8.変わりゆく立場
学堂の隣には、精霊庫が設けられていた。
それほど大きな建物ではなく、広さは六十平方メートルほどしかない。
精霊使いの修練において、どんな精霊を持つかは、そのまま実力に直結する。
授業が終わるや否や、興奮した少年少女たちは一斉に精霊庫へ押しかけた。
「並べ! 一人ずつ入れ!」
鋭い怒鳴り声が飛ぶ。
当然ながら、精霊庫の入口には見張りが立っていた。
少年たちは一人ずつ中へ入り、しばらくすると精霊を手にして出てくる。
やがて、ラインの番が来た。
精霊庫へ足を踏み入れる。
外から見た印象とは違い、中にはかなり多くのものが詰め込まれていた。
四方の壁には無数の棚穴が作られている。
四角い穴が隙間なく並び、大きいものでも土鍋ほど、小さいものなら拳ほどしかない。
その一つ一つに、さまざまな器が置かれていた。
灰色の石鉢。
青い玉で作られた皿。
細かな草で編まれた籠。
小さな陶器の炉。
そして、それらの中で数多くの精霊が飼われている。
静かにじっとしているものもいれば、ひどく騒がしいものもいる。
チチチ、ケケケ、カサカサ。
さまざまな音が重なり合い、まるで生命そのものが一つの曲を奏でているようだった。
(精霊にも一環から九環までの階級があり、精霊使いの九つの境界に対応している。ここにいるのは、すべて一環精霊か)
ラインは一通り見渡しただけで、すぐに理解した。
基本的に、一環精霊使いが安全に扱えるのは一環精霊までだ。
自分より高い環の精霊を無理に使おうとすれば、精霊使い自身が大きな代償を払うことになる。
それに、精霊は飼うだけでも餌が必要になる。
高い環の精霊ほど維持に必要なものも高価になり、低い環の精霊使いではとても負担できないことが多い。
だから特別な事情でもない限り、新しく精霊使いになった者が最初に選ぶのは一環精霊だった。
そして、精霊使いが最初に錬化する一体には、特別な意味がある。
本源精霊。
精霊使い自身の命と深く結びつく、もっとも重要な精霊だ。
もし本源精霊を失えば、精霊使い自身も必ず大きな傷を負う。
(本当なら、酒飲のカイが残した酒虫を手に入れて、本源精霊にするつもりだったんだが……)
ラインは内心でため息をついた。
(酒飲のカイの死体がある場所は、まだ手がかりすらない。いつ見つかるかも分からないし、その前に誰かに発見される可能性もある)
(念のため、月印を選んでおくか)
そう考えながら、ラインは迷わず左側の壁へ向かった。
少し高い位置にある棚には、銀色の皿が一列に並べられている。
その皿の上に、一体ずつ精霊が置かれていた。
どれも透き通るように美しく、細い三日月の形をしている。
青い水晶を削り出したかのような姿だった。
銀の皿の上に置かれたその姿には、どこか涼やかな美しさがある。
これが、ローデン一族を代表する精霊だった。
一族の者の多くが、本源精霊として月印を選ぶ。
月印は天然に生まれる精霊ではない。
ローデン一族が秘伝の方法で育てているもので、ほかの土地ではまず見ることができない。
いわば、ローデン一族の象徴でもあった。
どれも一環の月印で、個体ごとの差はほとんどない。
ラインは適当に一体を選び、手のひらに乗せた。
驚くほど軽い。
薄い紙一枚ほどの重さしかなく、大きさも普通の飾り物程度だった。
手に乗せたままでも、その向こうに自分の掌紋が透けて見える。
最後に一通り確認し、問題がないと判断すると、ラインは月印をポケットへ入れた。
そのまま精霊庫を出る。
外にはまだ長い列が続いていた。
ラインが出てきたのを見ると、次の少年が待ちきれない様子で精霊庫へ駆け込んでいった。
普通なら、精霊を手に入れたばかりの新人はすぐに家へ帰り、錬化を始める。
だがラインは急がなかった。
まだ酒虫のことが頭から離れない。
酒虫は月印よりも希少であり、精霊使いとしての修練にもずっと役立つ。
精霊庫を離れると、ラインはそのまま酒屋へ向かった。
「店主。酒を徳利二本」
ラインはポケットを探り、残っていた霊石の欠片をカウンターへ置いた。
この一週間、ラインは毎日のようにここで酒を買っている。
その後は村の周囲を歩き回り、酒の匂いで酒虫を誘い出そうとしていた。
店主は背の低い、中年の太った男だった。
脂ぎった丸い顔をしている。
連日やって来るラインのことも、すでに覚えていた。
「おや、坊ちゃん。今日も来たね」
そう言いながら、太く短い指で慣れたように霊石の欠片をかき集める。
