82.予想どおりの洗礼、閃いた手掛かり
雪に覆われた山林を、五人の精霊使いが駆け抜けていた。
サイラスは空を見上げ、天候と時刻を確かめるように目を細めた。
「もう時間に余裕はない。
今回の任務は、腐泥の凍土を採集するだけだ。難しくはないが、かなり時間がかかる。
ここからは速度を上げる。全員、私から離れず、なるべく遅れないようにしろ」
そう告げたあと、サイラスはわざわざラインへ顔を向け、穏やかな笑みを浮かべた。
「ライン、ついてこられなくなったら、いつでも言ってくれ。
お前はチームに入ったばかりの新人だ。私たちも、きちんと面倒を見るつもりでいる」
ラインは頷いただけで、何も答えなかった。
一方、残る三人の組員は、密かに視線を交わしていた。
時刻はまだ午前中で、日暮れまでには十分な余裕がある。
サイラスが急ぐ必要など、どこにもなかった。
わざと速度を上げ、新人であるラインへ洗礼を浴びせようとしているのだ。
三人とも、その意図を正確に理解していた。
だが、誰一人として口に出そうとはしない。
こうした新人への洗礼は、どのチームでも珍しくなかった。
入ったばかりの若者は血気盛んで、古参の組員に対する敬意も足りない場合が多い。
そのため先輩たちは、早いうちに新人の鼻っ柱を折り、上下関係を理解させようとする。
そうしておけば、後々の指揮や管理も楽になるからだ。
「行くぞ!」
サイラスは低く声を上げると、地面を強く蹴り、真っ先に加速した。
ラインの目が微かに光る。彼もほかの三人とともに速度を上げ、サイラスの背中を追った。
五人分の足が次々と雪を踏み締め、山林の奥へ深さの異なる足跡を刻んでいく。
もともと険しい山道は、厚い積雪に覆われ、普段以上に危険な場所へ変わっていた。
雪の下に鋭い石が隠れていることもあれば、深い窪みが口を開けていることもある。
少しでも足の置き場を誤れば、転倒するだけでなく、足首を捻ってしまう。
運悪く狩人の仕掛けた罠を踏めば、負傷程度では済まないかもしれない。
この世界で生き延びることは、決して容易ではなかった。
一見すると、ただ山道を走っているだけに見える。
だが、そこにも数多くの技術と経験が必要となる。
学堂を出たばかりの新人は、この程度の移動でさえ何度も失敗する。
長期にわたる訓練と、野外で幾度となく転倒した経験を積んで、初めて安全な進み方を身につけられるのだ。
ラインは正面から吹きつける寒風を受けながら、雪原を駆けていく。
岩が突き出ていれば軽く跳び越え、斜面へ差しかかれば自ら重心を低くする。
枝が複雑に交差する場所では、身体を滑らせるように横へ傾け、その隙間を通り抜けた。
一歩一歩が驚くほど安定しており、サイラスとの距離は少しも開かなかった。
ヴェルデン山は、長く白い衣をまとったかのように雪で覆われている。
大半の木々はすでに葉を落とし、剥き出しの枝だけを空へ伸ばしていた。
時折、足音に驚いた栗鼠や野鹿が雪の中から飛び出してくる。
だが、こちらの姿を見るなり慌てて逃げ出し、瞬く間に遠くの林へ消えていった。
三十分ほど走ったところで、サイラスはようやく足を止めた。
目的地へ到着したのだ。
彼は振り返り、今なお自分のすぐ後ろに立っているラインを見た。
その目に驚きが浮かんだものの、すぐさま感心したような笑顔へ変わる。
「大したものだ。さすがは今年の年末考査で第一位を取っただけのことはある。
最初から最後まで私についてきて、一歩も遅れなかったな」
ラインは薄く笑っただけで、何も答えない。
この程度の洗礼なら、これまでに何度も見てきた。
雪道を走らせて新人の力量を測り、同時にその気勢を削ぐ。
すでに多くの組で、伝統のように繰り返されている手段だ。
学堂を出たばかりの少年には、確かに効果がある。
残念ながら、サイラスは相手を間違えた。
二人がしばらく待っていると、残る三人も次々に追いついてきた。
「はあ……はあ……」
三人は激しく息を切らし、額から大量の汗を流していた。
厳寒の中だというのに、激しい運動で顔まで真っ赤になっている。
うち二人は両手を膝につき、その場で腰を折った。
最後の一人に至っては、雪の上へ直接へたり込んでしまう。
サイラスの顔がたちまち険しくなり、三人を鋭く睨みつけた。
「全員、立て!
情けないと思わないのか? ラインを見てから、自分たちの姿を見てみろ!
