21.首位はライン、一族に広がる波紋
空を覆っていた闇は少しずつ薄れ始めていたが、空気にはまだ夜の匂いが残っていた。
人影もほとんどない通りに、軽やかな足音が響いている。
山間の早朝は湿り気を帯び、肌寒かった。
それでもライルは寒さなど少しも感じていない。
抑えきれない高揚に頬を赤く染めながら、学堂へ向かって足早に進んでいた。
(この数日、必死に修練を続け、霊石も二個使った。昨夜は一睡もせず、ようやく月印の錬化に成功したんだ
僕は上等資質で、それだけの努力もした。僕より早い者なんているはずがない。絶対に!
父さん、母さん。僕は言ったよね。必ず二人の期待に応えてみせるって)
つい先ほど、叔父と叔母へこの知らせを伝えたとき、二人は心から喜び、安堵したような表情を見せてくれた。
それを思い出すだけで、ライルの胸には喜びと誇らしさが込み上げてくる。
(見ていろ。今まで僕を見下してきた一族の者たちも、兄さんも。今日からは、このライルを見直させてやる!)
考えれば考えるほど気持ちは高ぶり、ライルは両拳を固く握り締めた。
さらに足取りを速め、やがて学堂の門前へたどり着く。
ところが、門を守っていた二人の護衛は、ライルを見るなり不思議そうな顔をした。
「ん? ラインじゃないか。どうしてまた戻ってきたんだ?」
「兄さんが、さっきここに来たんですか?」
ライルの顔に驚きと疑問が浮かんだ。
しかし、ラインが首位を取った可能性など思いもよらない彼は、すぐにその疑問を頭の隅へ追いやった。
(今はそんなこと、どうでもいい!)
ライルは少し誇らしげに姿勢を正し、二人の護衛へ一礼した。
「お二人とも、僕はラインではありません。弟のライルです。
すでに本源精霊の錬化に成功しました。今日は首位の褒賞を受け取りに来たんです」
「お前がライルか?本当にそっくりだな。長老様まで見間違えたのも無理はない」
左側の護衛は目を見開き、感心したような声を上げた。
一方、右側の護衛は首を横に振る。
「残念だが、一足遅かった。
昨夜の真夜中、お前の兄、ライン・ローデンがすでに長老様と面会し、首位の褒賞を受け取っていった」
「兄さんが!?」
ライルは目を見開き、思わず大声を上げた。
「待ってください。今、兄さんが首位だったと……?」
そんなはずがない。
兄は下等資質しか持っていなかったはずだ。
そんな兄が首位だなど、何かの冗談に決まっている。
「本当だ。俺たちが、こんなことで冗談を言うものか」
信じようとしないライルを見て、護衛は少し不機嫌そうな顔をした。
「学堂長老様も、すでに確認しておられる。
間もなく順位表が掲示され、正式に発表されるだろう。何だ、このことを兄から聞いていないのか?」
ライルは言葉を失い、門前に呆然と立ち尽くした。
自分が思い描いていた結果とはあまりにもかけ離れており、何が起きたのかさえ理解できなかった。
ライルには、密かに競争相手と考えていた者が何人かいた。
その中でも最も警戒していたのが、ノア・ローデンとメル・ローデンの二人だった。
二人はいずれも中等資質で、その背後には一族内の二大派閥がついている。
それぞれの祖父も大きな権力を持つ長老であり、修練に使える財力も十分にあった。
もしノアかメルが先に錬化を終えていたなら、ライルにも心の準備はあった。
悔しくはあっても、まだ受け入れることができただろう。
だが、実際に首位を取ったのはノアでもメルでもない。
ライルが競争相手として数えてすらいなかった者だった。
ライン・ローデン。
自分の兄だ。
下等資質しか持たず、覚醒の儀を終えてから、すっかり落ちぶれたと思っていた。
毎日、学堂の授業中に大いびきをかいて眠り、酒に溺れ、酔いつぶれては夜になっても帰ってこない。
ミラをいじめ、ライルの頬を二度も叩き、持っていた霊石まで残らず奪った。
昔からずっと自分の上に立ち、今も影のように心の奥へ居座り続けている。
そんな兄だった。
(どうしてだ。こんなの、あり得ない!
僕はこれほど努力したのに、兄さんは毎日酒に酔いつぶれていた。それなのに、首位は兄さんだって?)
(そんな道理があるものか。なぜだ、どうしてなんだ!?)
