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目指すは永生 ~二度目の人生を歩む外道精霊使い~  作者: 朱色の豚
外道の本性

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35.規矩を得た人祖、盤面を読む外道

空は厚い雲に覆われ、細かな春雨が途切れることなく降っていた。

ヴェルデン山は淡い雨霧に包まれ、遠くの山並みもぼんやりと霞んでいる。


宿屋の一階にある食堂は、今日も閑散としていた。

客がいるのは四つのテーブルだけで、ラインは窓際の席に一人で座っている。


湿った花の香りを含んだ風が、開いた窓から吹き込んできた。

ラインは雨に濡れる山々を眺め、静かに歌を口ずさむ。


「水のおもにあや織りみだる春雨や 山のみどりをなべて染むらむ」


歌い終えると、ラインは窓の外から視線を戻した。


テーブルには数皿の温かい料理と、青竹酒の徳利が置かれている。

竹の杯に注がれた酒は透き通った緑色をしており、

曇った空から差し込む光を受け、柔らかな輝きを浮かべていた。


最も近いテーブルには、祖父と孫の二人が座っていた。


どちらも質素な服を着た普通の人間で、老人は安い米酒をゆっくり飲みながら、

ときどき羨ましそうにラインの青竹酒を見ている。


孫の少年は塩煎り豆を噛みながら、祖父の腕を何度も揺らした。


「おじいちゃん、始祖の話をもう一度聞かせてよ。」

「話してくれないなら、またこっそり酒を飲みに来たって、おばあちゃんに言いつけるからね」


「酒くらい静かに飲ませてくれんものか」


老人は困ったようにため息をついたが、その顔には優しい笑みが浮かんでいた。


「仕方ない。少しだけだぞ。」

「始祖は自分の心を希望の精霊へ預け、ようやく苦しい状況から抜け出した。」

「だが、彼の旅はそこで終わったわけではなかった……」


始祖の物語は、この世界で最も広く知られた、最古の伝説の一つだった。


希望の力によって苦境を脱したころ、始祖はすでにひどく年老いていた。

もはや狩りを続けることはできず、硬い木の実や植物の根を噛み砕く力さえ残っていない。


死が一日ごとに近づいていることを、始祖自身も感じていた。


「人よ、お前は死んではならない」


希望の精霊が、始祖へ語りかけた。


「お前が死ねば、心も消えてしまう。」

「そうなれば、私も住む場所を失うことになる」


「私も死にたくはない。だが、寿命はもう尽きようとしている。」

「いったい、どうすればよいのだ?」


始祖が困り果てて答えると、希望の精霊は言った。


「どんなときでも希望を捨ててはならない。」

「寿命の精霊を見つければ、お前は新しい寿命を手に入れられる」


始祖も、寿命の精霊の存在は以前から知っていた。

しかし、力なく首を振ることしかできない。


「寿命の精霊は、止まっているときには誰にも見つけられず、飛べば光よりも速い。」

「私に捕まえられるはずがない」


そこで、希望の精霊は一つの秘密を教えた。


「大地の北西に、高い山がある。その頂上にある洞窟には、二体の精霊が住んでいる。」

「一体は四角く、もう一体は丸い」


「その二体を従わせることができれば、世の中に捕まえられない精霊はいなくなる。」

「寿命の精霊も例外ではない」


それは、始祖に残された最後の希望だった。


始祖は荒野を越え、険しい山を登った、

残っていた力のほとんどを使い果たしながら、ようやく山頂の洞窟へたどり着く。


洞窟の中には、一筋の光さえなかった。


始祖は暗闇の中を進み続けたが、自分がどちらへ向かっているのかも分からない。

見えない岩壁へ何度もぶつかり、転んでは全身に傷を負った。


かと思えば、周囲に何もない空間へ迷い込み、どれだけ歩いても端へ届かないこともあった。

洞窟そのものに果てがなく、永遠に外へ出られないようにさえ思えた。


どれほどの時間が過ぎたのかも分からなくなったころ、暗闇の中から二つの声が聞こえてきた。


「人よ、お前も我々を捕まえに来たのか?」

「 たとえ力の精霊が今もそばにいたとしても、お前には不可能だ」


一つ目の声が言うと、もう一つの声も続けた。


「帰るがよい。知恵の精霊がお前を助けたとしても、我々を見つけられるとは限らない。」

「命だけは助けてやる。ここから立ち去れ」


始祖は疲れ果て、地面へ倒れ込んだ。激しく息を切らしながら、それでも答える。


「力も知恵も、とうに私のもとを去った。」

「残された寿命も、あとわずかしかない。」

「それでも、心に希望が残っているかぎり、私は諦めない」


二つの声は、長いあいだ沈黙していた。


やがて、一つ目の声が再び響く。


「分かった。お前はすでに心を希望へ預けている。」

