22.月印の訓練、隠された一撃
空は洗い流したように青く、どこまでも澄み切っていた。
ラインが本源精霊の錬化試験で首位を取ってから、すでに十日あまりが過ぎている。
春風に吹かれ、山を覆う草は青々と茂り、野花も次々と咲き始めていた。
蜂や蝶が花の間を飛び交い、ヴェルデン山は春の生命に満ちている。
その濃い春の気配は、訓練場を囲む高い木壁でも遮ることができなかった。
訓練場の広さは、およそ二千平方メートル。
平らな地面には、厚く大きな青灰色の石板が敷き詰められている。
周囲にはアオヤリダケが植えられ、緑の竹が隙間なく並び、高い壁を作っていた。
壁際にも石畳が敷かれていたが、あちこちから草が顔を出している。
竹の隙間からは野ばらが入り込み、壁の上までつるを伸ばしていた。
十四歳の少年五十七人が訓練場に集まり、半円を作って中央の学堂長老を見つめている。
今日の授業は、月印の使い方についてだった。
「月印は、ローデン一族を象徴する精霊だ。ロア一族の熊力指や、ベル一族の白水と同じようにな」
「ここにいる多くの者が、月印を本源精霊に選んだはずだ。」
「これから私が、月印を使った攻撃を実演する。よく見ておけ」
学堂長老は少年たちを見回した。
「本源精霊が月印ではない者も、気を抜くな。これは遠距離攻撃の基本で、他の精霊にも応用できる」
そう言うと、長老は右手を差し出し、五本の指を開いた。
全員から手のひらが見えるよう、少し低い位置に構える。
「まず、精神力で月印を動かし、手のひらまで移す」
その言葉に合わせて、月印を示す三日月の印が長老の腕を伝い、手のひらへと移動した。
「次に、空界の精神力を月印へ流し込む」
ほとんど見えないほど細い白銀色の精神力が長老の体内から現れ、手のひらの月印へ吸い込まれていく。
学堂長老は三環の精霊使いだった、
精神力が白銀色に変わるのは、三環に達してからである。
一環の精霊使いが持つのは青銅の精神力、二環は赤鉄、そして三環が白銀だった。
白銀の精神力を吸収した月印は、少しずつ輝きを増していく。
昼間だというのに、長老の手のひらから明るい水色の光があふれ出した。
「すごい……!」
「きれいだな」
少年たちの間から、驚きの声が上がった。
水のように澄んだ光が、長老の手の中で静かに揺らめいている。
まるで月光をひとすくいして、そのまま手のひらに載せているようだった。
学堂長老はわずかに笑った。
「よく見ておけ。最後は、こうして放つ」
開いていた指がゆっくりと閉じられ、腕が持ち上がる。
長老はその腕をまっすぐ前へ伸ばし、最後に手刀で軽く空を切った。
シュッ。
少年たちの耳に、鋭い音が届く。
手のひらに集まっていた水色の光が放たれ、空中で小さな月刃へと変わった。
青く光る月刃は手のひらほどの大きさで、夜空に浮かぶ三日月によく似ている。
それは空中を一直線に飛び、十メートル先の草人形へ命中した。
ザシュッ。
厚さ三十センチ近い草人形の首が、月刃によって切断された。
胴体が大きく揺れ、頭が地面へ転がり落ちる。
草人形を切った月刃は、急速に光を失っていった。
それでもさらに六メートルほど飛び、少しずつ薄くなりながら空気の中へ消えていく。
草人形の首には、きれいな切り口が残っていた。
よく研いだ鎌で、一息に刈り取ったような形だった。
少年たちは目を見開き、その光景を見つめている。
何人かは思わず自分の首に触れ、月刃の威力を確かめるように息を呑んだ。
短い静けさのあと、訓練場のあちこちから歓声が上がった。
目を輝かせて草人形を見つめる者もいれば、長老の手に目を向ける者もいる。
隣の者と顔を寄せ、興奮した様子で話す少年もいた。
ただ一人、ラインだけは人混みに紛れ、無表情のまま立っていた。
前世のラインは六環まで修練を重ね、中域に血魔教団を築いた、
数万の信徒を抱え、外道の大物として広く名を知られていた。
学堂長老は三環にすぎない。
今の実演など、ラインにとっては子供だましであり、心を動かされるようなものではなかった。
「では、月印の錬化を終えた者は前へ出ろ」
「一人につき、草人形を一体用意してある。」
「今見せた方法で月刃を放ち、攻撃の練習をするのだ」
学堂長老が言い終えると、三十人を超える少年が前へ出た。
今年、覚醒の儀に参加した一族の少年は百人を超えていた。
そのうち修練の資質を持っていたのが、ここにいる五十七人である。
さらに、その中の三十五人が月印を選んでいた。
十日あまりの努力を重ね、全員が月印の錬化を終えている。
残る二十二人は末等資質だった。
彼らも月印を錬化したくなかったわけではない。
だが、自分の資質では難しいと分かり、諦めるしかなかった。
ローデン一族の少年たちにとって、月印はただの精霊ではない。
一族の誇りを示す象徴でもあった。
やがて三十五人の少年が横一列に並んだ。
それぞれの正面、十メートル先には草人形が一体ずつ立てられている。
ラインは列の中央に立っており、特に目立ってはいなかった。
練習が始まった。
少年たちは一斉に右手を伸ばし、月印を手のひらへ移す。
青銅色の精神力を流し込むと、三日月の印が次々と水色の光を放ち始めた。
だが、少年たちが手刀で空を切っても、実際に飛び出した月刃は七、八枚ほどしかなかった。
現れた瞬間に消えてしまうものもあれば、
