166.宴席の弁護に思惑を秘め、月下の対話で窮地を明かす
宴席は、一時、物音一つしなくなった。
皆が呆然とラインを見つめていた。
ここまで率直に、敵を前に退いたことを認めるとは思わなかったのだ。
(まだ若すぎる。こんなことまで口にするとは)
(ふん、これで政治的な将来も台無しだ)
(もう、このラインを警戒する必要はない……)
長老たちの胸で、さまざまな思惑が渦巻いた。
ウルフウェーブもここまで来れば、大勢は定まっていた。
これから数か月は、小さな狼の群れが現れるだけだ。
借威狐による呼び戻しと、精霊使いたちの掃討が進めば、年末にはほとんど雷狼を見かけなくなるだろう。
だが、争いまで止むわけではない。
人がいれば、利益がある。
利益があれば、争いがある。
ウルフウェーブの中では、人と狼が争っていた。
最も苦しい時期を越えた今、一族内部の争いが表に浮かび、主要な対立となった。
狼たちが集落を襲い、多くの精霊使いが戦死したことで、古くからの勢力も崩れた。
その勢力が握っていた利益は主を失い、改めて分け直す必要があった。
以前は、ローデン一族の多くの長老が、集落全体の利益というパイを分け合っていた。
今はラインら十人にも満たない長老しか残っていない。
だが、パイは依然としてそこにある。
それを分けるには、当然、駆け引きが避けられなかった。
政治の争いでは、ウルフウェーブのように刃が閃き、血が飛び散るわけではない。
だが、陰謀、計算、罠は、同じように深く危険だった。
唯一の新任長老であるラインは、勢いに乗り、大きな注目を集めていた。
だが、自ら敵前で退いたと認め、政治的な前途を断った。
ほかの長老と利益を争う機会を、手放したも同然だった。
長老たちにとって、彼の脅威は一気に小さくなった。
向けられる視線の圧力も、明らかに軽くなった。
そのとき、族長ハクが小さくため息をついた。
「ライン、認めたからには、族長として今回の敵前逃亡を処分しないわけにはいかない。先祖から伝わる一族の掟では、敵前逃亡した者は長老の職を失う。ただし、最終的な処置はほかの長老たちと相談し、事情を酌んで決めることになる。どのような結果でも、受け入れてもらいたい」
皆が、それぞれの表情を浮かべた。
ラインはうなずいただけで、口を開かなかった。
すでに諦めたように見えた。
メディシンは自ら片腕を断ち、命を守った。
その非情さと決断力は、ラインにもあった。
ただし、彼が捨てるものはさらに大きい。
長老という地位までも、手放したのだ。
今、最大の問題は突然現れたシュタール父娘だった。
さらに政治の渦へ巻き込まれ、各方面から圧迫されれば、状況はより危険になる。
(捨てて、得る。何を取り、何を捨てるかが人生だ。長老の身分も、よりよく修行するために使っていただけのこと。永生を求めて外道を歩んだ。命さえ捨てられるのに、ほかに捨てられないものなどあるものか。長老の座など、ふん……)
ラインには、苛立ちも後悔も少しもなかった。
これが、最も賢明な選択だった。
しかも、罰せられるとしても、決して重い処分にはならない。
今は長老が足りない。
三環精霊使いであるラインの力は、無視できなかった。
族長は彼を罰する一方で、その力を借りて集落を安定させねばならず、宥めることも必要だった。
ほかの長老たちにしても、ラインはこの重要な政治の駆け引きから退き、もはや脅威ではない。
徹底的に追い詰める理由もなかった。
反撃を招けば、自分たちが面倒を抱えるだけではないか。
(一族の制度があるとはいえ、制度とは何だ。ふふ、上に立つ者が利益を守る道具にすぎない。一方では下にいる者たちの利益を支配し、切り分ける。他方では、上に立つ者同士が利益を調整するための、ゲームの規則でもある)
ラインは心の中で冷笑した。
その仕組みは、よく見えていた。
(今、最も重要なのはシュタール父娘だ。忌々しい、予想より早く来るとは。ウルフウェーブもまだ退いていないうちに到着した。もっとも、悪を憎み、身を顧みずに動くレオンの性分には、いかにも合っている)
そう考えると、重圧を感じた。
レオンは重傷を負っている。
それでも、その戦力はラインが抗えるものではなかった。
五環の強者は弱っていても、一人の三環精霊使いが相手にできるものではない。
(集落を離れながら、シュタール父娘の追跡も避ける。どうすれば、この局面を破れる?)
