4.覚醒の儀、開始
世界観をできるだけ早くお見せできるよう、しばらくの間は一日四話更新を予定しています!
ライルは胸の奥が何度も締めつけられるような感覚に襲われていた。
息さえうまく吸えない。
この忌々しい感覚に、彼の頭にはふと「窒息」という言葉さえ浮かんだ。
(ふん。なるほど。出る杭は打たれる、か)
耳に入ってくる話し声を聞きながら、ラインは心の中で冷たく笑った。
考えてみれば当然だった。
これだけ周囲から天才ともてはやされていれば、覚醒の儀で末等資質だと判明したあと、四方から敵意を向けられ、長いあいだ冷遇され続けたのも不思議ではない。
後ろから聞こえてくるライルの呼吸も、少しずつ重くなっていた。
前世では気づけなかったことが、今では手に取るように分かる。
五百年という人生が、ラインの目をそれだけ鋭くしていた。
ふと、叔父夫婦のことが頭に浮かんだ。
思えば、なかなかうまくやったものだ。
自分にはミラをつけて身近で監視させ、ライルにはあの年老いた使用人をつけた。
それだけではない。
普段の暮らしの中にも、兄弟への扱いには細かな差がいくつもあった。
どれも意図的なものだ。
ライルの中に不満を育て、兄である自分との間に亀裂を作るために。
人は、少ないことそのものよりも、不公平であることに強く不満を抱く。
前世のラインには経験が足りなかった。
そしてライルは、あまりにも幼く、単純だった。
結果、叔父夫婦の思惑どおり、兄弟の間には少しずつ溝ができていった。
重生した今とはいえ、すでに覚醒の儀は目前だ。
積み重なったものは多く、一見すればもう手遅れにも見える。
だが、五百年を生きたラインにしてみれば、変えようと思えば変えられないことでもなかった。
ライル程度なら、力で抑えつけて手懐けることもできる。
ミラのような小娘なら、今のうちから妾として囲い込むことさえ難しくない。
叔父夫婦や族長、長老たちについても同じだ。
彼らを思いどおりに動かす方法など、いくらでも思いつく。
(だが……そんなことをする気にはならないな)
ラインは心の中で静かに息を吐いた。
実の弟だから、それが何だというのか。
そこに情がないのなら、所詮は他人と変わらない。
捨てるなら、捨てればいい。
ミラが多少美しかろうと、それが何だ。
愛情も忠誠もない。
ただ姿形が整っているだけの女だ。
妾にする?
その価値すらない。
叔父夫婦も、族長も、長老たちも同じだ。
長い人生の途中ですれ違うだけの人間に、わざわざ知恵を絞り、時間と労力を費やす必要などあるものか。
(俺の道を邪魔しないなら、勝手に好きなことでもしていればいい)
踏みつける価値すらない。
朝日が昇り始めた。
空には鮮やかな朝焼けが広がっている。
山に残る霧はそれほど濃くなく、差し込んだ朝の光が鋭くその中を貫いていた。
十四歳になる百人あまりの少年少女たちが、族長館の前に集まっていた。
族長館は村の中央に建つ五階建ての大きな建物だった。
入口は固く閉ざされ、その周囲には何人もの兵が立っている。
建物の前には広場があり、中にはローデン一族の祖先を祀る位牌が安置されている。
代々の族長もここで暮らしていた。
大きな祭事があるときや、急な問題が起きたときには、長老たちもこの場所へ集められる。
まさにローデン一族の権力の中心だった。
「よし。全員、時間どおりに来たようだな」
少年たちの前に、一人の老人が立った。
「今日は覚醒の儀だ。お前たちの人生を大きく左右する日になる。長話をするつもりはない。ついて来い」
今日の儀式を任されている学堂長老だった。
髪も髭もすっかり白くなっていたが、立ち姿には年齢を感じさせない力がある。
学堂長老に連れられ、少年たちは族長館の中へ入っていった。
だが、階段を上ることはなかった。
一階の大広間を抜け、今度は地下へ続く階段を下りていく。
