75.勝者の紅、森に響く断末魔
秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども
野草はしだいに黄ばみ、木々の梢には真紅や橙色の実が鈴なりになっていた。
「ブオオッ!」
黒いイノシシが低い咆哮を上げ、全身の剛毛を逆立てながら、四肢で大地を蹴って猛然と突進する。
山の地面には、すでに分厚い落ち葉の層ができていた。
イノシシが風を巻き起こしながら疾走すると、大量の枯れ葉が宙へ舞い上がり、その後方で激しく乱れ飛ぶ。
ラインはその場に静かに立ち、迫り来るイノシシを冷然と見据えていた。
両者が激突する直前、ラインは突然大きく一歩を踏み出す。
そのまま両脚を交互に動かし、避けるどころか、正面からイノシシへ向かって走り出した。
二本の白い牙が空気を切り裂き、眼前へ迫る。
ラインは半身になって牙をかわし、肩を沈めた。
そのまま勢いを殺さず、イノシシの頭部へ肩から激突する。
ぶつかる寸前、ラインの肩を淡緑色の玉光が覆った。
ヒスイズスキン!
ドンッ!
鈍く重い衝突音が、山林に響き渡る。
ラインは三歩続けて後退し、イノシシもまた一歩後ろへ押し戻された。
純粋な力だけなら、今のラインはすでに、このイノシシさえ上回っている。
しかし、二本の脚だけで体を支える人間は、四肢で地面を踏み締めるイノシシほど安定していない。
加えて、イノシシの体は低く、重心も人間より遥かに低かった。
それでもラインの全力の体当たりを正面から受け、イノシシは激しく頭を揺さぶられた。
倒れこそしなかったが、肥え太った巨体はすでにふらついている。
ラインは短く気合を発し、再び前へ踏み込んだ。
左手でイノシシの牙をつかみ、力ずくで頭を押さえ込む。
同時に右拳を高く振り上げると、淡緑色の玉光が拳を覆い、薄い光膜を形作った。
拳が、イノシシの頭頂部へ叩き込まれる。
イノシシは苦痛に満ちた叫びを上げ、必死に暴れ始めた。
ラインの左腕にある筋肉が一気に張り詰める。
皮膚の上には青筋がミミズのように浮かび上がり、暴れるイノシシの頭を力任せに押さえつけていた。
その間も、右拳は何度も振り上げられ、容赦なく打ち下ろされる。
拳が頭頂部へめり込むたび、表面を覆う翠緑色の玉光が激しく明滅した。
何度も殴りつけられたイノシシは完全に方向感覚を失い、抵抗する力も次第に弱くなっていく。
「最後だ!」
ラインの瞳に鋭い光が走った。
上体を大きく伸ばし、右腕を限界まで高く掲げる。
次の瞬間、肘を曲げ、全身の力を乗せて一気に振り下ろした。
淡緑色の玉光が右肘をぴたりと覆い、その軌道に短い緑色の残像を引く。
ドゴンッ!
ラインは片膝を地面につき、振り下ろした右肘でイノシシの頭蓋骨を打ち砕いた。
イノシシは最後の悲鳴を上げることさえできなかった。
巨体が突如として硬直し、そのまま二度と動かなくなる。
頭部は完全に変形していた。
折れた白い頭蓋骨が黒い皮と毛を突き破り、剥き出しとなっている。
鮮血と脳漿がゆっくりと流れ落ち、幾重にも積もった枯れ葉の上へ滲み広がり、鮮やかな緋色の模様を描いた。
寂しげな秋風が、山林の間を吹き抜ける。
数枚の落ち葉が風に巻き上げられ、猪血から立ち昇っていた白い湯気も、瞬く間に散らされていった。
「あるいは露落ちて花残れり。残るといへども、朝日に枯れぬ」
ラインは小さく呟き、目の前に広がる光景を静かに眺めた。
「どの世界でも、勝者は華やかで、敗者は色褪せて寂しいものだ
私にとって、勝敗の違いは生死の違いでもある。
外道の道を歩む以上、敗北は往々にして死を意味する」
ラインはイノシシの死体に背を預け、その場であぐらをかいた。
白イノシシの精霊を放ち、死体の中へ潜り込ませて肉を食べさせる。
同時に意識の一部を、自らの空界へ沈めていった。
空界では、墨緑色に染まった青銅の霊海が満ち引きを繰り返し、波が生まれては消えている。
精神力が完全に回復した状態なら、霊海は空界の四割四分を満たす。
先ほどの戦いでは、肩、拳、肘を守るためにヒスイズスキンを続けて使用したため、現在残っているのは三割六分だった。
