160.百足の刃が氷を砕き、血月が空で鳥を迎え撃つ
白い衣に片腕、白髪に青い瞳。
シオン以外に、誰がいる?
氷の刃が届く前に、凍える冷気が顔へ押し寄せた。
凍てつく星が地に墜ちるかのように、冷酷な殺意をはらんでいた。
ラインは深い黒の瞳に動揺の色も見せず、後ろへ跳んだ。
同時に天蓬へ精神力を注ぎ、白く輝く鎧で身を包んだ。
鈍い音とともに氷の刃が地を叩き、無数の氷の棘が突き出した。
氷の割れる音が続き、鋭い棘がラインの退く方向へまっすぐ伸び、氷の道を作っていく。
ラインは横へ身を翻し、氷の棘をかわした。
山道は狭く、その勢いのまま斜面を滑り下り、谷へ入った。
「ふふふ……ライン、なあライン。お前を見ると、なんでこうも殺したくなるんやろな?ん?教えてくれや!」
シオンは興奮に全身を震わせ、声を放って笑った。
その笑い声に、谷の精霊使いたちが目を向けた。
二人の姿を見て、それぞれ異なる表情を浮かべた。
「シオン様、助太刀いたします!」
ベル一族の精霊使いが叫び、ラインへ飛びかかった。
それまでは脇に立ち、遠距離から援護しようと備えていた者だった。
「族長、一族のラインです!」
ローデン一族の精霊使いが叫んだ。
「わかっている」
ハクの顔に、複雑な表情がよぎった。
ベル族長の一撃をかわすと、意を決し、低く命じた。
「まずは目の前の敵を片づけろ!」
頭狼の襲来前、ラインはずっと行方をくらませていた。
一族の上層部は、もともとそれを怪しんでいた。
さらにベル一族からの大きな圧力もあり、この場で援護に向かう者はいなかった。
一方、シオンは助けに来る者を見ると、激怒した。
「どけや!これはこっちの戦いや、横から手ぇ出すな!」
「シオン様は片腕を失われ、戦う力も落ちておられます。ベル一族の希望なのですから、軽々しく危険を冒されてはなりません。その障害は、代わって取り除きます!」
その精霊使いは叫びながら跳躍し、ラインの前へ出た。
精霊を発動すると、両掌に橙黄色の光が一塊ずつあふれた。
その手で地面を軽く叩く。
黄色い光が地中へ没すると、土が盛り上がった。
土の隆起はラインへ向かって疾走しながら、ますます大きくなっていった。
土が不意に弾け、中から黄土の巨手が伸びた!
大人の背丈ほどもある巨手が、ラインをつかもうと迫った。
息が詰まるような威圧感だった。
だが、ラインは鼻で笑っただけだった。
巨手につかまれる寸前、空界から暗金色の光が噴き出した。
鮮やかな光の帯となり、全身を巡る。
光の帯が数度うねっただけで、迫る土の手は捻り切られ、崩れて土へ戻った。
「ん?なんや、その精霊は?」
シオンが驚きを浮かべた。
暗金色の光が消え、精霊がついに姿を現した。
一メートルを超える長さで、幅は両拳を並べたほどもある。
暗金色の甲殻には雄々しい迫力があり、両側に並ぶ二列の銀の鋸歯が、冷たい光を放っていた。
旋牙百足!
「来い」
ラインは低く命じ、右腕を振って手を開いた。
旋牙百足は無数の節足を巧みに動かした。
蛇のように体を捻って右腕へ巻きつくと、口器を開き、掌から前腕の半ばまでをすっぽりと口に収めた。
ラインが腕を振るった。
一メートル余りの百足が尾を振り、空に弧を描いて、鋭い音を響かせた。
その瞬間、体が限界まで縮んだ。
二メートル近くあった長さが、一・五メートルになる。
両側の節足もすべて甲殻へ収まり、二列の銀の鋸歯だけが残った。
一見すると、ラインは暗金色の刀身と銀の鋸刃を持つ、切っ先のない大剣を握っているようだった!
