9.遠ざかる二人
夕日は西へ傾いていたが、まだ完全には沈んでいなかった。
空にはわずかに明るさが残っている。
だが、目に映るすべてのものが、薄い灰色の膜をかぶせられたように見えた。
窓の向こうでは、遠くの山々が少しずつ重い闇の中へ沈み始めている。
居間の中も薄暗かった。
叔父と叔母は上座に座っていたが、二人の表情は影に覆われ、はっきりとは見えない。
ラインが持ってきた二本の徳利を見るなり、叔父のラジェットは眉を寄せた。
「早いものだな。お前たちも、もう十四歳だ」
ラジェットはそう言って、二人を見渡した。
「二人とも精霊使いとしての資質を持っていた。それだけでも喜ばしいことだ。特にライル、お前が上等資質だったことを、私たちも誇りに思っている」
そこで軽く手を上げる。
「二人に霊石を六個ずつやろう。精霊を錬化するには大量の精神力が必要になる。今のお前たちには必要なものだ」
すぐに使用人がやって来て、ラインとライルにそれぞれ小さな袋を渡した。
ラインは中も確かめず、そのまま袋をしまった。
ライルはすぐに袋の口を開く。
中には楕円形をした灰白色の霊石が六個入っていた。
それを見た瞬間、ライルの顔に感激の色が浮かんだ。
席から立ち上がり、叔父夫婦へ深く頭を下げる。
「ありがとうございます、叔父さん、叔母さん。僕もちょうど、精神力を補うための霊石が必要だったんです」
「ここまで僕を育ててくれた恩は、絶対に忘れません。一生覚えています!」
叔父は満足そうに頷いた。
叔母は慌てたように手を振り、優しい声で言う。
「ほら、座って、座って。あなたたちは私たちの実の子ではないけれど、今までずっと本当の息子だと思って育ててきたのよ」
「こうして立派になってくれれば、私たちだって嬉しいわ」
そこで叔母は、どこか寂しそうにため息をついた。
「私たちには子供がいないでしょう? だから時々思うの。あなたたちが、本当に私たちの子供だったらどれほどよかっただろうって」
その言葉には、別の意味が含まれていた。
ライルは気づかなかった。
だがラインは、わずかに眉を動かした。
案の定、ラジェットが続ける。
「実はな。私と叔母さんで話し合ったんだ」
「お前たちを正式に養子として迎え、本当の家族になれないか、と」
そしてライルへ目を向ける。
「ライル。お前はどう思う?」
ライルは一瞬、きょとんとした。
だがすぐに、その顔がぱっと明るくなる。
「本当ですか?」
ほとんど迷うことなく答えた。
「正直に言えば、両親が亡くなってから、僕はずっと本当の家族が欲しいと思っていました」
「叔父さんと叔母さんと、本当の家族になれるなら……僕は嬉しいです!」
叔母の表情が一気に緩んだ。
「まあ。それなら今日から、あなたは私たちの息子ね」
そして笑いながら言う。
「もう叔父さん、叔母さんじゃないでしょう?」
ライルは一瞬遅れて意味を理解した。
「あ……」
慌てて言い直す。
「父さん、母さん」
叔父夫婦は揃って笑った。
「よしよし。それでいい」
叔母は目元を拭いながら言った。
「四歳の頃から、十年も育ててきたんですもの。本当の息子になってくれるなら、こんなに嬉しいことはないわ」
ラジェットは今度、ずっと黙っているラインへ視線を向けた。
声は変わらず穏やかだった。
「ライン。お前はどうしたい?」
ラインは黙ったまま、首を横に振った。
「兄さん」
ライルが何か言おうとしたが、ラジェットが手を上げて止めた。
「いい。無理強いすることではない」
口調はまだ穏やかだった。
「ライン。お前ももう十四歳だ。そろそろ将来、自分の家を持つことを考えてもいい年齢だろう」
「実の両親が残した家を継ぐつもりなら、それもいい」
「そのための支援として、こちらで霊石を二百個用意してある」
「二百個!?」
ライルが思わず目を見開いた。
これほど大量の霊石など、今まで見たこともない。
思わず羨ましそうな表情が浮かんだ。
だが。
ラインはまた首を横に振った。
「え……?」
ライルには意味が分からなかった。
その一方で、ラジェットの表情がわずかに変わる。
叔母の顔からも笑みが消えた。
「叔父さん、叔母さん。ほかに用がないなら、私はこれで失礼します」
ラインは二人に話す隙を与えなかった。
そう言い残すと、二本の徳利を持ち上げ、そのまま居間を出ていった。
「父さん、母さん」
ライルが立ち上がる。
「兄さんは、まだ気持ちの整理ができてないだけだと思う。僕から話してみようか?」
ラジェットは手を振った。
わざとらしく大きなため息をつく。
「いや、いい。こういうことは無理に決めさせるものではない」
それから、少し笑った。
