152.草と札を換えて利を得、霊石を贈って疑念を招く
メディシンは、ラインの持つ九葉生気草に目をつけ、職権を利用して、その供出を命じる政令を出した。
だが、ラインは三環へ進み、長老となった。
そして強烈な反撃に出て、メディシンを怒りのあまり昏倒させ、結果としてラゼルがその座に就くことになった。
薬堂を引き継いだばかりのラゼルとしては、前任者が成し遂げられなかったことを実現し、自分の地位を固めたい。
今回、わざわざラインを訪ねてきたのも、九葉生気草の供出を説得するためだった。
「九葉生気草を供出するのも、できない話ではない」
ラインはしばし考え、口を開いた。
あの時はあの時、今は今だ。
かつてメディシンが九葉生気草を供出させようとしたとき、それは上位者から下位者への命令だった。
一族の中下層にいたラインは、本来なら頭を下げて従うしかなかった。
しかし、今の彼は長老である。
地位は族長ハクに次ぎ、メディシンたちと肩を並べている。
ラゼルからの供出の求めも、もはや上からの命令ではなく、対等な取引、利益の交換となっていた。
九葉生気草は、確かに貴重だ。
生み出される生気草は供給が需要に追いつかず、安定した収入源となっている。
これほど多くの精霊を養えるのも、その費用のかなりの部分を九葉生気草が支えているからだった。
だが、この世に非売品などない。
ただ、手放す気になるほどの利益が示されていないだけだ。
九葉生気草が貴重でも、見合う値がつくなら、売って何が悪いのか。
精霊は、しょせん道具である。
野望を実現するための手段にすぎない。
逆矢でさえ、それは変わらなかった。
時機が合い、捨てることでより大きな利益が得られるなら、何を惜しむ必要がある。
何かを得たいなら、まず手放すことを覚えなければならない。
ラインには、とうにその覚悟があった。
彼はラゼルへ目を向けた。
ラゼルは心得たように微笑む。
「九葉生気草を供出してくださるのであれば、代わりに、この鑑札をお渡ししましょう」
そう言って、一枚の鑑札を取り出した。
簡素な造りの三角形で、三つの角は丸く磨かれていた。
表には、三文字が塔の形をなすように刻まれている。
「恩賞札」
裏にも、文字があった。
「功に報う」
恩賞札、功に報う。
「長老になられたばかりですから、まだご存じないこともあるでしょう。この恩賞札は、一族に大きな功績を立てた精霊使いにのみ与えられます。長老でさえ、持っている者は多くありません。これがあれば、一族の地下精霊室に入り、好きな精霊を一体選べるのです。そこには希少な精霊ばかりが集められています。功績順位表の上位十名に与えられる精霊のうち、四体はそこから出されたものですよ」
説明を聞き、ラインの心は少し動いた。
その存在自体は、意外でも何でもない。
ローデン一族は、数百年にわたって存続してきたのだ。
蓄えや積み重ねがないという方が、あり得なかった。
実際、ある程度の歴史を持つ一族には、たいてい地下精霊室のような、秘密の収蔵場所がある。
ただし、そこにある精霊を得るには、大きな功績だけでは足りない。
忠誠心も認められなければならなかった。
長老になったばかりのラインには、まだ遠い資格だった。
(一族を離れるには、収納用の精霊が必要だ。この鑑札は、悪くない選択だろう。ただ……)
それでも、懸念は残っていた。
九葉生気草を手放すこと自体は構わない。
確かに大いに役立ってくれたが、今後の計画には合わなかった。
それ自体の治療能力は優秀ではなく、生み出す生気草にも、持続的な治療はできない。
ラインが本当に案じているのは、鑑札を手に入れ、精霊室へ入ったところで、望みに合う精霊があるとは限らないことだった。
