168.月下の長歌、墓前の検死
レオンは続けた。
「さて、あのラインの人となりについて、お前の見立てを聞かせてもらおう」
「父上は、ラインを疑っているんですか?」
アキラは一瞬きょとんとしたが、すぐに答えた。
「あの人は、とても理性的で、頭の切れる人です。集落を案内してくれたときも、言うことが一つ一つ的確で、筋道もはっきりしていました」
不意に、小さく息をのみ、眉をひそめた。
「さっきは気づきませんでした。でも、父上に言われて、ようやく分かりました。あのラインは、話し方がうますぎるんです!口にするのは、どれも客観的な事実ばかりで、個人的な感情が混じっていません。終始、第三者の立場から冷静に語るので、話につけ入る隙もなければ、言外の手がかりもつかめません。あの人の言葉は、とても……とても……とても綺麗なんです」
少女は少しためらい、最後には「綺麗」という言葉を選んだ。
レオンは一度うなずき、それから首を横に振った。
「あのラインは、感情を捨てたわけではない。人には誰しも感情がある。いかに冷酷な殺し屋とて、それは変わらぬ。ただ、己の感情を隠すのも、御するのも巧みなのだ。あの少年には、魔性が宿っておる」
「魔性?」
「そのとおりだ。考えてもみよ。あの若き長老殿は酒席で、戦が恐ろしくて戦場には出られぬと、包み隠さず口にした。並の者なら、果たして同じことをするであろうか?」
アキラは首を横に振った。
「しません。精霊使いは、一族の栄誉と自分の名誉を、命よりも重く見ています。でも、必ずしもそうとは限りません。歴史上、自ら名を汚した人も大勢いるでしょう?」
「うむ。だが、そうした者たちは、いかなる人間だ?」
レオンの眼差しは深かった。
アキラはしばらく考え、はっとしたように表情を変えた。
「誰もが、傑物です!」
「いかにも。古来、自ら名を汚す者の狙いは、二つに尽きる。一つは、大望を遂げるためだ。目指すものに比べれば、名誉など取るに足らぬ。いま一つは、己の身を守るため。あえて自らを貶め、人の猜疑をかわすのだ」
アキラの目が、ぱっと輝いた。
「父上、それでは……」
「考えすぎだ。ただ、なかなか面白い少年だと思ったまでのこと。惜しいことに、資質は下等にすぎぬがな……」
レオンはそう言った。
月明かりが集落の地面を覆い、湖の水面のように広がっていた。
ラインは人けのない通りを歩いていた。
足取りはいくらか重かったが、それでも確かだった。
先ほどレオンと接してみて、心の中で感嘆していた。
(名下に虚士なしとは、よく言ったものよ。)
レオンは世の中を見抜く目を持ち、知略も、その胸中も底が知れなかった。
数十年にわたって南域で活躍し、赫々たる名声を築いただけのことはある。
まさしく、一方の傑物だった。
こうした人物を前にして、疑いを晴らすのは難しい。
この父娘に十分な時間を与えれば、必ず真相を突き止める。
(今は、時間を争うしかない。ただ、コア派閥からの誘いは、確かに利用できる)
つい先ほど、コア派閥の屋敷で、ラインは途方もなく高い条件を突きつけた。
リリアを娶ること自体は構わない。
だが、コアには十万個の霊石と、希少な精霊を十体、用意してもらう。
しかも、そのすべてが三環以上でなければならない。
この要求に、コアは激怒した。
(後ろ盾まで死んだ若造に、可愛い孫娘を嫁がせてやろうというのだぞ。それだけでも大した幸運だというのに、まだ満足せんのか?!)
