48.罰を待つ教室、血に染まる廊下
「ラインのやつ、今日は授業に来てないぞ」
「見ろよ。朝からずっと席が空いてる」
「今日は学堂長老が直々に教えるんだぞ。その授業まで休むなんて、今度こそ罰を受けるだろ」
生徒たちは声を潜め、ラインの空席を何度も見た。
ときおり教卓へ目を向け、学堂長老の顔色もうかがっている。
霊石を脅し取られるようになって以来、誰もがラインを敵視していた。
今度こそ、痛い目を見るかもしれない。
その期待が、生徒たちの目に浮かんでいた。
学堂長老は囁き声が聞こえないふりをして、空界の強化方法を説明し続けた。
話す速さは変わらず、説明もいつもどおり明快だった。
ただ、空席へ目を向けるたび、表情は険しくなっていく。
彼をよく知る教官なら、その怒りの大半が見せかけだと分かっただろう。
(昨日は、あいつの勢いをどう抑えるかと考えていた。それが今日は、自分から口実をくれるとはな)
学堂長老は内心で冷笑した。
表情だけは、さらに厳しくする。
無断欠席は、明らかな規則違反だ。
難癖をつけるまでもない。
皆の前で規則どおりに罰すれば、ラインも学堂に従う立場だと示せる。
結局は、十四歳の少年にすぎない。
当分は慎重に振る舞うと思っていたが、買いかぶりだったらしい。
学堂に必要なのは、ライルやメル、ノアたちを競わせ、成長させる刺激だ。
ラインをそのための圧力として利用しても、全員を支配することまでは許さない。
勝てないのが当然になれば、挑む気持ちも失われる。
それでは、多くの精霊使いを育てる意味がなかった。
「誰か来い」
学堂長老は、指の関節で教卓を軽く叩いた。
扉の外に控えていた二人の侍衛が、すぐに入ってくる。
「長老様」
「ラインが私の授業を無断で欠席している。宿舎へ行き、ここへ連れてこい」
「はっ」
二人が教室を出ると、囁き声が一気に大きくなった。
「やっぱり、連れ戻しに行かせたぞ」
「見てろよ。今度こそ逃げられない」
「いつも偉そうにしてるけど、連れてこられても、あの顔でいられるかな」
ライルも兄の空席を見つめていた。
胸には失望と、かすかな期待が入り混じっている。
(兄さんは、長老様の授業だと知っていた。それなのに休むなんて、不注意では済まない。
学堂に逆らっているのと同じだ
罰を受けても、兄さんが自分で選んだことだ)
ドン、ドン、ドン。
学堂長老が教卓を三度叩いた。
「静かにしろ。授業はまだ終わっていない」
生徒たちは口を閉じ、姿勢を正した。
だが、もう授業には集中していなかった。
窓際の者は外を覗き、ほかの者も廊下の物音に耳を澄ませている。
学堂長老は、それ以上咎めなかった。
ラインへの処分は、すでに決めていた。
一度の無断欠席で、投獄や罰金は重すぎる。
教室の外に三時間立たせれば十分だ。
身体を傷つけずに、皆の前で恥をかかせられる。
授業が終われば、生徒たちは罰を受けるラインの前を通る。
彼も規則に従わなければならないと分かれば、恐れは薄れ、学堂の権威は強まるだろう。
受け入れれば、皆の前で学堂に従う姿をさらすことになる。
拒めば、処分を重くする理由ができる。
どちらに転んでも、自分が主導権を握れる。
長老はそう考えていた。
やがて、廊下の奥から足音が聞こえてきた。
上の空だった生徒たちが、目を輝かせた。
数十人の視線が、一斉に扉へ集まる。
学堂長老も説明を止め、口元に笑みを浮かべかけた。
ライルは無意識に背筋を伸ばした。
二人の侍衛に挟まれて入ってくる兄の姿を想像する。
兄が皆の前で罰を受けるところなど、見たことがなかった。
足音が近づき、扉の前で止まった。
コン、コン、コン。
