69.死者の正体、外道精霊使いの影
樹上小屋の中はさほど広くなかったが、置かれている物は驚くほど多く、ひどく雑然としていた。
中央の木床には、くすんだ黄色の厚い毛布が敷かれている。
壁際には薪を燃やす鉄製のストーブが置かれ、その上には銅の薬缶が載っていた。
炉内には黒い灰が残り、傍らには使い切っていない乾いた薪が積まれている。
夏とはいえ、ヴェルデン山の夜はひどく冷え込む。
このストーブに火を入れれば、小屋全体を温めるには十分だろう。
両側の壁には窓が一つずつあり、片方の窓枠に結ばれた二、三本の麻縄が部屋を横切り、反対側の窓枠まで伸びていた。
縄には継ぎ接ぎだらけの古着が何着か掛けられている。
どれも大人の物で、表面にはまだ湿り気が残っており、洗われてからそれほど時間が経っていない。
夕日の残光が窓から斜めに差し込んでいたが、小屋の薄暗さを消すには足りなかった。
隅には鉄の斧と狩猟刀が立て掛けられ、粗い獣皮を巻いた柄にも、刃にも、乾きかけた暗赤色の血が残っている。
反対側の木壁には、一枚の竹紙が貼られていた。
その中央には、一本の短剣が深々と突き刺さっている。
竹紙に描かれていたのは、少年の顔だった。
ライン
間違いなく、彼自身の顔だった。
室内の様子から見て、最近まで誰かがこの隠れた樹上小屋で暮らしていたことは疑いようがない。
その人物が何を目的としていたのかも、もはや考えるまでもなかった。
肖像を貫く短剣が、向けられた悪意を何より雄弁に物語っている。
さすがのラインも、この光景を前にして表情を変えた。
(この人は、いったい何を企んでいる?なぜ私を狙う?
いや……本当の標的は私ではなく、ライルかもしれない。私たち兄弟は顔立ちが似ている。それで相手が取り違えた可能性もある)
ラインは猛烈な速さで考えを巡らせた。
ライルは上等資質を持ち、ローデン一族にとって三年ぶりに現れた天才だった。
一族の未来を担う存在として期待されており、順調に成長すれば、いずれ次代のローデン一族を支える柱となる。
だが、どれほど優れた天才であろうと、成長には時間が必要だった。
その途中で天災に見舞われることもあれば、人の手によって命を断たれることもある。
天災は避けようがない。真に警戒すべきなのは、ほかの勢力がもたらす人災だった。
ヴェルデン山に存在する一族は、ローデン一族だけではない。
ベル一族とロア一族もまた、この地に根を張る大きな勢力である。
長くヴェルデン山の主導権を握ってきたローデン一族が、さらに上等資質の強者を育て上げる。
それをほかの両族が喜ぶはずはなかった。
成長前の天才を葬るため、刺客を差し向けることなど珍しくもない。
この世界に天才は数多く存在するが、生き延びて強者まで成長できる者は、驚くほど少なかった。
上等資質の精霊使いも、決して前例のない存在ではない。
ローデン一族では三年前にも一人が生まれ、それ以前の時代にも何人か現れている。
しかし近年、ヴェルデン山の三大集落に生まれた上等資質の天才のうち、無事に成長を遂げた者は、わずか一人しかいなかった。
ベル一族のシオンである。
そのシオンは、すでに三環へ達している。
この結果だけでも、多くのことが読み取れた。
(この人物はベル一族の者か、それともロア一族か。もうライルを殺す準備に入っているのか?)
ラインは眉を寄せ、木壁の肖像を睨みつけた。
(だが、この樹上小屋がほかの勢力のものなら、なぜオールド・ジャックの獣皮地図に場所が記されていた?
まさか、オールド・ジャックは以前から別の集落に買収され、ローデンの領地に潜む目や耳として使われていたのか?)