ラインは頭を悩ませた。
この父娘は、オスカーのように簡単には欺けない。
しかも、彼の環階は低かった。
いかに策を巡らせても、それを実行する力がなければどうにもならない。
三環と五環の隔たりは、あまりに大きかった。
「皆、一言よいか」
そのとき、ずっと黙っていたコアが、不意に口を開いた。
顔は青白かった。
重傷を押して出席しており、酒は一滴も飲まず、少し茶を口にしただけだった。
だが、その口から続いた言葉は、皆の予想を裏切った。
「一つ、わしが正直に明かさねばならぬことがある。ライン殿が戦場へ駆けつけるのに間に合わなかったのは、わしが原因なのだ」
「何だと?」
ほかの長老たちが、わずかに驚いた。
「ほう、どういうことだ?」
ハクが尋ねた。
ラインも目を向けた。
だが、胸の中の驚きは隠していた。
なぜコアが、自分のために口を開く?
コア派閥とは、以前から遺恨があった。
その派閥の奉公人を殺し、遺体を切り分けて送りつけたことさえある。
コアはため息をつき、続けた。
「実を言えば、孫娘のリリアは、ライン長老に心から惚れておる。あの子は膝をつき、泣きながらわしにすがった。ラインを戦場で死なせたくないとな。わしの孫娘は、あの子一人だ。つい私心が芽生え、ラインを屋敷へ無理に留め、気を失わせておいた。頭狼を追う段になって、ようやく外へ出したのだ。何もかも、わし一人の過ちだ。ライン長老に責めはない」
「何?」
「ほう、本当にそうなのか?」
長老たちは、疑いを浮かべた。
コアの話は、あまりに無理があった。
聞いただけでも、信じがたかった。
「若い者同士が惹かれ合うのは、自然なことだ」
ハクはうなずき、意味ありげにラインを見た。
何かを顔から読み取ろうとしたのだ。
だが、ラインはすでに目を伏せていた。
表情は穏やかで、喜びも怒りも見えなかった。
(ラインはカル派閥と近しかったはずだ。今度は、どうしてコア派閥とつながった?)
ハクはひそかに考え、しばし相手の腹を測りかねた。
ほかの長老たちも目配せを交わしていた。
なぜコアが、これほどラインを庇うのかわからなかった。
こんな形で弁護するのは、自分の名誉を犠牲にし、政治的な将来を傷つけることだった!