手の上で二、三度転がし、重さに問題がないと分かると、店主の笑みはさらに愛想のいいものになった。
霊石は、この世界で通貨として使われている。
あらゆる商品の価値を測る基準だ。
同時に、霊石そのものが天地の精神力を凝縮したものであり、精霊使いが修練に使うこともできる。
貨幣であると同時に、それ自体に価値を持つ資源でもある。
地球で例えるなら、黄金に近い。
かつて地球には金本位制が存在した。
この世界では、いわば霊石本位制が成り立っている。
それだけに、霊石一つの購買力はかなり高かった。
とはいえ。
どれほど価値がある霊石でも、ラインのように毎日使い続ければ減っていく。
(毎日、徳利二本。これで七日目か)
二本の徳利を手に酒屋を出ながら、ラインは少し眉を寄せた。
(もともと持っていた霊石も、ほとんど使い切ったな)
精霊使いになれば、霊石に含まれる天然の精神力を直接取り込み、空界の霊海を補充することができる。
だから精霊使いにとって、霊石は単なる金ではない。
修練を助ける大切な資源でもあった。
十分な霊石さえあれば、修練速度をかなり上げることができる。
資質の差を、多少なりとも埋めることもできる。
(明日には、酒を買う霊石すらなくなる)
(それなのに、酒虫は一向に姿を見せない)
ラインは手にした徳利を見た。
(本当に月印を本源精霊にするしかないのか……)
酒屋を離れたラインは、左右の手に一本ずつ徳利を下げながら歩いた。
(学堂長老の話では、今回の試験で最初に本源精霊の同化を終えた者には、霊石二十個の褒美が出る)
(今頃、ほとんどの連中が家に籠もって、誰より早く同化を終わらせようと必死になっているだろうな)
(だが、本源精霊の錬化は資質の差が大きく出る。資質が高いほど、圧倒的に有利だ)
(私の下等資質では、ほかに手段でもない限り、一番になる見込みはない)
そのとき。
背後からライルの声が飛んできた。
「兄さん! やっぱりまた酒を買いに来てたんだね!」
ラインは足を止めた。
「僕と来て。叔父さんと叔母さんが、兄さんに会いたいって」
振り返る。
そこに立つライルは、もう以前のように俯いて話してはいなかった。
兄弟の視線がぶつかる。
その瞬間、風が強く吹き抜けた。
ラインの乱れた黒髪を揺らし、ライルの服の裾を大きくはためかせる。
わずか一週間。
それだけの時間で、二人を取り巻くものは大きく変わっていた。
一週間前の覚醒の儀。
それは兄にとっても、弟にとっても、人生を大きく変える出来事だった。
兄のラインは、高い場所から一気に落とされた。
長年まとっていた「天才」という光を、容赦なく剥ぎ取られた。
その一方で、弟のライルは輝き始めた。
まるで新しく生まれた星が、ゆっくりと空へ昇っていくように。
特にライル自身にとって、この変化はあまりにも大きかった。
ようやく彼は、かつて兄が味わっていたものを知った。
周囲から期待されること。
羨望や嫉妬の目を向けられること。
まるで、ずっと薄暗い隅にいた自分が、突然まぶしい光の中へ引き出されたようだった。
朝、目を覚ますたびに、まだ夢の中にいるような気さえする。
以前とはあまりにも違う扱いに、今でも信じきれない気持ちがあった。
そして同時に、強い戸惑いもあった。
慣れないのだ。
誰にも見向きもされなかった自分が、突然どこへ行っても注目される。
この数日だけで、ライルは妙に少し痩せていた。
それでも顔つきには以前より生気があり、目にも少しずつ力が宿り始めていた。
心の奥で、あるものが芽生え始めていた。
自信。
(これが、兄さんがずっと見ていた景色なんだ)
(すごい……でも、ちょっと苦しい)
当然のように、ライルは兄のことを考えた。
これほどの視線や噂を、兄はいったいどう受け止めていたのだろう。
ライルは無意識にラインを真似し始めた。
なるべく表情を変えず、何を言われても平然としていようとした。
だが、すぐに自分には向いていないと分かった。
学堂で女の子に名前を呼ばれただけで、顔が真っ赤になる。
道を歩けば、近所の女たちにからかわれ、そのたびに逃げるようにその場を離れた。
まるで歩き始めたばかりの幼子のように。
何度もつまずきながら、新しい生活に慣れようとしていた。
そしてその途中で、嫌でも兄についての噂が耳に入ってくる。
落ち込んでいる。
酒に溺れている。
夜になっても家へ帰らない。
学堂では毎日眠っている。
最初にそれを聞いたとき、ライルは大きな衝撃を受けた。
あの兄が?
