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目指すは永生 ~二度目の人生を歩む外道精霊使い~  作者: 朱色の豚
外道の本性

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19/36

19.最後にして最初の精霊、逆矢

酒虫(ヴィノーム)の中には、

酒飲のカイが残した強靭な意志が宿っていた。


それが今、ラインの空界(ズーム)へ侵入し、

真正面から彼の意志を押し潰そうとしている。


強烈な圧力が上空から降り注ぎ、

空界に広がる霊海(アニマ・マーレ)へ襲いかかった。

青銅色の霊海も激しく波立つ。


大きな波が次々と持ち上がり、

ラインの意志に応じて大量の精神力が海面から噴き上がった。

青銅色の力が一つに集まり、巨大な波となって、押し寄せる酒虫の意志を迎え撃つ。


二つの力が、空界の中央で激突しようとした。


その直前だった。

両者の間何もないはずの空間に、淡い精霊の影が浮かび上がった。


一本の矢。


月印が三日月を象った青い水晶なら、

それは精巧な工芸品を思わせるほど美しく、同時にどこか異様な矢だった。


(やじり)は波打つような形をしており、

その縁には絶えず冷たい光が走っている。


鏃から続く細身の軸には、

無数の奇妙な模様が刻まれていた。


よく見れば、それらは大小さまざまな時計にも似ている。


文字盤のような模様は静止することなく歪み、回り、重なり合い、

見つめているだけで平衡感覚を奪われそうになる。


そして最後尾矢羽のあるべき場所には、二枚の本物の翼が生えていた。

鳥の翼に似ている。


けれど、矢から生えたそれがゆっくりと羽ばたく姿は、

あまりにも現実離れしていた。


逆矢(さかや)