その推測へたどり着いた瞬間、ラインの中に違和感が生まれた。
「違う」
黒い瞳に、鋭い光が走る。
「この人は、最初から私を狙っている」
これまで見過ごしていた無数の細部が、記憶の奥底から次々と浮かび上がってきた。
一つ目は、罠の近くで耳にした四人の若い狩人たちの会話だった。
そのうちの一人が、ジャックをからかうように笑っていた。
「俺は一生、この村に残るつもりはない。
いつか必ずヴェルデン山を出る。
外の世界へ行き、自分の名を轟かせてやる」
二つ目は、ラインが実際に手を下したときの、ジャックの異様な落ち着きだった。
精霊使いを前にして、ほかの三人はすぐに跪き、命乞いを始めた。
それでもジャックだけは冷静さを失わず、真っ先に弓へ矢をつがえ、その切っ先をラインへ向けている。
三つ目は、生き残った者たちを問いただしたときの会話だった。
「オールド・ジャックの家族は、ほかにもいるのか?」
一人の狩人が答えた。
「オールド・ジャックには妻がいました。
ですが十数年前、村が野生の狼に襲われた際、その妻も死んでいます。
「子供は息子が二人と、娘が一人です。
長男のビッグ・ジャックは、三年前に山へ狩りに入ったきり戻りませんでした」
「皆、山の中で死んだと思っています!」
すると、もう一人の狩人が何かを思い出し、慌てて付け加えた。
「そうだ!以前は、オールド・ジャックに義理の娘もいました。
ビッグ・ジャックの妻です。
ですが夫が行方不明になってから、ほどなくして死にました」
記憶の中に散らばっていた場面が、一本の線でつながっていく。
オールド・ジャックの一家は、ある日突然村を離れ、人目を避けて暮らし始めた。
長男のビッグ・ジャックは三年前に狩りへ出たまま姿を消し、誰もが山中で死んだものと考えている。
それ以降、オールド・ジャックは若者たちを追い返し、住まいへ近づけようとしなかった。
獣皮地図に隠された情報も徹底して伏せ、ラインへ渡した竹紙の地図には、
三つの赤い円だけが描かれていない。
弟のジャックは若いにもかかわらず、精霊使いを前にして異様なほど落ち着いていた。
結婚することを避け、普通の狩人には似つかわしくないほど大きな野心を抱いていた。
何より、獣皮地図に記された三つの赤い円は、いずれも人目につきにくく、安全に暮らせる場所だった。
目の前の樹上小屋には大人が長く生活していた痕跡が残り、その人物はラインへ強烈な殺意を抱いている。
一つずつ切り離して考えれば、どれも見過ごしてしまう程度の違和感にすぎない。
しかし、すべてをつなぎ合わせた途端、何もかもが不自然に見え始めた。
考えを深めるほど、目の前を覆っていた霧が薄れていく。
夕日の残光が窓を通り抜け、ラインの顔を照らしていた。
その色は濃く、まるで凝固した血を塗りつけたかのようだった。
小屋の中は静まり返り、風に揺れる葉の音さえ遠く感じられる。
まるで誰かがずっと背後に潜み、ここで起きるすべてを声もなく覗いているようだった。
不意に、ラインの両目が鋭く輝いた。
その視線は過ぎ去った三年の歳月を貫き、隠されていた真相を捉えていた。
「ビッグ・ジャックは死んでいない」
ラインの瞳から、強い光が放たれる。
「それどころか、何らかの機縁を得て、外道精霊使いになった」
一般人の中に、修練の資質を持つ者がいないわけではない。
ただ、各一族が精霊使いの修練法を厳しく独占し、一般人には容易に触れさせないだけだった。
しかし、何事にも例外はある。
一般人が偶然修練の道へ踏み込むこともあった。
野外で希望の精霊に出会い、空界を開くこともあれば、死んだ精霊使いの伝承を偶然受け継ぐこともある。
一族に属する者から、密かに手ほどきを受ける例さえ存在した。
だが、一族の管理から外れて生まれた精霊使いが、心から受け入れられることはない。
運がよければ外縁の護衛や用心棒として使われるが、誰かに従うことを拒む者は、組織を離れて一人で生きる道を選ぶ。
彼らには安定した修練資源もなく、守ってくれる一族もいない。
その暮らしは常に厳しく、資源を求めて盗みや略奪、時には殺人にまで手を染め、やがて外道へ踏み込む者も少なくなかった。
(ビッグ・ジャックは三年前、何らかの機縁を得て精霊使いになった。
最も可能性が高いのは、山中で精霊使いの亡骸を見つけ、その遺産を手に入れたというものだ
正体を隠すため、彼は自分が死んだという話を意図的に広めた。実際、ビッグ・ジャックの死体を見た者は、最初から一人もいない)
ラインはため息をつき、こめかみを指先で揉みほぐした
(真相を知ったオールド・ジャック一家は、すぐに村を離れた。
野獣に襲われる危険を冒してまで人里を離れ、ビッグ・ジャックの秘密を守ろうとしたのだろう
だが、その途中で家族の意見が割れた。ビッグ・ジャックの妻は彼らのやり方に反対し、集落へ事実を知らせようとしたのかもしれない。
だから口を封じるため、ジャック一家は彼女を殺した)
その後、彼らはわざと真偽の入り交じった噂を流した。
再婚しようとしていたという話もあれば、家族に追い詰められて自害したという話もある。
食い違う噂が増えるほど、本当の死因はかえって見えにくくなる。
ラインは樹上小屋の中をゆっくり歩きながら、推論をさらに組み立てていった。
(ビッグ・ジャックは一定の間隔で、密かに家へ戻っていたはずだ。
オールド・ジャックが狩りを習いに来た若者たちを追い返していたのも
彼らにビッグ・ジャックの姿を見られることを恐れたからだろう)