「お前がそう思ってくれるだけで、父さんは十分嬉しいよ」
「誰か。ライルを部屋へ案内してやれ。ゆっくり休ませるんだ」
「うん。それじゃあ、僕はこれで」
ライルが下がる。
居間には、静けさだけが残った。
やがて太陽は完全に山の向こうへ沈んだ。
部屋の中はさらに暗くなる。
しばらくして。
暗闇の中から、ラジェットの冷たい声が聞こえた。
「どうやらラインの小僧……こちらの狙いに気づいているらしいな」
ローデン一族の決まりでは、十五歳になった長子には、亡くなった両親の財産を相続する権利が認められている。
ラインとライルの両親はすでに亡くなっていた。
二人が残したかなりの遺産は、今も叔父夫婦が「預かって」いる。
その価値は、霊石二百個などとは比べものにならなかった。
もしラインまでライルと同じように養子となれば、実の両親から残された財産を継ぐ立場ではなくなる。
逆に十四歳の今、家を出て完全に独立してしまえば、十五歳の長子に認められる相続の条件を満たせない。
どちらを選んでも、遺産はラインの手から離れる。
そういう仕組みだった。
「まあ、ライルはこちらへ取り込めた」
ラジェットは息を吐いた。
「それにラインは下等資質。まだ運はこちらにある」
叔母は落ち着かなかった。
「あの人。でもラインは、十五歳になったら独立して遺産を取り戻すつもりなんでしょう?」
「あの財産を渡すことになったら……」
「ふん」
ラジェットは鼻を鳴らした。
「向こうがそのつもりなら、こちらだって遠慮する必要はない」
「正式に独立する前に、大きな問題を起こさせる」
「一族から追放されるほどのな」
「そうなれば、相続権もなくなる」
叔母は眉を寄せた。
「でもラインは昔から頭のいい子よ。そんな簡単に問題なんて起こすかしら?」
ラジェットは呆れたように叔母を見た。
そして声を低くする。
「本当に頭が回らんな」
「本人が問題を起こさないなら、こちらで起こさせればいい」
「ミラにラインを誘わせる。頃合いを見て悲鳴を上げさせればいい」
「そこへ私たちが踏み込む」
「酒に酔って使用人へ乱暴しようとした。そういう話にしてしまえば十分だ」
「証人もこちらで用意できる」
「それだけ揃えば、あの小僧を家から追い出す口実くらい、いくらでも作れる」
叔母の顔がぱっと明るくなった。
「まあ……! やっぱりあなたは頭がいいわ」
夜の闇が、村を覆い始めていた。
空いっぱいに浮かんでいた星も、流れてきた厚い雲に半分以上隠されている。
村の家々には、次々と明かりが灯っていった。
その頃。
ライルは使用人に案内され、新しい部屋へ入っていた。
「ライル様。こちらは旦那様が直々に申しつけられて、あなた様のためだけに整えたお部屋でございます」
年老いた使用人は腰を低く曲げ、顔いっぱいに愛想のいい笑みを浮かべている。
ライルは室内を見回した。
目が自然と輝いた。
以前の部屋の、二倍ほどはある。
中央には大きなベッド。
窓際には立派な木製の机が置かれ、その上には上質な筆記用具が綺麗に並べられている。
壁にも丁寧な装飾が施されていた。
足元に至っては普通の床ではなく、柔らかな手織りの絨毯まで敷かれている。
こんな部屋で暮らしたことなど、今まで一度もなかった。
ライルは何度も頷いた。
「すごい……本当にいい部屋だね」
それから、少し照れたように言う。
「ありがとう」
この老女は、叔母がもっとも信頼している使用人だった。
屋敷の使用人たちをまとめる、実質的な家政の責任者でもある。
ライン付きのメイド、ミラ。
その母親でもあった。
老女はにこにこと笑った。
「まあまあ、ライル様。わたくしどもにお礼など必要ございません」
「当然のことでございます」
「どうぞよくお食べになり、よくお休みくださいませ。何か必要なものがございましたら、ベッド脇の鈴を鳴らしていただければ、すぐに使用人が参ります」
「旦那様からも、このしばらくは修練だけに集中していただくように、と申しつけられております」
「細かなことは、すべてわたくしどもにお任せください」
ライルの胸に、また感謝の気持ちが湧いてきた。
口には出さなかった。
ただ心の中で、強く決める。
(今度の試験は、絶対に一番になる)
(父さんと母さんを、失望させたくない)
……
空を覆う雲はさらに厚くなっていた。
夜もますます深くなる。
星々はほとんど雲の向こうへ隠れ、わずかに数個の光だけが、暗い空に残っていた。
(叔父夫婦は今頃、どうやって私を家から追い出すか相談している頃だろうな)
ラインは夜の道を歩きながら、心の中で冷たく笑った。
(前世では使用人を使って私を挑発させ、そのあと罪を着せて追い出した)
(さて。今回はどう出てくる?)