あれほど強く、何でもできる天才だった兄が?
こんなふうになってしまうなんて。
だが、少しずつ。
ライルはそれを理解できるようになってきた。
(兄さんだって、普通の人なんだ)
(あんなことがあったんだから、落ち込むのも当然だよな)
そう理解すると同時に。
ライルの胸の奥には、言葉にできない小さな快感が生まれた。
認めたくはなかった。
そんな感情を抱いている自分を、嫌だとも思った。
だが、確かに存在していた。
ずっと天才と呼ばれていた兄。
大きな影のように、自分の上に立ち続けていた兄。
その兄が、今はこんなにも落ちぶれている。
それは逆に、自分がどれほど高く上がったかを証明しているのではないか。
(優れているのは……僕なんだ)
(それが、本当だったんだ)
だから。
二本の徳利をぶら下げ、髪も乱れ、服装もどこかだらしないラインの姿を見た瞬間。
ライルは胸の奥で、大きく息を吐いた。
なぜか、呼吸まで楽になった気がした。
だが口から出たのは、まったく別の言葉だった。
「兄さん、もう酒はやめたほうがいいよ。こんな生活、続けちゃ駄目だ」
「兄さんのことを心配してる人が、どれだけいると思ってるの? ちゃんと立ち直らないと」
ラインは無表情のまま、何も言わなかった。
二人は黙って見つめ合う。
ライルの瞳には、以前にはなかった強い光が宿っている。
それに対してラインの瞳は、どこまでも暗く、深かった。
底の見えない古い淵のような目。
その視線を正面から受けていると、ライルは理由もなく胸が苦しくなった。
長くは耐えられない。
思わず視線を逸らし、横を向く。
だが。
自分が何をしたのか気づいた瞬間、ライルの胸に怒りが湧いた。
兄に対するものではない。
自分自身への怒りだった。
(僕は何をしてるんだ?)
(兄さんと目を合わせることすらできないのか?)
(僕はもう変わった)
(昔の僕じゃない!)
そう自分に言い聞かせる。
ライルの目に再び力が戻った。
勢いよくラインへ視線を向ける。
しかし。
ラインはもう、ライルを見ていなかった。
両手に一本ずつ徳利を下げたまま、その横を通り過ぎていく。
「何をしている。行くぞ」
平坦な声だけが残った。
ライルの呼吸が一瞬乱れた。
せっかく胸の中に溜めた勢いを、ぶつける場所すらなくなってしまった。
何とも言えない苛立ちが残る。
見ると、兄はもうかなり先まで歩いていた。
「……待ってよ!」
ライルは仕方なく、足早にその後を追った。
ただ。
今度のライルは、もう俯いていなかった。
顔を上げ、夕日に向かって歩いている。
その視線は、足元へ向けられていた。
一歩。
また一歩。
自分の足が、兄ラインの長く伸びた影を踏んでいく。
少しずつ。
確かめるように。
今日は五回更新しよう。
燃えつきたぜ…真っ白な灰に…