そのうえ、この小僧は臆面もなく、結婚の見返りに金品まで要求してきたのだ。
ここまで強欲では、到底我慢ならなかった。
交渉は決裂し、コアはラインを追い出した。
ラインは振り返ることもなく、あっさりと立ち去った。
コアの思惑はすでに見抜いており、相手は必ず折れると踏んでいた。
高い値をふっかけたのは、値引き交渉の余地を残すためにすぎない。
(ただ、利もあれば害もある。霊石が手に入れば、泉母蓮を養える。だが、政治の中心から退くという当初の計画も狂った。今夜の酒宴で、コアは自分を犠牲にして、私の政治的な前途を守った。これからは、ほかの長老たちの圧力を受けることになるだろう)
今、ローデンの集落の政治勢力図は、大きく変わっていた。
族長は健在だった。
二大派閥の首領の一人、カルは死んだが、カル派閥にはまだ支えとなる者がいる。
後継者のメルは生きており、同じ流れを汲むラゼルのような長老もいた。
一方、コア派閥は後継者を失っただけではない。
コア自身も重傷を負い、環階が二環にまで落ちて、長老の地位さえ保てなくなっていた。
かつての二大勢力は、どちらも衰退していた。
薬堂の者は大半が治療精霊使いで、後方にいたため犠牲が少なく、戦力をほぼ温存していた。
むしろ、勢力を伸ばす兆しさえ見せている。
もともと族長派に属していた薬堂も、今では独立した勢力として成り立つだけの力を備えていた。
ラゼルは現在、薬堂長老を代行しているが、その妻はれっきとした薬堂派だった。
メディシンや妻に求められ、薬堂長老の座を手放す可能性は高い。
あるいは、薬堂を足がかりにし、カルの死に乗じて派閥の実権を奪い、カル派閥を自分のラゼル派閥へ変えてしまうかもしれない。
いずれにせよ、ウルフウェーブの後、メディシンが薬堂長老に返り咲く可能性はきわめて高かった。
彼女が族長派から離れようとするなら、二大派閥が壊滅的な打撃を受けたことで残された政治的な資産は、薬堂にとって大いに魅力的だ。
動くなら今だった。
二大勢力が立ち直れば、同じ機会が巡ってくるとは限らない。
「世の渦に
身を揉まれつつ
いつの日か
髪をほどきて
小舟漕ぎ
沖へ出でばや
風よ吹け
この帆を満たせ
三万里
波を蹴散らし
この舵は
人に渡さじ
世の果てへ
われらは進む
外道のままに」
ラインは月を仰ぎ、即興の長歌を吟じた。
この政治の渦から抜け出そうとしていたのに、コアに無理やり引き戻されてしまった。
各方面から圧力が押し寄せ、レオンはすでに事件の調査に取りかかっている。
その一方で、シオンも新たな助力を得ていた。
まるで暗礁の間を縫って船を進めるかのように、危険が至るところに潜んでいる。
いったい、どうすれば活路を切り開けるのか?
……
翌日。
「えっ?ルイス・ベルナーを殺した犯人は、もう突き止められていて、そのうえ、すでに討ち取られたというんですか?」
アキラはひどく驚いていた。
今朝は早く起き、正式に事件の事情を調べ始めた。
ところが、最初に聞かされたのが、犯人はすでに討ち取られたという話だったのだ。
「そのとおりです。犯人は外道精霊使いでした。あの者は、さらに一族の天才を暗殺しようと現れ、天才の芽を摘もうとしたのです。その場で、一族の精霊使いに討ち取られました」
一人の長老が、手がかりとなる話をした。
「本当に、そうなんですか?本人が、ルイスを殺したと認めたんですか?」
アキラは深く眉をひそめた。
その傍らでは、青銅の仮面をつけたレオンが、彫像のように黙って立っていた。
「それはありません。ですが、あの男でなければ、ほかに誰がいるというのです?」
長老は肩をすくめた。
アキラは考え込んだ。
(どれも推測にすぎない。証拠はないんだ。真相がどうであれ、この外道精霊使いについては、徹底して調べなきゃ。真実に直結する手がかりである可能性は高い)
そこまで考えると、ぱっと顔を上げた。
「どこに埋葬されたんですか?検死をしたいんです!」
彼らは、死者が雑然と葬られた墓地を数時間にわたって探し回った。
ようやく、塔婆を一本無造作に立てただけの墓を見つけ、破れたむしろに包まれた遺体を掘り出した。
鼻を突く悪臭が漂った。
墓を掘るのを手伝っていた使用人や精霊使いたちは、嫌悪感をあらわにして、遠くへ退いた。
だが、シュタール父娘は、まるで臭いなど感じていないかのようだった。
アキラの両目には光が浮かび、興味津々に身をかがめて手を伸ばし、調べ始めた。
人の遺体には、多くの痕跡が残る。