東の空から太陽が昇り、小鳥たちのさえずりとともに、春の息吹がヴェルデン山を包んでいく。
ライルは暖かな陽光を浴びながら、ゆっくりとうつむいた。
歯を食いしばり、地面に伸びる自分一人の影を見つめる。
胸を満たしていた高揚感は、穴の開いた革袋から空気が抜けるようにしぼみ、もうほとんど残っていなかった。
代わりに湧き上がったのは、疑い、怒り、困惑、悔しさ、そして恐れだった。
いくつもの感情が絡み合い、言葉では説明できない重苦しさとなって、ライルの胸の底へ沈んでいく。
やがて太陽はさらに高く昇った。
学堂の掲示板には新たな順位表が貼り出され、そこには二人の名前だけが記されていた。
一位、ライン。
二位、ライル。
順位表が掲示されると、その知らせはたちまち一族中へ広がっていった。
精霊を受け取るなり家へ閉じこもり、錬化に専念していた少年たちも、この話を耳にすると一斉に騒ぎ始める。
「どうしてこうなるんだ!」
「ライルが一位ならまだ分かる
でもラインだぞ? あいつ、下等資質じゃなかったのか?」
「上等資質のライルが、下等資質のラインに負けるなんて、そんな馬鹿な話があるかよ!」
一方、コア派閥の屋敷。
緑豊かな小さな中庭に面した書斎には、上品な茶の香りが漂っていた。
ローデン一族で大きな権力を持つ長老の一人、コア・ローデンは書斎の机に向かい、窓の外に広がる春の景色を眺めながら、ゆったりと茶を飲んでいた。
「ノアは、まだ精霊の錬化を再開していないのか?」
そばに立っていた執事が、慌てて答える。
「はい。今朝、ライン様の件を耳にして以来、ノア様はひどく落ち込んでおられます。
月印の錬化を続ける気になれないご様子です。成功までもう一歩だったというのに、実に惜しいことでございます」
執事はわずかに声を落とした。
「首位がライル様であったならまだしも、よりによって下等資質のライン様ですから……。ノア様が意欲を失われるのも無理はございません」
「ふん、あれをかばうな」
コアは冷たく鼻を鳴らし、厳しい表情を浮かべた。
「精霊使いの修練には、一歩進むごとに困難が待ち受けている。この程度の挫折が何だというのだ。
ラインなど、ただの下等資質にすぎん。首位を取れたのも、おそらく運がよかっただけだ。
あいつが選んだ月印は意志が弱く、そのおかげで一足先に錬化できたのだろう」
コアは手にしていたカップを机へ置き、さらに言葉を続けた。
「ノアがその程度のことも見抜けず、これしきの挫折にも耐えられないというのなら、将来どうやって我々の派閥を率いるつもりだ?
どうやってカル派閥と渡り合う?」
その声が一段と厳しくなる。
「誰も慰めるな。自分の頭でよく考えさせろ!」
「かしこまりました、旦那様」
執事は反論できず、深く頭を下げた。
……
ほぼ同じ頃、カル派閥の屋敷でも、この知らせについて話し合われていた。
「はあ、ラインか……」
カル長老は長いため息をついた。
眉間に皺を寄せたまましばらく考え込み、やがて、そばに控えていた者へ手招きする。
「誰か、メルをここへ呼んでこい」
ほどなくして、メル・ローデンが落ち込んだ顔で部屋へ入ってきた。
カル長老の前で片膝をつき、深く頭を下げる。
「お祖父様、メルが参りました」
「どうやら、お前もあの知らせを知っているようだな」
カル長老は、たった一人の実孫を見つめ、穏やかな声で話し始めた。
「お前を呼んだのは、この件で心を乱さぬよう、先に話しておくためだ。
本源精霊の錬化で重要なのは、第一に資質、第二に選んだ精霊だ」
カル長老は、まっすぐメルの目を見つめる。
「ラインは下等資質にすぎん。
それでも今回首位を取れたということは、あいつが選んだ月印の意志が、お前たちのものよりもはるかに弱かったというだけのことだ。
すべては運にすぎん。落ち込む必要などない。取るに足らないことだ」
少し間を置き、孫の表情を確かめてから続ける。
「ラインの資質は、お前と同じ下等だ。そのうえ、与えられる資源もお前ほど多くない。
今後の修練は、お前よりはるかに厳しいものになる。お前なら、すぐにあいつを追い越せる。
だから、ラインはお前のライバルではない。ライバルと呼ぶ価値すらない。
お前が本当に警戒すべき相手は、上等資質のライルと、中等資質のノアだ。分かったな?」
「はい。お祖父様、ご指導ありがとうございます。よく分かりました。
今すぐ戻り、精霊の錬化を続けます!」
メルの顔から落胆の色が消え、代わりに強い闘志が浮かび上がった。
「うむ」
カル長老は満足そうに頷き、優しい笑みを浮かべる。
「よい心がけだ。お前の本当の資質は下等にすぎんが、心配する必要はない。
あとのことは私に任せろ。三環精霊の気配を使い、月印の意志を押さえ込んでやる。
そうすれば、お前も月印を錬化できる!」