整えられた石段を進んだ先にあったのは、巨大な地下洞窟だった。
「うわ……」
「すごい……」
あちこちから、少年たちの驚いた声が上がる。
洞窟の中には無数の鍾乳石が伸びていた。
それぞれが赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の淡い光を放ち、洞窟全体を七色に染めている。
その光が少年たちの顔にも映り、まるで虹の中を歩いているかのようだった。
ラインは人混みの中に紛れながら、静かに周囲を眺めていた。
(数百年前、ローデン一族は中央平原から南方の山岳地帯へ移り、このヴェルデン山に根を下ろした)
その理由が、この地下洞窟にある。
(ここには魂の暗流がある)
魂の暗流からは、大量の精神力が流れ出している。
その精神力が長い時間をかけて凝縮し、形を持ったもの。
それが霊石だった。
(この場所こそ、ローデン一族を支えている根だ)
さらに数百歩進む。
進むほど、周囲の光は少なくなっていった。
やがて七色の鍾乳石もほとんど見えなくなり、代わりにかすかな水音が聞こえてくる。
角を曲がったところで、視界が一気に開けた。
目の前には、幅十メートルほどもある地下河川が流れていた。
ここまで来ると、鍾乳石の光は完全に消えている。
だが暗闇の中、川の水そのものが淡い青色の光を放っていた。
まるで夜空を流れる星の川のようだった。
水は洞窟のさらに深い闇から流れてくる。
驚くほど澄んでおり、中を泳ぐ魚や水草、川底の砂や小石まで見えるほどだった。
そして、川の向こう岸には一面の花畑が広がっていた。
ローデン一族が意図的に育てている月蘭花だ。
花びらは三日月のような形をしており、色は淡い青と桃色。
玉のようになめらかな茎を持ち、花の中心からは真珠を思わせる柔らかな光がこぼれている。
暗い洞窟の中で眺めれば、川辺いっぱいに青緑色の絨毯が敷かれ、その上に無数の真珠を散りばめたようにも見えた。
(月蘭花は、多くの精霊の餌になる)
ラインはこの場所についてよく知っていた。
(ここは一族最大の精霊育成地でもある)
「綺麗……」
「こんなの初めて見た」
少年たちは目を輝かせていた。
興奮している者もいれば、緊張から落ち着かない様子の者もいる。
「よし。これから名前を呼ぶ」
学堂長老の声で、ざわめきが収まった。
「呼ばれた者は川を渡り、向こう岸へ行け。そこから、進めるところまでまっすぐ進むんだ。遠くまで行ければ行けるほどいい。分かったな?」
「はい!」
少年たちは揃って答えた。
もっとも、このことはここへ来る前から、家族や年長者に聞かされている。
向こう岸で進める距離が長いほど、資質が高い。
そして資質が高ければ、それだけ将来も期待できる。
「エナ・ローデン」
学堂長老が名簿を見ながら、最初の名前を呼んだ。
「はい!」
川は広いものの、それほど深くはない。
十四歳の少年なら、せいぜい膝ほどの深さだった。
エナは緊張した顔で川を渡り、向こう岸の花畑へ足を踏み入れた。
その瞬間だった。
目には見えない圧力が、正面から体を押し返してきた。
まるで、目の前に透明な壁が立っているかのようだった。
エナは歯を食いしばりながら足を前へ出す。
すると足元の月蘭花から、ぽつぽつと白い光が浮かび上がった。
光の数は少ない。
それでも、その光はゆっくりとエナのもとへ集まり、そのまま彼の身体へ吸い込まれていった。
途端に、体へかかっていた圧力が軽くなった。
先ほどまで固い壁だったものが、急に柔らかくなったかのようだった。
エナは力を込めて前へ進んだ。
一歩。
二歩。
三歩。
だが三歩目を越えたところで、再び圧力が一気に強くなる。
今度こそ、どう力を込めても進めなかった。
その様子を見た学堂長老は、小さくため息をつく。
結果を書き込みながら、その場で告げた。