ラゼルはずっと彼の表情を窺っていた。
だが、そのためらいの理由を取り違えた。
「精霊室には三環だけでなく、四環の精霊もあります。ライン長老、この交換で損はさせません。後で気が変わったなら、交換し直しても構いませんよ。ただし、少し間を置き、内密に行う必要はありますが」
ラインは顔を上げ、改めてラゼルを見た。
(一筋縄ではいかない男だ)
胸の内で、小さく嘆息する。
突然、薬堂を任されることになったとはいえ、ラゼルは自分の置かれた状況をよく理解していた。
族長にも、カル派閥にも、薬堂にも歩み寄らなければならない。
その一方で、自分の能力も示す必要がある。
だからこそ、ラインに九葉生気草を供出させることには、特別な意味があった。
高い代価を払うだけの価値があるのだ。
(天地は広し。英傑の、なんと多きことよ!ウルフウェーブの下で、古参は次々と命を落とし、新たな者たちが地位を得ていく。ある意味、これも一族の世代交代なのだろう。だからこそ活力を保ち、存続し続けられる)
古参が多すぎれば、組織は腐り、停滞する。
淘汰の仕組みは、組織が生き続けるために必要な手段だった。
ラゼルは、その一例にすぎない。
自然が生気に満ちているのは、弱いものが淘汰され、優れたものが残るからだ。
人の身体も、絶えず新陳代謝を繰り返すことで、活力を保っている。
精霊使いの手持ちの精霊も、いつまでも同じであるべきではなかった。
変化があってこそ、進歩がある。
そこまで考え、ラインはラゼルから鑑札を受け取った。
同時に、九葉生気草を相手へ渡す。
自ら譲り渡したことで、九葉生気草に宿っていた彼の意志は消えた。
ラゼルはすぐに錬化を済ませ、空界へ収める。
そこでようやく、胸の内で大きく安堵した。
彼には野心があった。
薬堂長老の代行は、極めて重要な機会だ。
これをつかみ切れれば、代行から正式な就任へ進むことも、不可能ではない。
だが、そのためには、三者との妥協が必要だった。
政治とは、妥協の芸術である。
メディシンの在任中には、ラインに九葉生気草を供出させられなかった。
自分が引き継いだ後で実現できれば、薬堂への好意を示し、前任者のやり残した仕事を片づけられる。
それと同時に、自らの能力も、それとなく示せるのだ。
そのためなら、苦労して手に入れた恩賞札を手放すことも、惜しくはなかった。
ラインは鑑札を懐へ収め、口を開いた。
「ラゼル殿、あなたと話すのは実に気持ちがいい。この後、時間はあるだろうか?」
ラゼルの目がかすかに動いた。
その表情には、戸惑いが浮かんでいた。
……
しばらく後、客間。
「ラジェットにございます。妻ともども、長老様お二方に謹んでご挨拶申し上げます」
ラインの叔父と叔母が、床にひれ伏していた。
額を床へ押しつけ、ラインとラゼルへ礼を尽くしている。
その態度は極めて恭しく、かすかな怯えさえ滲んでいた。
ラインの長老昇進は、多くの若い精霊使いの励みとなった。
一方、叔父夫婦には、信じ難い衝撃を与えていた。
下等資質にすぎないラインが、なぜ突然三環へ進み、長老になったのか。
上等資質のライルでさえ、まだ二環上位なのに。
驚きが去ると、今度は恐怖が押し寄せた。
これまで、どれほどラインへ辛く当たり、抑えつけてきたか。
思い返すだけで、二人は肝を冷やした。
以前のラインは、せいぜい実力のある若手だった。
だが、長老となれば話はまったく違う。
出世した彼が、仕返しに来るのではないか。
二人は、それを恐れていた。
そして、とうとうラインが来た。
もう一人の長老まで連れて。
(これは厄介な客だ……実に厄介な客だぞ!)
