153.逆矢の回復に潜む危機、評判の好転で止まる追及
四頭の轟雷狼が首をもたげ、高らかな遠吠えを上げた。
大雨が降りしきり、幾重もの雨の幕が連なる。
厚い雲に覆われて空は暗く、視界もひどく悪かった。
「急げ、東門の近くに穴が開いた!チームを回して食い止めろ!」
「治療精霊使いはどこだ?ここに重傷者がいる!」
「誰か……助け……」
……
精霊使いたちの叫びが、狼の遠吠えと交錯する。
戦線は集落の周囲に延び、ほとんど誰もが血にまみれて戦っていた。
怒号、狼の咆哮、風雨の音が、一つに混じり合っている。
無数の雷狼が、潮のように防壁へ押し寄せていた。
壁の前の落とし穴は、すでに狼の死骸で埋め尽くされている。
巨雷狼たちに率いられた群れの勢いは、凄まじかった。
一環、二環の精霊使いが前線で奮戦し、次々と月刃を放つ。
月刃が群れへ飛び込み、雷狼を倒していった。
一方、狼の群れからも、淡い青の電流や濃い青の雷球が絶えず放たれていた。
ローデン一族にも、次々と死傷者が出ている。
「ライン長老、薬堂がまとめたばかりの死傷者の報告です。ご確認ください!」
伝令の精霊使いが駆けつけ、素早く一礼すると、報告書を両手で差し出した。
三環精霊使いとなり、長老の地位を得たラインは、一族から集落西側の一画を任されていた。
戦場から目を戻し、竹紙の報告書を受け取る。
「下がっていい」
伝令は再び一礼した。
続いて精霊の力で速度を上げ、次の場所へ急いでいった。
伝令を担う精霊使いは、少なくとも一体は、移動を補助する精霊を持っている。
中には、二体持つ者もいた。
ラインは報告書を広げ、ざっと目を通した。
そこに並ぶ死傷者の数は、目を覆いたくなるほどだった。
これまでに、狼の群れは十度近くローデン集落を襲っている。
精霊使いの死傷は甚大で、長老たちは対応に追われていた。
中でも、薬堂長老を代行するラゼルの負担は重かった。
数日前に三十五歳の誕生日を迎えたばかりだというのに、最近偶然顔を合わせたときには、すでに白髪がちらほら混じっていた。
だが、ラインには前世の記憶がある。
あらかじめ覚悟していたため、驚きはしなかった。
(このウルフウェーブは、ローデン一族の歴史でも、特に深刻なものの一つだ。この程度の死傷者が出るのも、避けられまい)
掌に月光を浮かべ、竹紙を粉末になるまで切り刻んだ。
これらの報告を読めるのは、長老だけだ。
公表すれば、恐慌を引き起こしかねない。
もっとも、集落にはすでに怯えが広がり、不安は日に日に重くなっていた。
今、ラインの掌に浮かぶ月光は、もはや暗い青一色ではない。
血のような赤が混じっている。
三環の血月だった。
煉成には一度失敗し、二度目にようやく成功した。
素材は、もちろんカル・ローデンから搾り取ったものだ。
ラインは目を閉じ、意識を空界へ沈めた。
空界を包む光膜は、時に明るく、時に暗く揺らめいていた。
全体が純白で、もはや不純物は見当たらない。
精神力の一滴一滴も白く、金属のような銀の光沢を帯びている。
三環精霊使いの白銀精神力だ。
それらが集まり、空界の中に海を広げていた。
以前は、その海面に赤黒い油膜が浮かび、生臭い悪臭を放っていた。
だが、今はもう消えている。
カルから脅し取った浄水の精霊は、すでに使い終えていた。
人獣満福の残した汚染も、完全に取り除かれている。
しかし、代償まで消えたわけではなかった。
もともと、ラインの資質は高くない。
精神力の容量は四割四分で、下等資質の中でも低い方だった。
人獣満福の影響で、そこからさらに二分下がり、今は四割二分しかない。
これも、彼には想定のうちだった。
そういう意味では、カルに感謝しなければならない。