それが、

目を覚ました、まるで長い眠りについていた巨大な獣が

突然騒音で起こされたかのように。


しかも目を開けてみれば、

自分の縄張りに、見知らぬものが入り込んでいる。


その事実が気に入らなかったのだろう。

逆矢から、静かな怒りにも似た気配が広がった。


一見すれば、

その気配は弱い。


今にも消えてしまいそうなほど、かすかだった。


それなのに、圧倒的だった。


その前では、

酒虫から流れ込んできた意志など、あまりにも小さかった。


比べること自体が馬鹿らしい。


逆矢の気配が空界全体へ広がる。


目に見えない巨大な波が、一瞬で四方へ押し寄せた。

酒虫の意志は抵抗する暇すらなかった。


触れた瞬間、呑み込まれ、消えた。


跡形もなく。


「っ……!」

ラインの胸が詰まる。


酒虫を迎え撃つため、

勢いよく押し上げていた青銅色の精神力も例外ではない。


逆矢の気配に触れた途端、

巨大な岩壁へ波が叩きつけられたように、形を保てなくなった。


集めていた精神力が一気に崩れる。

細かな雨のように散り。

すべて霊海へ降り注いだ。


青銅色の海面に無数の波紋が広がる。

ただでさえ荒れていた霊海が、さらに大きく揺れた。


数秒後、

逆矢の気配が、ゆっくりと霊海へ降りてきた。


そして、

海面を覆う。


ホンッ、と。


実際に音がしたわけではない、

それでもラインには。

空界全体が震えるような低い響きが聞こえた気がした。


次の瞬間、

荒れ狂っていた霊海が止まった。


完全に、

波一つ立たない。


逆矢の気配が、霊海全体を上から押さえつけていた。

見えない巨大な山が海そのものを押し潰しているかのようだった。


先ほどまで激しく波打っていた海面は、今では一枚の鏡のように静まり返っている。


あまりにも一方的な力、

ライン自身も胸の奥へ巨大な重石を置かれたような感覚を覚えた。


精神力を一滴すら動かせない。


普通なら、恐怖を覚えてもおかしくない。


しかしラインの中に湧き上がったのは、

恐れではなかった、強烈な喜びだった。


「……生きていたのか」

声が震える。


「逆矢が……私と一緒に戻ってきていた?」

ラインは目の前の精霊を凝視した。


「一度使えば消える精霊ではなかったのか……」


逆矢は六環精霊。

前世のラインが初めて手にした六環精霊であり。


同時に、最後に手に入れた精霊でもある。


その錬成には持てる知識、資源、人、手段すべてを注ぎ込んだ。

ようやく形になったときには、ライン自身でさえ成功を信じきれなかったほどだった。


ところが、逆矢を手にして間もなく、

正道の精霊使いたちは、ラインの存在を危険視した。


その結果、

多くの強者が一斉に動き、ラインを包囲した。


そして、

ラインは死んだ。


過去へ戻ったあと。

ラインは逆矢の存在を一度も感じ取れなかった。


あの一度の使用で、逆矢そのものも消滅したのだと思っていた。


実は違った。

逆矢はラインの空界中に残っていた、


ただ眠っていただけだった。


五百年もの時間を一気に遡った代償。

それは想像を絶するほど大きかった。


逆矢は力のほとんどを失い。

ライン自身ですら存在を感じ取れないほど弱り切っていた。


これまでずっと、空界の奥深くで

静かに眠りながら、わずかずつ力を取り戻していたのだろう。


そして今、酒虫の意志が空界へ侵入した。

その刺激で逆矢は無理やり目を覚ました。


とはいえ、状態は決して良くない。


弱い、

あまりにも弱い。

前世の逆矢とは、まるで別物だった。


ラインの記憶にある逆矢は

全身に生命力が満ちていた。


矢の軸は、最高級の木材を磨き上げたような滑らかな艶を持ち。

触れなくても温かさすら感じさせるほどだった。


二枚の翼は白く、一点の曇りもない。

羽ばたくだけで、周囲の者を押し伏せるほどの圧力を放っていた。


今は違う。


逆矢全体から漂っているのは濃い死の気配だった。


軸には艶がなく、

表面は乾き、荒れている。

まるで何年も雨に晒された枯れ木だ。


白かった翼も今では黄ばんでいる。

秋の終わりに枝から落ちる寸前の葉のような色だった。

羽ばたく速度も遅くて弱々しく。

老いた鳥が、どうにか翼を動かしているように見える。


ラインはその姿を見て。

胸の奥がわずかに痛んだ。


同時に、安心した。

(……これほど弱っていてくれて助かった)


矛盾した感情だった。


逆矢がここまで傷ついていることは惜しい。

消滅まで、あと一歩と言ってもいい。


それでも、もし逆矢が全盛期のまま現れていたら。

困るのはラインのほうだった。


精霊使いと精霊は。

互いの力が大きく離れすぎないほうがいい。


一環精霊使いなら、一環精霊を使う。

それが最も自然だ。


自分より環階(ランク)低いの精霊しか持っていなければ、

力を十分に引き出せない。

力強い戦士が小さな木の棒だけを渡されるようなものだ。


反対に、自分より環階高いの精霊を使おうとすれば。

今度は精霊使いが耐えられない。

子供に巨大な戦斧を持たせるようなものだった。


逆矢は六環、

今のラインは、一環初位。


差が大きすぎる。


もっと極端に言えば、

逆矢は山、ラインは小さな栗鼠だ。


栗鼠に山を背負わせて戦わせようとしても、

敵へ向かう前に栗鼠のほうが潰れる。


もし逆矢が全盛期の状態でラインの空界へ現れていたなら、

一環精霊使いにすぎない今の空界ではその存在を受け止めきれなかった。


精霊が放つ気配だけで空界が耐えきれず、

ライン自身が死んでいた可能性すらある。


ところが、

今の逆矢は弱っている。


六環精霊としての本質は残っていても、

実際に放てる力は、全盛期とは比較にならない。


だからこそ。

今のラインの空界にも留まっていられる。


(私は月印を捨てた)

(酒虫を探し回った)

(もっと優れた精霊を、本源精霊にするために)


ラインは逆矢を見つめる、

胸の奥に言葉にしがたい感情が広がった。


(最初から持っていたのか)

(私の本源精霊は……逆矢だった)


本源精霊....

精霊使いが最初に錬化し、

最も深い繋がりを持つ精霊。


その選択は今後の成長に大きな影響を与える。

本源精霊が自分に合っていれば、修練はそれだけ進めやすい。


反対に、

相性や性能が悪ければ、同じ資質を持つ相手にすら、少しずつ差をつけられる。


戦いになればその差が生死を分けることさえある。


ラインはそれを嫌というほど知っていた。


だからこそ、ローデン一族で広く使われている月印では満足しなかった、

危険を冒して酒虫を探した。


それでも、人生というものは、

いつも予想どおりには進まない、次の瞬間に何が待っているのか、

誰にも分からない。


前世、

ラインは逆矢を錬化した。

そして過去へ戻った。


二度目の人生が始まってから逆矢はずっと眠り続けていた。


それでも、錬化によって結ばれた繋がりそのものは消えていなかった。


それどころか、五百年もの時間を越えたせいなのか。

ラインは今になって初めて気づく。


前世よりも逆矢との繋がりが深い、

もっと自然に、もっと強く。

まるで最初から互いの一部だったかのように。


ただ逆矢があまりにも弱っていたせいで。


これまでラインが、その存在を感じ取れなかっただけだった。


二度目の人生で最初に錬化された精霊は月印でも酒虫でもない、

逆矢だ。


五百年前から、

ずっと、

ラインの本源精霊だった。


一環初位の精霊使いが六環の本源精霊を持っている。

そんな話を誰かにしたところで信じる者などいないだろう。


常識から外れすぎている、あり得ない。

そう言われて終わる。


しかし、

現実に、今、

ラインの空界には逆矢が存在している。


それだけで十分だった。

ラインの口元が少しずつ吊り上がる。


(酒虫でも十分すぎるほどだと思っていた)

(だが……)


思わず笑いが漏れた。

「はは……」

「酒虫がどれだけ優れていても」

「逆矢と比べれば、話にならないな」


ラインは空界に浮かぶ、傷ついた一本の矢を見つめた。


最後に手に入れた精霊、

そして、今世で最初から自分とともにあった精霊。


「逆矢」

「私の本源精霊が……お前だったとはな」


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