助太刀に来たベル一族の精霊使いが、驚愕を浮かべた。
旋牙百足に、こんな使い方があるとは思いもしなかった。
精霊を養うことも、煉成することも、使うことも、それぞれに底知れぬ奥深さがある。
目の前の使い方は、想像力を極限まで働かせたものと言えた。
だが、実際にはラインが考案したものではない。
前世では、この時代から三百年後に「解体屋」と呼ばれる外道の新鋭が現れた。
彼女の看板精霊は、四環の千刃百足だった。
三環の旋牙百足から進める煉成先の一つでもある。
もっとも、今生のこの時点では、ラインが披露したこの使い方に前例はなかった。
「よく見ておけ」
ラインは口元に冷笑を浮かべ、空界の精神力を旋牙百足へ注いだ。
二列の銀の鋸歯が、猛烈な勢いで回りはじめた。
荒々しく耳障りな唸りが響き、聞く者の神経を震わせた。
雷翼!
ラインの眼に鋭い光が走り、一対の暗青色の雷翼が背に生まれた。
翼を強く打ち振るい、稲妻のように飛び出した。
速すぎる!
ベル一族の精霊使いの瞳が、針のように縮んだ。
目の前で、冷たい光が閃いた。
死の気配が押し寄せた。
悲鳴を上げ、手持ちで最も強い精霊を即座に発動すると、全身に分厚い黄色の光が浮かんだ。
光は鎧となって固まりはじめた。
だが、完成する前にラインが迫っていた!
黒髪が荒れ狂い、両眼には稲妻のような光があった。
悪夢から人の世へ斬り込んできた魔神のようだった。
体を大きく伸ばし、筋肉を隆起させ、イノシシ二頭の力を限界まで引き出した。
百足が剣となり、鮮やかな金の軌跡を描く。
狂回転する鋸歯が、そのまま相手の腰へ斬り込んだ!
耳障りな摩擦音が響いた。
まだ完成していなかった黄色の光の鎧は、ほとんど一瞬で削り砕かれた。
鋸歯が、バターに食い込むように血肉へ入った。
ラインがそのまま振り抜くと、砕けた肉が飛び散り、背骨が断たれ、内臓までも瞬く間にずたずたになった。
精霊使いの上半身が飛んだ。
下半身は、その場に残っていた。
上半身が地面へ叩きつけられた。
彼は目を見開き、自分の下半身を恐怖に満ちた目で見つめ、そのまま極度の恐怖の中で息絶えた。
激戦を繰り広げていた者たちも、思わず攻撃の手を鈍らせた。
いくつもの視線が、ラインへ向けられた。
驚愕もあれば、怒りもあった。
このベル一族の精霊使いは、一族を独力で支えるほどの強者ではないにせよ、三環の長老だった。
それをラインは、猛烈な攻撃で瞬く間に斬り殺したのだ!
全身に血を浴び、肉片や骨の欠片まで付着していた。
手の中では旋牙百足の鋸歯が回り続け、絶え間なく唸っている。
その凶威は、無視できるものではなかった。
「おもろいな、ええ精霊や!」
シオンが叫び、その眼に狂気じみた興奮が弾けた。
「ライン、やっぱり期待を裏切らへんな!さあ、勝負や!」
炎のような熱を顔に浮かべ、跳びかかってきた。
「うるさい」
ラインは氷のような顔で、体を返して迎え撃った。
百足と氷の刃が、激しくぶつかった!
銀の歯が氷へ食い込み、砕ける音が続き、氷片が四散した。
次の瞬間、旋牙百足は氷の刃を断ち切り、そのままシオンの顔面を薙いだ。
シオンの顔色が変わった。
即座に刃を捨て、猛然と後ろへ跳び、二メートル余りの距離を取った。
縮んだ旋牙百足は、一・五メートルしかない。
ラインの右腕を加えても、届くにはわずかに足りなかった。
だが、ラインが念じると、百足の体が不意に伸びた!
