぇ、タックンやるねぇ」

「吉野くんのお姉さん、すっごく嬉しかったんじゃない?」


 今日は土曜日なのに、客は三組だけ。

 めちゃくちゃ暇だ。


 おれは厨房で、大森さんと美帆さん相手にお悩み相談をしてもらっていた。

 ピークタイムまで二時間くらいあるので、もう少しのんびりできそうだ。


「おれ、どうやって恩を返したらいいか分からなくって」

 相談しているのは、もちろん姉ちゃんのことだ。


 姉ちゃんは自分の進学を諦めて、おれのために就職を選んだ。

 生活費以外はほとんどお金を使わず、休日は家事をし、図書館で借りた本を読んで過ごしている。


「吉野くんのお姉さんって、前に神木さんと一緒に食事に来てた女の子だろ? あんな美人の姉さんがいてうらやましいな」

 暇だからか、料理長の西田さんまで話に入ってきた。


「そうですよね! ななちゃん、すっごく美人で、頭も良くって、私の自慢のお姉ちゃんなんですよ!」

 ホールから戻ってきた心優も加わる。


 ……おい。


「お前の姉ちゃんじゃないだろ」

 ちょっとムキになって突っ込んでしまった。


 心優は口を尖らせて、「ななちゃんは私のお姉ちゃんだもん!」なんてことをぶつぶつ言っている。


「お姉さん、彼氏はいないの?」

 銀色の丸トレーを胸に抱えた美帆さんが、軽い調子で訊ねてきた。


「よく知らないんですけど、彼氏はいなさそうです」

 ……好きな人はいるみたいなんだけどな。


「それなら、俺に紹介してよ。毎日美味しい料理作ってやるからさ」

 料理長が、意外とマジな顔で立候補してきた。


「あ、あのう、姉ちゃんまだ十八なんで、料理長とはちょっと離れてるかなって」

 料理長、何歳なんだよ。

 見た目はカッコはいいけど、三十はとっくにこえてるだろ。


「そうだよ、西田さん。もしかしてロリコンかぁ」

 突っ込んでくれてありがとう、大森さん。


「ななちゃんの彼氏は、私が認めた人じゃなきゃダメです! なんといっても、私のお姉ちゃんなんですから!」

 心優が腕を組んで、ぷんすか怒っている。


「いや、お前の姉ちゃんじゃないから」

 そう返すと、目を細めてキッと睨まれた。

 怖いからもう突っ込むのはやめておこう。


「吉野、お前が料理を作ってやるってのはどうなんだ?」

 不意に口を開いたのは飯田さんだ。五十歳くらいの、ちょっと……

 いやけっこうお腹が出ているおじさんだ。

 普段あまり話さないので、ちょっと驚いた。


「料理ですか?」

「そうだ。金の話なんて、高校生のお前に出来ることなんて限られているだろ。だったら、お前の時間があるときに、お姉さんのかわりに飯でも作ってやれば喜ぶと思うぞ。どうせ家事なんてほとんどお姉さんにまかせっ放しなんだろ」

 ……まかせっ放しってほどでもないけど、料理は確かに姉ちゃんだ。


「それはいいんじゃないか、吉野くん。ちなみにお姉さんはどんな料理が好きなんだ? 洋食が好きだったら、俺が作りに行ってあげても、あ痛てててて……」

 料理長、大森さんに耳を引っ張られて痛そうだ。


「姉ちゃんはなんでも美味しそうに食べるけど、どちらかと言うと和食のほうが好きみたいです」

「そうだよね、ななちゃんはどちらかと言うと和食派だよね。もし何か作るんだったら手伝ってあげるよ」

 いや、それは勘弁してください。


「でも、おれに姉ちゃんが喜ぶような料理なんて作れるでしょうか?」

 心優を無視して飯田さんに訊く。

 心優が何かぶつぶつ言ってるが、気づかないふりをしよう。


「和食でよければ俺が教えてやる。毎日盛り付けばかりじゃ面白くないだろう」

「えっ、おれが作ったものを客に出すんですか?」

 そんなことして店の評判を落としたら、大変なことになるんじゃ?