浄水の精霊がなければ、悪臭を放つ油膜が霊海を汚染し続け、資質はさらに落ちていただろう。
白い甲殻に黒い斑点を持つ、大きなテントウムシが、海面の上を飛んでいた。
天蓬である。
隠鱗虫は姿を隠し、霊海の底に沈んでいる。
四味酒虫は四色の光を放ち、海面で楽しげに水と戯れていた。
煉成したばかりの血月は、月印に似た姿をしている。
今はラインの右の掌に宿り、赤い三日月の印となっていた。
三環の雷翼は背中に宿り、二筋の稲妻の刺青のようになっている。
そして、最も注意を向けるべきなのは、逆矢だった。
状態はますますよくなり、回復の速度も上がっている。
ラインは密かに喜ぶ一方で、不安も感じていた。
逆矢は六環だが、自分はまだ三環にすぎない。
今の空界では、完全に回復した逆矢を収めておくのは、おそらく難しい。
その気配は、絶えず強まっている。
完全に回復すれば、空界は水を入れすぎた風船のように、必ず破裂してしまうだろう。
たとえ命が助かっても、この生涯では二度と精霊使いとして生きられなくなる。
(どうにもならなければ、空界から出すしかない。あの電気を放つ黄色い生き物のように、そばに連れて歩くことになるか)
ラインは胸の内で嘆息した。
だが、この方法にも、大きな問題がある。
六環の精霊は、すでに天地の精髄というべき存在だ。
六環以上の精霊は、聖霊と呼ばれている。
聖霊の最も大きな特徴は、その唯一性だった。
つまり、世界全体で、同時に存在できる逆矢は一体だけなのである。
ほかの聖使が煉成方法を知っていても、すでに逆矢が存在する限り、何をしても煉成は成功しない。
もう一つ、聖霊を空界や特殊な場所へ隠さず、長く外界に留めておけば、天地との共鳴を引き起こしてしまう。
眠っている場合は別だが、そうでなければ、その規模は決して小さくない。
さまざまな異変が現れ、ほかの強者の注意を引き、欲を刺激することになる。
この二つの事情が重なれば、逆矢に詳しい聖使は、世界の壁を越えてその気配を察知し、ラインを殺しに来るに違いなかった。
それでも、ほかに手がなければ、そうするしかない。
逆矢に空界を破られるか。
その気配を察知した聖使に殺されるか。
比べるなら、今、より差し迫っているのは、逆矢に空界を破られる危険だった。
不意に、よく響く狼の咆哮が耳へ飛び込んできた。
ラインは即座に意識を引き戻す。
「長老様、轟雷狼が戦いに加わりました!東門付近で三人の長老が食い止めています。応援をお願いしたいとのことです!」
傍らの精霊使いが、急いで報告した。
ラインの背に、二枚の翼が広がった。
青い電流だけで形作られた翼は、抽象的で、輪郭も簡素だった。
勢いよく一度羽ばたくと、彼の身体を空へ押し上げる。
そのまま東門へ向かった。
空を一直線に飛び、ほんの数呼吸で戦場へ到着する。
一頭の轟雷狼が東門を突破しようとし、その付近で長老たちが激しく戦っていた。
轟雷狼は猛然と戦場から跳び出した。
その勢いで長い尾を振るい、隅にいた一環精霊使いの少女を薙ぎ払う。
少女の顔から、血の気が引いた。
尾は激しい風を巻き起こし、瞬く間に目の前へ迫っていた。
(もう駄目だ!)
彼女の力では、おそらく避けることも、防ぐこともできない。
そのとき、人影が空から舞い降り、彼女を抱きかかえた。
視界がぐるりと回る。
気がつけば、少女は宙にいた。
狼の尾がすぐ下を通り抜け、二階建ての竹造りの建物へ激突した。
建物は大きく揺らぎ、今にも崩れ落ちそうになった。
少女の顔が、さらに青ざめる。
あれを受けていれば、自分は潰れた肉の塊になっていただろう。
それからようやく、助かったのだと気づいた。
誰が助けてくれたのか。
少女は顔を上げ、そのまま呆然とした。
彼が?
ライン・ローデン!