二、三メートル飛んだところで弾け、青い光の粒へ変わるものもある。
遠くまで飛んでも方向が大きくずれ、そのまま空へ飛んでいく月刃まであった。
少年たちはそろって眉をひそめる。
長老の実演を見ていると簡単そうだったが、自分でやってみると話は違った。
月刃を形にして放ち、さらに草人形へ命中させる。それだけでも、かなりの練習が必要らしい。
学堂長老はその様子を眺めながら、静かに笑っていた。
毎年のように目にする光景だったため、少しも驚いていない。
残る二十二人の少年は訓練場の外に立ち、うらやましそうに練習を見守っていた。
五分ほど経つと、少年たちも少しずつ月刃を放てるようになった。
訓練場の空中を、無数の水色の月刃が飛び交う。
途中で消えるものもあれば、不運にも別の月刃とぶつかるもの、場外へ飛んでいくものまであり、その軌道はばらばらだった。
草人形に命中する月刃は、たまにしか現れない。
しかも、そのほとんどはまぐれだった。
学堂長老は少年たちの間を歩き、個別に指導を始めた。
ライル、ノア、メルといった資質の高い少年には時間をかけ、
姿勢の間違いを直し、自分の経験も細かく教えていく。
一方、ラインのような下等資質の少年には、簡単な助言を二、三与えるだけだった。
ラインは手の中に青い光を集めたまま、何度か手刀で空を切った。
だが、月刃は放たない。
周囲に合わせ、練習しているふりを続けていた。
やがて訓練場が混乱し、誰も自分を見ていないことを確かめると、
ラインは月印にかけていた抑えを解いた。
手のひらをわずかに傾け、手刀で空を切る。
目の前の草人形ではなく、左前方にある別の草人形を狙っていた。
シュッ。
一枚の月刃が高速で飛び出し、乱れ飛ぶ光の間を通り抜ける。
月刃は空中にまっすぐな線を描き、狙った草人形の首へ正確に命中した。
草人形の体が大きく震え、首の半分以上が切り裂かれる。
しかし、切れた部分から新しい草が伸び始め、
互いに絡み合いながら傷口を塞いでいった。
この草人形は、普通の人形ではない。
一環の草木系精霊であり、弱いながらも傷を治す力を持っていた。
一撃で胴体を二つに切り離さないかぎり、時間が経てば傷は元どおりになる。
「おい、今の月刃を見たか!」
「すごいな。誰が放ったんだ?」
草人形に命中する月刃自体が少ない中、ラインの一撃は、これまでで最も大きな傷を残した。
場外で見ていた少年たちから、すぐに驚きの声が上がる。
学堂長老もその声に気づき、草人形へ目を向けた。
「今の月刃はよかった。お前が放ったのか?」
長老が見たのは、その草人形の正面に立っていた一人の下等資質の少年だった。
少年は何度も目を瞬かせる。
突然、全員の視線を浴び、どうしてよいか分からない様子だった。
先ほどは月刃が乱れ飛び、誰が何を放ったのか分からないほど混乱していた。
少年自身にも、本当に自分が放ったものなのか判断できない。
(でも、たぶん……俺のだよな?)
そう考え、少年は反射的に頷いた。
周囲の少年たちは、すぐに彼を見る目を変えた。
「ねえ、あの子は誰?」
「何て名前なの?」
何人かの少女が、近くの者へ尋ね始める。
(あいつにだって月刃を放てたんだ。僕も負けていられない)
ノア・ローデンの目に、強い決意が浮かんだ。
(やっぱり、兄さんが放ったものじゃなかったんだ)
ライルは理由もなく、ほっと息をついた。
前回受けた衝撃も、叔父と叔母に励まされ、すでに乗り越えている。
(兄さんが首位を取れたのは、運よく意志の弱い月印を選んだからだ)
(精霊使いの修練で、いつまでも運に頼れるはずがない。僕が勝つ。必ず兄さんに勝ってみせる)
ライルは心の中で自分を奮い立たせた。
「よくできた。その調子だ」
学堂長老は少年の肩を軽く叩いた。
「今の感覚を忘れず、練習を続けなさい」
少年は興奮した様子で何度も頷く。その目には、先ほどまでとは違う光が浮かんでいた。
長老はこれを利用し、全員へ向けて声を上げた。
「よく聞け。これが今回の課題だ」
「授業が終わってからも練習を続け、三日後に成果を確認する」
「最もよい成績を出した者には、霊石を十個与える。分かったな?」
「おおっ!」
少年たちは一斉に声を上げた。
霊石がもらえると知り、先ほど以上にやる気を見せる。
しかし、それからわずか三分後。
空中を飛ぶ月刃は、目に見えて少なくなっていった。
「くそっ、月刃を一枚放つだけで、精神力を一割も使うのか」
「使った精神力が大きすぎる。」
「俺は下等資質だから、空界にためられる青銅の精神力は三割八分しかない」
「これじゃ、続けて三枚放つのが限界だ……」
手を止めた少年たちは、そろってため息をついた。
学堂長老は何も言わず、その様子を見ている。
だが、心の中では静かに考えていた。
(これが、修練の資質が高い者の強みだ)
(月刃を使いこなすには、繰り返し練習するしかない。)
(資質が高ければ、空界に多くの精神力をためられ、回復も速くなる。)
(それだけ練習できる回数も増える)
(資質が低くても、霊石があれば精神力を補い、練習量を増やせる)
(だが、資質も低く、霊石も持っていない者は、いくら練習したくても体がついてこない)
学堂長老は心の中で、短くため息をついた。
(精霊使いの修練とは、こういうものだ。)
(やはり、資質の高い生徒には多めに目をかけておくべきだろう)