「心配するな。おれが横で見ているから、失敗したものは客には出さん」

「教えてもらえるのは嬉しいんですが…… 店長の許可とか、大丈夫なんですか?」


「問題ない。俺から言っとく。料理長もいいよな?」

「飯田さんから店長に言っていただけるなら、俺はいいですよ」

 普段あまり話さない人だからどんな人かわからなかったけど、飯田さんって料理長より偉そうに見える。


「ということだ。吉野、お前はどうしたい?」

 教えてもらえるなら、ぜひ覚えたい。

 姉ちゃんにばかり負担をかけていたけど、おれがちゃんとした料理を作れるようになれば、少しでも負担を減らせるかもしれない。


「ありがとうございます。よろしくお願いします!」

 おれは深々と頭を下げて、お礼を言った。


「うむ。じゃあ、お前が作れそうな料理のオーダーが入ったら呼ぶ。そのときはすぐに俺のところへ来い」

「はい!」


 姉ちゃんの誕生日まで、あと一ヶ月ほど。

 それまでに何か作れるようになって、姉ちゃんにご馳走しよう。

 夏休みの目標ができてちょっと嬉しい。


「よかったじゃないか、タックン。飯田さん、今はここのコックだけど、昔は高級料亭の料理長だったんだぞ」

「えっ、マジですか!?」


 飯田さんってそんなにすごい人だったのか。

 確かに飯田さんが作った和食は、洋食よりも完成度が高そうだけど。


「割烹料理、教えてもらえ! 割烹料理」

 大森さんが楽しそうに笑う。


「そんな家庭料理からかけ離れた料理を教えてもらっても困るんですけど!」

 てか心優、お前なんでそんなに嬉しそうなんだよ。

 やがて、うっとりとした顔で、心優は小さな声でつぶやいた。


「かっぽぉ……」


「ただいま」


 ドアを開けてダイニングに入ると、ふわりといい匂いが漂ってきた。

 キッチンでは姉ちゃんが鼻歌まじりに晩ご飯を作っている。


「おかえりなさい、琢磨。お疲れさま」

「姉ちゃん、なんか機嫌いいな。何かあった?」

 尋ねると、姉ちゃんはハッとした顔でこっちを見た。


「そ、そうかな? そんなふうに見える?」

 動揺しているのが丸わかりだ。

 おれが頷くと、食器を取り出しながら話を続けた。


「今日ね、琢磨がすすめてくれたカフェに行ったの。すごく素敵なお店だったわ」

「景色が綺麗だっただろ」

 姉ちゃんは晩ご飯を盛り付けながら、大きく頷く。


「港の景色が最高だった! 店の雰囲気も落ち着いてて、コーヒーも美味しかったし」

 姉ちゃんが盛り付けた料理をテーブルに運びながら、話の続きを聞く。


「……それでね、しばらく本を読んでたんだけど、窓の外を見たときね、会社の先輩と目が合っちゃって」


 その後の話はこうだ。


 偶然出会った会社の先輩とカフェで話したあと、その流れで一緒に映画を観に行き、別れ際にデートを申し込まれた、らしい。

 なんかもう、少女漫画みたいな展開だな。

 姉ちゃんの様子を見る限り、満更でもなさそうだ。そういえば、


「この前、会社に好きな人がいるって言ってたけど、その人?」

 尋ねると、姉ちゃんはルナの餌を用意しながら、ピタッと動きを止めた。

 じわじわと耳まで赤くなりながら、小さく頷く。


 どんな男か気になる。

 いろいろと訊きたいことがたくさんあるけど、嬉しそうにしている姉ちゃんに、弟としてかける言葉は一つしかない。


「デート、楽しみだね」

 姉ちゃんは恥ずかしそうに笑って、「うん」と答えた。

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