「エナ・ローデン。三歩。精霊使いとしての資質なし。次、イラ・ローデン」
エナの顔から血の気が引いた。
唇を噛みながら川を渡り、元の場所へ戻ってくる。
資質がない。
それは、この先も精霊使いにはなれないということだった。
ただの凡人として生きていくしかない。
そしてローデン一族の中でも、最も低い立場に置かれることになる。
エナの身体がわずかに揺れた。
十四歳の少年にとって、それはあまりにも大きな宣告だった。
これから先の人生に抱いていた希望を、一瞬で潰されたに等しい。
何人かは同情の目を向けた。
だが、それ以上に多くの者が、すでに二人目の少年へ注目している。
残念ながら、その少年も四歩で足を止めた。
彼にも資質はなかった。
誰もが精霊使いになれるわけではない。
一般的には、十人のうち五人に資質があれば十分多いほうだった。
ローデン一族では、その割合がやや高く、十人のうち六人ほどが精霊使いになれる。
理由は血にあった。
ローデン一族を興した初代族長は、名を広く知られた五環精霊使いだった。
長年の修練によって、その血には精霊の力を受け入れやすい性質が深く刻まれた。
その血を受け継いできたローデンの者たちは、ほかの人々に比べ、精霊使いとしての資質を持って生まれる割合が高かったのである。
最初の二人が続けて資質なし。
離れたところから様子を見ていた長老たちの表情も、自然と険しくなった。
普段は落ち着いている族長でさえ、わずかに眉を寄せている。
「次、ノア・ローデン」
「はい!」
麻布の服を着た少年が、力強く返事をして人混みから出てきた。
細長い顔立ちをしており、同年代の中ではかなり背が高い。
身体つきも一回りたくましく、どこか荒々しい雰囲気を漂わせていた。
ノアは数歩で川を渡り、花畑へ踏み込んだ。
十歩。
二十歩。
三十歩。
歩みを進めるたび、花の中から淡い光が浮かび上がり、次々と彼の身体へ入っていく。
そして三十六歩。
そこでようやく、ノアの足が止まった。
川の向こうから見守っていた少年たちは、目を丸くしている。
学堂長老は思わず顔をほころばせた。
「よし! ノア・ローデン、中等資質だ! こっちへ来い。初魂を調べる!」
初魂。
それは、まだ修練を始めていない者が生まれながらに持つ、魂そのものの質を示すものだった。
初魂が多ければ多いほど、持っている精神力も多い。
ノアは再び川を渡り、学堂長老の前へ戻った。
学堂長老は手を伸ばし、ノアの肩へ置く。
目を閉じ、しばらく意識を集中させたあと、手を離した。
「……なるほど」
小さく頷き、紙へ結果を書き込む。
「ノア・ローデン。初魂、六割六分。十分に育てる価値がある」
資質は高い順に、上等、中等、下等、末等の四段階に分けられている。
末等資質でも、三年ほど育てれば一環上位精霊使いまで届く者は多い。
一族を下から支える人材にはなれる。
下等資質なら、二年ほどで二環精霊使いへ進む者も珍しくない。
一族の中でも、重要な働きを任されるようになる。
中等資質ともなれば、扱いはさらに変わる。
将来の長老候補として育てられ、六、七年もすれば三環精霊使いに届く可能性が高い。
そして上等資質。
一人でも現れれば、それだけで一族にとって大きな幸運だった。
資源を惜しまず与え、慎重に育てる。
十年ほどあれば四環精霊使いにまで成長し、その頃には族長の座を争う資格すら得られる。
つまり、このノア・ローデンが順調に育てば、将来はローデン一族の長老となる可能性が高い。
学堂長老が嬉しそうに笑ったのも当然だった。
様子を見守っていた長老たちも揃って息を吐き、そのあと一斉に一人の老人へ羨ましそうな視線を向けた。
その老人も、ノアによく似た細長い顔をしていた。
ノアの祖父、コア・ローデンだった。
その顔にはすでに隠しきれない笑みが浮かんでいる。
そしてコアは、わざとらしく長年のライバルへ視線を向けた。
