156.威を借りて百足を従え、音をたどって泉を探る
酒飲のカイが残した外道の試練を引き続き探るつもりではいたが、ラインはなかなか手が空かなかった。
長老となり、一族から利益を得る以上、相応の任務も果たさねばならない。
折しもウルフウェーブが頻繁に襲来し、次々と仕事が割り振られ、探索に出る機会が巡ってこなかった。
滝の裏にある秘洞を再び訪れることができたのは、十数日後のことだった。
夏の終わりの夜だった。
小雨がやんだばかりの空気には、すでにかすかな秋の気配が漂っていた。
玉の皿のように丸い黄金の満月が、空高く懸かっている。
かすかな狼の遠吠えと、まだ残る蝉の声が入り交じって耳に届いた。
姿を隠したラインは山の斜面に立ち、振り返った。
ローデン集落には、無数の灯がともっていた。
傷だらけの外壁は幾度も修復され、集落はかつての安らぎを失っている。
まるで大戦をくぐり抜けた巨獣が、地に伏して息をついているようだった。
(生まれ変わってから、ウルフウェーブの時期までずいぶん変わった。記憶どおりなら、頭狼は三日前には来ていたはずだが、今もまだ姿が見えない)
一瞥しただけで、ラインは視線を戻した。
今夜の時間は、ようやく確保できたものだ。
無駄にはできない。
ほどなくして、ラインは再び秘洞へ入った。
洞口にわざとまいておいた埃の層は、乱されずに残っていた。
足跡もない。
どうやら、まだここは発見されていないらしい。
こうした確認の工夫は目立たないが、経験上、驚くほど役に立つ。
もちろん、仕掛けておいたのは一か所だけではない。
一つずつ調べてようやく、秘洞が今のところ安全だと確かめられた。
ラインは小さく安堵の息をついた。
生まれ変わって以来、変えてきたことは増える一方だ。
とりわけ今はウルフウェーブの最中で、精霊使いたちも頻繁に外へ出ている。
いつここを見つける者が現れても、おかしくなかった。
甬道を抜け、第二の密室へ入る。
石扉を押し開けると、山の内部に広がる石林に出た。
以前切り開いた道筋には、宝石猿の群れがいくつも移り住んでいた。
だが、今のラインは三環の精霊使いだ。
血月は三環の精霊の中ではさほど攻撃力が高くないものの、二環の月華印よりは、はるかに強力だった。
六時間後、十数の猿の群れが殺し尽くされていた。
通る予定の道筋には、生きた宝石猿が一匹も残っていなかった。
ラインは石林の中央へたどり着くと、粗削りの石段を進み、第三の密室へ向かった。
行く手を石扉が塞いでいる。
その表面には、こう刻まれていた。
「百足の洞に死は潜む、命惜しくば、地耳を頼れ」
前回は、ここで探索を止めた。
今回はためらわず、石扉を押し開けて中へ踏み込んだ。
松明が周囲十歩ほどの範囲を照らした。
百足の洞はかなり広く、主通路は少なくとも高さ三メートル、幅二メートルはある。
両側にはやや狭い枝道がいくつも延び、さらに枝分かれして縦横に通じていた。
進むにつれ、松明の光が闇を押しのけていく。
初めは足音だけが響いていたが、やがて四方から、細かなかさかさという音が聞こえはじめた。
音は重なり合い、途切れることなく続いている。
火明かりの端には、たちまち無数の百足がひしめき合った。
凶暴な虫たちも、洞内では珍しい火の明るさと熱に阻まれ、離れた闇の中に押し合うばかりで、まだ襲いかかってはこなかった。
この均衡が長く続かないことを、ラインは知っていた。
集まる百足が増えれば、後ろの虫が前の虫を押し、いずれ群れは踏み込んでくる。
だが、気にはならない。
まだ二環で、シロタマズスキンに防御を頼っていたなら、わざとこれほど大きな騒ぎを起こし、虫の群れを刺激したりはしなかっただろう。
だが今は、三環の天蓬がある。
群がる虫の噛みつきに耐えるだけの防御力は備わっていた。
唯一警戒すべきなのは、百足たちが獣王として頂く三環の精霊――旋牙百足だけだ。
そいつは、すでに姿を現していた。
ラインはわざと白銀精神力をひと筋だけ体外へ流し、三環の精霊使いの気配を放った。
旋牙百足は、強い脅威を感じ取った。
その目には、強大な「野獣」が縄張りへ侵入してきたと映っていた。
直ちに絞め殺さねばならない。
ラインは巨百足と対峙した。
長さは一メートルを超え、幅は成人男性の両拳を並べたほどもある。
初めは火明かりの端にとぐろを巻き、影に潜んで機をうかがう大蛇のようだった。
やがて無数の節足で体を持ち上げ、ゆっくりとラインへ近づいてきた。
三環の気配は警戒させるには十分でも、退かせるほどではない。
四環なら、おそらく自分から近づいてはこなかっただろう。
五環ともなれば、気配をわずかに示すだけで逃げ出すはずだった。
ラインは松明を高く掲げた。
跳ねる炎が、周囲の洞壁に揺れる明暗を映す。
火に照らされた旋牙百足の暗金色の甲殻が、鈍い光を放っていた。
胴の両側には、百足の鋭い牙を思わせる銀色の鋸歯が一列ずつ並んでいる。
ゆっくりと近づくにつれ、その鋸歯も回転を始め、チェーンソーのような唸りを上げた。
ほかの百足も、地面や洞壁を伝ってラインを取り囲んでいく。
中には天井まで這い上がり、そこから肩や背中へ落ちてくるものもいた。
ラインは天蓬を発動した。
白い水晶のような分厚い光が浮かび、かすかに鎧の輪郭を描いて、全身をしっかりと包み込む。