今回の任務が終わったら、全員しっかり反省しろ」
三人は慌てて姿勢を正した。俯いたままサイラスの叱責を受け入れ、言い返そうとはしない。
しかし、改めてラインへ向けられた彼らの眼差しは、すでに先ほどまでとは違っていた。
(妙だ。このライン、どうしてこれほど山歩きに慣れている?道中、一度も足を取られなかったぞ)
(俺たちの身体は普通人と大して変わらない、生まれつき怪力を持つ、あんな化け物と比べられるものか)
(恥をかかせるつもりだったのに、最後は俺たちのほうが笑い者じゃないか……)
三人の胸には、それぞれ異なる思いが浮かんでいた。
その視線には驚きだけでなく、少なからぬ不満も混じっている。
「もういい。全員、気を引き締めろ」
サイラスは片手を上げ、前方を指し示した。
「この小さな谷が今回の目的地だ。中には大量の腐泥の凍土が埋まっている。
これから手分けして採集し、一時間後にここへ戻ってこい。ソラ、道具を配れ」
声をかけられ、一人の男性組員が前へ出た。
名はソラ・ローデン。
ソラが右手を開くと、腹部の空界から黄色い光が飛び出し、掌の上で静止した。
光が急速に薄れ、その中から一匹の蛙に似た精霊が姿を現す。
その蛙は、丸々と太っていた。何より目を引くのは、雪のように白く、異様なほど大きな腹である。
高く膨れ上がった腹に押し上げられ、身体全体が球のような形になっている。
口と両目は頭頂部近くまで追いやられ、どこか滑稽な姿をしていた。
ラインは一目見ただけで、その正体を見抜いた。
二環精霊――大腹蛙。
ソラの掌から赤鉄色の精神力が湧き出し、大腹蛙の体内へ吸い込まれていく。
「ゲコッ!」
大腹蛙は大きく口を開き、指ほどの長さしかない小さな鉄製の鋤を吐き出した。
空中へ飛び出した鋤は、瞬く間に大きさを増していく。
あっという間に人の背丈の半分ほどもある普通の鋤へ変わり、重い音を立てて雪の中へ突き刺さった。
「ゲコッ! ゲコッ! ゲコッ!」
大腹蛙は立て続けに鳴き、声を上げるたびに一つずつ道具を吐き出していく。
間もなく、五本の鋤と五つの木箱が、皆の前へ整然と並べられた。
それぞれの木箱には二本の麻縄が取りつけられ、背負えるようになっている。
精霊を養うには、大量の資源が必要となる。
そのため、一人の精霊使いが同時に所有できる精霊の数には限りがあった。
特に修行を始めたばかりの頃は、誰もが能力に多くの欠点を抱えている。
複雑な野外環境や次々に起こる不測の事態へ、一人で対処することは難しい。
だからこそ精霊使いたちはチームを作り、互いの不足を補い合う。
構成の整ったチームには、索敵を担う者、攻撃や防御を担う者、さらに治療や後方支援を担当する者が必要だった。
ソラは明らかに、このチームで後方支援を担っている。
大腹蛙もまた、代表的な後方支援型の精霊である。
腹の中に独立した空間を持ち、そこへ大量の物資を収納することで、任務中の負担を大幅に軽減できる。
ただし、どのような精霊にも長所と短所がある。
大腹蛙の内部空間は無限ではない。それに物を吐き出すたび、必ず大きな声で鳴かなければならなかった。
野外で身を潜めているときや、敵から逃れているときには、その蛙声によって居場所を知られる危険がある。
また、大腹蛙はほかの精霊を収納できない。
毒を遮断する力もないため、猛毒を帯びた物品を無闇に入れることもできなかった。
道具が配り終えられ、五人はそれぞれ鋤を手に取り、採集した凍土を入れる木箱を背負った。
「始めろ」
サイラスは片手を振り、真っ先に谷へ入っていく。
ラインも鋤を持ち上げると、ほかの者とは異なる方向を選び、一人で歩き去った。
遠ざかっていく背中を見送り、残る三人の顔に意味深な笑みが浮かぶ。
(やはり新人だな。何も知らず、鋤を持った途端に行ってしまった
腐泥の凍土は、そう簡単に集められるものじゃない)
(見分け方を知らなければ、どれだけ掘っても、出てくるのは普通の凍土ばかりだ)
(もともと両者の色はよく似ているうえ、今は雪に覆われている。初めて採集する新人では、ほとんど運任せだろ)
三人は胸の内で冷笑した。
ラインが普通の凍土を木箱いっぱいに詰めて戻り、サイラスから皆の前で叱責される。
そんな光景が、すでに目に浮かんでいるようだった。