胸の中に、言い表せない思いが入り乱れた。
彼女は、ラインと同じ学堂で学んだことがある。
霊石を奪われたこともあり、当然、憎み、嫌っていた。
だが、その成し遂げたことには、感服せざるを得ない。
特に長老へ昇進したと聞いたときには、驚きと敬意を覚えた。
彼女も、ラインと同じ下等資質だった。
それなのに、自分はいまだ一環に留まっている。
そして今、命まで救われた。
命の恩人なのだ。
感謝と驚き、敬意が交じり合う。
残っていたわずかな嫌悪さえ、すっかり消えてしまったようだった。
「ここは危険だ。もっと離れた場所へ下がれ」
ラインは雷翼を羽ばたかせて地上へ下り、少女を放した。
その顔には、多少見覚えがある。
昔の同級生だった気がするが、名前までは思い出せなかった。
言い終えると、振り返って戦場へ走り出す。
もう飛びはしなかった。
雷翼は速いが、精神力の消耗も速い。
ラインの資質は、下等の中でも最下層だった。
精神力の蓄えだけで見れば、三環精霊使いの中でも最低水準なのだから、なおさら節約しなければならない。
血月!
腕を振るい、血のように赤い月刃を放った。
月刃は轟雷狼の身体に命中し、傷を切り開く。
そこから血が、止まることなく流れ始めた。
少女は、まだその場に立っていた。
戦う彼の姿を、呆然と見つめている。
やがて、その瞳に、不思議な光が灯り始めた。
十七歳。
人に心を惹かれやすい年頃だった。
「ラインをどう見る?」
遠くから一部始終を見ていた族長ハクが、傍らの側近へ尋ねた。
側近は、すぐに答える。
「ライン長老は、薬堂の呼びかけに応じ、すでに九葉生気草を供出されたそうです。最初の手当も、受け取るなり全額を叔父夫婦へ贈り、孝行を尽くされました。このところは轟雷狼の討伐にも何度も加わり、鋭く容赦のない攻めで、多くの功績を立てておられます。同族を救うことも多く、評判はよくなる一方です。一族の中では、『改心は千金にも勝る。ライン長老をご覧あれ!』とまで言われております。」
側近は少し間を置いた。何かを思い出そうとしているようだった。
「下等資質ではありますが、戦いに秀でた才能があり、時勢にも恵まれたものと存じます。ご両親の遺産もあり、九葉生気草だけでも、尽きることのない収入源となっていたはずです。ご本人の話では、赤鉄仏舎利も二体使われたとか。それでも、三環に進めたのは、やはり運によるところもあるでしょう」
そこまで話すと、側近の顔に、わずかな妬みが浮かんだ。
彼も下等資質だ。
半生以上を費やし、ようやく今の二環にまで這い上がってきた。
すでに頭は白く、三環へ挑む機会はもうない。
ラインは、わずか十七歳で長老になったというのに。
人と比べれば、腹が立って仕方がなかった。
ハクはそれを聞き、肯定も否定もせず、かすかに頷いた。
側近の言葉は、同族の大多数が抱く見方を代弁していた。
ただ、少々表面的でもあった。
長年、族長を務めてきたハクには、もっと先まで見えている。
ラインが九葉生気草を供出した以上、ラゼルとの間で何らかの取引があったに違いない。
叔父夫婦へ手当を贈ったのも、おそらく本心からではなく、政治的な演出だろう。
その話を主に広めているのは、ほかならぬラゼルだった。
人を救うことまで本心なのかどうかは、まだ見ていかなければならない。
それでも、ラインが以前のように、我が道を行くばかりではなくなった点は、たとえ見せかけでも喜ばしかった。
長老昇進後の振る舞いは、一族へ積極的に歩み寄り、力を尽くそうとする姿勢を示している。
一族の繁栄に必要なのは、まさにそうした協調と献身だった。
そこまで考え、ハクは命じた。
「牢獄の連中も、これだけ調べて何の成果もない。まあいい。ラインの調査は、ひとまず取りやめにしよう」
「承知しました。すぐに伝えて参ります」
側近が下がった。
ハクはその場に留まり、わずかに目を細める。
(どれだけ理由があろうと、この修行の進み方は速すぎる。ラインに秘密があるのは間違いない!ただ、今はウルフウェーブが深刻だ。どのような力も大切に使わねばならない。彼一人の調査に労力を費やすのは惜しい。いずれ調べる必要はあるが、それはウルフウェーブが過ぎてからでいい)