ラジェットは胸の内で嘆いた。
だが、ラインは微笑んだ。
「叔父さん、叔母さん、そう畏まらないでください。長老になったとはいえ、私はお二人の身内です。さあ、おかけください」
そう言いながら、入り口の正面にある椅子へ腰を下ろす。
ラゼルも、もう一方の席に座った。
本来なら、家の主である叔父夫婦が座る場所だった。
だが、二人に占められても、叔父夫婦は異議一つ唱えられない。
それどころか、自分たちが腰を下ろすことさえ、ためらっていた。
これが、長老の権勢だった。
二人は顔を見合わせ、おそるおそる席に着いた。
背筋を伸ばし、身を固くしている。
椅子の前の縁へ、わずかに腰を載せているだけだった。
使用人が茶を運んできた。
ラゼルは口を閉ざしたまま、茶にも手をつけない。
ラインは目を閉じ、茶を味わっていた。
長い間そうしてから、ようやく目を開け、ゆっくりと尋ねる。
「叔父さんも叔母さんも、近頃はいかがお過ごしですか?」
顔には笑みがあった。
だが、叔父夫婦には、激怒されるよりも恐ろしく見えた。
特に叔母は、かつてラインへ浴びせた罵りの言葉を思い返し、身体を小さく震わせていた。
「はあ……ウルフウェーブが来てから、暮らしも落ち着きません。酒場は休業せざるを得ず、貸家も家賃が下がるばかりです。借り手の中には、亡くなった者までおりまして。正直なところ、食べることにも困りかねない有様で……」
そこまで話すと、叔父は涙まで流した。
普段はよく身なりを整え、血色のよい顔をしていた男も、今は昔の面影を失っている。
両の鬢には白髪が増え、皺も深くなっていた。
今回の招集では、前線での戦闘を免れるため、あちこちへ多額の霊石を賄賂として渡している。
その出費がかさみ、懐の苦しさが表にも出ていた。
しかし、ラインは知っていた。
長年酒場を営んできた叔父には、まだ蓄えがある。
ウルフウェーブのさなかでも、普通の精霊使いよりは、よほど楽に暮らしているはずだった。
これほど哀れに振る舞うのも、仕返しを恐れ、同情を引こうとしているのだろう。
(普段は抜け目のない叔父も、自分のことになると判断が曇るのか。私が仕返しに来たのなら、わざわざラゼル長老を連れてくるものか)
ラインは胸の内で冷笑した。
叔父夫婦に好感はない。
だからといって、利用価値まで失ったわけではなかった。
「叔父さん、叔母さんには、日頃から大変お世話になりました。今の私があるのも、お二人が育ててくださったおかげです。ちょうど今週の長老手当を受け取ったところでして。ここに霊石が三百個あります。どうぞ、お受け取りください」
ラインは革袋を叔父へ差し出した。
「何と?こ、これは……」
ラジェットの顔に、何とも複雑な表情が浮かんだ。
驚きに不安が入り混じり、その不安が恐怖へ変わっていく。
それでもなお、信じられないという思いが残っていた。
叔母も呆然とし、革袋を見つめている。
どういうことなのか。
予想していた仕返しはなく、逆に霊石を三百個も持ってきたというのか。
ラインの言葉も、どう聞いても耳が痛かった。
「お世話になりました」「育ててくださった」。
どの言葉にも皮肉が滲んで聞こえ、ますます怪しく思えてくる。
(このラインは、何を企んでいる?何をするつもりだ。どうやって、こちらを苦しめる気なのだ!)
叔父夫婦は顔を見合わせた。
ためらうばかりで、どちらも手を伸ばせなかった。
「ライン長老の孝行の気持ちだ。受け取っておきなさい」
ラゼルが、無表情に口を開いた。
「はい!」
叔父は何度も頷き、慌てて受け取った。
「影長老」の異名はあっても、今の薬堂長老とライン長老の前では、物の数ではない。
ラジェットは、霊石三百個の入った袋を両手で抱えた。
金が好きで、ひどくけちな男だった。
それなのに今は、手の中の袋がたまらなく熱いものに思え、すぐにでも放り出してしまいたかった。
「受け取っていただけたので、これで失礼します」
ラインはそう言うなり、席を立った。
叔父夫婦は慌てて見送りに出ようとしたが、ラインに止められた。
「もう見るのはおよし」
部屋の隅で、女家令が溜息をついた。
傍らにいる娘のミラへ、声をかける。
ミラは沈んだ顔をしていた。
ラインとラゼルの後ろ姿が完全に見えなくなってから、ようやく視線を戻した。
「母さん、選び間違えたのかな?」
長老は、複数の妻を持つことを許されている。
初めから彼一筋でいれば、今ごろはラインの妻の一人になれていたかもしれなかった。
「まさか、下等資質にすぎないライン様が、ここまでになるとはね……」
女家令は、どうしようもないというように首を振った。
「そんなに気を落とすんじゃないよ。ライル様は上等資質なんだ。あの方がライン様に劣るはずがないさ!」
「うん」
ミラは頷いた。
沈んでいた瞳に、再びわずかな光が戻る。
この世界で、凡人はあまりにも卑小だった。
精霊使い様の心を動かせるものが、彼女にどれほどあるというのか。
すでにライルへ身を任せた以上、自分の人生を賭けてしまったのだ。
もう、引き返す道はなかった。