叔父夫婦がどんな人間なのか。
ラインには、とっくに分かっている。
それでも理解はできた。
人は利益のためなら、何でもする。
地球でも、この世界でも変わらない。
金や力のために、親子の情も、友情も、愛情も踏みにじる者はいくらでもいる。
そもそも。
あの叔父夫婦と兄弟の間に、本当の家族愛など最初からなかった。
二人がラインとライルを引き取った最大の理由は、両親が残した遺産だった。
ただ。
ラインとライルという兄弟が、何度も彼らの予想を外しただけだ。
(何事も、最初が一番難しい)
(そして私の場合は、なおさらだ)
ラインは静かに考える。
(人並み外れた資質があるわけでもない。後ろ盾になってくれる師もいない)
(最初は、何もないところから始めるしかない)
(だからこそ、両親の遺産は大きい)
(前世では、あの財産を叔父夫婦に奪われた。そのせいで、一環頂位まで進むだけで丸二年もかかった)
(同じ失敗は、二度としない)
そんなことを考えながら、ラインは歩き続けた。
家へ帰るつもりはない。
両手には徳利。
向かっているのは、村の外だった。
夜空はさらに暗くなっている。
雲が星明かりを覆い、山から吹き下ろす風も少しずつ強くなってきた。
雨が来そうだった。
それでも、探しに行く。
両親の遺産を取り戻せるのは、十五歳になってから。
今すぐ手に入るものではない。
だが酒飲のカイの遺産なら、近いうちに見つけられる可能性がある。
通りを歩く人影は少なかった。
道沿いの家々から、ぼんやりとした灯りが漏れている。
風が吹くたび、落ち葉や細かなゴミ、土埃が道の上を転がっていった。
ラインの薄い服では、強くなってきた山風を防ぎきれない。
肌に冷たさを感じた。
そこで一本の徳利を開ける。
ほんの一口、酒を含んだ。
濁り酒だった。
喉を通ると、腹の奥からじんわりと熱が広がっていく。
この一週間。
実際に酒を口にしたのは、これが初めてだった。
村の外へ近づくにつれて、道沿いの家は少なくなっていった。
灯りも、一つ、また一つと消えていく。
その先に広がるのは、深い闇。
強い風が森を揺らす。
暗闇の中で枝が激しく重なり合い、ざわざわと大きな音を立てていた。
まるで無数の獣が闇の中で唸っているようだった。
それでも。
ラインの足取りに迷いはなかった。
村の門を抜ける。
そして暗い山道を、一人で少しずつ遠ざかっていった。
その背後には。
明るく輝く、村の無数の灯りがあった。
その灯りの中には、暖かな一室がある。
ライルは机に向かい、学堂で取ったノートを読み返していた。
部屋は明るい。
厚い壁が冷たい風を完全に遮っている。
手元には温かな薬草茶が置かれ、細い湯気がゆっくりと立ち昇っていた。
「ライル様。お風呂のお湯が整いました」
扉の向こうから、ミラの柔らかな声が聞こえてきた。
ライルの胸がわずかに跳ねた。
「う、うん。入って」
扉が開く。
ミラは笑みを浮かべ、腰を揺らすようにして部屋へ入ってきた。
「失礼いたします、ライル様」
その瞳には、以前ラインへ向けていたものとよく似た、甘い色が浮かんでいた。
ラインはもう下等資質にすぎない。
だがライルは、上等資質。
これから大きく育つことを約束された少年だ。
今、近づくべきなのがどちらなのか。
ミラにとって、その答えはあまりにも明白だった。