ごく小さな痕跡が一つか二つあるだけで、犯人を指し示す動かぬ証拠となることも多い。
遺体は全身傷だらけだった。
顔立ちはかろうじて見分けられ、生前の衣服もそのまま身につけていた。
長いこと調べた末、アキラはまだ名残惜しそうに立ち上がった。
「何か得るところはあったか?」
レオンが静かに尋ねた。
娘を試す意図が、その問いには含まれていた。
「ローデン一族は、この男がルイス・ベルナーを殺した犯人である可能性が高いと考えて、遺体をきちんと保存していたんですね。この遺体には、大いに不審な点があります」
アキラは答えた。
「死者は中年の男性です。右腕が左腕より太く、両手には厚いタコがありますが、その分布は左右で異なっています。全身に多数の傷があり、致命傷になりうるものも複数あります。死の直前には、激しい戦いを経験しています。さらに、外からは分かりにくい傷も数多くあります。とくに注目すべきは、左足の指が三本欠けていることです。これは、何年も前の傷です」
そこまで述べると、アキラは推理を口にした。
「生前は、狩人だった可能性が高いです。証拠はいくつもあります。左右非対称の体格と、両手のタコの分布は、頻繁に弓を引いていたことを示しています。全身には獣の爪痕や牙の痕も多く、日常的に獣と関わっていたことが分かります。衣服も、正道の精霊使いが身につけるものではありません」
さらに続けた。
「とくに面白いのは、履いている草鞋です。これを編むのに使われた草は、竹添麻です。この草は、翠節竹の周りにしか生えません。ヴェルデン山には翠節竹が豊富に生育していますが、この山を除けば、周囲千里に竹添麻の生える場所はありません」
「それは、何を言わんとしておる?」
レオンが問いを重ねた。
「外道精霊使いになる前は、間違いなく狩人でした。身につけている物から見て、ヴェルデン山の地元の狩人だった可能性は、かなり高いと思います」
アキラの目に、鋭い光がひらめいた。
「何をもって、この地の者と判断した?草鞋が根拠ならば、この地の村人を殺し、その草鞋を奪って履いておる可能性も十分にあろう。」
レオンはあえて反論した。
「違います。身につける物の中でも、履物は特別です。奪った物では、足に合わないことが多い。でも、この草鞋を見てください。驚くほど足に合っていて、編み目も緻密です。しかも、この人の足に合わせて作られています。左足は指が三本欠けていますが、左の草鞋も、それに合わせて短くなっています」
アキラは説明を続けた。
「指を失った傷口は、どれもきれいにそろっています。すべて根元から切断されています。おそらく、何年も前にうっかり罠を踏んだのでしょう」
レオンは肯定もせず、批判もしなかった。
先に言ったとおり、この事件の調査は、すべてアキラに任せているのだ。
アキラは続けた。
「この推測をもとに、周辺の村々を調べて回れます。さらに手がかりが見つかるかも……あっ!」
言い終わらぬうちに、少女の表情がこわばった。
ヴェルデン山は、つい先ほどまでウルフウェーブに蹂躙されていた。
集落でさえ甚大な被害を受けたのだ。
まして、山麓の村々はどうなっているだろう?
この方法で死者の身元や来歴を突き止める望みは、きわめて薄そうだった。
「でも、望みが薄くたって、可能性が残っているなら、僕は試してみます!」
初めて一人で事件を調べる少女は、意欲に満ちていた。
だが、半日余りが過ぎても、結局は何も得られずに戻ってきた。
今回のウルフウェーブは、有史以来、最も規模が大きく、最も恐ろしいものだった。
生存者が一人もいない村さえあり、調査はきわめて難しかった。
「この線は、これ以上たどれぬな。さて、次はどうする?」
レオンが、頃合いを見て尋ねた。
少女は歯を食いしばった。
その口調は頑固で、揺るぎなかった。
「いいえ、まだ終わっていません。父上もおっしゃっていたでしょう。本当の手がかりは、もっと深いところに隠れていて、掘り下げ続ければ、きっと見つかると」
「この外道精霊使いの死には、不審な点があります。まず、なぜライルを襲ったのでしょう?ライルに何をされれば、命も顧みず、大勢の強敵のただ中で、決死の暗殺を試みるほどになるのでしょうか。次に、この男が地元の人間なら、どうして死後、誰にも身元が分からなかったのでしょう?」
その言葉に、レオンも思わず娘へ目を向けた。
「お前も、まことに立派になったものだ」
鉄血探偵は、しみじみと感嘆の声を漏らした。
その口調には、深い感慨と、娘の成長を喜ぶ思いがにじんでいた。