断片的な情報が、徐々につながり始めた
(ジャックは精霊使いとなった兄と長く接していた。それなら、精霊使いに対する恐れが薄かったのも納得できる。
兄の影響を受け、自分も精霊使いになり、ヴェルデン山を出て広い世界を巡りたいという野心を抱いたのだ
婚姻を通じて外の人間が家へ入り込み、兄の秘密を知ることも警戒していた。
だからジャックは結婚できる年齢になっても、迂闊に妻を迎えようとしなかった)
真相はもう目の前だ
(そして三つの赤い円は、ビッグ・ジャックが使う三か所の隠れ家だ。
家で暮らし続けることのできない彼は、その三か所を順番に使い、三大集落の支配が届きにくい狭間へ身を隠していた)
獣皮地図に描かれた三つの赤い円。その意味が、ついに明らかになった。
赤は地図の中でも特に目立ち、重要な物を示す色でもある。
オールド・ジャックにとって、三か所の隠れ家は長男の居場所そのものであり、何より守るべき秘密だった。
だからラインに地図を描かされたときも、竹紙には三つの赤い円を記さなかった。
その一方で、危険地帯を示す赤い印までいくつか故意に省き、
山中の猛獣を利用して、殺された息子の仇を討とうとしたのである。
(ビッグ・ジャックは毎年、決まった時期になると、しばらく家へ戻っていたのだろう。
今回も戻ってみたところ、家族が全員死んでいた。
それから密かに調べ始め、最後には私へたどり着いた)
ラインは再び、木壁に貼られた肖像へ目を向けた。
(だから、ここに私の絵を貼り、短剣を突き立てた)
五百年に及ぶ前世の経験から考えて、これが一連の出来事の真相だと、ラインはほぼ確信していた。
もし本当に別の勢力がライルの暗殺を企てているのなら、もっと人目につかない手段を選ぶはずだ。
わざわざオールド・ジャックのような普通の狩人を内通者に仕立てる必要はない。
オールド・ジャックが暮らしていたのは山麓の村であり、ローデンの集落内ではない。
手に入れられる情報は極めて限られており、ほかの勢力が手間をかけて利用するほどの価値はなかった。
「獣皮地図を一枚奪っただけで、まさか外道精霊使いまで出てくるとはな」
ラインの口元に、冷たい笑みが浮かぶ。
「世の中とは、実に面白いものだ」
ラインが最初にジャックを殺し、その後オールド・ジャックと娘まで殺したのは、
最も直接的な方法で獣皮地図を奪うためだった。
オールド・ジャックは近隣の村々で最も経験豊かな狩人である。
その手にある獣皮地図が、最も価値の高い物であることも当然だった。
当時のラインにとって、彼らは三人の一般人にすぎなかった。
迷うほどの理由などなく、自分の前に立ちはだかるのなら、その場で殺せばよいと考えていた。
この世界では、誰もが生きる権利を持っている。
同時に、誰もが命を落とす可能性を背負っている。
ただ、死んだ三人の背後から外道精霊使いが現れることまでは、ラインにも予想できなかった。
それでも、彼はまったく後悔していない。
むしろ、あの場で手心を加えなかったことを幸運だと思っていた。
もし情けをかけ、話し合いによってジャック家から獣皮地図を得ようとしていれば、
ジャックも、オールド・ジャックも、その娘も、すべてが大きな障害になっていただろう。
ビッグ・ジャックの秘密を守るため、彼らが本物の獣皮地図を自分から差し出すはずはない。
ジャックは一般人でありながら、優れた弓の腕と豊かな狩りの経験を持ち、
並の一環上位の精霊使いなら殺せるほどの実力があった。
オールド・ジャックはさらに老獪であり、本気で戦えば、息子以上の脅威になった可能性もある。
たとえ最後には本物の地図を手に入れられたとしても、
オールド・ジャックがその経緯をビッグ・ジャックへ伝えれば、相手はラインの正確な情報を得ることになる。
そうなれば、ビッグ・ジャックだけが姿を隠し、
ラインは居場所も手の内も知られたままになる。
どのような対処を選んでも、主導権は完全に相手へ渡っていただろう。
「幸い、あのときは最初から殺しにかかり、話し合う余地を一切与えなかった
手に入れた地図が本物でも偽物でも、主導権はこちらに残る。
偽物だったとしても、別の狩人から地図を奪えば済むだけだ」
ラインは、あの日の自分の行動を心からよかったと思っている。
「オールド・ジャックと娘もすぐに殺したことで、ビッグ・ジャックが直接情報を得る道は断たれた。犯人へたどり着くためには、時間をかけ、私に関する情報を一つずつ集めるしかなかった」
そこまで考えると、ラインの中ですべての事情がはっきりした。
(言うまでもない。あのとき生き残った二人の若い狩人は、すでにビッグ・ジャックに口を封じられているだろう)
そもそも、一連の事情を知る者はごくわずかだった。
ビッグ・ジャックも、バキには簡単に手を出せない。
バキはローデン一族の一員であり、突然死ねば、一族が必ず調査へ乗り出す。
しかし、残りの二人はただの一般人だった。
危険に満ちた山中で、二人の狩人が突然行方不明になる。
それ自体は、さほど珍しい出来事ではない。
たとえ疑う者が現れても、真相まで追い続けるのは難しかった。
一方のバキも、一族内での体面と評判を守るため、
自分がラインに屈し、命乞いをした事実を進んで語ろうとはしない。
二人の失踪に不自然な点があると気づいても、バキは沈黙を選ぶだろう。
その結果、彼は自分でも気づかないまま、ビッグ・ジャックの残した痕跡をすべて覆い隠すことになる。