しかし、一時間後。
集合地点へ戻ってきた三人は、ラインが背負う木箱を見て、揃って笑みを凍りつかせた。
箱の中には、腐泥の凍土が隙間なく詰め込まれている。
驚いたのは、彼らだけではない。サイラスまでもが、一瞬呆気に取られていた。
ほかの四人は、最も多く採集した者でも木箱の半分に届いた程度だった。
それに対してラインは、一人で木箱をいっぱいにしている。
その量は、誰の収穫と比べても倍以上あった。
四人は自分の成果を見せることさえ、気まずく感じていた。
「これ……全部、腐泥の凍土だぞ!」
一人がラインの木箱へ歩み寄り、しばらく中身を確かめた。
その顔に浮かぶ驚きは、さらに強くなる。
「ライン、どうやってこれほど多く見つけたの?」
女性組員の一人が、ついに疑問を抑えきれず尋ねた。
ラインはわずかに眉を上げた。
雪面から反射した光がその瞳へ差し込み、漆黒の両眼を普段以上に冷たく澄んだものに見せている。
「学堂長老が授業で説明していました」
ラインは淡々と答えた。
「腐泥の凍土は、泥沼が雪と氷によって凍結し、形成された一般的な資源です。
普通の凍土とよく似ていますが、黒い土の中に、わずかな暗紫色が透けています
本来は強い悪臭を放ちますが、今は臭いが厳寒によって氷の中へ閉じ込められているため、嗅ぎ取ることはできません。」
ラインは、さも真剣に答えているかのような顔をした。
「特定精霊の餌であると同時に、非常に肥沃な土でもあります。
普通の土へ混ぜ、麦や野菜を育てる際にも使われます。
一族がこの採集任務を出したのは、おそらく地下洞窟へ運び、月蘭花の肥料として使うためでしょう」
説明を聞き終えた四人は、その場で呆然とした。
確かに、どれも学堂で教えられる知識だった。
しかし、理屈を覚えることと、現実の環境で正しく応用することはまるで違う。
まして雪に覆われた谷で、泥に混じるごく僅かな暗紫色だけを頼りに腐泥の凍土を見分けるなど、普通の新人にできることではなかった。
(まさかラインは、以前にも腐泥の凍土を採集したことがあるのか?)
三人の組員は互いに顔を見合わせ、同じ疑問を抱いた。
サイラスの目が微かに光る。やがて、その顔には再び穏やかな笑みが浮かんだ。
「ライン、よくやった」
口では称賛していたものの、その笑みは先ほどよりも明らかに強張っている。
サイラスはすぐに背を向け、ほかの者たちへ告げた。
「これだけ集まれば、今回の任務は達成したと見ていいだろう
鋤と木箱をソラへ返せ。聚落へ戻るぞ」
……
一行が聚落へ戻った頃には、すでに午後になっていた。
任務の報告と採集品の引き渡しを終え、五人は揃って内務堂を出る。
今回の任務で支払われた報酬は、霊石六個だった。
サイラスは自分の取り分として二個を残し、残る四個をほかの組員へ分けた。一人につき、ちょうど一個である。
霊石を受け取ると、組員たちの顔に笑みが浮かんだ。
山へ出て一時間ほど土を掘っただけで霊石一個を得られたのだから、かなり割のいい仕事だった。
ラインも自分の霊石を無言で懐へ収めた。その表情には、何の変化もない。
一方、頭の中では素早く計算を進めていた。
(新人がチームへ加わると、一族は最初の数回に限り、任務報酬を上乗せする、新人を育成するための補助だ。
腐泥の凍土を集める程度の任務なら、通常の報酬は多くても霊石二個。それが今回は六個だった、増えた四個は、明らかに私が加わったことによるものだ。
慣例に従うなら、その上乗せ分は新人へ多く配られるべきだった。
雪道を走らせたことが単なる洗礼で、採集方法を説明しなかったことが嫌がらせなら、この分配は露骨な締めつけだな)
霊石一個や二個など、ラインにとっては大した額ではない。
本当に気にかかるのは、サイラス・ローデンとは今日まで一度も会ったことがなく、過去に恨みを買った覚えもないという点だった。
では、なぜサイラスはラインを抑えつけようとするのか。
(まさか……)
その瞬間、一つの可能性が閃光のようにラインの脳裏を駆け抜けた。
昨日は予約時間を間違えてしまい、1話しか更新できませんでした。申し訳ありません!
本日からは予定どおり、12時10分と18時10分の1日2回更新で進めていきます。
今後ともよろしくお願いいたします。




