15.声の正体、隠された真相
この隠し洞窟の中で。
突然、背後から人の声が聞こえた。
さすがのラインも、全身の毛が逆立った。
背筋に冷たいものが走る。
(尾けられていたのか!?)
このところ何度も村の外へ出ていたせいで、誰かに目をつけられたのか。
叔父が送り込んだ人間か。
あるいは、宿屋で会った、一環精霊使いのキバ。
ほんの一瞬で、無数の可能性がラインの頭をよぎった。
同時に、この状況をどう切り抜けるべきか、思考が猛烈な速さで回り始める。
たった一言。
それだけで分かる。
背後の声には、はっきりとした殺意が込められていた。
(まずいな)
今のラインは一環初位。
本源精霊すら、まだ持っていない。
精霊使いとして見れば、戦う力などほとんどゼロに等しかった。
(弱い、今の私は、あまりにも弱すぎる!)
ラインが心の中で歯噛みした、そのとき。
背後から再び声が聞こえた。
「お前はすでに、俺の精霊、毒血酒に侵されている」
「俺の解毒薬がなければ、七日後には全身が腐り、血の塊になって死ぬぞ」
ラインは歯を食いしばった。
それでも表情は崩さない。
低い声で答える。
「酒虫が欲しいのか?」
「渡してもいい」
ゆっくりと立ち上がる。
一つ一つの動作を、できる限り遅く。
相手を刺激しないように。
だが。
その瞬間だった。
別の声が響いた。
「わ、渡します! 何でも渡しますから!」
恐怖に震えた男の声。
「お願いです、命だけは……! カイ様!」
「……待て」
ラインの眉間に深い皺が寄った。
(これは……?)
勢いよく振り返る。
背後には誰もいなかった。
代わりに。
目の前の岩壁で、光が揺らめいていた。
赤い光と影が混ざり合い。
やがて、一つの光景を映し出す。
山の頂。
一人の精霊使いが立っている。
引き締まった身体、鋭い雰囲気。
そして、その足元には、もう一人の精霊使いが両膝をつき、地面に這いつくばっていた。
二人の周囲には巨大な穴がいくつも開き。
岩は砕け。
地面はひどく荒れている。
つい先ほどまで、激しい戦いが行われていたことは明らかだった。
少し離れた場所には、何人もの老人が立っている。
誰もが驚き怒り。
そして恐怖を浮かべながら。
目の前の光景を見つめていた。
中央に立つ勝者が、空を仰いで大笑いする。
「ははははっ!」
「これがローデン一族の英雄か?」
「若くして五環にまで達したと聞いていたから、少しは楽しませてくれると思ったんだがな」
「とんだ期待外れだ!」
笑っている精霊使いは、細い目をしていた。
身にまとっているのは、淡い桃色の上着。
袖はゆったりと広く、風を受けて揺れている。
胸元は大きく開いており。
その下には、鍛え上げられた胸板が覗いていた。
だが何より目を引くのは。
頭だった。
髪は一本もない、月明かりを反射するほど、きれいに剃り上げられている。
「酒飲のカイ……」
ラインは一目で、その男が誰なのか理解した。
「カ、カイ様に比べれば、私など何ほどの者でもありません!」
地面に跪く精霊使いが、必死に叫ぶ。
「私は身の程知らずにも、カイ様を侮ってしまいました!」
「どうか……どうか、これまで我が一族があなた様を手厚くもてなしてきたことに免じて、この命だけはお助けください!」
身体は震え。
額から冷や汗が流れ。
涙と鼻水で顔はぐしゃぐしゃになっていた。
ラインは目を細める。
その男が着ている服。
そして顔立ち。
間違いない、四代目族長だ。
周囲にいる老人たちは。
当時のローデン一族の長老たちなのだろう。
酒飲のカイは鼻で笑った。
「手厚くもてなした?」
「よくそんなことが言えるな、俺は最初から、まともな取引をするつもりだった」
「霊石を払って、お前たちの月蘭花を買う。それだけの話だっただろう?」
「値段だって悪くなかったはずだ」
その目が冷たく細められる。
「それをお前は、俺を宴に招いたふりをして酒に毒を盛ろうとした」
「俺を甘く見すぎたな」
「酒を扱って生きてきたこの俺が、そんな毒に気づかないとでも思ったのか?」
酒飲のカイは、跪く四代目族長を指差した。
「最初から大人しく取引していれば、こんなことにはならなかった」
「俺を殺して、正道の英雄にでもなるつもりだったんだろう?」
「自業自得だ」
「カ、カイ様! どうか!」
四代目族長は両膝を地面につけたまま、必死に前へ進んだ。
そのまま酒飲のカイの脚へ縋りつく。
「我が一族には、魂の暗流があります!」
「そこから霊石を採ることもできます!」
「地下洞窟では、大量の月蘭花も育てています!」
「何でも差し出します!」
「私に『奴隷の精霊』を使ってください! 」
「喜んでカイ様の奴隷になります! この身、永遠にあなた様にお仕えいたします!」
その姿を見て。
ラインは思わず言葉を失った。