百足の毒肢では、この鎧に傷一つつけられなかった。
虫たちは身をくねらせ、頬や耳の裏を這い回っていた。
見る者にはおぞましくとも、ラインはとうに気にも留めなくなっていた。
前世で商隊を追われ、荒野をさまよっていた頃には、何でも食べた。
毒のない百足を生で食べたことすらある。
初めは妙な味だと思ったが、慣れてしまえば悪くなかった。
その注意は終始、旋牙百足へと注がれていた。
巨百足がじりじりと進み、間合いを詰めてくる。
残り三、四歩というところで、ラインは白銀精神力の放出をやめた。
気配が一気に弱まる。
変化を鋭く察した旋牙百足は、急激に速度を増した。
残像を引き、一筋の金線のように走る。
瞬く間に間合いを詰め、ラインの脛に巻きついて這い上がった。
速すぎる。
神経を張り詰めていたラインですら、対応する精霊の助けがなければ、とっさに反撃できなかった。
反応したときには、巨百足はすでに蛇のように腰へ巻きつき、口器を開いて顔面へ迫っていた。
ラインは急いで両手を伸ばし、その頭部をつかんだ。
旋牙百足は激しく身をよじった。
イノシシ二頭の力を持つラインも、押さえ込むのが次第に苦しくなってきた。
とりわけ両脇の鋸歯はすさまじい速さで回転し、天蓬の白い水晶のような鎧を激しく削っていた。
耳障りな摩擦音とともに、白光が火花のように飛び散る。
空界の白銀精神力も、急激に消耗していった。
彼の精神力はまだ、三環初位の淡銀精神力にすぎない。
蓄えも四割二分しかなく、こんな消耗には耐えられなかった。
それでも、ラインは慌てなかった。
絡みつく巨百足を引き剝がせなくとも、切り札がある。
逆矢!
念じると同時に、逆矢の姿が空界に浮かび上がった。
回復はさらに進んでいた。
二枚の翅は艶やかに輝き、胴にも高価な木材のような、しっとりとした光沢が差している。
それでも全体はなお干からび、まるで生気がなかった。
すでに二割以上回復し、気配もそれだけ強くなっていた。
その気配が漏れ出した途端、激しくもがいていた旋牙百足が、ぐったりと脱力した。
たかが三環の野生精霊だ。
六環の逆矢の威圧を前に、身じろぎすることさえできなかった。
その変化を最もはっきり感じていたのは、ラインだった。
つい先ほどまでは、噛みつこうとする毒を持つ大蛇を、力ずくで押さえ込んでいるようだった。
それが次の瞬間には、手の中で柔らかな縄になっていた。
ラインは薄く笑い、白銀精神力を流し込んだ。
旋牙百足は一切抵抗しない。
入り込んだラインの意志が、体内の野生の意志を素早く滅ぼしていった。
数呼吸のうちに、この三環精霊は彼のものとなっていた。
ラインは両手を放した。
旋牙百足は節足を規則正しく動かし、白い水晶の鎧を足場に腰を一周すると、今度は腕に巻きついた。
周囲の百足たちは、潮が引くように退いていった。
野生の旋牙百足は、生来の意志によって百足の群れを統率していた。
その意志がラインのものに置き換わった今、虫たちと意思を通わせ、操る力も失われていた。
ラインは百足たちを駆除せず、散るに任せた。
十数年も経てば、この群れから新たな旋牙百足が生まれるかもしれない。
もっとも、それは彼にはほとんど関わりのないことだった。
巨百足を肩に這わせたまま、ラインはさらに洞窟の奥へと探索を進めた。
ここには分かれ道が多い。
しばらく進むと、主通路が三つに分かれた。
まず地這い耳でしばらく耳を澄ませ、中央の道を候補から外した。
それから右の道を選んだが、三十分ほど進んだところで行き止まりだとわかり、引き返して左の道へ入った。
錬化した旋牙百足には、もう群れを直接操る力はない。
それでも、百足の獣王としての気配は残っている。
行く先々で虫たちは身を引き、探索はずいぶん楽になっていた。
左の道に入って間もなく、洞壁から虫たちが退いたことで、ラインはある痕跡に気づいた。
(人の手で掘られた跡だ!)
ラインの胸に期待が湧いた。
この通路こそ、かつて酒飲のカイが疾走オオカミグモを使って切り開いたものだろう。
ラインは通路に沿ってゆっくり進み、辛抱強く調べていった。
ここにも大量の百足が生息している。
それは彼にとって好都合だった。
虫が生きていられる以上、仕掛けられている可能性を除外できる罠も多い。
だが、通路は予想よりはるかに長かった。
ラインは十数時間もかけ、二キロ近くを探りながら進んだ。
通路は下へ下へと延び、彼も地中深くへ潜っていった。
一定の距離を進むたびに立ち止まり、地這い耳で音を探る。
できる限り、危険がないことを確かめながら進んでいた。
やがて、ざあざあという音が聞こえてきた。
(何の音だ?)
すぐに、その正体がわかった。
(水の音……まさか?)
ラインの胸に、ぼんやりとした推測が浮かんだ。
通路の突き当たりには、水晶の壁が立ちはだかっていた。
壁の向こうには、水がある。
灰白色の流れが幾筋も渦を巻き、小さな竜巻のように生まれては消え、絶えることがなかった。
(やはり、思ったとおりだ。これは霊泉!)
ラインの眼差しが鋭くなった。
その直後、水晶の壁の向こうにある霊泉の中で、もう一つのものが目に入った。
青と白が入り交じった花の蕾が一つ、泉の中をゆったりと漂っていた。
(これは……まさか、泉母蓮か!)
ラインの胸に衝撃が走った。