「俺が開ける!」
扉のそばにいた生徒が、すぐに立ち上がった。
待ちきれない様子で取っ手を握り、扉を開ける。
廊下から陽光が差し込んだ。
だが、生徒は外を見た瞬間、凍りついた。
次いで悲鳴を上げ、よろめきながら後ずさる。
背中を机にぶつけ、そのまま机ごと倒れ込んだ。
青ざめた顔で床に手をつき、二度、立ち上がろうとする。
だが、足に力が入らなかった。
「どうした?」
「外に何があるんだ?」
教室の空気が変わった。
生徒たちは倒れた同級生を見て、それから扉へ目を向けた。
扉が、外からゆっくりと押し開かれた。
最初に見えたのは、少年の細い左手だった。
手の甲にも指の間にも、乾ききらない血がこびりついている。
何人かが口元を押さえた。
教室のあちこちから、息を呑む音が漏れる。
扉がさらに開き、眩しい陽光が流れ込んだ。
逆光の中に、痩せた人影が立っている。
服のあちこちが、黒ずんだ血に染まっていた。
学堂長老は、強い不安を覚えた。
その人影の左右に、侍衛の姿がない。
誰かに連れてこられた様子もなかった。
「ライン……」
誰かが、その名をつぶやいた。
目が光に慣れるにつれ、入口の光景がはっきりと見えてきた。
ラインは左手で扉を押し、右手では誰かの髪をつかんでいた。
その相手を、ここまで引きずってきたのだ。
全身が血まみれなのに、表情は普段と変わらない。
露出した肌にも、ほとんど傷がなかった。
衣服を染めている血の大半は、ラインのものではない。
引きずられていたのは、宿舎へ向かった侍衛の一人だった。
目を閉じ、ぐったりとしている。
左腕は肩口から断たれ、傷口からは今も血が流れていた。
廊下には、入口まで長く血の跡が続いている。
もう一人の侍衛は、どこにもいなかった。
「侍衛を殺したのか?」
「もう一人は、どこへ行った?」
「ラインが、また人を殺した!」
教室は混乱に陥った。
思わず立ち上がる者もいれば、扉から離れようと後ずさる者もいた。
侍衛の肩口から流れる血が、入口にたまり始めた。
濃い血の臭いが、教室へ広がっていく。
先ほどまでラインを笑いものにしようとしていた者たちも、声を失っていた。
学堂長老も、しばらく言葉を失っていた。
三環精霊使いの彼には、侍衛がまだ生きていると分かった。
大量の血を失い、気を失っているのだ。
だが、腕を失った肩口の損傷は激しい。
今すぐ治療しても、腕を元に戻せるとは限らなかった。
もう一人の安否に至っては、見当もつかない。
やがて、驚きを怒りが押し流した。
二人はローデンの血を引かず、学堂に仕える戦士にすぎない。
長老にとって、その生死自体は問題ではなかった。
しかし、二人は学堂の制服を着て、自分の命令で動いた侍衛だ。
その一人を血まみれにし、皆の前へ引きずってきた。
ラインの行動は、学堂そのものへの侮辱だった。
「ライン!」
学堂長老は勢いよく立ち上がった。
怒声が響き、窓枠まで震えた。
「これはどういうことだ!すべて説明しろ!」
教室の混乱が止まった。
全員が息を殺し、長老とラインを交互に見つめる。
「納得のいく理由がなければ、侍衛を襲った罪で牢へ入れる!そのまま一族の裁きにかけてやる!」
ラインは動じなかった。
教室を静かに見渡し、侍衛の髪をつかんでいた手を放す。
侍衛が入口の血溜まりに倒れ込んだ。
跳ねた血が、ラインのズボンの裾を汚す。
ラインは学堂長老へ軽く頭を下げた。
口調も、普段と少しも変わらなかった。
「長老様。一つ、ご報告があります」
「話せ」
学堂長老は教卓の後ろで、ラインを冷ややかに見据えた。
(どんな説明をするつもりか。最後まで聞いてやろう)