「なんやと?!」
シオンが驚愕を浮かべた。
こんな変化まであるとは、まるで予想していなかった。
百足の尾が、胸を直撃した。
氷の肉体に守られていても、大きな傷が切り開かれた。
続いて強烈な力が押し寄せ、後ろへ弾き飛ばされた。
巨岩へ激突し、石に血が飛び散った。
だが、氷の肉体はすぐに血を止めた。
シオンは激しく咳き込み、起き上がろうとした。
その耳へ、不意に雷鳴のような風音が届いた。
かつてない危機感が、胸を満たした。
瞳が針のように縮んだ。
顔を上げる余裕もなく、急いで地面を転がった。
次の瞬間、旋牙百足が凶暴な勢いをまとって上から振り下ろされ、先ほどまで身を伏せていた巨岩へ叩きつけられた。
銀の歯が狂回転し、巨岩が轟音とともに砕け散った!
(今のが体に当たっとったら、たぶん……)
シオンの胸に冷たいものが走った。
だが、すぐに屈服を拒む怒りが湧き上がった。
アオとの戦い以来、彼はもう環階を抑えず、上がるに任せていた。
今は片腕を失っているとはいえ、環階には何の制限もかけていない。
それが、三環初位のラインに押されている!
悔しさ、屈辱、怒り。
さまざまな感情が胸の中で絡み合った。
「殺したる!」
怒号とともに手首を返し、掌の霜太刀へ精神力を注いだ。
新たな氷の刃が生まれる。
向かってくるシオンを見て、ラインは冷笑し、攻勢を存分に広げた。
黒イノシシの精霊と白イノシシの精霊で強化された彼は、シオンを上回る力を持っていた。
旋牙百足を振るうのも、小枝を振るうほど軽やかだった。
切り、薙ぎ、叩き割り、捻り潰し、擦り削る。
鋸歯が狂回転し、百足はその手の中で自在に変化した。
あるときは蜂のように軽やかに、あるときは象のように重く、虎のように獰猛に、蛇のようにしなやかに動いた。
さらに厄介なのは、ラインの意志に従って伸び縮みすることだった。
長くなったかと思えば短くなり、まっすぐになったかと思えば曲がる。
シオンは対応しきれず、防ぎようがなかった。
怒声を上げながら後退を重ね、体の傷が増えていった。
白一色の戦衣はとうにずたずたとなり、乞食のような姿になっていた。
ラインは黒髪をなびかせ、冷酷な顔のまま、磨き上げた剣技、刀術、斧術、棒術を一つに融合させていた。
旋牙百足は、その手の中で命を奪う凶器と化していた!
精霊の力も、使い手次第なのだ。
「ようやってくれるやんけ、ライン!」
氷の刃を何度も壊され、シオンもついに悟った。
このまま正面から打ち合ってはならない。
全身は血にまみれ、氷の肉体の防御も限界に近づいていた。
だが、それがかえって戦意をさらに高めていた。
接近戦が駄目なら、遠距離から攻めればいい!
氷葬鳥!
シオンは距離を取り、口から次々と氷の鳥を吐き出した。
鳥たちは翼を打ち、ラインへ襲いかかった。
ラインは表情を変えず、左手首を返した。
血のように赤い月刃を次々と放ち、氷鳥を正確に迎撃して、空中で自爆させていく。
普通の精霊使いが月刃を放つには、たいてい利き手を使い、全神経を集中させる必要がある。
だが、ラインには膨大な戦闘経験があった。
左手に持ち替えても、少しも慌てず、自在かつ正確に操っていた。
この手も通じないと見るや、シオンは氷牙も発動した。
氷の棘が次々と飛び、氷鳥に混じって密集した攻撃となった。
遠距離攻撃の手段が限られるラインは、より脅威の大きい氷鳥を優先して迎撃するしかなかった。
氷の棘は避けつつ、天蓬でも受け止めた。
シオンはようやく、わずかな優位を得た。
さらにそれを広げようとしたとき、ラインが冷笑し、右手を勢いよく振った。
旋牙百足が腕を離れ、地面へ落ちた。
そのまま素早く地中へ潜り込む。
地中に潜むこの脅威は、あまりに大きかった!
シオンは一瞬呆気に取られたあと、罵声を上げ、慌てて後ろへ跳び退いた!