映像の中にいる長老たちも。
一人一人、何とも言えない顔をしている。
酒飲のカイは目を細めた。
先ほどまでの怒りは、すでにかなり収まっている。
その代わり。
瞳の奥に、計算するような光が浮かんでいた。
「奴隷の精霊なんて、そう簡単に手に入るものじゃない」
「五環ともなれば、なおさらだ」
「お前程度に使うのは惜しい」
しばらく考え。
やがて、口元を歪めた。
「だが」
「お前はすでに毒血酒に侵されている」
「解毒できるのは俺だけだ」
「それなら、裏切る心配もそうないか」
酒飲のカイは四代目族長を見下ろした。
「毎週、月蘭花十キロ、それと霊石三千個」
「決めた時期に俺が取りに来る」
「そのたびに毒を抑える薬を渡してやる」
「俺の言うとおりにしている限り、お前は生きていられる」
「ありがとうございます!」
四代目族長は何度も頭を地面へ打ちつけた。
「ありがとうございます、カイ様!」
「このご恩、一生忘れません!」
額が岩へぶつかる。
皮膚が裂け。
血が流れ始める。
「もういい!」
酒飲のカイが苛立ったように吐き捨てた。
「俺はそうやって媚びへつらう奴が一番嫌いなんだ」
「何がローデンの天才だ」
「何が五環の強者だ」
「聞いていた話とは大違いじゃねえか」
「いいか。これからは大人しく俺のために働け」
「それがお前が生き残るための……」
そのとき。
「ぐっ!?」
酒飲のカイの声が止まった。
顔に、初めて明らかな動揺が浮かぶ。
次の瞬間。
四代目族長を蹴り飛ばした。
身体が揺れる。
数歩、大きく後退する。
「お前……!」
酒飲のカイが怒鳴った。
「まだ精霊を隠していたのか!?」
胸を蹴られた四代目族長が。
地面を転がる。
口から大量の血を吐き出した。
それでも、ゆっくりと身体を起こす。
その顔には先ほどまでの怯えなど、どこにもなかった。
浮かんでいるのは、計画どおりだとでも言いたげな笑み。
「は……ははは……」
「外道なんぞに、情けをかける必要はない!」
「先使った精霊は、月影!」
「気配を隠すことに長けた四環精霊だ!」
「そして一度取り憑けば、霊海の精神力を封じる!」
四代目族長の声に、次第に力が戻る。
「私との戦いで、お前もかなりの精霊を失ったはずだ!」
「今のお前に、月影をどうにかできる精霊が残っているのか?」
「大人しく降参しろ!」
「今度はお前が私に従う番だ!」
四代目族長は笑った。
「私に仕えて、機嫌を損ねないようにしていれば……命くらいは残してやってもいいぞ!」
酒飲のカイの顔が、一気に歪んだ。
「ふざけるな!!」
次の瞬間。
その姿が消えた。
いや、あまりにも速かった。
地面を蹴り。
一直線に四代目族長へ飛び込む。
拳が、四代目胸の中央へ叩き込まれた。
「がっ……!」
四代目族長は、まさか酒飲のカイがここまで迷わず攻撃してくるとは思っていなかった。
霊海を封じられかけている。
このままでは、自身の精霊使いとしての力すら失いかねない。
普通なら、交渉を選ぶ。
そう考えていたのだろう。
だが、酒飲のカイは違った。
強烈な一撃を受け。
四代目族長の身体が宙を飛ぶ。
そのまま地面へ叩きつけられた。
「ごぼっ……!」
大量の血を吐く。
赤い液体の中には。
小さな肉片まで混じっていた。
四代目族長は信じられないものを見るように、酒飲のカイを睨んだ。
唇を必死に動かす。
「お、お前……正気か……?」
「まだ……話し合えるだろう……」
最後まで言い切ることはできなかった。
身体が一度、大きく震える。
首が横へ倒れた。
動かなくなる。
「族長!!」
「この外道が!」
「やはりまともな人間じゃない!」
「族長の仇を討て!」
周囲にいた長老たちが、一斉に叫んだ。
「奴は月影に侵されている!精神力を自由に動かせない!」
「時間が経てば、霊海そのものまで封じられるぞ!」
長老たちが次々と飛び出す。
一斉に酒飲のカイへ襲いかかった。
「ははははっ!」
酒飲のカイは天を仰いで笑った。
「死にたい奴来い!」
逃げないで真正面から。
長老たちの中へ突っ込んでいった。
再び激しい戦いが始まる。
しかし。
戦況はすぐに酒飲のカイへ傾いた。
一人。
また一人。
長老たちが倒れていく。
ある者は死に。
ある者は重傷を負い。
ほどなくして。
立っている者はほとんどいなくなった。
酒飲のカイが。
まだ息のある長老たちへ歩み寄る。
とどめを刺そうとした。
その瞬間、顔色が変わった。
「ぐっ……」
腹部を押さえる。
表情が歪む。
「くそ……!」
酒飲のカイは、地面に倒れた長老たちを睨みつけた。
「今日はここまでだ」
「次に来たとき、まとめて片づけてやる」
そう吐き捨てると。
地面を蹴った。
その姿が闇の中へ飛び込む。
山の森へ消え。
ほんの数秒で。
影すら見えなくなった。




