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目指すは永生 ~二度目の人生を歩む外道精霊使い~  作者: 久保 墨/朱色の豚
外道の本性

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55.規矩が張る網、血縁が結ぶ縄

「族長様。私だけをお残しになったのは、何かご用命がおありだからでしょうか」


学堂長老は、評議室に恭しく立っていた。

ハクは近くの椅子を勧め、窓の外の月へ目を向けた。


「命令というほどのものではない。人祖の物語を、一つ聞かせようと思ってな」


学堂長老は軽く頭を下げた。

勧められた椅子へ腰を下ろす。


「拝聴いたします」


伝承によれば、人祖は規と矩の真名を口にし、二体の精霊を従えた。

最初に命じたのは、寿の精霊を捕らえることだった。


円を司る規(き)と、方形を司る矩(く)。

二体が力を合わせると、寿の精霊はたちまち人祖のもとへ連れてこられた。


寿の精霊を使うと、老いた肉体に若さが戻った。

人祖は二十歳の青年へと若返ったのである。


ところが、規の精霊が告げた。


「人よ。お前は確かに我らを従えた。だが、命令を下すたびに、新たな規矩が一つ加わる」


続いて、矩の精霊が言った。


「最初の命令で、我らは寿の精霊を捕らえた。

ゆえに第一の規矩として、これより寿の精霊を再び捕らえることはできない」


人祖は落胆した。

しかし、受け入れるほかはなかった。

ほどなくして、二つ目の命令を下す。


「寿の精霊が駄目なら、それ以外のすべての精霊を、私の前へ連れてこい」


規は、空を覆う円となった。

矩は、大地を覆う方形となった。


二つが重なり、世界を包み込む巨大な網が生まれた。

やがて規と矩が元の大きさへ戻ると、網も人祖の手に収まった。

その中には、無数の精霊が捕らえられていた。


人祖は狂喜した。

これで、この世の精霊を支配できると思ったのだ。


ところが、網を開いた途端、精霊たちは奔流となってあふれ出した。

瞬く間に飛び去り、姿を消してしまう。


残ったのは、わずか五体だった。


「なぜ、こんなことに?」


規と矩は答えた。


「我らにできるのは、捕らえるところまでだ。お前を主と認めさせることはできない」


「お前には、まだ十分な力も知恵もない。この世の精霊が従わぬのは当然だ」


さらに、二体は新たな規矩を告げた。


「二つ目の命令により、第二の規矩が生まれた。

これより我らが一度に捕らえられる精霊は、一体だけとなる」


人祖は仕方なくうなずいた。

慎重に網を少しだけ開くと、残った五体の中に、見覚えのある二体がいた。


かつて自分のもとを去った、力の精霊と知恵の精霊だった。


まず、力の精霊に語りかけた。


「かつて私を見限ったことを、今は悔いているか?従うなら、ここから解放してやろう」


力の精霊は答えた。


「逃げられずに残ったのではない。もう一度、お前と取引をするためだ。

私は、自分より強い者にしか従わない。今のお前に、その資格はない。

だが、青春を差し出すなら、しばらくの間だけ命令を聞いてやろう」


若さを取り戻したばかりの人祖は、それを手放したくなかった。

それでも、力が欲しかった。

力さえ得れば、さらに多くの精霊を従えられると信じ、取引を受け入れた。


青春を失った身体は、たちまち中年の姿へ変わった。

代わりに、力の精霊が網から飛び出し、その肩へ降り立つ。


人祖は今度、知恵の精霊へ目を向けた。

知恵も、同じ条件を突きつけた。


「お前の中年を差し出せ。そうすれば、しばらくの間だけ従ってやろう」


今度ばかりは、人祖も拒んだ。


中年まで手放せば、残るのは短い老年だけだ。

そもそも、一時的に従うだけなら、いつかは以前と同じように去ってしまう。


だが、取引を断るからといって、逃がすつもりもなかった。


しばしの沈黙のあと、知恵の精霊が不意に譲歩した。


「いいだろう。今回は、お前の勝ちということにしてやる」


人祖が顔を上げると、知恵は続けた。


「どうやって私を捕らえたのか、それだけ教えろ。代価は求めず、負けを認めよう。

これからは、お前のために働いてやる」


人祖は大喜びした。

規と矩が止めるより早く、得意げに答えてしまった。


「規と矩が、お前を捕らえたのだ」


知恵の精霊は、たちまち笑いだした。


「そうか。あの二体の名は、規と矩というのか。

真名を知った以上、あの者たちが私を捕らえることは二度とない」


言い終えるや、一筋の光となった。

網を抜け、どこかへ消え去ってしまう。


規と矩は、人祖を責めた。


「人よ。我らの名を、ほかの者に知らせるなと忠告したはずだ。

真名を知る者が増えるほど、我らを縛る規矩も増えていく」


そこで初めて、人祖は罠に気づいた。


知恵を逃がしただけではない。

規と矩の力で再び捕らえる道まで、永遠に閉ざしてしまったのだ。


物語をそこまで語ると、ハクは口を閉ざした。


学堂長老はしばらく考え込んでいた。

やがて、椅子から立ち上がる。


「族長様は、ラインを知恵の精霊に、ローデン一族を人祖になぞらえておられるのですか?