「何を言われても、ここから立ち去ることはないのだろう」


「ならば、一度だけ機会を与える。我々の名前を言い当てることができれば、お前の命令に従おう」


しかし始祖は、二体の名前が何文字なのかさえ知らなかった。

希望の精霊にも答えは分からず、始祖は思いつく言葉を一つずつ口にしていくしかない。


一日、また一日と時間が過ぎ、持ってきた食料も次第に尽きていった。

始祖の声は弱まり、頭の働きも鈍くなっていく。


数えきれないほどの名前を口にした。以前試した言葉を忘れ、

何度も同じ答えを繰り返すことさえあった。


それでも、洞窟を満たす暗闇は少しも変わらなかった。


「人よ、お前はもうすぐ死ぬ」


二つの声が、始祖へ呼びかけた。


「今なら、まだ洞窟の外へ出してやれる。」

「残された時間で、最後にもう一度だけ外の世界を見ることもできる」


「だが、お前は勝手に我々の住処へ入った。その代わり、希望の精霊をここへ置いていけ」


始祖は両手で胸を押さえ、迷うことなく拒んだ。


「たとえここで死ぬことになっても、希望だけは手放さない」


その言葉に心を動かされた希望の精霊は、残っていた力を振り絞った。

始祖の胸元から、かすかな白い光が広がる。


その光は胸の周りを照らすだけで、洞窟の暗闇を消すことはできなかった。

それでも、始祖の身体には新しい力が流れ込んできた。


始祖は再び、思いつく名前を一つずつ口にしていった。


やがて寿命が残り一日となったとき、彼はついに「矩」という言葉を口にした。


暗闇の中から、長いため息が聞こえてくる。


「人よ、私は矩だ。お前の諦めない姿を見て、私も従う気になった」


「だが、私の力は兄弟とともに使ってこそ意味を持つ。

私一体だけを従わせても、ほかの精霊を捕らえることはできない」


始祖は諦めなかった。残されたわずかな時間を使い、もう一体の名前を考え続ける。


一時間、三十分と寿命が削られていき、ついに最後の瞬間を迎えた。


そのとき、始祖は偶然「規」という言葉を口にした。


次の瞬間、洞窟を覆っていた暗闇が完全に消え去った。


始祖の前に、二体の精霊が姿を現す。一体は四角い姿をした矩、もう一体は丸い姿をした規だった。


二体の名を合わせれば、規矩(きく)――物事の基準やルールを意味する言葉になる。


「何者であろうと、我々の名前を知った者には従わなければならない」


二体の精霊は、同時に始祖へ語りかけた。


「だから、ほかの者に我々の名前を知られないほうがよい。」

「お前は初めて我々を見つけた者だ。さあ、願いを言うがよい」


始祖はすぐに答えた。


「私のために、寿命の精霊を一体捕まえてくれ」


規と矩が同時に力を使うと、ほどなくして八十年分の寿命を持つ精霊が捕らえられた。


始祖がそれを身体へ取り込むと、老い衰えていた肉体に再び生命が満ちていく。

顔を覆っていた皺が消え、枯れたように細かった手足にも筋肉が戻った。


百歳を超えていた老人は、瞬く間に二十歳の青年へ若返った。



「今日の話はここまでだ。そろそろ帰るぞ」


老人が話し終えたころには、杯の米酒もすっかりなくなっていた。


「もう少しだけ話してよ。始祖はそのあと、どうなったの?」


「続きはまた今度だ」


老人はフードのついた雨具を身につけ、孫にも小さなものを着せた。

二人は並んで宿屋を出ると、ほどなく春雨の向こうへ姿を消した。


「規と矩……規矩か」


ラインは手の中の杯をゆっくり回し、揺れる青竹酒を見つめた。


始祖の伝説は、数えきれないほど長い年月を伝わり、この世界のほとんど誰もが一度は耳にしている。


しかし、同じ物語であっても、聞く者によって見えてくる意味はまるで違う。


先ほどの祖父と孫にとっては、ただの面白い伝説にすぎない。

だが、ラインがそこに見いだしたものは別だった。


始祖は規と矩を知らなかったため、暗闇の中を手探りで進むしかなかった。

見えない障害へぶつかり、境界のない空間では進む方向さえ見失った。


力も知恵も、希望さえも、直接あの暗闇を消すことはできない。

規と矩の名を言い当てたとき、初めて暗闇は消え去った。


あの暗闇は、単に光がなかったわけではない。


そこにいながら、物事がどのような仕組みで動いているのか理解できないこと。

それこそが暗闇だった。


反対に、光とはルールを見抜くことだ。

進むべき方向も、避けるべき障害も分かれば、もはや闇の中を手探りで歩く必要はない。


ラインは窓の外へ目を向けた。


遠くの山々は雨霧の中で重なり合い、近くには地面から高く持ち上げられた木造の家が並んでいる。


道を歩く人々はフードつきの雨具を着るか、

油を染み込ませた布の傘を差し、濡れた石畳の上を進んでいた。


(世界は巨大なチェス盤のようなものだ。そこに生きる者は、誰もが盤上の駒にすぎない)