つまり、この戦いで消費した精神力は八分。一割にも満たない。
数字だけを見れば少ない。だが実際には、相当に大きな消耗だった。
なぜなら、ラインが使っているのは一環最上位に相当する、墨緑色の精神力だからだ。
一環初位は翠緑色、一環中位は蒼緑色、一環上位は深緑色。
そして一環最上位の頂位に達すれば、精神力は墨緑色へ変わる。
環階が高いほど精神力の品質も高くなり、その力はより濃密に凝縮されていく。
たとえば月印を一度使用するために、翠緑色の精神力を一割消費するとする。
蒼緑色なら必要量は五分で済み、深緑色ならさらに半分となる。
墨緑色まで高まれば、必要量はそこから再び半減する。
逆に言えば、一割の墨緑色精神力は、二割の深緑色精神力、四割の蒼緑色精神力、あるいは八割の翠緑色精神力に相当する。
先ほどラインが消費したのは、八分の墨緑色精神力だった。
一環初位の翠緑色精神力へ換算すれば、実に六割四分にもなる。
だが、ラインの空界が蓄えられる精神力の総量は、四割四分しかない。
もし今も一環初位に留まっていたなら、これほど高い強度でヒスイズスキンを連続使用することは不可能だった。
戦いが半分にも達しないうちに、空界の霊海は完全に干上がっていただろう。
「精霊使いは環階が上がるほど、戦闘力も高くなる
その最も直接的な違いが、精神力の品質だ
境地が高いほど色は深まり、同じ精霊でも長く使い続けられる」
ラインは小さく笑った。羨ましさよりも、自嘲の念が強かった。
「もっとも、私の墨緑色精神力は、酒虫が深緑色精神力を精錬したものにすぎない
私自身はまだ一環上位だ。すでに本物の一環頂位へ進んだライルとは違う」
ライルのことを考え、ラインの目がわずかに動いた。
時は足早に流れ、季節はすでに晩秋を迎えている。
ビッグ・ジャックによる襲撃から、二か月以上が過ぎていた。
猛毒に侵されたライルは、七日七晩にわたって眠り続けた。
再び目を覚ましたとき、彼はまるで別人のように変わっていた。
以前より遥かに努力するようになり、修練に取り組む姿勢は、もはや勤勉を通り越して刻苦と呼べるほどだった。
人生に訪れる苦難は、すべて黄金にも勝る財産になると言う者がいる。
その言葉が誰にでも当てはまるとは限らない。
しかしライルが、あの生死の危機から多くのものを得たことだけは確かだった。
磨かれていなかった一つの原石が、苦難によって削られ、内側に秘めていた輝きを少しずつ現し始めたのである。
ライルはもともと、最初に一環上位へ進んだ生徒だった。
そして少し前には、誰よりも早く一環頂位へ到達し、再びほかの同世代を引き離している。
上等資質が持つ本来の輝きが、ようやく彼の身に咲き始めていた。
「私も一環頂位まで、そう遠くはない。あと十日、遅くとも半月もあれば突破できるだろう
このところ、空界を養う修練を休んだことはない
だが、下等資質は上等や中等とは比べものにならない。それに、もう一つ理由がある……」
ラインは口元をわずかに歪め、声もなく苦笑した。
彼は一定の間隔で地下石林へ入り、宝石猿を狩って、その両目をヒスイズスキンの餌にしなければならない。
同時に、複雑に入り組んだ石林を少しずつ探索し、酒飲のカイが残した次なる継承の手掛かりを探し続けていた。
石林内部の地形は、極めて複雑だった。
巨大な石柱が天井から垂直に伸び、その一本一本に、おびただしい数の宝石猿が棲みついている。
少しでも注意を怠り、どれかの石柱へ近づきすぎれば、警戒範囲に踏み込み、宝石猿の群れから一斉に襲われてしまう。
ラインもすでに何度か、数十匹の宝石猿に追い立てられ、這う這うの体で逃げ帰っていた。
最も危険だったときには、逃走の最中に進路を見失い、別の石柱の警戒範囲へ飛び込んでしまった。
二つの群れが同時に穴から飛び出し、百匹を超える石猿が前後から迫り、危うく完全に包囲されるところだった。
幸い、宝石猿は巣への執着が非常に強い。
ある程度の距離まで追いかけると、自ら獲物を諦め、それぞれの穴へ戻って石柱を守り始める。
それでもラインは、すでに何度か死の淵へ追い込まれていた。