コアは続けた。
「ライン長老はわしの名誉を守ろうと、進んで汚名を引き受けてくれた。だが、一度過ちを犯したわしが、さらに過ちを重ねるわけにはいかぬ。真相は今話したとおりだ。どう処罰するか、族長殿にお決めいただきたい。わしは罪を認め、罰を受ける。たとえ長老の身分を失おうと、甘んじて受けよう」
ハクは急いで手を振った。
「コア長老は長年、一族のために尽くしてこられた。孫娘を思う気持ちも理解できる。今、一族の立て直しには、手をつけねばならぬことが山ほどある。あなたのような長老の支えが必要だ。ただし、私情を一族の掟の上に置くわけにはいかぬ。具体的な処置は、やはり相談して決めねばならない。今日は賓客もおられる、この話はここまでとしよう。さあ、シュタール殿、全長老とともに一杯捧げさせていただこう!」
そう言って、ハクが立ち上がった。
ほかの長老たちも続いて立ち、酒杯を上げた。
「皆、お気遣いなく。今後も世話をかけることになるが、どうかご容赦願いたい」
レオンも偉ぶることなく立ち上がり、杯の酒を飲んだ。
……
コア派閥の屋敷では草木が香り、築山の間を清らかな水が流れていた。
せせらぎが静かに響いていた。
夜空には、皿のように丸い月が高く懸かっていた。
宴は、とっくに終わっていた。
ラインは庭のあずまやで背筋を伸ばして座り、水音を聞きながら、静かな顔で茶碗を置いた。
向かいにいるのは、コアだった。
宴が散ると、ここで話そうとラインを招いたのだ。
「さあ、もう一杯。わしのとっておきの茶だ。酔い覚ましにもよいぞ」
コアは微笑み、自らラインの茶を注いだ。
茶碗が少しずつ満ちていくのを見つめ、ラインは淡々と言った。
「確かに、酔い覚ましにはよい茶だ」
それだけ言うと、あずまやの外へ目を向けた。
白い月が、澄んだ光を注いでいた。
月下の庭は静かで風情があり、風が吹くたび木の影が入り乱れた。
だが、コア派閥の屋敷が栄華から衰退へ向かう寂しさも、すでにかすかに漂っていた。
宴の席で、コアの考えは見抜いていた。
目の前の光景に、その確信はいっそう深まった。
コア派閥には、もう後を担える人材がいない!
先の頭狼との防衛戦で、コア派閥の後継者ノア・ローデンが命を落としていた。
戦場に、不測の事態はつきものだ。
コア派閥も、後継者を守るために力を尽くしていた。
だが、ウルフウェーブの中では誰もが己の命を危ぶみ、多くの場合、自分を守るだけで精いっぱいだった。
まして、ほかの者を守る余裕などない。
ノアの死で、コア派閥全体が後継者を失った。
ノアには、実の姉リリアがいた。
だが、一族の制度と祖先から伝わる掟は、代々男を重んじてきた。
非常時なら例外を認めることもできるが、カル派閥の後継者は、今も生きていた。
伝統を守る保守的なコア派閥が、このとき突然女を後継者に据えるのは、あまりに危険だった。
だが、リリアを正式な後継者にしなければ、たとえ今後三環に進み、長老になったとしても、彼女名義の財産は個人のものにすぎない。
コア派閥の正統を代表することにはならなかった。
いずれ嫁げば、その財産も夫の名義へ移る。
一族の中の政治勢力は、後継者を失えば、将来も失う。
誰もついて来ようとはしなくなる。
今のコア派閥は、女を後継者に据えても据えなくても、構成員が離れる窮地を避けられなかった。
すでに、崩壊の瀬戸際だった。
ただし、完全に道を失ったわけではない。
まだ、一筋の望みが残っていた。
リリアだ。
女であっても、嫁ぐことはできる。
夫となる男がコア派閥へ婿入りすれば、それによって正当な立場を得て、派閥全体を継ぐことができる!
コアは茶を飲みながら、ラインが尋ねるのを待っていた。
だが、ラインは一向に口を開く気配を見せない。
コアは次第に落ち着きを失い、胸の内で、小僧の狡猾さを罵った。
頼みたいことがあるのは、彼のほうだ。
先に口を開くしかなかった。
「ライン長老、わしのコア派閥をどう見ておられる?」
彼には、もう一つ公にできない事情があった。
重傷を負って以来、環階は二環へ落ちていた。
もう三環へ戻る見込みはない。
今は、精霊で本当の気配を覆い隠しているだけだった。
だが、そんな偽装は永久には続かない。
いつか必ず露見する。
唯一の後継者は戦死し、自身も二環へ落ちた。
いずれ長老の身分も失う。
今の局面を支えてくれる、派閥外の味方が一刻も早く必要だった。
かつては高い地位と権勢を誇り、コア派閥は莫大な利益を手にしていた。
今、一族の勢力図は塗り替えられようとしていた。
もはや、さらに多くを得ようとは望まない。
手元の取り分を守れるだけで、最大の勝利だった。
考え抜いた末、最適な相手はライン・ローデンしかいなかった!