規矩で捕らえても、扱い方を知らなければ逃げられてしまう、ということですね」


少しためらってから、言葉を続けた。


「ラインへの締めつけをやめろ、という意味でしょうか。

しかし、あの者の振る舞いは、日に日に目に余るものとなっています」


「半分しか理解しておらんな」


ハクは、もう一度座るよう手で示した。

学堂長老は腰を下ろした。


「お前は長く学堂を預かりすぎた。その目には、生徒と規律しか映っていない。

だが、学堂はローデン一族の一部にすぎぬ。

何を案じているかは分かっている。ラインに抑えつけられ続ければ、ほかの生徒は自信を失い、抗う気力までなくす。それが怖いのだろう」


ハクは静かに首を振った。


「だが、彼らの背後には両親も、年長の親族もいる。それぞれの派閥もある。

資源を与え、励まし、期待を寄せ続ける者がいるのだ。数度の敗北だけで、完全に折れはせぬ」


学堂長老は黙って聞いていた。

ハクは、その顔を見ながら続ける。


「ラインが支給の霊石を奪っている件は、とうに把握している。これまでも密かに様子を見てきた。

自ら全員の敵になるというなら、好きにさせればよい。

その圧力でライルたち三人を鍛えるほうが、ありきたりな訓練より効果的だ

少なくとも今年の生徒は、近接戦闘だけなら、過去のどの代よりも優れている」


学堂長老は眉を寄せた。


「適度な挫折が役に立つことは認めます。

しかし、ラインは酒虫を手にしています。一環のうちは、ほかの生徒が追い越すのも難しいでしょう。

圧力が強すぎれば、心を完全に折られる者も出かねません」


「ならば、耐えられぬ者は淘汰されればよい」


ハクの声音が、不意に冷たくなった。


「真の敵は、彼らの心など気遣わぬ。年若いからと、手加減することもない。

一族全体の後ろ盾を得ながら、同年代の圧力にすら耐えられぬなら、それまでだ。

育て続ける価値はない

毎年、新たな生徒が入ってくる。今年に見込みがなければ、次の年を待てばよい」


そこで一度、言葉を切った。


「ライルについては、明日の夜から、私が人目を避けて直々に指導する」


学堂長老の目に喜色が浮かんだ。


「族長様からご指導いただけるとは、ライルにとって得難い機会です」


ハクは彼を一瞥した。

口調は、再び穏やかなものに戻る。


「お前は数十年も学堂長老を務めながら、ずっと同じ地位にとどまっている。その理由が分かるか?」


学堂長老の表情が凍りついた。


「能力は足りている。足りぬのは、視野の広さと、人を受け入れる度量だ」


ハクは遠慮なく言い切った。


「ラインに威信を傷つけられ、生徒の前で面目を潰された。それで、あの少年の価値を冷静に見極められなくなっている」


学堂長老は答えなかった。

ハクの言葉を、黙って受け止めていた。


「確かに、同年代よりませてはいる。だが、所詮は十四歳だ。

侍衛を傷つけ、お前に逆らったのも、一族に見放された不満をぶつけているだけだろう

天才と期待されながら、蓋を開ければ下等資質だった。

それで一族を恨むようになったとしても、少年なら不思議ではない」


ハクは、学堂長老の顔を見据えた。


「必要以上に恐れることもない。本当に底知れぬ策士なら、中位への昇進をあれほど早く明かしはせぬ・

霊石を奪い続けるためだけに、前委員長、今リーダーと呼ばれる座を蹴ることもなかったはずだ。

酒虫も、いつまでも隠し通せると思っていたらしい。

若者らしい小賢しさにすぎんよ」


学堂長老は考え込み、やがて尋ねた。


「では、鬱憤を吐き出すまま、放っておくおつもりですか?」


「感情は、無理に押さえつけるほど激しく跳ね返る。

吐き出させたほうが、かえって一族を受け入れやすくなるものだ」


ハクは再び、窓の外へ目を向けた。


「ローデン一族を今日まで支えてきたのは、規則だけではない。血縁と利益、そして人と人との情だ

規矩だけで縛れば、人は逃げ道を探し続ける。だが、どうしても見捨てられぬ者ができれば、自らここに残る」


学堂長老は、ようやくその言葉の意味を考え始めた。


「ラインは下等資質だ。よほど運に恵まれても、数十年後に平凡な長老となるのが精いっぱいだろう。

だが、ライルの双子の兄でもある。真に価値があるのは、そちらだ。ライルが一族に残り続ける限り、ラインもいずれ、その血の繋がりに引き留められる」


ハクは、ラインを束縛することを諦めたわけではなかった。

規則だけが、人を従わせる手段ではないと言っているのだ。


地位も、資源も、血縁も、感情も。

すべてが目に見えない縄となり、人を一族へ繋ぎ留める。


学堂長老は、ようやく真意を理解した。


「覚えておけ」


ハクが最後に告げた。


「真に強い一族とは、従わぬ者をことごとく滅ぼす一族ではない。異端すら受け入れ、最後には己の一部に変えられる一族だ」


「肝に銘じます」


学堂長老は席を立ち、評議室を辞した。

扉が閉じると、広い室内にはハクだけが残った。


彼は、ラインという少年を見抜いたつもりでいた。


だが、知らなかった。


リーダーの座を拒んだことも、酒虫の存在を自ら明かしたことも。

すべてが初めから、ラインの計画に組み込まれていたことを。

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