「どうだ、カル。うちの孫もなかなかだろう?」
赤い髪をした長老、カル・ローデンは鼻を鳴らした。
「ふん」
返事はそれだけだった。
顔は見るからに不機嫌そうだった。
それから30分ほどが過ぎた。
すでに半分ほどの少年たちが花畑へ足を踏み入れている。
末等資質も、下等資質もそれなりに現れた。
だがやはり、資質そのものを持たない者が半数近くを占めていた。
「……やはり、血は少しずつ薄くなっているな」
族長は深く息を吐いた。
「ここ数年は四環に届く者さえほとんど出ていない。血を強めるほどの者が現れなければ、後の世代の資質も落ちていく一方だ」
かつて四代目族長は五環にまで達したほどの強者だった。
しかし「酒飲のカイ」と戦い、相討ちとなった。
しかも子を残すことなく死んでいる。
それ以来、ローデン一族の若い世代の資質は、少しずつ落ち続けていた。
そのとき、学堂長老が次の名を呼んだ。
「メル・ローデン」
その名前が聞こえた瞬間、長老たちの視線がカルへ集まった。
メルは、カル・ローデンの孫だった。
小柄な少年だった。
顔にはそばかすが多く、両手を強く握りしめている。
額には汗まで浮かんでおり、ひどく緊張しているのが一目で分かった。
メルは川を渡り、向こう岸へ踏み込んだ。
花から次々と光が浮かび上がり、彼の身体へ吸い込まれていく。
十歩。
二十歩。
三十歩。
そして。
三十六歩。
そこでメルは足を止めた。
「また中等資質だ!」
学堂長老が声を上げた。
少年たちの間にも、すぐにざわめきが広がる。
羨ましそうな視線が一斉にメルへ向けられた。
「ははは! 三十六歩! 三十六歩だ!」
カル・ローデンは声を上げて笑い、これ見よがしにコア・ローデンを見た。
今度はコアの顔が露骨に曇った。
(メル・ローデン、か……)
人混みの中で、ラインは顎へ手を当てた。
記憶にある。
この少年は、覚醒の儀で不正を行ったことが後に発覚し、一族から厳しく処罰される。
本来、メルの資質は下等にすぎない。
しかし祖父であるカル・ローデンが手を回し、中等資質であるように見せかけたのだ。
もちろん、不正をする方法ならラインにもいくらでも思いつく。
メルのやり方より、はるかに見破られにくい方法も何十通りとある。
もし自分が中等、あるいは上等資質だと見せかけることができれば、一族から大量の資源を受け取ることもできるだろう。
だが、一つ目の問題。
ラインが重生したのは、つい昨夜のことだ。
今の状況では、不正を仕込むための準備をする時間も手段も足りない。
そして二つ目。
たとえ今日だけ騙しきれたとしても、その後の修練速度までは誤魔化せない。
いずれ必ず不自然さが出る。
その点、メルは違った。
祖父のカル・ローデンは、一族でも特に大きな権力を持つ二人の長老のうちの一人だ。
多少の不自然さなら、裏から隠すことができる。
(カルとコアは昔から敵対している。この二人が、一族の中でも最大の二派閥を率いていた)
相手を押さえ込むためにも、カルには自分の孫が優秀である必要があった。
(だからこそ、メルの不正を隠し続けることができた。俺の記憶でも、あの事故さえなければ、しばらくは発覚しなかったはずだ)
ラインの目に、わずかな光が宿った。
さて。
この情報をどう使えば、一番大きな利益を得られるだろうか。
今ここで暴露する?
却下だ。
一族から多少の褒美はもらえるかもしれない。
だが、その代わりにカル・ローデンという大きな権力を持つ長老を敵に回すことになる。
割に合わない。
ならば、この秘密を使って脅すか。
それも今は無理だ。
今のラインには力がない。
弱い立場のまま強者の秘密を握って脅せば、利益を得るより先に口を塞がれるだけだ。
そう考えていた、そのとき。
学堂長老の声が洞窟に響いた。
「ライン・ローデン!」