四季は決まった流れに従って移り変わり、水は低い場所へ流れ、温められた空気は上へ昇る。

人間もまた、それぞれのルールに縛られて生きている。


誰にでも立場があり、欲望があり、自分なりの原則がある。


ローデン一族にとって、一族の者の命は使用人よりもはるかに重い。それが彼らの認める秩序だった。


アノがコア家の権威を借りて振る舞ったのは、主人に評価され、より多くの利益を得るため。

叔父夫婦が両親の遺産を渡そうとしないのは、金への欲に負けたからだ。


学堂長老が精霊使いを育て、学堂の秩序を守ろうとするのは、

自分の役目を果たすと同時に、現在の立場を失わないためでもある。


相手の立場と利益を理解すれば、その者がどのような選択をするのかも予測できる。


一族、職業、組織には、それぞれ決まった動き方がある。

それを知らなければ、状況に押し流されることしかできない。

だが、見抜くことができれば、同じルールを使って自分を守り、他人の行動さえ誘導できる。


だからラインは、コア家から報復されることを本気で心配したことなどなかった。


リリアは若い生徒同士の争いへ介入し、ローデン一族の慣例を先に破った。


コア家の評判を守りたければ、コアは公然と報復するどころか、

アノが勝手に動いたことにして、ラインへ賠償さえ申し出る可能性が高い。


もちろん、コア家には力ずくでラインを処罰するだけの力がある。


しかしコアが本当に恐れるのは、自分が一度慣例を破ることではない。

それを見た者たちが、二度と同じ慣例に従わなくなることだった。


大人たちが若者同士の争いへ介入し始めれば、各派閥は報復を繰り返し、

争いは際限なく大きくなる。最後には一族の上層部まで巻き込まれるだろう。


何より、コア派で後継者となれる男子は、ノア・ローデンしかいない。


慣例が力を失えば、ほかの派閥も同じ方法でノアを狙えるようになる。

コア本人がその危険をはっきり意識しているかどうかにかかわらず、

彼は必ず今の秩序を守ろうとする。


ラインは、最初からそのすべてを見抜いていた。


アノはローデンの姓を持たない、ただの使用人だ。

その死だけで、コア派が面目も慣例も捨てて争うとは考えにくい。


本当に対処する必要があるのは、アノ本人ではなく、その背後にいる主人だった。


(送りつけた木箱の意味は、コアならもう理解しているはずだ)


(裏口へ置いたのは、私がこの件を公にするつもりはないという意思表示。)

(死体の一部だけを送ったのは、残りをいつでも正門へ届けられると知らせるためだ)


(コアが一族内での評判を重んじるかぎり、この件を終わらせるほうを選ぶ)


ただし、ラインの資質がもう一段高く、中等だったなら、結果はまったく違っていただろう。


その場合、コア派はラインを将来の脅威と見なし、

たとえ評判を落としてでも、力をつける前に潰そうとした可能性がある。


強さは、もちろん有利に働く。


だが、弱さも使い方次第では武器になる。


今のラインもまだチェス盤の上に立つ、無数の駒の一つにすぎない。

それでも、五百年の経験を持つ彼は、ほかの駒より遠くまで見通し、

すでにプレイヤーに近い視点から盤面を観察できていた。


普通の人間が理解しているのは、自分が置かれた環境のルールだけだ。


コアは派閥同士の争いに詳しく、学堂長老は学堂の運営を熟知している。

しかし、自分の領域から離れれば、相手と同じものが見えるとは限らない。


ルールを本当の意味で理解するには、数えきれないほどの困難を経験し、

何度も判断を誤り、長い時間をかけて失敗から学ばなければならない。


伝説の始祖は、規と矩の名前を言い当てるため、寿命のほとんどを使い果たした。


ラインが今、目に見えないルールを見抜けるのも、前世で過ごした五百年があるからだ。


この人生では前よりも遠くへ進めると、ラインは信じている。


その理由は、逆矢によって過去へ戻れたことだけではない。

まだ世に現れていない遺跡や財宝、これから起こる出来事を知っていることだけでもなかった。


誰にも奪えない本当の強みは、五百年をかけて積み上げてきた判断力と経験にある。


始祖は規と矩を従えたことで、この世の精霊を捕まえられるようになった。


ラインも人の心と世界のルールを見抜くことで、複雑な状況の中から、

自分にとって最も有利な道を選び取ることができる。


闇とは、まだ理解されていないルール。


光とは、ルールを見抜いたあとの世界。


そして二度目の人生をやり直した外道は、すでに光の中を歩き始めていた。


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