危機を脱することができたのは、いずれもヒスイズスキンが攻撃を防いでくれたからである。
これほど危険な探索には、当然ながら膨大な時間と労力を費やす。
それこそが、ラインの環階の上昇が以前より遅くなった最大の理由だった。
「それでも、今の修行速度は前世の同じ時期を遥かに上回っている」
ラインは思いきり身体を伸ばした。関節が小気味よい音を立てた。
「石林の探索も、まったく成果がなかったわけではない。
少なくとも、外周の石壁を一巡した範囲には、何の異常もないと確認できた。
次の継承に繋がる手掛かりは、石林内部のどこかに隠されていると見ていいだろう」
ラインが思索に沈んでいると、一つの黒い影が枯れ枝を踏み、ゆっくりと近づいてきた。
群れから離れた、一頭の老狼だった。
全身を覆う毛は褐色がかった黄色で、片脚を引きずり、右目も完全に潰れている。
残った左目だけが、残忍さと警戒心を湛えた緑色の光を放っていた。
老狼はラインを凝視しながら、しきりに鼻を動かしている。
イヌ科の動物らしく、狼の嗅覚も極めて鋭い。
山林に漂う濃い血の匂いに引き寄せられてきたのだろう。
狼は通常、群れを作って暮らす。
しかし山林には、この老狼のように単独で彷徨う個体も存在していた。
狼の群れにも激しい競争がある。
群れ全体の力を保つため、老いた者、傷ついた者、弱りすぎた者は、しばしば仲間から追い出される。
ラインは素早く立ち上がり、老狼へ静かな視線を向けた。
以前なら、イノシシを一頭倒す頃には、体内の精神力もほとんど残っていなかった。
その状態で別の獣に横槍を入れられれば、戦わずに退くしかない。
だが、この数か月にわたる修練を経て、ラインの戦闘力はすでに当時とは比べものにならないほど高まっていた。
今はヒスイズスキンもある。
傷ついた老狼が一頭だけなら、相手をするには十分すぎる。
山を埋める紅葉は、燃え盛る炎のようだった。
傾いた夕日が、木々の隙間から差し込んでいる。
五十歩の距離を挟み、一人と一頭は、身じろぎもせずに互いを見つめていた。
老狼の独眼には残忍さと狡猾さを秘めた緑光が揺れている。
対するラインの目は、底知れぬ淵のように深く、その黒い瞳に宿るのは冷たさだけだった。
しばらくすると、白イノシシの精霊が死体の中から飛び出してきた。
すでに満腹となり、満足そうにラインの体内へ戻ると、そのまま空界へ入っていく。
老狼は地面に横たわるイノシシの死体へ目を落とした。
そこに残されているのは骨格と破れた皮だけで、大半の血肉は白イノシシの精霊に食い尽くされていた。
老狼の独眼に宿る緑光が、わずかに縮む。
まず慎重に数歩後退し、次の瞬間には身を翻して、深い茂みの中へ消えていった。
傷ついた身でありながら、今日まで山林を単独で生き抜いてきた狼である。
それなりの知恵を持ち、ラインの危険性を敏感に察知した結果、獲物を諦めて退く道を選んだのだ。
突然現れた老狼は、去るときにも何の未練も見せなかった。
イノシシが突進するときのような凄まじい勢いもなければ、猛虎が敵を前にしたときの低い咆哮もない。
一人と一頭の駆け引きは無音の中で始まり、沈黙のまま終わった。
「生きるか死ぬかという永遠の主題の下で、自然はどれほど多くの妙を生み出してきたのだろうな」
ラインはその場に立ったまま、老狼を追おうとはしなかった。
あの狼の体には、わざわざ手に入れる価値のあるものが何一つない。
向こうから退いた以上、精神力と時間を費やしてまで殺す必要もなかった。
「アオオオ――ッ!」
次の瞬間、茂みの奥から老狼の凄惨な断末魔が響いた。
声は何の前触れもなく爆発し、瞬く間に途切れる。
その短い叫びには、濃密な死の気配が込められていた。
すぐに、茂みの向こうから枯れ枝を踏み折る音が聞こえてくる。
近づいてくる何者かは、行方を隠そうとさえしていなかった。
遠慮のない足音が、次第に大きくなる。
ラインの瞳孔がわずかに収縮し、その眼差しもさらに冷たく研ぎ澄まされた。
「あの狡猾な老狼を、一瞬で殺した……」
「いったい、何が来る?」




